『インフェルノ』への道(その3)(執筆者・越前敏弥)

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 ダン・ブラウンのラングドン・シリーズ第4作インフェルノの刊行まで、いよいよあと3日。連載「インフェルノへの道」はきょうが最終回となります。
 KADOKAWA公式サイトには、プロモーションムービーのほか、津川雅彦さん、荒俣宏さん、わたしの3人のコメント動画、さらには小森純さんがナビゲーターをつとめた発売記念イベントの動画がアップされています。
 また、11月30日(土)の午後1時から、荒俣宏さんとわたしの刊行記念トークショーがおこなわれます。会場は、AmazonのKindle Fire HDX の発売日(28日、『インフェルノ』の発売日でもあります)から表参道に特設される〈Kindle エンタメステーション〉。詳細についてはこちらの案内をご覧ください。

インフェルノ (上) (海外文学)

インフェルノ (上) (海外文学)

インフェルノ (下) (海外文学)

インフェルノ (下) (海外文学)

 言うまでもなく、インフェルノは、ダンテの神曲〈地獄篇〉を下敷きにした薀蓄満載のノンストップ・スリラーです。あらすじはこちらにまとまっているので、きょうはインフェルノをより楽しむためのいくつかの関連書の内容と、これまでシリーズ全作にかかわってきた訳者から見た読みどころを紹介します。


 まずは関連書から。すでに刊行されているものと、これから刊行されるものがあります。


【1】ダン・ブラウン徹底攻略』ダン・ブラウン研究会/著(角川文庫)

インフェルノも含めたダン・ブラウンの全6作品の詳細なガイドブック。もちろん、重大なネタバレなどはありません。未読のかたにとっては興味を掻き立てられる入門書であり、既読のかたにとっては興奮を追体験できる楽しい読み物になっています。正直なところ、短期間でここまで充実した本ができあがるとは予想もしていませんでした。謎の「ダン・ブラウン研究会」というのは、当サイトによく寄稿してくださる某氏も含めた数人の連名です。また、わたしがかつて当サイトに書いた連載「『ロスト・シンボル』への道」からクイズやフリーメイソン探訪記などが転載されています。


【2】『やさしいダンテ〈神曲〉』阿刀田高/著(角川文庫)

やさしいダンテ<神曲> (角川文庫)

やさしいダンテ<神曲> (角川文庫)

 著者独自の解釈を随所に織り交ぜながら、神曲の流れを現代の日本人にもわかりやすく紹介してくれます。聖書やギリシャローマ神話なども噛み砕いて解説した著書で定評のある阿刀田高さんが2011年にお書きになった、神曲入門書の決定版です。


【3】『謎と暗号で読み解くダンテ『神曲』』村松真理子/著(角川oneテーマ21

 長くダンテの研究に携わってきた東京大学准教授が今年書きおろしたダンテ入門書。上述の『やさしいダンテ〈神曲〉』があらすじを網羅していく構成であるのに対し、この本は全体をざっと一覧しながらも文学史的・社会的に重要な部分を詳述し、韻文としての神曲の魅力を最大限に伝えるようにつとめています。
 この本と著者の村松さんについては、翻訳百景のブログにもう少しくわしく書きました。


【4】インフェルノ・デコーデッド』マイケル・ハーグ/著、国弘喜美代/訳(角川書店

インフェルノ・デコーデッド (海外文学)

インフェルノ・デコーデッド (海外文学)

 本国アメリカでもインフェルノのガイドブックがいくつか刊行されていますが、これは簡潔な内容と豊富な図版を特徴としたすぐれたものだと思います。ダンテについてはもちろん、インフェルノ作中で重要な役割を占めるボッティチェルリの〈地獄の見取り図〉、マルサス人口論、トランスヒューマニズム、ヴェッキオ宮殿、ボーボリ庭園、サン・マルコ寺院などについて、さらに知りたい人のための本なので、こちらはインフェルノ読了後にお読みになることをお薦めします。


 そのほか、ドレの挿絵と詳細な訳注が満載の神曲〈完全版〉』平川祐弘/訳、河出書房新社)、新装版として島田雅彦三浦朱門中沢新一3氏のエッセイが掲載された神曲(地獄篇・煉獄篇・天国篇、三浦逸雄/訳、角川ソフィア文庫)、謎解きを主眼とした入門書『誰も書かなかった ダンテ『神曲』の謎』(ダンテの謎研究会/著、中経の文庫)、『天使と悪魔』以降の全作でバランスのよい解説書を書いてきた著者によるインフェルノの「真実」』(ダン・バースタイン&アーン・デ・カイザー/著、青木創/訳、竹書房)なども、よかったら手にとってみてください。


