第十五回『虎の眼』の巻(執筆者・東京創元社S)
第15回『虎の眼』の巻
みなさんこんにちは。最近、竜巻が発生して各地に大きな被害をもたらしたようで、驚きました。冒険小説を読んでいるとけっこう自然と闘う描写が多い気がするのですが、やっぱりものすごい脅威だからなんだなぁとしみじみ思います。被害にあわれた地域の生活が、一刻も早く元に戻るよう祈る気持ちでいっぱいです。
しかし、恐ろしいものはフィクションの題材になりやすいのも確かですね。今回の作品には、自然の恐ろしさを深く感じました。ふっふっふ、ウィルバー・スミス『虎の眼』は、正統派海洋モノです! 舞台は海! 深海も潜っちゃうよ! でも海なんて中学生以来泳いでいない私なんぞにこの作品を語る資格があるのか謎ですが、ずーっとワクワクしながら読める、大変楽しい物語でした。
- 作者: ウィルバー・スミス,飯島宏
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1990/08
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あらすじは……。
モザンビーク沖の小さな島国セント・メアリー。かつてはヤバい渡世をしていたハリーも、いまはおとなしく優雅な愛艇を操ってチャーター船業にいそしんでいる。ある日、怪しげな雰囲気の二人組が現れ、危険な岩礁の島へ案内させて海中から何かを引き揚げる。この謎の品物は何なのか? 息をつくひまもない危機と冒険の連続。(本のあらすじより)
この作品で一番印象に残っているのは、アクションシーンがすごくいい! ということです。あらすじの怪しい二人組は、まぁ典型的な悪役なわけです。初登場のシーンからして、「こいつら何かしそう」という雰囲気でいっぱい。で、いつ本性を現すのかなー、わくわく。としていたところ、期待通りやってくれました!! 主人公ハリーさんの船、「ダンサー」を舞台にしての大立ち回り!! 銃撃されてもなんとか生き延びようとするハリーさんがかっこいいです。
実はハリーさんは単なるチャーター船の船長というだけでなく、過去には軍隊の特殊部隊にいて、荒事には慣れたひとでした。しかし、任務中に訪れたジャングルの奥地のある村での出来事がきっかけで、血と暴力の世界から足を洗おうと決意します。そしてちょっと(?)悪いことをしてお金を作り、女房役である愛艇を買い、アフリカに近いセント・メアリー島で穏やかな暮らしを送っているのです。このような、殺し屋や軍人などのプロフェッショナルではない、かといって自分の身を守ることもできない素人でもない主人公像というのは珍しい気がします。悪くいえば中途半端な立ち位置ですが、完全な悪の世界から足を洗おうとするハリーさんは基本的にいいひとで、感情移入しやすかったです。そういう人物だからこそ、この小説の主題である「宝探し」にもぴったりなのかもしれませんね。ロマンがわかる男です。うむ。
しかし、気になるのはハリーさんのもてっぷり。事件を通して知り合った美人でミステリアスなお姉さまはもとより、島の可愛い女の子とか、はては仲間の男にまで(!?)もてています。むくつけき男子に「俺、弟よりお前が好きだよ」なーんてこといわれちゃってるわけですよ。こう、マッチョ信仰というか、男くさーい感じって正直引くわー、と思わないでもないですが、ちょっとだけうらやましかったり。「もう、けっきょく男って男同士でいるのが一番楽しいのよね〜、でしょ?」みたいな。非常に冒険小説を読んでる感を味わいました。
話が盛大にそれましたな。えーとなんだっけ、アクションシーンがすごいという話でした。そう、もう畳み掛けるようにど迫力の場面が続くわけです。最初のアヤシイ二人組だけではなく、悪徳警官やイギリス海軍まで入り乱れます。ほんと、ハリーさんもてもてだわ……。 おまけに敵は人間だけではないのです! 人間以上に危険な、サイクロンやサメが待ち受ける!!
個人的にすごーく怖いなと思ったのがサンゴのシーンです。サンゴって、毒があるやつもあるんですよ! 知ってました!? 私は知らなかったのでめちゃめちゃ驚きました。ファイアー・コーラルという種類なんですが、触ると身体中がかぶれたり、発熱して大変なようです。このシーンがものすごく怖かった?! だってサイクロンとかサメはいかにも危険じゃないですか。だから作中のサメと戦ったりするシーンは、迫力はあるしとても面白いんですが、どっちが怖いかっていわれるとサンゴでした。サンゴって綺麗だし、動かないし安全そうなのに……。本当に怖いものは身近なところに潜んでいる、というか怪しくないふりをしている、というのを感じました。非常に勉強になります。
おまけにこのシーン、実はラストの重要な伏線になっておりまして……(ニヤリ)。そう、最後まで読んでびっくりしたんですが、実は隠された意外な真相があったんです。訳者あとがきによると、原書の発売当初、英紙デイリー・ミラーで「あっといわせる作品……最後のページの意外な展開に読者は思わず息をのむだろう」という書評も出たそうな。まさにその通りです。さまざまな箇所に伏線が張られており、技巧的でありながらせつなさもある、いいラストシーンです。ハリーさんが行った「賭け」が、せ、せつない……。
また、このお話は最初に海に沈んでいた「何か」が非常に重要です。(いまさらテーマに触れる)「何か」というのはかなり意外なものです。そして、それをめぐってハリーさんに関わってくる人物たちは何が目的なのか、情報が少しずつ開示されていきます。ハリーさんが海に沈んでいるものの正体を調べにイギリスまで行く部分は、捜査小説としても面白かったです。男っぽい、アクション満載の小説なのかと思いきや、そのような面や意外な結末もあり、盛りだくさんです。
まとめると、魅力的な舞台、主人公、謎と三拍子揃ったいい物語でした。でも、夏休みに海へ行くときにはサンゴに気をつけて……。サイクロンやサメにも気をつけて……。
【北上次郎のひとこと】 |
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ウィルバー・スミスはブレイク前の作品からわが国に紹介されたので、その真価が日本の読者に伝わるまで時間がかかった。そのブレイク前の作品とは、『ゴールド』『密猟者』『ダイヤモンドハンター』など1970年前後の作品で、この『虎の眼』が面白かったからといって、古本屋でそれらの本をみつけて急いで読んでも、あれれっとなってしまうかもしれない。この『虎の眼』は1975年の作品で、これ以降の作品はだいたい面白い。『闇の豹』『熱砂の三人』などだ。こちらは安心して読まれたい。 |
- 作者: ウィルバースミス,Wilbur Smith,上野元美
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- 発売日: 2004/01
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- 作者: ウィルバースミス,Wilbur Smith,田中靖
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- 作者: ウィルバースミス,山本光伸
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1989/12
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- 作者: ウィルバースミス,山本光伸
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- 作者: ウィルバースミス,Wilbur Smith,大沢晶
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第十四回『銀塊の海』の巻(執筆者・東京創元社S)
第14回『銀塊の海』の巻
みなさんこんにちは。今年の冬は本当に寒いですね。でもやっと、もうすぐ春がやってきます! でも、うきうきしてくると同時に花粉とコンニチハ。……切ないものです。
- 作者: ハモンド・イネス,皆藤幸蔵
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1975/07
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第二次大戦末、大量の銀塊を積んでソ連からイギリスに向かうトリッカラ号は、暴風雨に巻きこまれ、数名の生存者を残して沈没した。だが、一年後そのトリッカラ号からSOSが送信されてきたのだ! それと同時に、無実の罪で懲役刑を宣告された沈没船の生存者、バーディー伍長は脱獄をはかり、難破の現場に向かったが……! 謎をはらむ嵐の北海を舞台に、男達の凄絶な死闘がくりひろげられる! イギリス冒険小説界の重鎮、ハモンド・イネスが描いた傑作! (本のあらすじより)
この作品には、ちょっと不思議な面白さがありました。銀塊をめぐる死闘、刑務所からの脱獄、荒れ狂う海という大自然との闘い……と、派手な要素がそろっているにもかかわらず、どこか落ち着きがある作品なのです。かといって前回の『ロマノフ家の金塊』のような、重厚すぎる感じでもない。そうですね〜、あえて例えるとすれば、噛めば噛むほど味わいが増す、ス ルメみたいな作品でした(なんという例えだ)。
面白さの理由として、まず謎をはらんだ冒険小説であるということがあげられます。あらすじを読んだだけで不思議なことがいろいろ書かれていて、そそられました。沈没したはずの船からなぜかSOSが! おまけになんで生存者であるバーディーさんとやらは脱獄しようとしているのか? という、非常に謎が多い展開です。
物語は基本的にバーディーさんの一人称で語られます。1945年3月、バーティー伍長はイギリスへ帰還するため、ムルマンスク(ロシア)からトリッカラ号に乗りこみます。トリッカラ号は5千トンの貨物船で、そこには大量の銀塊が積みこまれていました。バーディーさんはなりゆきで銀塊の警備をさせられるのですが、そこで船長含む何名かのアヤシイ行動を目撃してしまいます。そして、なんと船がノルウェー近海で機雷にぶつかり沈没してしまいます!
