初心者のためのカート・ヴォネガット入門(執筆者・YOUCHAN)

 
 この原稿依頼が来たとき、きっとこれは私が編者を務めている『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』のPRを兼ねてに違いない!と、二つ返事で快諾したところ「おお、それは良いタイミングでしたね」といったお返事が……。偶然だったようです。とはいえ、やはり何らかの引力が働いたに違いありません。何故なら今、アメリカ本国では、ヴォネガット再評価の真っ最中だからです。
 ヴォネガット没後、未発表短篇集が3冊も発売され(まだまだ出るかも)、元愛人による思い出の記が出版され、デビュー前のヴォネガットが書き残した中篇“Basic Training”が Kindle Single として発売され、とどめは2011年に上梓されたチャールス・J・シールズによる伝記 And so it goes : Kurt Vonnegut, a life 。この伝記、ヴォネガットの遺族から総スカンを食らうほどにセンセーショナルな内容で、賛否の嵐が吹きまくり。ヴォネガットおじさんが死んで早5年。もうすっかり日本では過去の人になりつつある中、本国アメリカでは熱い熱いビッグウェイブまっただ中、といった状況なのです。
 日本にいるとなかなか入ってこないヴォネガット情報は、先述した『現代作家ガイド』を足がかりに、関連書籍の訳出が進んでくれることを祈りつつ、わたしが愛するヴォネガットをどかすか紹介して参ります。
 

ヴォネガットといえばドレスデン――『母なる夜』と『スローターハウス5

母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

 まず最初に紹介する『母なる夜』は、ドイツで劇作家として活動していたハワードの身に振りかかる悲劇を描いた作品です。戦争が始まるとハワードは、極秘任務として、表向きはアメリカに向けドイツの素晴らしさを伝えるプロパガンダ放送をしながら、そこに暗号を忍ばせるよう命ぜられます。ところが戦後、二重スパイとしての身の保証をしてくれるはずの男との連絡は途絶え、ハワードは途方に暮れます。帰国後、裏切り者のそしりを受けながら、身を潜め余生を過ごすことになるのですが……。
 この本は、最初に版権を取得した白水Uブックス版と後発のハヤカワ文庫版がありますが、冒頭に「読者のみなさん」が挿入されたハヤカワ版が実はオススメです。そこには、ある重要なメッセージが綴られているからです。
 ヴォネガットはドイツ系移民四世のアメリカ人作家です。十代の終わり頃、第二次世界大戦アメリカ兵として前線に出たヴォネガットは、終戦直前に東ドイツの非武装都市・ドレスデンで捕虜になります。そしてその地で、友軍による絨毯爆撃を受けるも、運良く一命を取り留めました。ところがヴォネガットは、この事実がアメリカ本国の歴史から握りつぶされていることに愕然とします。
 1962年に発表された『母なる夜』について語ったのが、後年1966年に綴った「読者のみなさん」なのですが、当時ほとんど世間に知られていなかったドレスデン爆撃の体験について、初めてヴォネガットが触れたのがこの文章でした。そういう意味においても大変重要な位置づけなんです。
 あっ、もちろんそんなマニアックな視点でなくとも『母なる夜』のテーマや民族のこと、前線に出ることの意味などを、たった数ページの中にわかりやすく凝縮できるヴォネガットの手腕も、ぜひ味わってください。
  そしてヴォネガットの代表作の一つスローターハウス5へと参りましょう。第二次世界大戦下のドイツで捕虜になったビリーは、非武装都市ドレスデンに送り込まれ、友軍による絨毯爆撃をうけ、一命を取り留め……。そうです、この本は、ヴォネガット自身の体験に基づく反戦小説であり、文中にもときおり作者が顔を出します。
 そこに繰り広げられるのは、味気ない人物描写、絶望にあふれた世界ですが、ビリーは人生に憎悪を抱きませんでした。どんなに理不尽なことが起きたとしても、今いる世界を受け入れていく――。戦争のことを書くのに理性的な言葉は見つからない、とヴォネガットはシリアスな戦争小説のモチーフの合間に「けいれん的時間旅行」というSF的なアイデアを挟み込みました。ドアを開ける、あるいは就寝し目が覚めると、ビリーは別の時代へ飛んでしまい、ときには地球を飛び出し遠い宇宙の彼方へ行く事さえも……。何度と見てきたビリー自身の生と死の瞬間。果てなく終わることのない時間と空間の旅。しかし、従来のSFのように、未来も過去も変えられません。
 起きたことは受け入れていく。そのなかで、どう生きるのか。ヴォネガット観が如実に表現された、まさに傑作中の傑作といえるでしょう。
 
