第34回 音楽なる地球人の愛するもの――『今日から地球人』(執筆者・佐竹裕)
- 作者: マットヘイグ,Matt Haig,鈴木恵
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
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ビーチ・ボーイズをカリフォルニアのたんなるサーフ・ミュージックの人気コーラス・グループではなく、ビートルズに比肩しうる、音楽性の高いカリスマ・バンドへと祭り上げたのは、間違いなく歴史的な、いや、永遠の名盤とされるアルバム『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』(1966年)の存在だろう。
リーダーであり音楽的中心人物でもある天才ブライアン・ウィルソンが心の奥底に抱いていたあらゆる感情、怯えや憧れや夢や失意が、ひとつの普遍的なかたちとなって、聴き手の前に差し出された奇跡がこのアルバムなのだと、同タイトルを冠したノンフィクション『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』(2005年)の著者ジム・フジーリは述べている。日本では、村上春樹訳ということで話題にもなった著作だ。
そのなかに、ビーチ・ボーイズのみごとなハーモニーは、ブライアン、デニス、カールの三兄弟の寝室で生まれたと書かれている。代表作のひとつであるアルバム『サーファー・ガール(Surfer Girl)』(1963年)収録の「イン・マイ・ルーム(In My Room)」の最初のヴァース部分に、幼い頃の三兄弟がそのまま存在しているのが感じられるというのだ。『ペット・サウンズ』という世紀の名盤の誕生にからめてブライアン・ウィルソンの青春像を浮き彫りにしたこの著作には、フジーリ自身の多感な年頃の想いとともに、ビーチ・ボーイズの音楽への限りない愛情が溢れている。それはときに熱すぎるほどなのだ。
では、こんなにも熱い想いを、じつはわれわれ地球人だけでなく、宇宙人も同様に抱いていたとしたらどうだろう?
イングランド北部出身で、児童書やヤング・アダルト作品の著作もある作家マット・ヘイグの『今日から地球人(The Humans)』(2013年)は、地球外の生命体がある特定の人間の身体の形状を模して殺害の任務を遂行しにやってきて、まずは情報として人間世界の生活環境に順応していこうとする物語。SFでありミステリーでありユーモア小説であり、何よりも心打たれる人間(?)ドラマでもある。ここに登場する主人公(宇宙人なので名前はない)は、ビーチ・ボーイズを聴いて「目の奥と胃の内側に奇妙な感覚を覚え」て、いくつかの曲には「素晴らしすぎて邪魔できない味わいというものがある」といって、前述の「イン・マイ・ルーム」や、『ペット・サウンズ』に収録されている「神のみぞ知る」と「スループ・ジョン・B」を挙げるのだ。
ストーリーは、いま書いたように、まさに故デイヴィッド・ボウイの主演した映画「地球に落ちてきた男(The Man Fell To Earth)」(1976年)か、はたまたアルゼンチン映画「南東からきた男(Hombre Mirando Al Sudeste)」(1986年)さながらで、ある目的のために地球にやってきた宇宙人が地球人の生活・文化に身を染め
ていくというもの。「訳者あとがき」にあるように、アーノルド・シュワルツェネッガー主演でおなじみの映画「ターミネーター(The Terminator)」(1984年)で未来から送り込まれるシュワちゃんを「未来から」でなく「宇宙から」と置き換えたらわかりやすいかと思う。
まずは、ケンブリッジ大学の高名な数学者アンドルー・マーティンが、全裸のまま数々の奇行をはたらいたうえに自動車にはねられるという事件が発生。このマーティン教授、リーマン予想の証明という数学上の大発見をしてしまい、そのために科学技術が飛躍的に発展することできたる未来に宇宙の平和が脅かされることになるため、すでに宇宙人に拉致されて抹殺されていた。そう、フリチンで痴態をさらけ出したほうのマーティン教授と思われる人物は偽物で、地球から86億5千317万8千431光年離れた惑星ヴォナドリアから遣わされた宇宙人が教授になりすましていた姿だったのだ。冒頭を読むかぎりでは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの名作『たったひとつの冴えたやりかた(The Only Neat Thing To Do)』(1986年)のように身体にとり憑いた宇宙人の話かと思いきや、少々早とちりだったようだ。
彼(以下、「偽マーティン」と呼ばせていただく)に課せられた任務は、大発見の事実を知るすべての情報源となりうる人間を“破壊”(抹殺)すること。そのためにガソリンスタンド併設の店で情報収集。だが、最初に手に取ったのが雑誌『コスモポリタン』だったために、入手した情報も恋愛やセックスに関するものがほとんどで、歪んだ理解となってしまう。
マーティン教授には、歴史研究家で小説家でもある妻イゾベルと登校拒否中の息子ガリヴァー、そして、天才物理学者にちなんで名づけられた飼い犬ニュートンという家族があった。すでに同僚を一人“破壊”へと至らしめた偽マーティンは、大発見の事実を知っていると思われるイゾベルとガリヴァーも破壊しなくてはならない。その準備のためにさらに情報を得ようと彼らに接するうち、いままで嫌悪にしか感じなかった地球人への感情が、次第に変化してきていることに気づき動揺する。やがて、任務遂行を急がせるヴォナドリア星の“星主”の命令に対して、イゾベルとガリヴァーは何も知らないし破壊する必然性もないと異議を唱えるようになる偽マーティン。それに対して星主は、任務に従わないなら別の者を派遣するという。次第に家族への愛情を募らせていった偽マーティンが、二人を守るためにとった行動は……。
作者のヘイグがはじめて書いた小説『ラブラドールの誓い(The Last Family in England)』(2004年)もまた、忠犬と家族との感動の物語だったが、本書『今日から地球人』の最優秀助演賞ともいうべきなのが、マーティン家の飼い犬ニュートン。愛くるしい動物として偽マーティンが心をひらいて語りかけられる存在となる。高名ではあるけれど研究と浮気にうつつをぬかし家庭を顧みなかった偏屈な学者が、ある日まったく別の人物となって、いささかロマンティストとなり、エミリー・ディキンスンとウォルト・ホイットマンの詩作を愛で、エンリオ・モリコーネの美しい「愛のテーマ」が流れる名画「ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo Cinema Paradiso)」(1988年)を口をきわめて罵っていた自分はもう死んだと告げる。もちろん現代文明への警鐘でありつつ、もっとドメスティックな部分での人間関係の大切さを変わり手で訴えかけた作品だと言えるだろう。