この、何か企んでいる船長たちの「目的」が中盤以降であきらかになるのですが、そこからの盛り上がりがすごいです。敵の陰謀をなんとしても阻止するべく、船の沈没から生き残ったバーディー伍長と仲間たちはヨットで嵐の海へ旅立つのです。荒れ狂う波と闘う男たちの姿がとにかくかっこいい! もうもう、暴風雨の中を難破船まで向かう描写の、迫力のあることといったら!! これぞ冒険小説! という感じで興奮しました〜。描写がすごく丁寧で、映像が目に浮かぶような感じです。ヨットなんて乗ったこともないのに! 前に読んだ『北壁の死闘』(ボブ・ラングレー/創元推理文庫)の登攀シーンもそうでしたが、山登りとか、冒険なんてかけらもしたことがない人間にもその過酷さを伝えられるって……すごいですよねぇ。
そして『銀塊の海』、キャラクターが良いのです……!! えーと、誰の話からしようかしら。やっぱり主人公のバーディーさんでしょうか、うむ。彼のキャラクターこそが、このお話に不思議な味わいをもたらしていると思います。
この物語の主人公、バーディー伍長は根っからの海の男。彼の独白に、こんなものがあります。
「……海に出て、のびのびとした気分になっていた。あらゆる欲求不満と、四年間の軍隊生活でつちかわれた権威への服従心は、潮風に吹きとばされてしまった。足のしたで震動する生きている甲板に立ち、顔に痛いほどの海水のしぶきをかぶると、それまでにない自信を感じた」
この文章が、めちゃくちゃかっこいいなー! と心に突き刺さりました。この部分だけで、バーディーさんがどんな人間で、どのような価値観をもっているかがわかって興奮しました。だって海水かぶって自信を感じるんですよ、すごい。このような独白って、本当に海が好きで、そこで生活したことがないと出てこないと思います。それをさらっと書けてしまうイネスさん、かっこいい……! そして、この文章から得たバーディーさんのイメージは、作品を読み進めていっても裏切られることはありません。自分の経験を信じて行動し、たとえ上官の命令に背いて軍法会議にかけられることになっても、意思を貫き通すのです。彼の頑固で真面目で不器用な人格が、この作品を落ち着きのあるすばらしいものにしているのだと思います。でもでも、普段は男前なのにヒロインの前ではちょっとヘタレになっちゃうところもいいんだよなぁ……(ぼそっ)。
そう、そしてこの作品、ヒロインもすばらしいのです!!!(机を叩く) トリッカラ号に乗りこむ、謎の美女、ジェニファー・ソレル。彼女はイギリス人なのですが、フランスでつかまってしまい、3年間もワルシャワで収容所生活を送っていました。彼女にどれだけ辛いことがあったのかはわかりません。ただ、以下のような描写があります。
「……親戚の人たちに会いに、よくフランスへ行ったんですが、三回目にルアンでつかまりました。しばらくしてから、ワルシャワの近くの収容所へ送られました」彼女は小さく笑った。かわいた、陰気な笑い方だった。「だから、わたしは寒さを感じないんです」
この文章もガツン! ときました。あ〜もう、「寒さを感じない」というひと言に、私なんぞには想像もつかないような苦労が隠されているかと思うと……! 具体的に何があったのかは、一切語られません。でもこういうさらりとしたひと言から、さまざまなことを想像させられてしまいます。というわけで、読めば読むほど味が出る、スルメのような作品なのです。
ジェニファーさんは特に後半で活躍します。彼女も海が好きで、勇敢で強い人です。バーディー伍長とのロマンスも控えめだけどいいんだよなぁ(うっとり)。ヒロインの活躍に注目です! しかし! この作品、主人公とヒロインだけじゃなくて、敵も良いのです!
さて、冒険小説といえば、やっぱり「敵」「ライバル」の存在は重要でしょう。今回の敵(のボス)はトリッカラ号の船長ハルジーさん。この人が、またもやとんでもないキャラクターなんですよ!! 芸がなくて恐縮ですが、またもや本文を引用させていただきます。船長がどのような人かというと……。
「それだよ――シェークスピアだ。それがやつの聖書なんだ。ブリッジや自分の部屋で、一日中どなっている。命令にまぜて科白をどなるんで、新参の船員にゃ、何を言ってるのかわからねぇ。(中略)もうひとつの特徴は、そのときの自分の気分に合った科白を選ぶことだ。けさはハムレットだった。おめえ、ハムレット知ってるだろ。ハムレットのときは心配はねえ――(中略)だがよ、マクベスのときは気をつけなきゃいけねえ」
もう、この部分読んだときは大爆笑でしたね! シェークスピア! なんでやねん! おまけにハムレットはよくてもマクベスには気をつけろっていう助言がおかしいですよね〜。そりゃ確かに! と笑いのツボに入りました。まぁ、イギリス人なら普通にみんな読んでいるのかもしれませんが、粗野な海の男からハムレットとかマクベスの名前が出るだけで、妙なおかしみを感じてしまいました。おまけにこの船長の設定、なんとなく作ったのかと思いきや、後でちゃんと理由が判明して驚きました(笑)。悪いことをしているきちんとした(?)悪役なんですが、とにかくシェークスピアに全部持っていかれました。インパクトのある敵でしたなぁ。
ダートムアの監獄からの脱出行もはらはらして読み応えがあったし、バーディー伍長の仲間のバートさんのキャラクターも良い感じ。語りたいことは山ほどあるのですが、あんまり長くてもアレなのでこのあたりでやめておきます。とても面白かったですし、300ページちょっとでさくっと読めますので、未読の方はぜひぜひ挑戦してみてください!