 

ヴォネガットといえば人類滅亡――スラップスティック』『ガラパゴスの箱舟』

スラップスティックは、合衆国最後の大統領・ウィルバーが綴る回想録です。突然起きた重力の急激な変化により、建造物が崩壊。都市機能が麻痺します。橋がすっかり落ちたマンハッタンは陸の孤島と化し、そんな中で原因不明の奇病のため、人がバタバタ死んでいきます。
 大都市にあって人の孤独を癒すのは、お互いがお互いをいたわりあい助け合う、人工的な拡大家族計画しかないと訴えた作品でもありますが、人類の存在を地球上から何度かリセットするのは実はヴォネガットの十八番。晩年のヴォネガットヒューマニストとしての側面が全面に強く打ち出されましたが、主人公ウィルバーに「孫娘たちの目からするかぎり、昔この島に溢れかえって住んでいた人びとがなしとげた最大の偉業は、彼らが死んだことなのだ」とぎょっとするような言葉をあっけからんと吐かせる、そんなアイロニーに満ちた側面こそがヴォネガットの大きな魅力なのです。
 
ガラパゴスの箱舟 (ハヤカワ文庫SF)

ガラパゴスの箱舟 (ハヤカワ文庫SF)

 100万年後の人類を描いたのがガラパゴスの箱舟』です。現代(1986年)の人類は、世界恐慌と戦争と疫病のため滅亡へ向かいます。緊迫した状況下、偶然に豪華客船に乗り合わせた老若男女は、あわやのところでエクアドル崩壊直前に脱出。難破し、たどり着いた先で、彼らは新人類の祖となるという、壮大なスケールで描かれた作品です。
 ここでヴォネガットに標的にされたのは巨大脳。大きな脳が科学技術を不必要に発展させ、人類滅亡へ追いやったとバッサリ。巨大脳が諸悪の根源である証拠に、新人類たちは進化の過程でその脳をどんどんどんどん縮小させていきます。もうここまでくると人類全否定。ヴォネガット自身、もっともよく書けた作品として本作を挙げていました。
 
 

■実はアーティストでもある――『青ひげ』

青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

 1997年に断筆宣言をしたヴォネガットは、晩年はリトグラフ制作へ活動をシフトします。ヴォネガットシルクスクリーン作品はオンラインで購入することができ、また、近年リニューアルされた原著の装画はヴォネガットが描き残したイラストが利用されています。もともと、芸術に造詣の深かったヴォネガットですが、芸術家の心の叫びともとれる小説を残しています。それが『青ひげ』です。
 若い頃に巨匠イラストレーターに師事したラボー。復員後は前衛芸術家として名を馳せ、最盛期で1点5万ドルで作品が買い取られる程になります。ところが、絵の具の経年劣化に従って、カンバスから絵の具が剥がれ落ちるとともに、ラボーの名声も忘れ去られていきます。妻の残した屋敷で、前衛アートのコレクターとして余生を無気力に過ごすラボーのもとに、ラボーのすべてを頭ごなしに否定する女流作家が訪れます……。
 ラボーがリアル系イラストレーターとして培った技術と、作品に込める魂と呼ぶべきものについてが真正面から描かれるのですが、技術(ラボーの場合は、リアルに描くこと)が「目的」に陥ってしまうことで、描くべきテーマについて見えなくなる瞬間が、アートに携わる者なら一度や二度はあるはず。ましてや、ようやく見つけたテーマと、それを再現するための技術が、巧く馴染まなければ形になり得ない……。そんな現実をつきつけられ、読むとズキズキ刺さるのは、わたし自身がイラストレーターという職業のためかもしれません。アートに携わる人にオススメの一冊です。
 