じつはこの小説、なんと、2014年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞(エドガー賞)にノミネートされた作品である。物語の大筋は、前述したようにけっして目新しいものではないけれど、心優しき人間(?)ドラマとして評価されたということかもしれない。
さて、物語の後半になるとビーチ・ボーイズの名曲「神のみぞ知る」を口ずさむようにまでなる偽マーティンだけれど、彼の価値観を覆していった“地球人の愛する音楽”は、クラシックからジャズ、ロック、ポピュラーと、多岐に及んでいる。すでに記したものを除いて列挙すると――。
グスタヴ・ホルスト作曲の組曲「惑星」、トーキング・ヘッズのセカンド・アルバム『モア・ソングス(More Songs About Buildings And Food)』(1978年)、デイヴィッド・ボウイのセカンド・アルバム『スペイス・オディティ(Space Oddity)』(1969年)、エールのデビュー・アルバム『ムーン・サファリ(Moon Safari)』(1998年)、ジョン・コルトレーンの組曲『至上の愛(A Love Supreme)』(1965年)、セロニアス・モンクの不朽の名演「ブルー・モンク(Blue Monk)」(1954年)、ジョージ・ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)」(1924年)、ベートーヴェン「月光ソナタ(Sonata quasi una Fantasia)」(1802年)、ブラームス「3つの間奏曲 作品一一七(3 Intermezzi Op.117)」(1892年)、ローリング・ストーンズにダフト・パンクにアル・グリーンにトム・ウェイツにREMのマイケル・スタイプ、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス(I Am theWalrus)」(1967年)、プリンス「ラズベリー・ベレー(Raspberry Beret)」(1985年)、ドビュッシー「月の光(Suite bergamasque: Clair de lune)」(1890年)、ニルヴァーナの「オール・アポロジーズ(All Apologies)」(1993年)などなどなど……。
偽アンドルーが愛してやまないビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」と「スループ・ジョン・B」は両方とも件の『ペット・サウンズ』に収録されているのだが、アルバム制作に先行してシングル発売されたのが「スループ・ジョン・B」であり、唯一ブライアン作曲でない作品で、わずかながら違和感があるとフジーリが書いている。
小説の結びに歌詞からの引用をひっぱってきているくらいだから、まさにトーキング・ヘッズの「ジス・マスト・ビー・ザ・プレース(This Must Be The Place)」(1983年)こそが、この作品のテーマを代弁しているのだろう。だからと言って、ぼくの中のテーマソングは、あくまでもビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」であって、アルバム『ペット・サウンズ』で露わになったブライアン・ウィルソンの内省的な思考の堂々巡りこそが、小生には『今日から地球人』の主人公「わたし」が地球人になりたいと願うようになる理由のように思えてならない。
余談になるけれど、いまや愛で結ばれた後半での主人公と妻の対話で、医者の待合室で読んだ雑誌の記事について言及するシーン。倦怠期の夫婦がインターネットを利用してそれぞれ浮気をしたら、じつはその相手が当人たちだったことがわかり、関係が復活するという物語だった。このエピソードは、マンネリ化した恋人同士がブラインド・デートをするという、ルパート・ホルムズの全米ナンバー1ヒット曲「エスケイプ(Escape)」(1979年)の世界観そのまま。これまた人間の関係性の修復という本作のテーマに沿ったエピソードと言えるだろう。この曲を収録したアルバム『パートナーズ・イン・クライム(Partners In Crime)』(1979年)は、ニューヨーカー短編集さながらの歌を集めた傑作だった。ご興味のある方はぜひとも一聴してみてください。
◆YouTube音源
"The Planet Mars" by Isao Tomita
*グスターヴ・ホルスト作曲「組曲〈惑星〉」から、先頃亡くなった日本を代表するシンセサイザー奏者・冨田勲の演奏で「火星」を。
"This Must Be The Place (Naive Melody)" by Talking Heads
*トーキング・ヘッズの5作目のアルバム『スピーキング・イン・タンズ』(1983年)ラストに収録されたナンバー。『今日から地球人』のテーマ曲ともいえる。
"Space Oddity" by David Bowie
*今年はじめに逝去したデイヴィッド・ボウイ1969年発表のセカンド・アルバム『スペース・オディティ(Space Oddity)』は当初、デビュー・アルバム同様『デイヴィッド・ボウイ(David Bowie)』のタイトルで英国発売された。アルバム収録の同名シングル、発表当時のPV映像。
"God Only Knows" by The Beach Boys
*ビーチ・ボーイズの歴史的名盤『ペット・サウンズ』に収録された、バラードの白眉。ほぼワンマンでこのアルバムを作り上げたブライアン・ウィルソンは、あまりに思い入れの強いこの曲に自分のヴォーカルは合わないと判断し、弟である故カール・ウィルソンに歌わせた。
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佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |
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