【北上次郎のひとこと】 |
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ハモンド・イネスの『銀塊の海』は1948年に書かれた小説である。なんと64年前に書かれた作品だ。にもかかわらず、現代の読者にも気にいっていただけるとは嬉しい。冒険小説の核のようなものが、イネスの作品にはあるからだろうか。イギリスの冒険小説作家の中で、イネスほど自然を描いた作家はいないのである。キャラクターや構成やストーリーなどももちろん重要な要素だが、イネスの作品が古びない理由はそこにこそあるような気がする。 |
- 作者: ボブ・ラングレー,海津正彦
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1987/12/12
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- 作者: ブライアンガーフィールド,Brian Garfield,後藤安彦
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- 作者: ブライアンガーフィールド,Brian Garfield,後藤安彦
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- 発売日: 1992/09
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- 作者: ハモンドイネス,Hammond Innes,伏見威蕃
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- 作者: ハモンド・イネス,高橋泰邦
- 出版社/メーカー: 早川書房
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第十三回『ロマノフ家の金塊』の巻(執筆者・東京創元社S)
第13回『ロマノフ家の金塊』の巻
みなさま、あけましておめでとうございます。本年も冒険小説をどしどし読んで、その魅力をお伝えできればと思います。どうぞよろしくお願い致します! というか更新頻度なんとかしろって感じですよね……。がんばります。
さて、今回の課題作はブライアン・ガーフィールドの『ロマノフ家の金塊』です。この作品、間違いなく面白かったんですが、過去最高に感想が書きにくかったです! 冒頭からぶっちゃけましたが、取りあえずあらすじを……。
- 作者: ブライアンガーフィールド,Brian Garfield,後藤安彦
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ロシア革命後、帝政派提督コルチャークは、シベリアへ敗走中、鉄山の廃鉱に500トンに及ぶ金塊を隠した。その所在は第二次大戦中ナチスの知るところとなり、ヒトラーはウクライナ経由で秘かに運び去ろうとしたが、途中で金塊は忽然と消え、今もその行方は杳として知れない。アメリカの歴史研究家ブリストウは、この金塊に大いに興味を覚え、資料追跡に没頭してゆく。だが、米ソ政府がこれを黙視するはずもなく、彼の行く手にはCIAとKGBの影が……壮大な時空間に繰りひろげられる、隠された歴史の謎!(単行本のオビより)
この作品を読み始めてまず思ったのは、「これって冒険小説なの?」ということでした。えー、いきなりこの連載の趣旨をぶった切る発言で恐縮なんですが、だって主人公が「歴史研究家」なんですよ! ここでまず「えっ!?」となりましたね。今までの主人公たちを考えてみても、軍人や冒険家、登山家、ならず者、大泥棒など、屈強な男たちばかりじゃないですか。もちろん巻き込まれた系の普通のひとや女性も冒険小説の主人公になりうると思いますけれど、それにしても歴史研究家って……私は大学時代に西洋史を専攻していたのでよけいにそう思うのかもしれませんが、とにかく意外な主人公像でした。
そして物語を描く筆致も、想像していたものよりずっと堅く、重厚なものでした。ブリストウが丹念に史料にあたっていく過程をひたすら記しているような感じです。本当にエンターテインメント作品の筆致なのかしら? と思ったほど、骨太かつ緻密な文体です。そして書かれている内容が、またとんでもない。ツァーリの500トンの金塊、ナチス、CIA、KGBなどなど、やろうと思えばいくらでもド派手にできる要素がそろっています(私も読み始める前はハリウッド映画みたいな展開を予想していました)。しかし私の予想は大はずれで、いきなり主人公が襲われたり、拷問されたり、命からがら逃げ出したりということはありませんでした。これも意外でしたね〜。
思うに、この作品は歴史ミステリの要素が強いのでしょう。そもそもの体裁が、「後世の出版社がブリストウの送ってきた原稿(メモや手稿など)をもとに本人不在のまま本にした」というものなのです。よって、作中には編集者による註がたくさんついています。また、ブリストウの文章そのものではない箇所(わかりにくい点を補っていたりします)は〈 〉という括弧でくくってあるなど、さまざまな工夫がされています。主人公が歴史研究家ということもあり、まるで一冊の「とびきり面白い歴史書」を読んでいるような気分になります。書かれている謎(主題)は、「ツァーリの金塊は、結局どのようにして消え、今はどこにあるのか」です。その点を明らかにするため、ブリストウはソビエト連邦の公文書保管所や当時の事情を知る老人へインタビューします。このような調査は歴史論文を書くときの過程そのもので、特に前半部分は歴史研究家のお仕事小説としての側面も楽しめます。はっきり言って地味極まりないですけどね!
でも、この「歴史研究家のお仕事小説」パートが面白いんですよ〜! 特にブリストウがインタビューした、ユダヤの老人の語りはとにかく読ませます! この老人はかつてコルチャークの部下の下級将校で、そのときに金塊を運ぶ部隊に所属していました。いわば歴史の生き証人というひとで、金塊が運び込まれるときの様子を淡々と語っていきます。この語りが……とにかくすごくて……。金塊が運び込まれた時期というのは、ロシア革命後の1918年から20年のシベリア国内戦(コルチャーク戦争)時代にあたるそうです。現在は1917年から23年にかけてをまとめてロシア内戦時代としているようですし、詳細は省きますが、とにかく戦争中のひどい時代でした。老人の語りのなかに「戦争というものは人間からいっさいの人間らしい抑制をはぎとってしまうもんなんじゃ」というものがあります。本当にその通りで、淡々とした口調だからこそ、当時の地獄のような光景が伝わってきました。読んでいるだけで辛く、歯を食いしばるようにして読破しましたが、こういう内容は私たちが知る義務があることなのだと思います。
また、ソビエト連邦におけるユダヤ人迫害問題についても知らなかったことばかりで、非常に興味深かったです。物語の舞台は1970年代はじめなのですが、その時代のソ連におけるユダヤ人は、ひどい迫害を受けていたようです(いや、「も」と言うべきでしょうか)。詳細を書いているときりがないのでこちらも省きますが、自分の民族の言葉や文化を子供に伝えることすら許されない、そんな非道が1970年になっても続いていたということがダイレクトに語られます。暗い歴史の一端を知ることができる最良の読み物だと思います。
と、まぁ歴史ミステリというか歴史的な記述部分の面白さはいくらでも挙げられるのですが、これまで書いてきたことだけでも、普通の冒険小説とはちょっと違うという感じなのはおわかりいただけたでしょうか。しかし! この作品のよさはそれだけじゃないのだ!
