第25回『ピアニストを撃て』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)祝1/4達成!

――世を捨てたピアニストの虚ろな心に生じる葛藤


全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。


「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁
後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳


今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:去る4月2日行われた翻訳ミステリー大賞の開票&授賞式、アーナルデュル・インドリダソンの『声』がデッドヒートを制して大賞に輝きました。しかも読者賞と併せて2冠!
 訳者である柳沢由美子先生のスピーチも心に残りました。先生ご自身も深みがあって聞き手の心に沁みわたるとてもきれいな「声」の持ち主でいらっしゃったことに軽く感動。いっぺんにファンになっちゃいました。当日の様子を通訳翻訳WEBさんがレポートをされていますのでご一読下さいませ。☞ こちら
 私も(いつにない頑張りで)候補作はすべて読了して参加いたしましたが、『声』はその中でもかなり好きな作品。“家族”というものを強く考えさせられました。子供が子供らしくあることの大切さも。普段ミステリーをあまり読まない方にもおすすめできるとてもいい作品です。シリーズの前作を読んでいなくてもOKですので未読の方も躊躇わず GO!ヒロミGO! でございますよ♪


 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史をイチから学ぶ「必読!ミステリー塾」。なんと今回で25回目! 100冊のうちの4分の1に到達いたしましたー! 拍手―! パチパチパチ
 ミステリー通に近づいてるのか遠のいてるのかよくわかりませんが、1冊ずつ読んできたことには間違いありません。これからも変わらず歩を進めてまいりますのでよろしくお付き合い下さいませ。
というわけで今月のお題はデイヴィッド・グーディス著『ピアニストを撃て、1956年の作品です。


ピアニストを撃て (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ピアニストを撃て (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

大怪我を負った男が命からがら辿り着いたのは酒場<ハリエッツ・ハット>。ふらつきながらも男はまっすぐ演奏中のピアニストに近づき肩に手を置いた・・・。
ピアニストの名はエディ。男の弟。誰とも深く関わらず、場末の酒場のピアニストとしてその日暮らしをしていたエディだったが、長年付き合いを断っていた兄がいきなり現れたことで否応なくトラブルに巻き込まれていく。


 デイヴィッド・グーディスは1917年フィラデルフィア生まれ。
 地元の高校を卒業した後、大学でジャーナリズムを学び、卒業後に広告代理店で働きながら執筆活動を始めました。ニューヨークに移ってパルプ・マガジンに精力的に執筆し、やがてラジオや映画の脚本を手掛けるようになります。小説『Dark Passage』ハンフリー・ボガートローレン・バコールの主演で映画化されて大ブレイク(邦題は《潜行者》)。ワーナー・ブラザーズと契約し多くの脚本を書いています。
 しかしフィラデルフィアに戻ってからはアルコール問題を抱え、自ら精神病院のドアをくぐったこともあったそうです。1967年に肝硬変で死去。
 彼の作品はフランスで高く評価され、『ピアニストを撃て』は1960年にフランソワ・トリュフォー監督によって映画化されました。
 アメリカではノワール小説の分野に貢献した作家に贈られる「デイヴィッド・グーディス賞」があり、一昨年、中村文則さんが日本人で初めて受賞されています。

参照 ☞ ■非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると 第12回 グーディス、密室、ボリウッド(執筆者:松川良宏)


 相変わらず早とちりの私は、タイトルと裏表紙の内容紹介から「軟弱系なピアニストが悪党の兄に巻き込まれてさぁ大変、いきなり重要人物になってしまって「ピアニストを撃て」と命じられた殺し屋に狙われる話ね」……と当たりをつけたのですが、見事に的を外しました。
 まさかピアニスト(=エディ)自身が途方もない虚無、闇の深淵を抱えた人だったとは。(てか、なんでここまで勝手に思い込んじゃうんだろう、アタシ)


 誰にも何にも関わるまいとしているエディに兄が災厄を持ち込んだがために彼は内面で激しい葛藤をします。その語り口はまるで彼の中にもう一人別の人格でも飼っているかのようで、ジム・トンプスンの『おれの中の殺し屋』を思い出しました。
 そして彼が世を捨てて生きることになった過去のお話の甘い香りと苦さ切なさはビル・S・バリンジャーの『歯と爪』で感じたものと近かったし、エディを助けようとする女性たちとのシーンはウィリアム・アイリッシュのスリリングさとムーディーさが同居した不思議な雰囲気にも通じていたような。
 おお! 4分の1制覇は伊達ではなかった。そうか、いろんな本を読むというのはこうして類似点(と同時に相違点)を見つけて楽しめるんだ。そして人前で「『ピアニストを撃て』はさぁ……」とエラソーに滔々と語るという感じ悪い行為もできるんだ!(しなくていい)


 これはもうノワールど真ん中みたいな小説だと思うのですが、この系統で丼飯3杯はイケるであろう加藤さんはどう読んだかな?




