アガサ・クリスティー攻略作戦 最終回(執筆者・霜月蒼)

 ついにアガサ・クリスティー攻略作戦も最終回である。


 第一回が本ウェブサイトにアップされたのは2009年10月7日のことであった。それから3年半あまり。作戦開始前にわたしが読んでいたクリスティー作品は、わずか7作――『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人』『ポアロのクリスマス』『葬儀を終えて』『白昼の悪魔』――のみだった。
 ミステリに限らず、マニアになると嗜好だけでなく義務感が生じて、「好みじゃないかもしれないけど手をつけていないものをツブしていかねばならぬ」と思うものである。もう20年以上前にマニアの域に足を踏み入れていたわたしなのだから、クリスティーだけが、かようにぽっかりと抜けているというのは不可解なことだ。


 いや、わたし自身にとっては少しも「不可解」ではない。ありていに言えば、わたしの目に、クリスティーの作品は「魅力のないもの」にしか見えなかったのだ。


 とはいえ、この「魅力のなさ」は謎ではあった。上に挙げた既読の7作は、いずれも面白かったのだから。ことに『葬儀を終えて』と『白昼の悪魔』には大いに感銘を受けた。クリスティー文庫は約100巻ある。どんな作家にも、失敗作は統計的にいくらか含まれうるが、それを除いても数十作は、『葬儀を終えて』や『白昼の悪魔』の質を期待できるはずなのだ。しかもクリスティー作品は、ジョン・ディクスン・カーやエラリイ・クイーンなどとは段違いに容易に本が手に入る。
 なのになぜ読まなかったのか。
 魅力がなかったから。そう、たしかにそういうことなのだが、それでは何も言っていないにひとしい。ロジックを裏返そう。


 ――なぜ世間ではクリスティーがあんなに人気なのだろうか。


 わたしにとっての謎の核心はそれだった。世間の人気と、わたしの感じる「おもしろくなさそうな外見」のあいだの乖離。そこにある暗くて見通せない溝。アガサ・クリスティー攻略作戦を実行したのには、この「暗い溝」に現在の光源を持ちこんで、そこに何があるのかを探査したい、というのもあったのである。

 
 問題の「魅力のなさ」の原因は、とりあえず明瞭だ。「クリスティー作品についての言説」が、わたしのような本読みには届かない言葉でばかり語られていたためだ。
 クリスティーと聞いて、あなたはどんな言葉を連想するか。それはきっと――


「田舎」。「お庭」。「午後のお茶」。「村の人間模様」。「編み物をしながら名推理をはたらかせる老女」。「エジプト」。「旅行」。「ロマンス」。「上流階級の屋敷」。「毒殺」。「ミステリの女王」。「のんびり穏やか」。「意外な犯人」。「お上品」。「遺産相続」。「ベルギー人のはげあたま」。「モナミ」。「華麗な女優」。「マザーグース」。


 こんなところだろうか。
 これらの9割方が、わたしの人生に不要なものばかりなのである。しかもこれらのほぼすべてが、「ミステリとしての質」と無関係な言葉ばかりなのだ。わたしが知りたかったのは「ミステリとしてクリスティーが面白いのかどうか」「どういうふうに面白いのか」ということだった。だが、それについて語るひとは誰もいなかった。お茶やガーデニングや遺跡見物? 興味は全然ないが、もしそういうことについて知りたければ、おれは実用書を買う。そうだろう?
 だから考えていたのだ――お茶にも田舎にもエジプト旅行にも興味のない自分にとって、クリスティーの小説は楽しめる箇所など皆無にちがいないと。


 それが大間違いだというのは、クリスティーを数冊読めばわかった。だがしかし、「なぜ誰もミステリとしてのクリスティーについて語らないのか」という問題を解くには時間がかかった。
 とっかかりをつかんだのは、1933年発表の『エッジウェア卿の死』(あるいは前年の『邪悪の家』)だった。ここでみえてきたのが「クリスティー流の謎解きミステリ」であり、それは1935年の『三幕の殺人』で深められ、1937年の『ナイルに死す』で完成され、以降の傑作群につながっていったとわたしはみる。
 前回『アガサ・クリスティーの秘密ノート』でわたしは、クリスティー・ミステリが日本のミステリ評論の言説では論じにくいと書き、「ユニットとして抜き出せるトリック」の欠如を理由に挙げているが、これは不正確な言い方だった。「クリスティーのミステリは、騙しのポイント≒トリックを30文字で説明することができない」と言うほうが正確だ。
 昭和の日本の謎解きミステリ界は、「類別トリック集成」に象徴されるようなミステリ観を物差しにして、作品を語り、測ってきた。作品のキモ≒トリックを30文字に要約することで「類別」し、「集成」しやすくし、その30文字だけで説明できるわかりやすい斬新さだけが注目されてきた。
「名作」とされるクリスティー作品は、そういうものばかりである。


アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』→「××が犯人」。(5−6字)
『ABC殺人事件』→「****の**殺人と思わせて、犯人の**は**」(23字)
そして誰もいなくなった』→「****と思いきや犯人が******いる」(20字)


 こうしたやりかたでしか謎解きミステリを評することができなかった江戸川乱歩以来のミステリ観が、クリスティーをはじめとする古典作家には貼られたままだ。そしてクリスティーの場合、この手の乱歩的なコトバでは捉えることができない傑作があまりに多いのである。