物語は少しずつ、新たな展開へ向かって動き始めます。公文書保管所でついに金塊の行方の手がかりを見つけたブリストウ。しかし彼を監視する怪しげな組織が……。そしてついに、ブリストウはソ連から命からがら脱出するはめになるのです。この不法出国の過程が非常にスリリングで、やっと「冒険小説を読んでいる!」感を味わうことができました。寒波に震えながら、銃撃を受けたり、とんでもないカーチェイスになってしまったり……。ブリストウは、金塊の秘密を抱えたまま、なんとかして安全なトルコへ逃亡しようとします。
この逃亡劇のパートはみごとな「冒険」だと思いました。そしてさらに、「歴史研究家」という一見冒険小説には向かないと思われるブリストウが、実はきちんとした「冒険小説の主人公」であるということが最後の最後にわかるのです。敵に追いつめられても決して金塊の秘密を明かそうとしなかった理由を、ブリストウは最後にこのように言います。
「おそらく愚かしいことなんだと思うな。だが人間というものは、ある場合に自分がちゃんとした生きかたをしたか、自分の日ごろの信条に反するような行ないをしなかったか、ときの勢いにむざむざ流されてしまうことがなかったか、そうしたことを一生考えつづけるものなんだ。そうした場合には、もう絶対にあとにはひけない。何もなかったような顔をしていることだってできないんだ。ただただがんばりつづけるだけだ。そう、頑固にがんばりつづけるだけだ。自分の日ごろの信条の問題というだけで、ほかになんにも理由はない。そんなことをしたところで、ただ自分の身の破滅を招くだけで、ぜんぜん何の役にもたたないということがわかっていても、それでもがんばりつづけなきゃならんのだ」
長い台詞です。特に理由はない、しかし自分の信条に背くことはできない。それが、愚かなことだってわかっていても……! うう、こういう人物に弱いのです。かっこいいよブリストウさん……! この台詞を読んだ瞬間に、ああ、このひとは不可能とも言える目的のために闘い、確固たる自分の信条を持っている冒険小説の主人公なんだな! と思いました。うん、冒険小説の定義はよくわからないけど、この作品は冒険小説だ!(たぶん!)
今回はもう、作品が超重厚なだけに感想が書きにくくてしょうがありませんでした(泣笑)。「いつものラムネ」をご期待(?)されていた方はごめんなさいです。自分でもこの作品の魅力がうまく伝えられたかどうかは自信がないのですが、とにかく読んでよかった! この作品に出会えてよかった! ということだけは確実に言えます。ページをめくる手がとまらないとか、ハラハラドキドキしてしかたがない、という傾向の作品ではありません。でも確実に心のなかに何かを残していってくれる作品だと思います。強くオススメ致しますので、ぜひお手にとっていただけると嬉しいです。
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ブライアン・ガーフィールドはヘンな作家で、犯罪小説『狼よさらば』、スパイ小説『ホップスコッチ』、復讐小説『反撃』と、さまざまなジャンルの作品を書いていて、どれがはたして本線なのかは見えにくい。一作ごとに内容とテールが異なる点では、スチュアート・ウッズやクィネルに似ている。『ロマノフ家の金塊』は歴史の謎に挑んだ大ホラ話で、それをリアルに読ませるのは筆力が抜けているからだろう。 それでは次回は、ハモンド・イネスで。作品は『銀塊の海』にしよう。 |
- 作者: ブライアン・ガーフィルド,佐和誠
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- 作者: ブライアン・ガーフィールド,佐和誠
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- 作者: ブライアン・ガーフィールド,丸本聡明
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- 作者: ブライアンガーフィールド,丸本聡明
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- 作者: ハモンド・イネス,皆藤幸蔵
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第十二回『エニグマ奇襲指令』の巻(執筆者・東京創元社S)
みなさんこんにちは! なんだかもう、この「ラムネ」の記事はきちんとご挨拶をしないと書けないような体になっている気がします。しかーし! 今回は挨拶もそっちのけで作品の紹介をしたいと思います。のっけからテンション高いです!
さて、今回の課題はマイケル・バー=ゾウハー『エニグマ奇襲指令』です。
- 作者: マイケル・バー・ゾウハー,田村義進
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1944年3月、英国はナチの最新ロケット兵器完成の報を入手した。その攻撃を未然に防ぐには、敵の暗号通信の解読が不可欠。だが秘密暗号機エニグマによって作成される敵の通信文は解読不可能だった。残された手段はエニグマを奪取するのみ――しかも敵に感知されずに! 傑出した変装術をもつ服役中の大泥棒ベルヴォアールは自由と多額の現金を約束され、ドイツ占領下のフランスへ単身潜入するが……戦争冒険小説の傑作!(本のあらすじより)
まずおもしろいな〜と思ったのは、あらすじでした。秘密暗号機! 変装術! 大泥棒! などなど、なんだかド派手な要素が揃っていてそそられます。読み進めていくと、なんと「敵をいかにあざむくか」という頭脳戦じゃあないですか。ちょっと違うかもしれませんが「オーシャンズ11」みたいな、盗みのアイディアが冴えわたっている作品だと感じました。エニグマを盗み出す方法、まさかあんな風だったとは思いませんでした。びっくり!
また、展開のしかたもすばらしいです。冒頭がナチの最新ロケット兵器が完成する、という印象的なシーンなのですが、これがまさか最後でこういう意味があったとは! 素直に驚きました。最後のどんでん返しはオドロキでしたよー、こういうの大好物ですよもー! 300ページもない短い作品なのですが、そうとは思えないほどおもしろさがぎゅぎゅっと詰まっています。
そしてそしてそして、この物語、何がいいってもう「主人公と敵(ライバル)の関係性」です!! これ、重要。ここ、声を大にして主張したいです!
主人公のフランシス・ベルヴォアールはヨーロッパで名の知れた大泥棒。父親は勝手に「男爵」と名のっていたフランス人の泥棒で、フランシスはマカオで生まれます。詐欺や泥棒を働きながら成長し、16歳のとき父親が死んだので、でっちあげの称号と稼業を受け継いで父親をしのぐ大泥棒になります。そして紆余曲折あった末に、なんとゲシュタポの保管倉庫から金(きん)半トンを盗み出したのです! これは「ゲシュタポの金塊事件」と呼ばれ、ベルヴォアールの名は天才肌の大泥棒として広まります。しかし密告者のせいでイギリスで逮捕され、ダートムアの刑務所で服役していました。そこへイギリス軍の将校が「エニグマ」奪取を依頼しにやってくるのです。
悪い男って、なんだかんだいってもやっぱりいいですよね〜(にっこり)。ベルヴォアールの危険を好む性格、新しい挑戦や難しいミッションほど燃える性格というのは、ほんとうに魅力的だと思います。そして同時に、冷徹でもあるところもいい……。彼、けっこうひどいことをするのですよ。目的のためには他人を犠牲にできる、という人物なのです。しかし、それにもちゃんと理由があって、「他人を信用しない人間」になったというきっかけもきちんと語られています。おまけに、その冷酷さが、だんだん揺らいできちゃったりするところもいいです! 「他人を信用しない」とかいっている男ほど、心の底では信用できる人間を求めているものですよね。うむうむ。
そして、ベルヴォアールのライバル、エニグマ奪取を阻もうとするルドルフ・フォン・ベック大佐のキャラクターもすばらしいのです。
ルドルフ・フォン・ベックは34歳、ドイツ軍情報部(アプヴェール)の大佐で、かつてはロンメルの下で機甲大隊の指揮官も務めていたエリートです。彼は「男はかならず職業軍人になる」という伝統をもった、由緒正しい愛国心にあふれた保守的な一族の出なのですが、同時にパリの街と文化をこよなく愛し、フランスの歴史と文学に精通しているリベラルな夢想家です。十代のころからエドガー・ライス・バロウズやエドガー・アラン・ポーを読み、バイロン卿やラファイエットなど自由のために抑圧国と闘った勇士に魅せられ、ジュール・ヴェルヌの著作に啓発されてフランス人の自由を愛する心に共感し、逆にドイツ人の冷たさに反感を感じていました。そして「世界を放浪し、はるかかなたのエキゾティックな土地で、危険な仕事に命を張り、純真で神秘的な乙女とあつい恋におちる冒険家になる」のが夢でした。ほんとうにドイツの軍人さんなの? というくらい、ロマンティックなお人なのです。
そんな彼が、ベルヴォアール男爵に対して抱いた想い……。それは、
長いあいだ、フォン・ベックは奇妙な物思いにふけっていた。灰色の瞳をした、同年配の、りりしい青年の写真を見ていると、称賛と嫉妬の念がこもごもわきあがってくるのを禁じえなかった。情け容赦なくたたきつぶさねばならない敵は、若きルディ・フォン・ベックが心からあこがれた人生を生きてきた男だった。世界を股にかけ、命を張って危険な橋をわたり、あつい恋をする真の冒険者だった。ため息が出た。自分にとってはロマンティックな遠い夢にすぎなかったものを、ベルヴォアールは現実のものとして生きてきたのだ。
もーもーもー、この部分を読んだ瞬間に震えましたね! なりたかった「自分」というのが敵だった、という設定。自分の理想、自分がなれなかった自分の姿なわけです。だからこそ、敵がいかにすごいかがわかる。だからこそ、真剣に、すべてをかけて闘わねばならない。すーてーきすぎるー!!!(感涙)。そしてベルヴォアールのほうでも、フォン・ベックを手ごわい相手だと認めているのです! 私はこの、主人公とライバルがお互いを認め合っていて、時代や立場が違えば無二の親友になれたかもしれない、という「平行線の関係」に弱いのです。根っこでは似ているんだけど、現実では敵! 誰よりも相手のすごさをわかっているのが、仲間でも友人でもなくライバル! という。彼らの生き方はけっして重ならないし、仲間になることはない……。うう、すばらしい……。このふたりの関係が、とにかくいいドラマを生み出しています。もう、ラストのふたりの対面シーンなんてね! 完璧でしたね! あーほんと、1ページまるごと引用したいくらいです!