加藤:第7回翻訳ミステリー大賞受賞式&コンベンションは、天気にも恵まれ大変盛り上がったらしいですね。スタッフの方々、参加者の皆さん、お疲れ様でした。来年は何が何でも参加するから覚悟しといてください。(悔しくてキレ気味)


 さてさて、『ピアニストを撃て』は僕も初読。タイトルから全く違う物語をイメージしていたのは僕も同じでしたが、畠山さんとは随分方向が違いました。「ピアニスト」というコードネームの殺し屋がターゲットのスパイスリラー。命令形のタイトルって、どうしてもソッチを連想しちゃいません? 北北西に進路をとらされたり、タイタニック号を引き上げさせられたり(というかカッスラーは無茶ブリばかりだ)、レッドオクトーバーを追ったり、撃つ相手がリヴィエラだったり。
 いやー、見事に外した。こいつは一本取られましたな。はっはっはっ。


 巻末の吉野仁さんの解説によると、本作もセリ・ノワールからの逆輸入パターン(アメリカから見て)のようですね。でも、畠山さんが言うほどノワールだとは思わなかった、というか、全然思わなかったなあ。全体を覆う行き場のない閉塞感や、虚無で退廃的なトーンはそれっぽいけど、名状し難い狂気とか、付きまとう破滅の予感みたいなものが薄い、むしろ静かで端正なクライムノベルという印象。
 都会の夜景が臨める窓際に置いたカッシーナのソファに身を沈め、ビル・エヴァンスをBGMにブラントンのゴールドをストレートで飲りながら読んだ『ピアニストを撃て』は、なかなかに心休まる至福の時間でございましたよ。 ※あくまで心象風景描写です。


 安酒場のピアニストとして生きる主人公エディの背負った過去とは何なのか。なぜ彼は故郷を離れ、世を捨てたように生きるのか。そんな、ひっそりと生きることを望んだ彼だったが、やがて否応なく自らの過去と向き合うことに……。
 とまあ、アリがちっちゃーアリがちなシチュエーションですが、王道はやはり素晴らしい。そして、ヒロインのレナがいいですね。ほとんど作者にもエディにも名前を呼んでもらえず「ウェイトレス」と書かれる雑な扱いも。そして、これまたアリがちっちゃーアリがちな、クライマックスで彼女がとった行動も。


 そうそう、畠山さん。札幌読書会の「読書会の基本方針について」を読ませてもらったよ。
 素晴らしい。札幌に限らず、そして翻訳ミステリーに限らず、すべての読書会や趣味のコミュニティーに通じる話だよね。えらいぞ、よく書いた。今度会ったらブラックサンダーゴールドをあげよう。(<ランクアップ)




畠山:えー? そうなの? これはノワールじゃないの?
 エディの内側には狂気がある(理由のある狂気だけど)と感じたし、内なる声と己の行動の食い違いが少しずつ状況を悪くしていくあの様子は「ノワール(っぽい)」と思ったんだけどなぁ。
 あ、でも「セリ・ノワール叢書」に入ってるんだからやっぱりノワールだよ!(吉野家にあればなんでも牛丼みたいな言い方でなんだが)


ピアニストを撃て』は女性の登場人物がとてもいいですね。エディと同じアパートに住む娼婦クラリス、酒場の女主人ハリエット、そしてエディと行動を共にするウェイトレスのレナ。社会的には下層に位置する職業や生活であろうともその精神はしっかりと自立している人達です。それどころか“職業に貴賤はない”という言葉すらちゃちに感じるほどですね。相手が誰であろうとダメなものはダメと厳しく立ち向かう勇敢さと、優しさを併せ持つ女性。特に敗残者に対する温かな眼差しには同情ではなく、「アンタの堕ちっぷりはしかと見届けてやる」と言わんばかりの人生の辛酸をなめた人ならではの度量を感じるんだなぁ。ハードボイルドな女たち、カッコイイ。
 レナが「ウェイトレス」と書かれるのは雑なんじゃないと思うよ。名前を呼んでしまったら情がうつる、愛してしまう、不幸にしてしまう、そんな気持ちがあるからわざと距離を置くために個人の顔がわかりにくい「ウェイトレス」としてるんじゃないかなぁ。
 そして「ウェイトレスは〜〜した」みたいな文章表現が場面をとても印象的にしていて、まるで無声映画を見るかのようで素敵でした。