 

ヴォネガットが好きな人なら――シオドア・スタージョンジーン・ウルフ

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

 ヴォネガットの小説には、彼の分身と呼ぶべきキャラクターが登場します。その名はキルゴア・トラウト。不遇の三文SF作家。カルト的なファンがほんの少しいるだけ。世を拗ねた、しかし自分自身のやるべきこと……小説を書く事だけは、どこまでも全うした。そんな男です。
タイタンの妖女『猫のゆりかご』等の評価が上がるに従い、ヴォネガットにはSF作家のレッテルが貼られます。ところが、当の本人はSF作家というレッテルが大嫌い。1950年代は短篇作家としてデビューし活躍したヴォネガットでしたが、テレビの普及に従い発表できる媒体が減少。そのため、短篇小説のプロットが思いつくと、トラウト作ということにして、長篇に組み込む手法を取るようになります。
 このトラウトのモデルはシオドア・スタージョンと言われています。シオドアとキルゴア、同じ韻が踏まれていますし、スタージョンチョウザメ)とトラウト(ニジマス)と、比較すれば一目瞭然です。ちなみにヴォネガットスタージョンの短篇集 A Saucer of Loneliness (原著のみ)に序文を寄せています。
 スタージョンの作風は、ヴォネガットとはちっとも似ていないし、ちょっと(かなり?)説教臭いですが、孤独や理不尽さ、やりきれなさを描く視点には、どこか相通じるものがあるような気がします。『一角獣・多角獣』は数あるスタージョン作品の中でも特にオススメです。
 
デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

 ヴォネガットの邦訳の大半は、伊藤典夫浅倉久志両氏が手がけています。その二人が近年大きく関わった作品で傑作と呼ぶものがあるとしたら、ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』ではないでしょうか。ヴォネガットの魅力は、容易に読める言葉の羅列から深いメッセージを紡ぎだすところにあるでしょう。読めばすぐにヴォネガットと分かるその語り口を、見事な日本語に置き換えた伊藤・浅倉両氏の功績は無視することはできないはず。
『デス博士の島その他の物語』の表題作は、死・博士・島の組み合わせを変えた連作で、「デス博士の島」「アイランド博士の死」「死の島の博士」と続きます。このタイトルを見ただけで、ぞくぞくしませんか? そして「アメリカの七夜」はミステリとしても秀逸。注意深く読み進めないと、そこかしこに差し出された伏線を、さらりと読み流してしまうかもしれません。読書の楽しみを堪能できる一冊です。
 

YOUCHAN(ユーチャン)


アーティスト。ヴォネガット好きが高じ五年越しの企画『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット(巽 孝之:監修 / 彩流社)編者となる。書籍装画『水の中、光の底』(平田真夫:著 / 東京創元社)、CDジャケットイラスト明日への扉(V.A. / フクシマレコーズ)、雑誌本文デザイン《ナイトランド》(トライデントハウス)、ロゴマークデザイン「2013年日本SF作家クラブ創立50周年記念ロゴ」など。好きなミステリはF.W.クロフツジョナサン・キャロル三津田信三、永遠の新青年系変格探偵小説愛好家。
【公式サイト】http://www.youchan.com/
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Twitterhttps://twitter.com/youchan_togoru
 
カート・ヴォネガット (現代作家ガイド)

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And So It Goes: Kurt Vonnegut: A Life

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水の中、光の底

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お日さま お月さま お星さま

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A Saucer of Loneliness: Volume VII: The Complete Stories of Theodore Sturgeon

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不思議のひと触れ (河出文庫)

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ケルベロス第五の首 (未来の文学)

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