 つづいて、インフェルノの読みどころを3点。


【1】大法螺話と禁断の結末
 ダン・ブラウンの最高傑作としてこの連載の「その1」で紹介した『デセプション・ポイント』について、杉江松恋氏は『海外ミステリー マストリード100』(重版おめでとう)に、「"もっとも壮大な法螺話の構造を持"ち、"度肝を抜かれること請け合い"」と書いています。インフェルノも、法螺話としてのスケールの大きさではそれに負けていません。得体の知れなさではこれまでのどの作品をもしのぐ「大機構」という謎の組織がいったい何をやらかそうとしているのか、そこに陰謀や秘密結社などとはおよそ縁遠そうなWHO(世界保健機関)がどうからんでくるのか、特に下巻にはいると、上巻ではまったく予想もつかなかった展開になります。これまでのダン・ブラウン作品に見られたややワンパターン気味の構造とはまったくちがう、とてつもない大仕掛けが施されていると申しあげておきます。
 そして、ミステリーとしては禁じ手と言ってかまわないであろう奇想天外な結末は、おそらく賛否両論を呼び起こすことでしょう。


【2】神曲がテーマに選ばれた必然
 上述の『謎と暗号で読み解くダンテ『神曲』』のあとがきには、著者の村松真理子さんがダ・ヴィンチ・コードをはじめて読んだとき、神曲が使われているのを感じたというくだりがあります。これを見て、わたしはちょっと驚きました。というのも、ダ・ヴィンチ・コードにはダンテや神曲や〈地獄篇〉に関する直接の記述はまったくないからです。
 先日、村松さんと会ったとき、なぜそんなふうに感じたのかを尋ねたところ、薔薇や円や球体へのこだわり方が神曲全般、特に〈天国篇〉のクライマックスに非常によく似ているから、という答が返ってきました。
 なるほど、言われてみればたしかにそうです。そして、もしそうだとすると、つぎの『ロスト・シンボル』も、薔薇こそあまり出てこないものの、円や球体を聖なるものとして扱うという点では一段とその傾向が強いと言えます(中盤に出てくるシンボルや、終盤のテンプル会堂の場面を思い出してください)。
 また、3や9などを「聖なる数」と見なす考え方がラングドン・シリーズの諸作に出てきますが、今回のインフェルノでもそれは何度も見られます。『ロスト・シンボル』ではフリーメイソンの聖数として33が幾度となく言及されましたが、神曲のカント(歌)の数が三部作の各篇とも33であるというのは、たぶん根底のところで通じるものがあるのでしょう。
 今年のはじめ、ラングドン・シリーズ第4作のテーマがダンテの神曲だと聞かされたときには、あまりにも唐突に感じられたものですが、こうして見ると、意外でもなんでもなかったというわけですね。


【3】日本版だけのちょっとしたサービス?
 ご存じのとおり、ダン・ブラウンの作品にはいくつもの暗号が登場します。インフェルノにもいくつか盛りこまれていますが、過去のシリーズ3作に比べて暗号自体は小粒かもしれません。
 そのかわり、本筋とはあまり関係ないところで、作者は神曲がらみのちょっとしたことば遊びをやっています。これはあまりにもさりげないので、原書を読んだ読者の何分の1かは、おそらく気づかなかったはずです。
 翻訳でいちばん苦労したのはそこでしたが、あれこれ工夫した結果、日本語版については、最後まで読んだ人はかならずその遊びに気づくように処理したつもりです。どうぞお楽しみに。


 思えば、前作『ロスト・シンボル』では、作者の精神世界への興味がかなり強まったため、ダン・ブラウンはもうエンタテインメントを書かないのではないかとちょっと危惧したものです。しかし、蓋をあけてみると、インフェルノは以前と同じくサービス精神たっぷりの娯楽作品であり、ほっとしました。とはいえ、この作品の後半で扱われる社会問題は、多少の誇張はあるとはいえ、今後われわれが真剣に考えていかざるをえないものでもあります。


 最後に、インフェルノのあとがきや、関連サイトや紹介記事、キーワード検索などでこのサイトを訪れてくださった皆さんにひとこと。このサイトは、翻訳ミステリーを愛する翻訳者・編集者・書評家などが完全なボランティアで運営しています。ダン・ブラウンの作品以外にも、翻訳フィクションの面白い作品の情報が満載なので、あれこれ記事をお読みになって、ご自分に向いていそうな作品をいくつも見つけていってください。
 あまりにも多くてどれを読んだらいいかわからないときは、まずはこれまでの翻訳ミステリー大賞受賞作をお薦めします。この賞は、日本じゅうの翻訳者がみなさんに読んでもらいたい作品に投票した結果をもとに決められています。
 過去の受賞作は以下のとおりです。


 第1回(2010年)『犬の力』ドン・ウィンズロウ/著、東江一紀/訳、角川文庫)


 第2回(2011年)『古書の来歴』(ジェラルディン・ブルックス/著、森嶋マリ/訳、武田ランダムハウス

古書の来歴 (上巻) (RHブックス・プラス)

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古書の来歴 (下巻) (RHブックス・プラス)

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 第3回(2012年)『忘れられた花園』(ケイト・モートン/著、青木純子/訳、東京創元社

忘れられた花園 上

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忘れられた花園 下

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 第4回(2013年)『無罪』スコット・トゥロー/著、二宮磬/訳、文藝春秋

無罪 INNOCENT

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 また、全国の読書会の課題書なども参考になると思います。これまでの読書会関係の情報はここここにまとまっています。
 今後も当サイトをどうぞよろしくお願いします。


越前敏弥
(えちぜんとしや)。1961年生。おもな訳書に『解錠師』『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくりツイッターアカウント@t_echizen。公式ブログ「翻訳百景

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