ドイツミステリへの招待状(執筆者・酒寄進一)

 

ドイツミステリへの招待状 その2

 
 先回少し触れたドイツ警察小説の著者をまず紹介しておきましょう。女性作家のほうはネレ・ノイハウス(1967年生)、男性作家のほうはフォルカー・クッチャー(1962年生)。共に中堅というか、これからドイツミステリを背負って立つ作家だとぼくは見ています。
 ノイハウスは2009年に彗星のごとく現れ、「オリヴァー&ピア刑事」シリーズで脚光を浴びました。詳しくは別の機会に紹介しますが、そのサクセススーリー自体が物語として面白いです。シリーズ5作はすでに150万部を記録し、彼女はいまや「ドイツミステリの女王」とまで呼ばれています。
 クッチャーは1929年から36年までのベルリンを舞台にした「ゲレオン・ラート事件簿」シリーズ(全6巻の予定)を書いています。映画、音楽、ファッション、料理、ナイトクラブ、デパート、乗り物、路上の景観、どれをとってもいながらにしてワイマール時代のドイツへタイムスリップできるリアリティがあります。既刊3巻まで読んで、完結すればおそらくドイツミステリ史に残るシリーズになるだろうと思った矢先、この11月に早々シリーズとしてベルリン・ミステリ賞を受賞しました。
 このふたりの作品をはじめとして、ドイツではここ5、6年、警察小説が花盛りです。あるときは北海の海辺、またあるときはアルプスの山中、あるいはケルン、ハンブルクミュンヘンといった伝統あるドイツの中核都市を舞台にしています。
 警察小説はすでに1980年代には書かれていましたが、当時はまだドイツを舞台にしては書きづらいジャンルだったように思います。その理由はひとえにドイツ警察が辿った複雑な歴史にあります。
 ドイツ警察小説をよりよく楽しむために、ここで少しその歴史を辿っておきしょう。
 ドイツ帝国第一次世界大戦に敗れたあと、ドイツ警察は近代警察への脱皮を試み、1926年には「ワイマール共和国」の法と秩序を守るため、「警察−あなたの友だちでありヘルパー」というスローガンを打ちだしました。といっても、その裏で政治警察が1A課と名を変えてベルリン警視庁内に存続し、1929年5月に共産党のデモを弾圧し、流血事件(血のメーデー事件)を起こしたことを忘れてはいけません。ちなみにゲレオン・ラートはこの事件を目の当たりにします。
 ドイツはその後、1933年にナチ政権に代わります。ヒムラーが全ドイツ警察長官になるのは1936年。この年に秘密国家警察(Gestapo)と刑事警察(Kripo)は統合され、保安警察(SiPo)となり、その後、親衛隊との一体化が進められて、1938年の政令では、保安警察の警察官はすべて親衛隊員(SS)になることが義務づけられます。
 1945年、ナチスドイツが無条件降伏すると、英米仏露の統治下でそれぞれの国の警察組織がドイツ国内に導入されました。そして1949年に東西ドイツが独立すると、東ドイツはロシアの警察組織に準じ、西ドイツは錯綜した警察組織を再整備するため、1951年から改革を始めます。アメリカのFBIに相当する連邦刑事局(BKA)が創設されたのがこの年で、州ごとに異なる刑事警察の統合が進められました。
 ドイツではその後、ふたたび警察組織の大改革が行われることになります。ご存じのようにベルリンの壁崩壊後のドイツ再統一で、西と東の警察の統合が必要となったからです。
 これほどめまぐるしく国家の体制が刷新され、それに伴って警察組織に大きな変更が施された先進国もそうそうないのではないでしょうか。
 同じ「ドイツ」でも、どの時代、どの地域を舞台にするかで、主人公の警察官は異なった判断基準(たとえば死刑があった戦前と、なくなった戦後)や倫理観を持ち、異なった行動をとることになります。またその時々で階級の名称もめまぐるしく変わりましたし、ドイツ語を話す国と地域にまで視野を広げれば、オーストリアやスイスの警察組織が作品世界の前提になることもあります。英米の警察小説とすこし違った敷居の高さがあるとすれば、それはこのあたりに起因しているといえるでしょう。
