第十三回『ロマノフ家の金塊』の巻(執筆者・東京創元社S)
第13回『ロマノフ家の金塊』の巻
みなさま、あけましておめでとうございます。本年も冒険小説をどしどし読んで、その魅力をお伝えできればと思います。どうぞよろしくお願い致します! というか更新頻度なんとかしろって感じですよね……。がんばります。
さて、今回の課題作はブライアン・ガーフィールドの『ロマノフ家の金塊』です。この作品、間違いなく面白かったんですが、過去最高に感想が書きにくかったです! 冒頭からぶっちゃけましたが、取りあえずあらすじを……。
- 作者: ブライアンガーフィールド,Brian Garfield,後藤安彦
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1992/09
- メディア: 文庫
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ロシア革命後、帝政派提督コルチャークは、シベリアへ敗走中、鉄山の廃鉱に500トンに及ぶ金塊を隠した。その所在は第二次大戦中ナチスの知るところとなり、ヒトラーはウクライナ経由で秘かに運び去ろうとしたが、途中で金塊は忽然と消え、今もその行方は杳として知れない。アメリカの歴史研究家ブリストウは、この金塊に大いに興味を覚え、資料追跡に没頭してゆく。だが、米ソ政府がこれを黙視するはずもなく、彼の行く手にはCIAとKGBの影が……壮大な時空間に繰りひろげられる、隠された歴史の謎!(単行本のオビより)
この作品を読み始めてまず思ったのは、「これって冒険小説なの?」ということでした。えー、いきなりこの連載の趣旨をぶった切る発言で恐縮なんですが、だって主人公が「歴史研究家」なんですよ! ここでまず「えっ!?」となりましたね。今までの主人公たちを考えてみても、軍人や冒険家、登山家、ならず者、大泥棒など、屈強な男たちばかりじゃないですか。もちろん巻き込まれた系の普通のひとや女性も冒険小説の主人公になりうると思いますけれど、それにしても歴史研究家って……私は大学時代に西洋史を専攻していたのでよけいにそう思うのかもしれませんが、とにかく意外な主人公像でした。
そして物語を描く筆致も、想像していたものよりずっと堅く、重厚なものでした。ブリストウが丹念に史料にあたっていく過程をひたすら記しているような感じです。本当にエンターテインメント作品の筆致なのかしら? と思ったほど、骨太かつ緻密な文体です。そして書かれている内容が、またとんでもない。ツァーリの500トンの金塊、ナチス、CIA、KGBなどなど、やろうと思えばいくらでもド派手にできる要素がそろっています(私も読み始める前はハリウッド映画みたいな展開を予想していました)。しかし私の予想は大はずれで、いきなり主人公が襲われたり、拷問されたり、命からがら逃げ出したりということはありませんでした。これも意外でしたね〜。
思うに、この作品は歴史ミステリの要素が強いのでしょう。そもそもの体裁が、「後世の出版社がブリストウの送ってきた原稿(メモや手稿など)をもとに本人不在のまま本にした」というものなのです。よって、作中には編集者による註がたくさんついています。また、ブリストウの文章そのものではない箇所(わかりにくい点を補っていたりします)は〈 〉という括弧でくくってあるなど、さまざまな工夫がされています。主人公が歴史研究家ということもあり、まるで一冊の「とびきり面白い歴史書」を読んでいるような気分になります。書かれている謎(主題)は、「ツァーリの金塊は、結局どのようにして消え、今はどこにあるのか」です。その点を明らかにするため、ブリストウはソビエト連邦の公文書保管所や当時の事情を知る老人へインタビューします。このような調査は歴史論文を書くときの過程そのもので、特に前半部分は歴史研究家のお仕事小説としての側面も楽しめます。はっきり言って地味極まりないですけどね!
