ロスト・シンボルへの道(第3回)その2(執筆者・越前敏弥)

 さて、きょうの本題であるフリーメイソン探訪記。
 2010年3月2日、つまり『ロスト・シンボル』が発売される前日に、角川書店の編集者ふたりとともに、東京タワーのすぐ横にあるフリーメイソン東京ロッジへ行ってきました。外から見るとこんな感じ。



 事前に約束があることをインターホンに告げると、女性の声がして、しばらくしてから解錠してくれました。フリーメイソンは女人禁制ではないのか、とのっけから疑問に思いましたが、このかたは単に事務を委託されている女性だとあとで教わりました。


 美しいステンドグラスの装飾がある玄関ホールで待っていたところ、エレベーターからふたりの男性が現れました。どちらも70歳代か80歳代の温厚そうな紳士です。ひとりはスーツ姿で、ひとりはカジュアルないでたち。スーツ姿のかたの襟でフリーメイソンのバッジが輝いています(思ったより小さく、直径1センチぐらい)。おふたりとも広報委員会のかたですが、どちらも以前グランドマスターをつとめたことがあるそうで、いわば日本を代表するフリーメイソンです。なんでも訊いてかまわないということなので、いくつか質問しました。


 まずは入会の資格について。健全な成人男性ならだれでも、とのこと。どんな宗教でもかまわないが、信仰心を持っている必要があるそうです。この点は『ロスト・シンボル』にも"フリーメイソンの入会資格には、超越者の存在をかならず信じるというものがある"(文庫版上巻61ページ後ろから3行目、ハードカバー上巻47ページ4行目)という記述があります。


 ご本人の入会動機をお尋ねしたところ、ひとことで言えば、若いころに身のまわりにいた魅力的な人物(外国人を含む)の多くがフリーメイソンだったから、とのことでした。仕事で付き合いのある外国人からパーティーに呼ばれる機会がよくあり、そこに集まる人々が実に楽しそうで、みなあたたかく接してくれたので、彼らの属する「秘密結社」とやらに危険があろうはずがないという印象を持ち、興味があるから自分もはいってみたい、と持ちかけたのがきっかけだそうです。


『ロスト・シンボル』の文庫版上巻204ページ5行目(ハードカバー上巻147ページ最終行)にもあるとおり、フリーメイソンはけっしてみずから勧誘をしません。これは本人の自由意思を尊重するためで、そのおふたりも、勧誘は厳禁だとはっきりおっしゃっていました。ご自身がはいってみたいと告げたとき、相手のフリーメイソンは「おまえがそう言いだすのを待ってたんだ」と言って微笑んだそうです。勧誘はしないものの、仲間としてふさわしいと思う人物に対しては潜在的に働きかけていたのかもしれません。ちなみに、現在日本には2,000人程度の会員がいて(以前は5,000人だった時期もある)、そのうち日本人は4〜500人ぐらいだろうということでした。


 フリーメイソンの理念や目標はなんですか、とお尋ねしたところ、「私利私欲なき真の友情がもたらす限りなき満足感」という答が返ってきました。実のところ、そのおふたりと話していると、こちらもほんとうに和やかな気分になるのです。一方のかたは10分に1回ぐらい、楽しい親父ギャグを飛ばします。まさかフリーメイソンの本拠で親父ギャグを何度も耳にするとは予想もしていませんでした。


 つづいて、歴史についての質問。フリーメイソンの起源については諸説あるものの、中世の石工職人の組合に端を発するという一般的な説に異論はないとのことでした。むろん、ソロモン神殿をはじめとして、古代のさまざまなエピソードが講話などに組みこまれているのは事実ではあるけれど、それらはあくまで象徴的な寓話であり、実際にそこから連綿と伝統がつづいているとは理解していないそうです。


 フリーメイソンのシンボル(上の外観写真参照)について尋ねたところ、コンパスと直角定規は石工職人の使った道具だからその名残だ、という答にとどまりました。コンパスは精神・天空・道徳などの象徴、直角定規は物質・大地・真理などの象徴で、それらの調和を示す、としている資料が多いので、そのように申しあげたところ、「そうですか、知りませんでした」とあっさりかわされてしまいました。中央のGのマークに関しては、Geometry(幾何学)やGod(神)の頭文字とする資料が多いのですが、これは"Great Architect of Universe"(宇宙の偉大なる建設者)の頭文字だという答が返ってきました。もっとも、意味は神と同じなので、そう解釈してもらってもかまわない、とのことです。Architect という語を使うところが、いかにも石工職人の組合らしいですね。そう言えば、このArchitectという単語は、『ロスト・シンボル』のなかでも、作品全体のテーマに関連する重要なキーワードのひとつとなります。