 けれどもその一方で、かっちりと組織された階級社会であるはずの警察内部で、人々が突然の組織変更に右往左往し、その都度、規範とすべき価値観や世界観が揺れることを考えると、じつはドイツ語圏の警察小説には他の国の警察小説とひと味違う別のおもしろさがあるともいえます。警察内部での警察官たちの人間模様という、警察小説のもうひとつの見所の振り幅が大きくなるのです。
 物語内の時間が2005年からはじまるノイハウスの連作は、まさにそうした最先端のドイツ刑事警察の組織をフレームにして、インサイダー取引マネーロンダリング、環境破壊、ナチの過去など、現代のドイツ社会が抱えるさまざまな病巣にメスをいれます。
 またクッチャーのシリーズが1936年までを射程に入れているのも、このドイツ警察史を念頭に置くとその狙いがよくわかります。1936年から物語がはじまるフィリップ・カーの『偽りの街』『砕かれた夜』『ベルリン・レクイエム』とはある意味、好対照な切り口になるわけです。シリーズ後半、ノンポリのやさぐれ刑事は否応なくナチ体制の渦中に放り込まれるはずです。そしてどんな決断を迫られるか。1931年の物語である第3巻『ゴールドスティン』で、ニューヨークからやってきたユダヤ人殺し屋が主人公ラートにいいます。「1936年にはベルリンでオリンピックがあるな。その頃にはベルリンももうすこし平和な街になっているといいんだが」と。それがどのように裏切られていくかは、とくに説明を要しないでしょう。
 来年の出版を予定しているクッチャーのDer nasse Fisch(仮題『びしょ濡れの魚』=「迷宮入り」という意味)とノイハウスのTiefe Wunden(仮題『深い疵』)は、短命に終わった民主的なドイツ警察の草創期とドイツ刑事警察の最前線を描いた物語。いってみれば、この2タイトルでドイツ警察をサンドイッチにして味わってみようという趣向です。
 どちらの作家も今後、毎年一冊のペースで翻訳紹介していきたいと思っています。それがうまくいけば、2年後、3年後にはおそらく別の様相も見えてくるでしょう。クッチャーがドイツの過去を辿る縦軸だとすれば、ノイハウスはドイツの現在を展望するための横軸になるはずです。福島原発事故を受けて、ドイツはいち早く原発の全廃を決め、代替可能エネルギーへとシフトしようとしていますが、そのドイツでノイハウスが今年5月に放った作品がWer Wind sät(仮題『風を蒔く者』)。「風を蒔く者は嵐を刈り取る」という聖書の一節からタイトルを取ったこのミステリでは、風力発電地球温暖化の問題をめぐって事件が起こります。ノイハウスはドイツで一周先を走っているといえます。
 先回は「ドイツ人にしか書けない作品」という言葉をあえて使いましたが、数年先を見越した場合、この言葉は早晩古びます。いずれ「ドイツで生きる人にしか書けない作品」という問いへとシフトする時が来るでしょう。そしてさらにその先で、「万人」とはいわないまでも「多くの人の心に響くドイツ発のミステリ」を紹介していけたらと思っています。
 さて、ノイハウスはすでに訳了して、今はクッチャーの世界にどっぷり浸かっています。そろそろまた1929年のベルリンへもどらねば。ゲレオン・ラートはひょんなことから人殺しをしてしまい、その犯人捜しを任されることになり、今ものすごい窮地に立たされているのです。



酒寄進一(さかより しんいち)。1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。和光大学教授。主な訳書に、イーザウ《ネシャン・サーガ》シリーズ、《ミラート年代記》シリーズ、『銀の感覚』、『緋色の楽譜』、コルドン『ベルリン 1919』『ベルリン 1933』『ベルリン 1945』、ブレヒト三文オペラ』、ヴェデキント『春のめざめ――子どもたちの悲劇』、キアンプール『この世の涯てまで、よろしく』、フォン・シーラッハ『犯罪』など。
 
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