とにかくキャラクターがよい小説でした。メインキャラクターについては数ページぐらいで容貌や過去の人生についての説明があるのですが、より深いところまで想像(妄想?)したくなるような書き方がされています。また、ファッションや好みの音楽、何に価値観を置いているかを的確に描写する筆力もすばらしいと思います。おまけに嘘みたいな美女も登場するし、もー(じたばた)。よくある「絶世の美女」なんですが、ステレオタイプではなく、壮絶な過去を背負っているところも好きー!!! とにかくどの人物にもドラマがある、ということを感じました。
ふう、ひさしぶりに筆がほとばしってしまったぜ……。あ、あとお読みになる際のアドバイスとしては、巻末の「著者ノート」と「訳者あとがき」は最後に読んだほうがいいです。オドロキが半減してしまうかもしれません。とにもかくにも、めちゃくちゃおもしろい物語でした。主に電車のなかで本を開いていたのですが、感情が顔に出やすい(というか丸わかりな)私は始終ニヤニヤしていたと思います。乗り合わせたみなさんごめんなさい。でも、楽しい本だったのよ……。未読の方は、ぜひぜひ! お手にとってみてください!
【北上次郎のひとこと】 |
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ゾウハーは通常はスパイ小説作家に分類される。『エニグマ奇襲指令』はそのゾウハーの唯一の冒険小説だ。スパイ小説でもよければ、これに負けず劣らず傑作なのが『パンドラ抹殺文書』。共通するのは、スピーディな展開とたたみかけるプロットの冴えで、ゾウハーはそういう職人作家なのである。いまで言えば、ディーヴァーか。できれば他の作品にも手を伸ばしていただけると嬉しい。 |
- 作者: マイケルバー=ゾウハー,Michael Bar‐Zohar,広瀬順弘
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/03/01
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- 作者: マイケルバー=ゾウハー,Michael Bar‐Zohar,横山啓明
- 出版社/メーカー: 早川書房
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ミュンヘン―オリンピック・テロ事件の黒幕を追え (ハヤカワ文庫NF)
- 作者: マイケル,バーゾウハー,アイタンハーバー,Michael Bar‐Zohar,Eitan Haber,横山啓明
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/01/01
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- 作者: マイケルバー=ゾウハー,Michael Bar‐Zohar,広瀬順弘
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1998/03
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- 作者: マイケルバー=ゾウハー,Michael Bar‐Zohar,広瀬順弘
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1998/03
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当サイト掲載 文庫解説図書館 マイケル・バー=ゾウハー『影の兄弟』(吉野仁)
第十一回『ゼンダ城の虜』の巻(執筆者・東京創元社S)
みなさんこんにちは。おかげさまで、なな、なんとこの連載も11回を迎えました。連載期間のわりには11回って少ないんじゃないの、というツッコミはなしでお願いします。今回、あらためて第1回から自分の書いた原稿を読みかえしてみたんですが、いやはや、あんまり成長していないですねー(ため息)。まぁでも、これからも需要がある限りのほほんと続けていきたいと思います。(需要あるんですかね?)
あと今回はおまけとして、今までに読んだ作品でランキングを作ってみました。最後のほうにこっそりひっそり書いてあります。
さて、それでは今回の作品のご紹介を。昭和初年から愛され続けているという大ロマンの傑作、アンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』です!
ゼンダ城の虜 (創元推理文庫 F ホ 4-1 Sogen Classics)
- 作者: アンソニー・ホープ,井上勇
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1970/02
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■あらすじ■
戴冠式を目前に控えたルリタニア王国にただよう陰謀と邪恋の暗雲。王位の簒奪を狙う王弟ミヒャエル大公とヘンツオ伯爵。風雲急を告げる王国の渦中に、偶然とび込んだ国王に瓜二つの英国の快男子ラッセンディルの数奇な三ヵ月の大冒険。〈剣と恋〉〈義侠と騎士道〉の華ひらく絢爛たる世紀末の宮廷大絵巻。正編と併せて、続編「ヘンツオ伯爵」を収録する。(本のあらすじより)
『ゼンダ城の虜』は、1894年に発表された「ゼンダ城の虜」と、その続編にあたる「ヘンツオ伯爵」の合本になっています。この原稿では主に「ゼンダ城の虜」に触れたいと思いますが、両方とも面白いです!
