第六十五回はジョン・ストラレーの巻(執筆者・三角和代)

 かつて福武文庫から刊行された『熊と結婚した女』をみなさま、ご記憶でしょうか。アラスカを舞台にした私立探偵セシル・ヤンガー・シリーズの第1作。先住民族の伝承が盛りこまれた正統派の探偵物と言える内容でしたが、著者のジョン・ストラレーは新シリーズで趣をがらりと変えてきました。彼が愛するスクリューボール・コメディへのトリビュートだという "Cold Storage, Alaska"(2014)です。


Cold Storage, Alaska (A Cold Storage Novel)

Cold Storage, Alaska (A Cold Storage Novel)


 2000年春、クリントン大統領のスキャンダルがマスコミをにぎわしていた頃。かつてはサーモンの漁の本拠地として栄えたけれど、いまでは字面も中身も文字通りの寒村コールド・ストレージに、コカイン売買の罪で7年の刑期を終えたクライヴが帰郷するとわかり、弟のマイルスは複雑な心境に。広い世界に憧れて早々に村を飛びだして好き勝手に生きてきた兄と違って、マイルスはまじめ君。大学時代、それに衛生兵としてソマリアで活躍した期間以外は、地元に残り、父を早くになくしたため母の面倒をひとりで見てきたんですね。それなのに、母が気にかけているのは兄のことばかり。憎い、ってわけではないんですが、そりゃわだかまりはできる。そもそも、コールド・ストレージは医師のいない村なもので、医療補助の資格をもつマイルスがクリニックを運営し、薬の処方、簡単な傷の手当からダイエットの指導、それに鬱憤を抱えた変わり者ぞろいの村民の愚痴を聞くセラピストまがいのことまでやり、彼がよろず相談所みたいな役割を担っていて気苦労が絶えないところに、新任の保安官がわざわざ水上機で乗りつけて、クライヴが近隣でマリファナ1本でも売ろうものなら刑務所に追い返すとマイルスに凄味をきかせにくるという。


 正直迷惑。


 そう感じたマイルスでしたが、人なつっこいクライヴの帰郷は意外にも村の雰囲気を明るくすることに。クライヴは金持ちのヤッピーにしかドラッグを売らない、と自分なりのルールを作って犯罪に手を染めてきたのだけど、刑務所では平和と静けさだけを望み、後半3年はほぼ独房で過ごして悟りをひらいたみたいになっているんですね。塀の外へ出てからの悩みは、鳥や動物が自分に話しかけてくる声が聞こえることくらい。兄弟の溝も次第に埋まっていき、ふたりの祖母エリーが残した古いバーの改装計画を立てるなど、村にますます活気が出てきたように思えたのですが、クライヴは危ない稼業で貯めた大金をもっているため昔の仲間に狙われていて、本人だけではなく村にも危機が。


 こいつら好きだ! それが読了してまっさきに思ったことでした。主役の兄弟の脇を固めるのは、先住民族だけど部族とは離れて暮らす訳あり工芸家チベット仏教に傾倒する若い漁師、映画と温泉と村上春樹が好きなマリファナ密売人、一見仲はよさげなのに浮気症な夫婦、映画脚本家をめざしている犯罪者、クライヴの野性的な飼い犬リトル・ブラザーと個性派ぞろい。設定としてはやさぐれ者の帰郷、彼を目の敵にする元仕事仲間と保安官の存在ありとハードボイルドで冒頭しばらくはそうした顔をしているのですが、ドタバタ混じりの悲喜劇の様相を呈してきて、自分という存在について悩み、本当にやりたいこと、愛せる人を求める人々を描いた群像劇的な内容。クライム・ノヴェルのベースにスクリューボール・コメディをどんと載せた、もちろんロマンスありの笑かしてほろりとさせる楽しい作品なのです。デビュー作と比べると、すばらしい成熟具合。著者あとがきにあった言葉が印象的だったので引用しておきます。「わたしがコメディに惹かれるのは、すべての混沌状態が悲劇につながるわけではなく、ときには嬉しい偶然をもたらすものでもあるからだ……以前からミステリ創作の世界で自分が変わり者だという自覚はある。“復讐”はうまいプロットの源だとは思わないからだ。30年近く犯罪の調査員として、またミステリ作家として過ごしてきたが、いまでもすべての偉大なる登場人物の心を動かすのは愛と共感だと信じている」


 著者のジョン・ストラレーはカリフォルニア出身、シアトルで育ち、ニューヨークで高校に通い、最終的にワシントン大学で創作の学位を取得したという人物。鯨を専門とする海洋学者の妻の仕事の都合でアラスカへ転居し、いくつかの職を転々としてから私立探偵に。その後、弁護士の調査員となり、本職を続けながら上記のセシル・ヤンガー・シリーズで作家デビュー。このシリーズは本国では6冊あるのですが、邦訳はアメリカ私立探偵作家クラブの新人賞受賞作である1冊のみ。コールド・ストレージ・シリーズは現在のところほかに、1930年代を舞台にクライヴやマイルスの身内を描いた "The Big Both Ways" (2008)(刊行はこちらが先になっていますが、執筆順は逆だそう)があります。


 "Cold Storage, Alaska" はペイパーバックもKindle版もあり、下ネタの少ないハイアセンみたいな感じを想像してくださればだいたい当たっています。とても気に入っている作品ですので、同好のみなさん、ぜひ! 読んでみて。



三角和代(みすみ かずよ)

サーモンよりマグロが好き。訳書にボンフィリオリ『チャーリー・モルデカイ』シリーズ、カー『テニスコートの殺人』、ジョンスン『霧に橋を架ける』、プール『毒殺師フランチェスカ、カーリイ『イン・ザ・ブラッド』、テオリン『赤く微笑む春』他。ツイッターアカウントは @kzyfizzy

【原書レビュー】え、こんな作品が未訳なの!? バックナンバー一覧


熊と結婚した女 (福武文庫)

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The Big Both Ways (A Cold Storage Novel)

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チャーリー・モルデカイ (1) 英国紳士の名画大作戦 (角川文庫)

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チャーリー・モルデカイ (2) 閣下のスパイ教育 (角川文庫)

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チャーリー・モルデカイ (3) ジャージー島の悪魔 (角川文庫)

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チャーリー・モルデカイ (4) 髭殺人事件 (角川文庫)

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霧に橋を架ける (創元海外SF叢書)

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毒殺師フランチェスカ (集英社文庫)

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イン・ザ・ブラッド (文春文庫)

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赤く微笑む春 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

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