第47回 目から鱗が一掃、唯一無二の読書体験―ビネ『HHhH』(執筆者・♪akira)

 
 全国の腐女子の皆様とそうでない皆様、こんにちは!
 ノンフィクション・ノヴェルといえば、トルーマン・カポーティ『冷血』を思い出す方も多いのでは。筆者はそれを中学時代に読んで早々にギブアップした暗い過去があるのですが、後年出た佐々田雅子氏による新訳版で再度トライしたところ、これがもう圧倒的な面白さで、訳でこんなにも変わるのか! と嬉しい驚きでした。実はそれまでノンフィクションや歴史ものなど、事実にもとづいて出来事を記録した作品が苦手で、歴史の教科書には「でもこれ書いた人、その場にいなかったよね! 見てないよね!」と不信感を持ち、当時の書物に「全国民に慕われている眉目秀麗のナントカ国王」などと書いてあっても、「脅されて書いたのでは」と疑い続けて今に至ります。同じように思う人は他にもいるはずだけど、多分大きな声では言えないんだろうなあ……と思っていたら、それをそのまま本にしたありがたい人がいたのです!!!
 

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

 2010年度のゴンクール賞新人賞を受賞したローラン・ビネ『HHhH――プラハ、1942年』(訳・高橋啓東京創元社)は、目から鱗が一掃の超絶作品でした。1942年5月27日にチェコプラハで起きたナチ高官暗殺事件――暗号名“エンスラポイド(類人猿)作戦”――の顛末を描いたこの作品、今回再読し、あらためて作者がこの事件にいかに魅了されたか、そしてそれに関係した当時の人たちをどれだけ大切に思っているかをひしひしと感じました。膨大な資料の見極めに偏執的なまでにこだわり、実在した憧れの人物を陳腐に理想化せずに、どうやってその偉業を伝えることができるかを、小説内で書き手が自問自答するという斬新さ! しかも、たまにちょっと言い訳したりするのも可笑しいです。
 
 しかしその史実というのが「事実は小説よりも奇なり」であった場合、虚飾を交えずに物語る苦労は相当なはず。というのも、“エンスラポイド作戦”は、成功の可能性が限りなく低く、さらには、実行の結果起きた出来事がアクション映画以上にスリリングで荒唐無稽だったからです。
 
 イギリスに亡命したチェコ政府は、悪名高きゲシュタポの長官であり「金髪の野獣」と呼ばれるラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画を実行に移します。任命された二人の若者、スロヴァキア人のヨゼフ・ガブチークとチェコ人のヤン・クビシュはパラシュートでチェコへと降り立ち、現地の協力者たちの助けを借りて、来るべきXデイに備えます。

 本書発表時に30代だった作者は戦争を体験していません。二人の英雄やハイドリヒについて、『暁の7人』死刑執行人もまた死すといった映画を観た上で、あくまでも当時の資料を重視し、再現を試みようとします。そんな作者がガブチークとクビシュの特徴が詳しく書かれた貴重なファイルを偶然見つけて大喜びするくだりは、読み手のこちらも思わずガッツポーズしそうになりました。
 
 小柄でエネルギッシュな熱血漢のガブチークと、大柄で温厚な思慮深いクビシュ。性格もよく女性にもてて、下宿のおかみさんの記録からも二人が好青年だったことがわかります。その後の展開を知るだけに、ハイドリヒを含むナチの想像を絶する非情な思考回路と比べると、より悲劇度が濃厚に。裏切り者の存在も影を落とします。
 
 ついに作戦実行の日、予想もしなかったアクシデントが彼らを襲います。ここから先は一挙にスピードが上がり、スパイもの、戦争もの、さらには捜査もののスリルとサスペンスが待ちうけているのですが、そこで作者が繰り出す驚きの超絶技により、本書は恐るべき唯一無比のものとなるのです。読了後、「なんか凄い本を読んでしまった……」としばしぼーっとしましたが、けして難しい本ではなく、映画のトリヴィアなどもたくさん出てきます。中でも、占領区での国対抗サッカー試合でドイツが負けた試合終了後に、民衆がピッチになだれ込んで選手達を逃がすという、実際の『勝利への脱出』エピソードが出てきたりして映画ファンにも楽しめますし、ハラルト・ギルバース『ゲルマニアで言及されたアルベルト・シュペーアも登場しますので、未読の方はぜひお手に取って下さいませ。
 
 


 作者の二人への愛は感じられるけど、なんか今回あまり腐ってないなあ…とご不満なあなた! それは映像の方で申し分なく補充されるのですよ!!! 本書の映画化『HHhH』は来年あたり公開が予定されていますが、それに先立ち、“エンスラポイド作戦”そのものを描いた『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(原題 Anthropoid チェコ、イギリス、フランス合作/2016)が8月12日から公開です。
 

 前述のアラン・バージェス原作映画『暁の7人』(米/1975年)と比べてみると、新作の方が、暗さ、悲壮感、リアルさにおいてかなり細部へのこだわりが感じられました。それもそのはず、ロケの全てがプラハで行われ、クライマックスも本物の聖キュリロス・聖メトディオス正教会の前で撮影。さらにはチェコ出身の役者やスタッフが多く参加しています。
 

 主人公ガブチークとクビシュを演じるのは、キリアン・マーフィジェイミー・ドーナン。この映画の成功はまさにこの二人の起用といっても過言ではありません! 特にキリアンは悲劇が似合う!! 映画『白鯨との闘い』(原作が超面白い!)や連続ドラマピーキー・ブラインダーズ』など、運命に翻弄され、目の前に絶望しかない時の彼の美しさは他の追随を許しません(断言)。たまに見せる笑顔もまたいいんですよ(泣)。そして最近では『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』シリーズで富豪の変態クリスチャン・グレイを演じて大人気のジェイミーも、刹那的な日常を力の限り生き抜こうとする青年クビシュを好演。敵役のハイドリヒを演じているのは Detlef Bothe というドイツの俳優なのですが、この人、タイトルがそのものズバリの 『Lidice』(リディチェ村) という2011年の未公開チェコ映画でもハイドリヒ役でなんか気の毒(笑)。
 

 それにしても『暁の7人』のラストシーンの大サービス感はいったい……。あれ、さすがの私でも盛りすぎだと思ったんですけど!!! あー言いたい!!(でもネタをばらすので言えない)日本版DVDの復活を求む!
 

   

 

タイトル『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』
公開表記:8月12日(土)より新宿武蔵野館他全国順次公開
2016年/チェコ=イギリス=フランス
原題Anthropoid
5.1ch/ワイドスクリーン/120分
© 2016 Project Anth LLC All Rights Reserved. ※PG12
公式HPhttp://shoot-heydrich.com/
 
監督・脚本:ショーン・エリス
脚本:ショーン・エリス、アンソニー・フルーウィン
撮影:ショーン・エリス
編集:リチャード・メトラー
出演キリアン・マーフィ ジェイミー・ドーナン ハリー・ロイド  シャルロット・ルボン アンナ・ガイスレロヴァー トビー・ジョーンズ
配給:アンプラグド

    
akira


  BBC版シャーロックではレストレードのファン。『柳下毅一郎の皆殺し映画通信』でスットコ映画レビューを書かせてもらってます。トヨザキ社長の書評王ブログ『書評王の島』にて「愛としみのスットコ映画」を超不定期に連載中。
 
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