さて、読み始めてまず「ん?」と興味を惹かれたのが、なんだか不思議な章のタイトルでした。22章あるのですが、各章に「男の頭髪の色について」「王様、約束を守る」などなど、なんだかちょっと印象的な題名がついているのです。物語世界にすっと入っていける魅力的なタイトルばかり。私のお気に入りは「茶卓には新しい使い方がある」と「ルパート青年の深夜の気晴らし」ですね。なんというか、不思議なユーモア(?)があるような気が……。内容に即した、おもしろタイトルがたくさんあります。
この「男の頭髪の色について」という題は、実はものすごく重要なのです。なぜなら、主人公のルドルフ・ラッセンドルはヨーロッパの一王国であるルリタニアの王様と同じ、“ふさふさした暗赤色の髪”をしているからです。この髪の色と“長く、鋭いまっすぐな鼻”はエルフバーグという一族の特徴で、その一族に連なるルドルフと、ルリタニアの王様であるルドルフ五世は髪の色も顔立ちもそっくりなのです! ルドルフだらけでややこしいですが。
さて、「瓜二つ」という設定が出てきたからには、その後の展開は何となくわかります。ルドルフは、戴冠式の直前に王弟ミヒャエル大公に捕らえられてしまったルドルフ五世の替え玉に抜擢されます。やっぱり双子やそっくりさんがが出てきたら「いれかわり」か「なりすまし」ですよねー。そしてルドルフの正体を知る王の忠臣、サプト大佐やフリッツ・フォン・ターレンハイムなど数人の他には見抜かれることなく戴冠式を終え、そのまま三ヵ月にわたって王としての生活を送ります。宮廷の人々や国民をあざむきつつ、同時にルドルフ五世が監禁されているゼンダ城へ乗り込み、助け出す方法を考えるのです。
しかしこの「難攻不落の要塞(城)に少数精鋭で乗り込んでいく」という設定は、まさしく冒険小説のセオリーですね(とかなんとか偉そうなこといいましたけど、合ってますよね? どきどき)。物語の成立年代を考えると、この作品の冒険小説的設定が後の作品へ受け継がれていったのでしょうか。シンプルだけれどもやっぱり血湧き肉躍る設定ですな。これぞ冒険! という感じです。
あと武器が主に剣と銃、というのも冒険小説初心者としては読みやすくて良かったです。まだまだ、銃の名前や戦闘機、軍隊名だけで萌えられるという玄人の域にはほど遠いので、剣だけの決闘シーンなどは場面が想像しやすかったです。冒険小説を読み慣れてないひとや、歴史小説、ファンタジーが好きな方なども楽しく読めると思います。
さて、この作品の魅力はまだあります。それはあらすじにもある「剣と恋」。「剣」は言わずもがな、波乱万丈の王様救出劇のことですが、では「恋」とは? この「恋」が、物語に深みを与えている素晴らしいエッセンスなのです。
王様の替え玉となったルドルフは、ルドルフ五世と婚約が噂されているフラビア姫と恋に落ちてしまいます。姫は王と弟のミヒャエルの従姉妹で、ルドルフのことを王様と信じきったまま、彼を愛するのです。ううむ、こういう「瓜二つ」の設定が出てきた段階でなんとなーく予想はついていたんですが、これ、切ないお話ですよ。だって正体がばれたら一巻の終わりだし、王様を助け出したら姫とはお別れなわけですよ。もー、絶対成就しないってわかってるだろうに、なんで恋に落ちるかな〜、ルドルフよ。まぁ、それが恋というものですわね。また、現代の小説のように深い心理描写(モノローグ)があるわけではないのですが、それが逆に想像力をかき立てられるというか……。例えば、ルドルフとフラビア姫の会話で、
そのまま、ふたりは長いあいだ動かないでいた。
「わたしは気が狂っているのです」と、わたしはぽつりといった。
「その狂っているところが好きなのです」と姫が答えた。
とかね! もう、この会話にどれだけの想いが込められているかって、もう……! 姫の告白は、格調高い言い回しとあいまってとてもすてきです。このあたりの「許されない恋」感など、冒険小説的な魅力だけではなく、少女漫画的なよさもある物語だと思います。ちなみに、第二部の「ヘンツオ伯爵」では、この「恋」ゆえに大騒動が始まります。こちらもよりバタバタ感が増していて面白いです!
はてさて、まとめると、やっぱりすごかったなぁ、面白かったなぁという読後感で大満足の作品でした。何度も映画化され、英語に Ruritanian という新しい形容詞ができたほど人気が出た作品です。古典的名作ですし、未読の方はぜひ! 強くオススメします。
あっ! 最後に担当本の宣伝をしていいですか! やっちゃいます! 9月21日発売の『三つの秘文字』(S・J・ボルトン/創元推理文庫)上巻・下巻 は、イギリスのシェトランド諸島を舞台にした、ルーン文字を刻まれた死体が見つかるというスリル! ショック! サスペンス! な感じのミステリですが、英国冒険小説がお好きな方にはぜひお手にとっていただきたい作品です。七福神でおなじみ、川出正樹さんによる解説のタイトルは「血が女の中に流れている限り、不可能ということはないんだよ」です! こちらもよろしくお願いしま〜す!
○おまけ〈ザ・ベスト・オブ・ラムネ賞〉
さて、今回の原稿を書いているうちに、今までで一番面白かった作品はなんだろう……。と振り返ってみたくなったので、1回から10回までのラムネ連載のバックナンバーを読みかえして、5位まで順位づけしてみました。カッコ内は評価の理由です。
1位 | 『鷲は舞い降りた』 | ジャック・ヒギンズ | リーアムLOVE! |
2位 | 『ハンターズ・ラン』 | ジョージ・R・R・マーティン他 | マネックLOVE! |
3位 | 『北壁の死闘』 | ボブ・ラングレー | 大迫力の登攀シーンがすごい! |
4位 | 『狼殺し』 | クレイグ・トーマス | ガードナーさん殺しすぎ! |
5位 | 『ナヴァロンの要塞』 | アリステア・マクリーン | マクリーン師匠に敬礼! |
てな感じです。1位の理由はいうまでもない! リーアム・デブリンが格好良かったからです! ミーハーですみません! みごと、〈ザ・ベスト・オブ・ラムネ賞〉に輝きました。ええ、私の心の中で。『鷲は舞い降りた』の回はなんだか不思議なグルーブ感のある原稿が書けたので、自分でも気にいっています(笑)。ここに挙げなかった他の作品も面白いものばかりです! 翻訳ミステリー大賞シンジケートで〈秋の読書探偵〉を開催していますが、学生さんでも楽しく読めると思いますよ〜。いい作品ばかりですよ〜。未読の方はぜひお手にとってみてください!
【北上次郎のひとこと】 |
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『ゼンダ城の虜』のポイントは、主人公のルドルフにあるのではなく、仇役のルパートにある。この二人が裏表であることと、二人ともに貴族であることが、この作品の最重要ポイントだと私は考えている。そういう目で読み返すとまた違った風景が見えてくるような気がします。 |
- 作者: ジャックヒギンズ,Jack Higgins,菊池光
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1997/04/01
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- 作者: ジョージ・R・R・マーティン,ガードナー・ドゾワ,ダニエル・エイブラハム,Stephan Martiniere,酒井昭伸
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/06/30
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- 作者: ボブ・ラングレー,海津正彦
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1987/12/12
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- 作者: C.トーマス,竹内泰之
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1986/02
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- 作者: アリステア・マクリーン,平井イサク
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1977/02/01
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- 作者: S・J・ボルトン,法村里絵
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2011/09/21
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- 作者: S・J・ボルトン,法村里絵
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2011/09/21
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第十回『ソロモン王の洞窟』の巻(執筆者・東京創元社S)
みなさまこんにちは。毎日暑くて大変ですね。節電もだいじですが、熱中症にはお気をつけください。
先日翻訳ミステリー大賞シンジケート事務局の方から教えていただいたのですが、前回の『狼殺し』の原稿アップ後、シンジケートのサイト経由でamazonの古書が五冊売れたそうです! え、それは親切で心の広い慈愛に満ちた神様のような方々が、私の記事を読んで興味を持ってくださったということ……? 大変うれしいお知らせでした。ありがとうございます! 今回の課題は我が社の本、ということで、こちらも頑張って書けば少しは売り上げにつながるのかしら? と思ったり思わなかったり本音を言えばちょっと期待しちゃったりしてるんですが、欲を出すのはいかんと思うのでいつもどおりのテンションで書きたいと思います。
さて、そんな今回の作品はH・R・ハガードの『ソロモン王の洞窟』です!
