ボストン・テラン『その犬の歩むところ』(執筆者・田口俊樹)

 

その犬の歩むところ (文春文庫)

その犬の歩むところ (文春文庫)

 
 せんだっておこなわれた第八回翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションの『イチオシ本バトル』では、ボストン・テランの本作『その犬の歩むところ』が見事第一位に選ばれました。改めてお礼を申し上げます。推してくださった方々には心からの、推してくれなかった方々には形ばかりの。
 
2017文藝春秋_イチオシ本バトル.pdf 直
(↑イチオシ本バトル・当日配布資料)
  
 さて、この本。とてもとても面白いです。でもって、いい話なんですよね、これが。アマゾンの紹介記事をパクると「傷ついたひとたちの悲劇と救済を描く感動の最新作」。まさにそのとおりです。でもって、「救済」ってところがいいですねえ。これでもかこれでもかって、人間の嫌な面を描いた作品、最近よく眼にします。今という時代が時代ですから、予定調和っぽいめでたしめでたしなんて、誰も書きたくもなきゃ読みたくもないんでしょう。そういう気持ちは私もわからないではありません。でも、マイナスではなく、プラスの感情を呼び覚まして、読者をびっくりさせるのが、やっぱ小説の王道なんじゃないでしょうか。『その犬の歩むところ』はその王道を行ってます。
 
「ギヴ」という名の犬が主人公なんで、いわゆる犬ものですが、そんじょそこらの犬ものではない。描かれ方もちょっと変わってます。なにしろ、この物語の語り手自身が「この物語は伝統的なやり方では語られない」と作中言ってるくらいなんですから。どんな話なのか、どんな描かれ方をしてるのか、気になりました? でも、あらすじを紹介するのはあえてここではひかえたいと思います。というのも、とにもかくにもさきが読めない話で、そこがまたこの小説の読みどころだと思うからです。ただ、犬好きにはたまらないシーン満載です。犬好きならずとも、犬という美しい動物の善良さ、健気さ、愛らしさにはきっとぐっとくると思います。それは訳者として請け合っておきます。
 
 あと――俗っぽい宣伝になるのを承知で言えば――うるうるとくるところもけっこうあります。私の場合、それはシーンというより、書かれていることばそのものに喚起されて、けっこううるっとなりました。たとえば、重要な登場人物のひとり、アンナという女性がハンガリー動乱を逃れて伯母と一緒にアメリカに移住するくだり。その苦労が静かに淡々と描かれるんですが、なんかもう込み上げちまって込み上げちまって。もうひとつ、そのアンナに名もなき老婆が頼みごとをするくだり。この老婆はアンナを救ってくれた人なんだけれど、子供もいなけりゃ身寄りもない。そういう老婆がアンナに頼むわけ。自分が死んだら墓碑銘にはこんなふうに刻んでくれって。「ただひとこと“母”」と彫ってくれって。そのひとことに託したお婆さんの万感の思い。いいですねえ。
 もうひとつ言っちゃおう。ギヴのほかに「モリソン」って犬も出てくるんですが、この犬がすごくすごく可哀そうなんですよ。それとそのモリソンと大の仲よしだった幼い兄弟も。編集担当の永嶋さんもその場面ではゲラに「泣いた」と書いておられたけど、私も号泣ですわ。ただ、公正を期して言っておきますと、私、映画の『ビリギャル』なんか見て泣いちゃったんですよね。いいですか、俗っぽさここにきわまれりみたいなあんな話に。だから、実を言うと、寄る年波で自分の涙腺にはあんまり自信はないんだけど。ま、それでもね。
 
 新聞を開くと、テレビをつけると、ネットを漁ると、嫌なニュースばかりが眼につく昨今です。不寛容が世界じゅうに蔓延しているみたいに見えます。本書はそんな時代に抗って生きる人々と一匹の犬への賛歌です。どうかご一読のほどを!
   
田口俊樹(たぐち としき)


 翻訳歴だけは長い東京都調布市在住の老翻訳者。孫三人。四年前に老犬の介護経験あり。現在エルモア・レナード『ラブラバ』を新訳中。趣味は競馬と麻雀。パチンコからは二年前に撤退。このところなぜかことあるごとに思い出すことば――「田口さんのどこを叩いても“努力”ってことばは出てこないですよね」(by 故・東江一紀)。
(Photo © 永友ヒロミ)
 

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■担当編集者よりひとこと■

 

その犬の歩むところ (文春文庫)

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 ええ、泣きましたよ。泣きましたとも。ただまあ僕は大学の頃に授業のない午前中に遅い朝飯を食いながら再放送の『三匹が斬る!』を観て涙目になったりしていたのでアレですけれども。
 
 ボストン・テランは編集者としての僕にとって重要な作家です。まだ駆け出しの頃に担当したデビュー作『神は銃弾』で、訳稿を読んだ途端に頭をぶん殴られたような衝撃を受け、異様な原文と格闘し、訳文について翻訳者(田口さんですね)と突っ込んだやりとりをして、はじめての「このミス」1位の栄誉に浴し、いまだに『神は銃弾』について熱く語ってくださる読者がいる。いろいろな意味で、『神は銃弾』は僕にとって名刺のような一冊でありつづけています。
 
 そんなテランに「暴力の詩人」という二つ名をつけたのは『死者を侮るなかれ』のときだったでしょうか。しかしテランは第四作『音もなく少女は』で、「暴力の詩人」から脱却します。苛烈な暴力や白熱の銃撃戦は影をひそめ、文体も抑制され、リアルで日常的なできごとを描く。それが『音もなく少女は』で、こちらも多くの読者――とくに女性――の支持をいただきました。『その犬の歩むところ』は、この『音もなく少女は』の延長線上にある作品です。
 
『神は銃弾』『死者を侮るなかれ』と、『音もなく少女は』『その犬の歩むところ』。一見すると大きな隔たりがありますが、しかし、読んでみるといずれも間違いなく「ボストン・テランの小説」という印象を受けます。「ボストン・テラン的なるもの」が歴然としてそこにあるのです。
 
 それは何なのだろうかと考えると、おそらく、「弱い者」を描いていることなのではないか。もっというと、「弱い者」が容赦なく強大な何かと立ち向かう姿を通じて、そこに崇高な何かを現出させることなのではないか。地べたにいる者たちの地べたの苦闘が何か大きくて崇高なものとなる瞬間を、ボストン・テランは書きつづけていて、それがこの作家独特の感動の源泉になっているのではないかと思うのです。
 
 最後に。僕は完全なる猫派ですが、本書の気高い孤高の雑種犬ギヴ君にはすっかり心を持っていかれました。犬好き勢は問答無用で必読の本書ですが、猫派の紳士淑女にも是非お手にとっていただけますよう。
 

文藝春秋・永嶋 @Schunag ) 

 

 

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