 例えば『ナイルに死す』――トリックは「*が*を****見せかけて、**の*の**に****************犯人が被害者************殺害、そののちに**を***、*******する」と長たらしく、おまけに新味のないものである。だがこの傑作の驚愕のポイントはそこにはなく、「***同士である**と**の**に******である**が現われ、**が****いると*****、実は**と**は**であって、**して**を**する」というところにある。
『五匹の子豚』は、「****に**を***女が、**の*の**から*が***を**したと***し、***********きた*への***ゆえに****を*****、**に**の**が********」というのがポイントだった。
 いかにも長い。「類別」しようにもできないし、類別表にまとめたり箇条書きにしたりもできない。
 だがこれらがすぐれていないかといえばまったく誤りだ。
 トリックを一言でいえる『メソポタミヤの殺人』(「**から*******で被害者を***に**する」24字)や、『雲をつかむ死』(「犯人が*****の**で**に**」17字)は、これらに比べると凡作でしかない。


「30文字で説明できない騙しの手口」。それは言い換えれば、たくさんの文字数によって成立する「小説」であるからこそ可能なものでもある。30文字で抜き出せるトリックは1ページずつの「問題編」「解決編」から成るミステリ・クイズでも表現可能だからだ。だから昭和の時代には藤原宰太郎によるミステリ豆本が多数刊行されていた。
 しかしクリスティー流のミステリは、そんな短い紙数に還元することは不可能なのである。上記の『ナイルに死す』のキモの要約にしても、それに先立ち、その行間を埋める大量の人間関係描写があるからこそ、最終的に人間関係の反転が驚愕として結実する。
 だからこうも言えるだろう――クリスティーの傑作群は、作品全体がトリックであり伏線であり手がかりでありミスディレクションなのだと。類別可能な「トリック」が、「騙し」という一個の塊だとすれば、クリスティーのミステリは、「騙し」を塊ではなく細かな糸にほぐして、それによって織り上げた布のようなものなのだと。
 だから、クリスティーを30文字で評することはできない。攻略作戦に意味があるとするならば、ひとつひとつの作品について、まとまった分量で評することで正面から向き合ったことにあるだろう。そしてそれ以外に、クリスティー作品についてきちんと語ることはできないように思うのだ。


 さて、全作品を読み終えたことを踏まえて、アガサ・クリスティー作品の個人的なベスト10を掲げておく。


 1『カーテン』 2『五匹の子豚』 3『終りなき夜に生れつく』
 4『春にして君を離れ』 5『ポケットにライ麦を』 6『白昼の悪魔』
 7『鏡は横にひび割れて』 8『謎のクイン氏』 9『葬儀を終えて』
 10『NかMか』


『カーテン』の1位は揺らがなかった。ミステリの形式を逆手にとった野心と、犯罪に至るダークな心のありように切り込む容赦ない思索と叙述は、現代ミステリを読む読者にも強い感銘をもたらすと信じる。『終りなき夜に生れつく』もこの流れにあるが、ミステリ性よりも、後年のクリスティーが追究した「殺人を犯す心」の問題を、静かな悲しみの音色を響かせつつ描き切った傑作だと思っている。これはノワール者必読。
『五匹の子豚』はクリスティー・ミステリの完璧な結晶体。これに次ぐのが『白昼の悪魔』であり、これが気に入ったひとは『葬儀を終えて』『死との約束』『ホロー荘の殺人』『杉の柩』も是非読まれたい。
『ポケットにライ麦を』はミス・マープルの「正義のヒーローぶり」がもっとも見事にあらわれた作品。ラストの悲しみも忘れがたいし、それによってミス・マープルのストイックな正義感――そう、ハードボイルド・ヒーローのような――が浮かびあがる仕掛けもすばらしい。犯罪悲劇の歴史的名品『鏡は横にひび割れて』と甲乙つけがたい。
 メアリ・ウェストマコット名義の作品はいずれもハズレなしだが、『春にして君を離れ』がまちがいなくベスト。『謎のクイン氏』はクリスティーの短編集でベストであり、長編ではほとんど発揮することのなかった仄暗いロマンティシズムが堪能できる。こうした味わいは『死の猟犬』『マン島の黄金』でも楽しむことができる。
 最後は『NかMか』。クリスティーのスリラー作品は、ミステリや幻想小説を10とすれば、よくて4くらいのクオリティしかないが、本作だけは例外。クリスティーの健全なユーモアと倫理観と騙しの仕掛けが最良のバランスでここにはある。これにハナの差で迫るのが『親指のうずき』だが、これはむしろ『カーテン』『終りなき夜に生れつく』と同系統のノワール的な作品とみるべきだろう。


 以上で攻略作戦を終了する。お読みくださったみなさんに深く御礼を申し上げます。


 そんな皆さまへの御礼として、のちほど、「ふろく」としてクリスティー全作の星取表を掲げます。今後の読書にお役立てください。

カーテン(クリスティー文庫)

カーテン(クリスティー文庫)

終りなき夜に生れつく(クリスティー文庫)

終りなき夜に生れつく(クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

謎のクィン氏 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

謎のクィン氏 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)