 フリーメイソンには徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方 (Master Mason)の基本3位階があります。今回訪れたフリーメイソンのブルーロッジにはその3位階しかありませんが、一方、『ロスト・シンボル』の冒頭に登場する秘儀参入者は、第33位階までのぼっていきます。第33位階まであるのはスコティッシュ・ライトと呼ばれる儀礼で、これと一般的なフリーメイソンのブルーロッジとの関係は外部の者から見て非常にわかりにくく、『ロスト・シンボル』においてはスコティッシュ・ライトを「上位儀礼」という訳語で説明したのですが、今回うかがったお話によると、両者のつながりはきわめて弱く、むしろ「傍系団体」と呼ぶほうがふさわしいようです。会員同士は、位階の略称をつけて「EA」「FC」などと呼ぶこともあるものの、たいていは分け隔てなく「ブラザー田口」「ブラザー杉江」などと呼び合うそうです。昇格儀礼でどんなことをするのかを尋ねましたが、さすがにそれは教えるわけにはいかない、とのことでした。ただ、これは形式的な儀礼というより、フリーメイソンの思想や理念をどれだけ深く理解しているかを問う試験に近いものではないかという印象を受けました。


 その他の関連団体として、『ロスト・シンボル』で何度か言及されるイースタン・スター(女性が入会できる)や、ビル・クリントンがかつて属していたと言われるデモレー(青少年が入会できる)などがあり、いくつかある東京ロッジの団体も含めて、東京タワー横の建物で交互に会合をおこなっているとのことでした。ブッシュ父子が大学時代に属していたスカル&ボーンズはまったく無関係の組織のようです。


 ひととおり話をうかがったあと、地下にあるホールを見せてもらいました。下の写真がそれです。



 詳細は聞けませんでしたが、ここでいくつかの儀式をおこなうのはまちがいないようです。『ロスト・シンボル』のプロローグの舞台であるテンプル会堂の一室とまったく同じではないものの、なんとなくイメージが浮かびやすくなるのではないでしょうか。もっとも、プロローグの場面にいくつかの誇張した描写があるのは事実のようです。



 上の写真は、同じ部屋の入口付近のものです。この2本の柱、『ダ・ヴィンチ・コード』の終盤で1回、『ロスト・シンボル』では2回言及されるのですが、なんという名前だったか覚えていますか? これを今回のクイズの問題とし、正解は来週発表します。小説のなかでは、一方が螺旋模様、一方が縦縞模様となっていて、ソロモン神殿の頂上にあったものを模したとされていますが、日本にあるものはそこまで精巧に作られていないようです。


 最後に、今回『ロスト・シンボル』をお読みになってどう思いますか、という質問をぶつけてみました。すると、たしかに細かい描写で納得できないところはいくつかあるものの、小説として非常におもしろいし、基本理念の部分ではおおむね正しく描かれているのだから、目くじらを立てることもないのではないか、と言ってくださったので、こちらもひと安心できました。


ダ・ヴィンチ・コード』が刊行されたあと、日本のフリーメイソンにも入会希望者がずいぶんいたようですが、単なる興味本位や、人脈作りへの過度の期待などから、結局長続きせずにやめていった人も多かったそうです。『ロスト・シンボル』の刊行後もまた増えるかもしれませんよ、と申しあげたところ、おふたりとも、心の底から賛同してくれる人ならばもちろん歓迎します、とおっしゃっていました。


 ロッジから帰ったあと、何人かの人から「ひょっとして入会したくなったんじゃない?」と尋ねられました。正直言って、そういう気持ちもなくはありません。ただ、『ロスト・シンボル』のなかに、"ラングドンフリーメイソンの理念や象徴主義に大いに敬意を払っているものの、秘儀参入はしまいと心に決めていた。秘密厳守の誓いは、フリーメイソンについて学生と論じる妨げになるだろう"(文庫版上巻204ページ7行目、ハードカバー上巻148ページ2行目)という記述があります。わたし自身も、まだダン・ブラウンの作品の翻訳をつづけていきたいので、いまはラングドンと同じスタンスでいようと思っています。


 今回はここまで。来週3月16日の最終回では、訳出中のこぼれ話や刊行後の反響などをいくつか紹介する予定です。では、また1週間後にお会いしましょう。

フリーメイソン (講談社現代新書)

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