- 作者: H.R.ハガード,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1972/08/25
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◆あらすじ◆
ソロモン王の時代から、暗黒大陸アフリカの奥地に眠り続けるという莫大な財宝を求めてカーティス卿とアラン・クォーターメンの一行は、一枚の地図をたよりにして出発した。砂漠の焦熱地獄を乗り越えてようやくソロモン街道にたどり着いた一行を待っていたのは……。雄渾な筆致と奔放な想像力で描く不滅の秘境大冒険小説!(東京創元社ホームページより)
『ソロモン王の洞窟』は1972年初版刊行の本ですが、未だに版を重ねているロングセラーの作品です。ちょうど編集部に初版本があったのでそのまま読みましたが、訳文もすごく読みやすく、いろいろな味わいのある面白い本でした。
物語は著名な探検家アラン・クォーターメンのところに、英国の貴族ヘンリー・カーティス卿が訪ねてくるところから始まります。ヘンリー卿は行方不明の弟を探して莫大な財産が眠っているというアフリカの奥地へ行くつもりで、経験豊かなクォーターメンに案内を頼んだのでした。この作品はクォーターメンさんの回想記という形式で、彼らの冒険をあますところなく描いています。
読み始めてまず、好きだな〜と思ったのが、波瀾万丈な展開です。クォーターメン一行は旅の途中でさまざまな困難にぶつかります。灼熱の砂漠で一滴の水も飲めなくなってしまったり、ライオン狩りの最中に仲間が死んでしまったり。怪しげな魔女のような老婆がいたり、残虐な殺戮を繰り返すアフリカ原住民の王様と戦ったり。そのような異国情緒(?)あふれる出来事がいかにも「秘境冒険!」という感じで、読んでいてとてもわくわくしました。まぁインディー・ジョーンズの世界ですよね。やっぱり頼もしい仲間が集まって伝説の秘宝を求めて旅をするというのは、王道かつ魅力的だなーと思いました。
そして特筆すべきは展開の早さだと思います。この作品、本文だけで 332ページなのですが、そうとは思えないほど濃密な冒険が描かれています。面白さの要素がぎゅぎゅっと詰まっている感じで、さくさく展開していきます。回想記という書き方のせいもあって、登場人物の心理描写が少ないです。何か起こったらすぐまた次、というように出来事が羅列されています。思うに、ハガードさんは想像力が豊かすぎて、一つの要素や場面を掘り下げて深い描写をするより、頭に浮かんでくることをどんどん書いていくほうが好きだったのではないでしょうか。訳者の大久保康雄先生による解説にもありますが、「つねに空想がペンに先行する」のだと思います。
それゆえ、読むひとによっては「物足りない」とか、「話の構成(プロット)しか描かれていない」と感じる方もいると思います。しかし私は、展開が速く要素が詰まっているために、逆に単純な物語展開の面白さがストレートに伝わってくるなと感じました。変なたとえで恐縮なんですが、骨格標本的な美しさを持つ作品というか……。いろいろな場面を肉付けしたり、登場人物の心象をこまやかに描写して重厚な物語に仕上げることも重要ですが、そのためには基本の構成がしっかりしていなければいけないと思うのです。ハガードさんの作品はそれがものすごくきちんとしていて、安心して面白く読めます。登場人物に深く感情移入したりはできないのですが、それでも面白いのは、やはり豊かな想像力に支えられてプロットがきっちりできているからだと思います。筋肉がなくても骨格標本はきちんとしていて美しい、そんな感想を持ちました。
あとは登場人物もいいですね〜。こう、お約束のように「秘密を持った謎の人物」が旅の仲間になっているのも好印象でした。「このひと絶対何かあるな!」と思って、それが的中したときのうれしさったらないですね。むふふ。あと語り手のクォーターメンさんのミョーに現実的なところが好きです。洞窟に閉じ込められて絶体絶命! というシーンがあるのですが、そこで脱出できるかもしれないという希望の光が見えたとたんに、そこらへんにあるダイヤモンドをポケットに入れて持ち帰ろうとするんですよ! いや、確かにダイヤだいじだよ、でもその前に取りあえず脱出しようよ! と思わずツッコミを入れてしまいました。「私だって、価値のあるものは、持ち去る機会がすこしでもあるかぎり、絶対にあとには残さないということが、長いあいだの習慣から第二の天性になっていなかったら、ダイヤをポケットにねじこむようなさもしいことはしなかったにちがいない」とかなんとか、言い訳してますけど! そのほかにも、アフリカの原住民をいいくるめるシーンも大好きです。銃を知らない人々に「これは魔法の道具だ!」と思わせたり、日蝕を利用して予言の力を信じ込ませたり。クォーターメンさん、意外と演技力ある! まぁそれくらい機転がきかなきゃ探検家なんてやってられないのでしょう。ううむ、嘘がすぐ顔に出る私には無理だなぁ……。スパイも探検家も、冒険小説に出てくる職業は大変そうです。
あともう、ヘンリー卿、ヘンリー卿が!!!(机をたたく)わたくし、先ほど「登場人物に深く感情移入したりはできないのですが」と書きましたが、それ間違いでした。めっちゃヘンリー卿に感情移入しちゃったよ!! このひと、行方不明の弟を探して旅に出るのです。ひどい喧嘩をして出て行ってしまった一文無しの弟を探しに行くなんて……。うう、わかります、下のきょうだいって手がかかるけど見捨てられないんですよね〜。「血は水よりも濃い」というのは真実だ! 私も下に手のかかる妹がいましてね……。「ああもうふざけるな!! 追い出してやる!」って思うときが何度も何度も何度もあるんですけど、結局はほだされてしまうんですよね……。うう、しょうがないけど連れ戻しに行くか、っていうヘンリー卿の気持ちはすごくよくわかる! でも私は妹のために秘境には行けないな! ヘンリー卿えらい!! ……すみません、長女のセキララな本音が漏れました……。
というわけで、『ソロモン王の洞窟』は秘境冒険の魅力たっぷり、展開の妙も味わえて、おまけにうるわしい兄弟愛もあるというすてきな作品でした。絶賛発売中ですので、ぜひお手にとっていただけるとうれしいです!
【北上次郎のひとこと】 『ソロモン王の洞窟』は秘境冒険小説の傑作で、発表から百年たってもまだ色あせないのは素晴らしい。現代の作品で、百年後も読まれているものがあるだろうかと考えると、敬服に値する。そこでもう一例、ヴィクトリア朝冒険譚の典型である『ゼンダ城の虜』を読まれたい。こちらは百年たつとわかりにくい箇所があるかもしれないが、19世紀末に書かれた傑作である。 |
- 作者: H.R.ハガード,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1974/05/24
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- 作者: H.R.ハガード,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1975/02/14
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- 作者: H.R.ハガード,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1977/03/18
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- 作者: C.トーマス,竹内泰之
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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ゼンダ城の虜 (創元推理文庫 F ホ 4-1 Sogen Classics)
- 作者: アンソニー・ホープ,井上勇
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第九回『狼殺し』の巻(執筆者・東京創元社S)
第九回『狼殺し』の巻
みなさんこんにちは。なんだかあっという間に5月ですね。いろいろあった怒濤の春が終わりに近づき、暑がりな私はいまから夏が恐ろしいです……。でもまぁ、頑張るしかないので頑張ります。
のっけからグダグダなご挨拶ですみません。さて、今回の課題本はクレイグ・トーマス『狼殺し』です。著者は今年の4月に亡くなられたのですね。ご冥福をお祈りすると同時に、天国へ向かって一言申し上げます。『狼殺し』、面白かったですー!