でも、この「歴史研究家のお仕事小説」パートが面白いんですよ〜! 特にブリストウがインタビューした、ユダヤの老人の語りはとにかく読ませます! この老人はかつてコルチャークの部下の下級将校で、そのときに金塊を運ぶ部隊に所属していました。いわば歴史の生き証人というひとで、金塊が運び込まれるときの様子を淡々と語っていきます。この語りが……とにかくすごくて……。金塊が運び込まれた時期というのは、ロシア革命後の1918年から20年のシベリア国内戦(コルチャーク戦争)時代にあたるそうです。現在は1917年から23年にかけてをまとめてロシア内戦時代としているようですし、詳細は省きますが、とにかく戦争中のひどい時代でした。老人の語りのなかに「戦争というものは人間からいっさいの人間らしい抑制をはぎとってしまうもんなんじゃ」というものがあります。本当にその通りで、淡々とした口調だからこそ、当時の地獄のような光景が伝わってきました。読んでいるだけで辛く、歯を食いしばるようにして読破しましたが、こういう内容は私たちが知る義務があることなのだと思います。
また、ソビエト連邦におけるユダヤ人迫害問題についても知らなかったことばかりで、非常に興味深かったです。物語の舞台は1970年代はじめなのですが、その時代のソ連におけるユダヤ人は、ひどい迫害を受けていたようです(いや、「も」と言うべきでしょうか)。詳細を書いているときりがないのでこちらも省きますが、自分の民族の言葉や文化を子供に伝えることすら許されない、そんな非道が1970年になっても続いていたということがダイレクトに語られます。暗い歴史の一端を知ることができる最良の読み物だと思います。
と、まぁ歴史ミステリというか歴史的な記述部分の面白さはいくらでも挙げられるのですが、これまで書いてきたことだけでも、普通の冒険小説とはちょっと違うという感じなのはおわかりいただけたでしょうか。しかし! この作品のよさはそれだけじゃないのだ!
物語は少しずつ、新たな展開へ向かって動き始めます。公文書保管所でついに金塊の行方の手がかりを見つけたブリストウ。しかし彼を監視する怪しげな組織が……。そしてついに、ブリストウはソ連から命からがら脱出するはめになるのです。この不法出国の過程が非常にスリリングで、やっと「冒険小説を読んでいる!」感を味わうことができました。寒波に震えながら、銃撃を受けたり、とんでもないカーチェイスになってしまったり……。ブリストウは、金塊の秘密を抱えたまま、なんとかして安全なトルコへ逃亡しようとします。
この逃亡劇のパートはみごとな「冒険」だと思いました。そしてさらに、「歴史研究家」という一見冒険小説には向かないと思われるブリストウが、実はきちんとした「冒険小説の主人公」であるということが最後の最後にわかるのです。敵に追いつめられても決して金塊の秘密を明かそうとしなかった理由を、ブリストウは最後にこのように言います。
「おそらく愚かしいことなんだと思うな。だが人間というものは、ある場合に自分がちゃんとした生きかたをしたか、自分の日ごろの信条に反するような行ないをしなかったか、ときの勢いにむざむざ流されてしまうことがなかったか、そうしたことを一生考えつづけるものなんだ。そうした場合には、もう絶対にあとにはひけない。何もなかったような顔をしていることだってできないんだ。ただただがんばりつづけるだけだ。そう、頑固にがんばりつづけるだけだ。自分の日ごろの信条の問題というだけで、ほかになんにも理由はない。そんなことをしたところで、ただ自分の身の破滅を招くだけで、ぜんぜん何の役にもたたないということがわかっていても、それでもがんばりつづけなきゃならんのだ」
長い台詞です。特に理由はない、しかし自分の信条に背くことはできない。それが、愚かなことだってわかっていても……! うう、こういう人物に弱いのです。かっこいいよブリストウさん……! この台詞を読んだ瞬間に、ああ、このひとは不可能とも言える目的のために闘い、確固たる自分の信条を持っている冒険小説の主人公なんだな! と思いました。うん、冒険小説の定義はよくわからないけど、この作品は冒険小説だ!(たぶん!)
今回はもう、作品が超重厚なだけに感想が書きにくくてしょうがありませんでした(泣笑)。「いつものラムネ」をご期待(?)されていた方はごめんなさいです。自分でもこの作品の魅力がうまく伝えられたかどうかは自信がないのですが、とにかく読んでよかった! この作品に出会えてよかった! ということだけは確実に言えます。ページをめくる手がとまらないとか、ハラハラドキドキしてしかたがない、という傾向の作品ではありません。でも確実に心のなかに何かを残していってくれる作品だと思います。強くオススメ致しますので、ぜひお手にとっていただけると嬉しいです。
【北上次郎のひとこと】 |
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ブライアン・ガーフィールドはヘンな作家で、犯罪小説『狼よさらば』、スパイ小説『ホップスコッチ』、復讐小説『反撃』と、さまざまなジャンルの作品を書いていて、どれがはたして本線なのかは見えにくい。一作ごとに内容とテールが異なる点では、スチュアート・ウッズやクィネルに似ている。『ロマノフ家の金塊』は歴史の謎に挑んだ大ホラ話で、それをリアルに読ませるのは筆力が抜けているからだろう。 それでは次回は、ハモンド・イネスで。作品は『銀塊の海』にしよう。 |
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