◆あらすじ◆
1944年、解放直前のパリに潜入したイギリスの情報部員がゲシュタポに逮捕された。仲間を裏切って敵に密告したやつがいる。彼は復讐を誓った。過酷な拷問に耐え、決死の脱出をはかって彼は奇跡的に生き延びた。19年後、ふとした偶然から、彼の眠っていた記憶が蘇った。復讐の機会が向こうからやってきたのだ。裏切り者には死を。虚々実々の情報合戦の舞台裏を描く大冒険スパイ小説。(本のあらすじより)
今回は復讐ものです! 1944年、“アキレス”の暗号名で活躍していたイギリスの情報部員、リチャード・ガードナーは何者かの密告によりゲシュタポに捕らえられてしまいます。冒頭で語られる1944年当時の回想の迫力がものすごく、物語に一気に引き込まれました。ガードナーさんはひどい拷問を受け、何百人もの囚人たちとともに収容所に送られていきます。ナチの親衛隊に囲まれ、狭い貨車に乗せられ、死へ向かう……。筆致が淡々としているだけに、悲惨さがストレートに伝わってきました。たくさんのレジスタンスの捕虜たちとともに貨車に揺られ、泣きながら「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンが特に印象的でした。開始そうそうけっこう重くて辛い場面が続きますが、物語の中でも印象に残る部分です。冒頭でガードナーがいかに悲惨な目にあったかを十分に語っているので、その後復讐を始めた彼の心理描写に説得力が出ているのだと思います。
そして決死の思いで生き延び、事務弁護士になっていたガードナーに、突然復讐の機会が訪れます。拷問を受けた辛い記憶を封印し、結婚して家庭を得て、心配ごとは妻の浮気だけ、というどこにでもいる普通の人の暮らしを送っていたのに……。ある偶然からガードナーに復讐心が湧き起こり、自分を死んだことにしてまで、かつて自分を密告した者を突き止めて殺そうとします。第二部の「アキレスの怒り」以降が、主にその復讐・殺害シーンにあたります。いやはや、ガードナーさんの怒りがすさまじい。ばっさばっさと殺していきます。しかし先ほど述べたように、過去の悲惨な出来事がきっちり描かれているために、ガードナーさんの心理が手に取るようにわかるというか、そりゃ殺したくもなるわな……という気分になります。
また、物語の作りとして面白いなと思ったのが、復讐シーンに入ってからガードナーさん視点の語りが少なくなったことです。この作品は三人称で、視点がわりところころ変わります。ガードナーさん視点、彼を裏切った者たちの視点と、さまざまな人物によって物語が語られていきます。ガードナーさん視点は回想シーンも含め、最初のほうに多く、中盤からはヒラリー・ラティマーの視点が多くなります。ラティマーさんはガードナーさんと同じく英国秘密情報局の人間で、彼の過去も知っており、復讐を止めようとします。私の場合、どんどん人を殺していくガードナーさんより、むしろラティマーさんのほうに感情移入して読んでしまいました。もう、ガードナーさんが怖くって。だって彼、事務弁護士していた平和なときより、復讐しているときのほうが生き生きしてるんですよ! そりゃ確かに、あなたがされたことはひどいですよ。過去を忘れて生きろ! とか言えないですよ。でもさ、復讐ってむなしくない? もうやめたほうがいいんじゃないの、というもどかしい思いを、ラティマーさんと一緒に味わいました……。ガードナーさんの視点で語られていたら、そのような葛藤は覚えなかったはずです。ごく普通に、やった、悪いやつをやっつけたぜ! というすてきな気分で読み進めることができたと思うのです。しかしクレイグ・トーマス氏はそんなヌルい読み方を許してはくれぬ……! この、復讐者の視点だけで進めない、という手法が、物語に深みを与えていると思います。
思うに、クレイグ・トーマスさんは案外サディストなんじゃないでしょうか。(ものすごく失礼な言い分)だってもう、ラティマーさんかわいそうなんですよ! 奥さんは○○しちゃうし!(ネタバレのため伏せ字)やめろ、って何度も言ってるのにガードナーさんは殺人やめないし! もうやめてあげて! と叫びました。おまけに最後には全体の黒幕という、衝撃の真実があきらかに……! いやほんとに。ガードナーさんを陥れた暗号名“ウルフ”の正体もびっくりしました。(あ、いまさらで申し訳ないんですが、タイトルの“狼”はこの人物からきているのです。ほかにも意味はあるのですが)登場人物も読者も著者の掌の上で翻弄されてダンシングするしかないっ! って感じですよ。なんというか、スパイって大変なんだなぁ、としみじみ思いました。なりたくない職業、スパイ。
あと第一章の図版も面白いです。何ページにもわたって、事件に関係する書類が挿入されているのです。警察署の調書、新聞記事、内務省の命令書、検査報告書などなど。この書類部分を丹念に読み込むと、物語の隠された部分がわかって面白いです。物語の手がかりはこんなところに! という驚きも味わうことができます。書かれている内容も興味深いのですが、なんと字が手書きなんですよ!「異端者調査 パリ地域でのO.A.Sの活動」とか、書類が大部分手書きで書かれているのです。もちろん日本語で。この字、書類によってきちんと筆跡を変えて書かれているのがすごいのですが、いったい誰が書いたんでしょうね。編集者かしら? というどうでもいいことが気になってしまいました。丸文字だったり、妙に可愛らしい文字もあるので、余計に気になります。こういう工夫のある本って楽しいですね。編集は大変そうですが(ぼそっ)。
訳者あとがきによると、この作品はスパイ業界(?)で有名な“フィルビー事件”を背景にしているそうです。それゆえか、ものすごくリアリティのある描写で、読み応えがありました。訳者さんは「重厚長大」と表現されていましたが、多数の印象的なシーン、感情移入できる登場人物、そして最後には驚きもあるという面白い本でした! 未読の方はぜひお手に取ってみてくださいませ。
【北上次郎のひとこと】 トーマス『狼殺し』は、私の「冒険小説のオールタイムベスト1」なのだが、その面白さが現代の若い読者(しかも冒険小説の初心者)にもつたわると知って、とても嬉しい。次回のテキストは、ヘンリー・ライダー・ハガード『ソロモン王の洞窟』にするが、これをいちばん最初のテキストにするべきだったかもしれない。ただいま反省中。 |
- 作者: C.トーマス,竹内泰之
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- 作者: クレイグ・トーマス,Craig Thomas,広瀬順弘
- 出版社/メーカー: 早川書房
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- 作者: クレイグトーマス,山本光伸
- 出版社/メーカー: 早川書房
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- 作者: クレイグトーマス,山本光伸
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1991/06
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- 作者: H.R.ハガード,大久保康雄
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- 発売日: 1972/08/25
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クレイグ・トーマスについてもっと知りたい人はこちら→ ●TVを消して本を読め!第十八回(執筆者・堺三保/挿絵・水玉螢之丞)●