 さてこの『ピアニストを撃て』というタイトル(原題は「Down There」)ですが、吉野さんの解説によると西部開拓時代にアメリカの酒場では「どうかピアニストを撃たないでください」という貼り紙がされていたそうで、それをひっくり返してフランスでつけたタイトルなんですって。当時はピアニストは貴重な存在だったのでなにかあったら大損失だったらしい。いやそれはわかるけど……じゃぁ他は撃っていいのか!? 撃たれてやむなしなのか!?
 きっとフランスの人も興味深く思ったからわざわざタイトルに使ったのでしょうね。


 そうそう、エディ兄弟を追う二人組フェザーとモーリスはかなり怖い人かと思ったら意外にズッコケコンビじゃない? モーリスなんか運転する相棒に「追い抜け!」とけしかけたと思ったら「信号をみろ!」って注意したりして。道交法遵守の悪党(笑)
 もうちょっと残酷なギャング風でもよかったんじゃないかと思うけど、加藤さんはどう思う?




加藤:何をもって「ノワール」と呼ぶかを定義するのは難しそうだし、そもそも僕が詳しいわけでもないけれど、この話の暗黒度はかなり低いと思うなあ。フィラデルフィアの酒場を舞台とした、主人公エディと彼をとりまく人々(おもに女性たち)との心の交流、そして彼の再生を描いた物語、として僕は読みました。畠山さんが書いている通り、敵役の二人組はサスペンスを盛り上げる役割ではなかったしね。
 現代ミステリーにおける「ノワール」というジャンルは、すでに、セリ・ノワールやフイルム・ノワールとは少し違うものになっていると思うんだけど、どうだろう。
 だから、本作は、未読の人にノワールだって紹介すると間違った先入観を与えそうだし、かといってミステリー成分もかなり薄い。
 老婆心ながら(男だけど)この本の魅力を、どの層にどう発信すべきかというのは営業的になかなか難しい問題なのではないかと思います。


 ちなみに、畠山さんが最初に書いた通り、作者であるデイヴィッド・グーディスはパルプ・マガジンの出身で、本書はもともとゴールド・メダルのペイパーバックオリジナル(ハードカバーなどの原著のない、多くは書き下ろし)。カバーはこんな感じ
 そして、セリ・ノワールに収録後、フランスでの映画化に伴い改題して、別レーベルから出たのがこれ
 これを日本で簡単に検索できちゃうって凄いことだよね。改めて小鷹信光さんの遺業に感謝です。
 もともとペイパーバック蒐集家だった小鷹さんが片岡義男さんにそそのかされ(?)ゴールド・メダル初期2000作の初版コンプリートを目指した、涙ぐましくも恐ろしきマニア道に興味のある方は『私のペイパーバック』を是非どうぞ。


 ところで、作中で徐々に明らかになるエディの過去の話のひとつに、ピアニストとしての前途が今まさに拓けようとしたときに兵役にとられ、最初の挫折を味わうというエピソードがあります。
 調べてみたら、当時のアメリカは日本と同じく全ての成年男子を対象とした徴兵制が敷かれていたようです。しかし、日本と決定的に違ったのは、18ヶ月という意外と短い兵役期間が割としっかり守られていたらしいこと。
 そーいえば、アメリカの戦争映画には「俺はあと〇日でココ(戦場)ともオサラバだぜ。ヒャッハー」みたいな台詞がよく出てきますよね。だいたいが死亡フラグだったりするんだけど。
 ちなみに第二次世界大戦末期の1945年、日本では就業人口に対する将兵の割合が90%を超えていたのに対し、アメリカは20%以下だったそうです。


 そんなこんなで、読書の楽しみ方っていろいろあると思うけど、特に翻訳小説は異文化、見知らぬ世界に触れる喜びに溢れていると改めて思う今日この頃。気になったことを調べるという作業もまた楽しいですね。
 昔のパイパーバックなんか、表紙を見ているだけでワクワクしてきます。


 いやー、それにしても4月は大漁だったなあ。ルへイン『過ぎ去りし世界』ロスマク『象牙色の嘲笑〔新訳版〕』ライアル『深夜プラス1〔新訳版〕』と、まさに俺得月間。ありがとう、早川さん。調子に乗って久しぶりに言っていい? 早川さーん、いい加減そろそろ原籙の新さkおいこら離せまだ言いtkp



勧進元杉江松恋からひとこと


 おお、ついに1/4達成ですか。おめでとうございます。


 それをノワールと呼ぶか否かはさておいて、1950年代アメリカ犯罪小説の代表格といえるグーディスは絶対一冊入れなければいけないと決めていました。彼の肖像についてはお二人が紹介してくださったのであえて繰り返しません。作品を見れば、読者の予想を裏切るプロット、内部に闇を抱えたキャラクター(逢坂剛氏がグーディスの『深夜特捜隊』を偏愛していることは有名ですが、歪みのあるキャラクターの投入によって物語が大きく動くという創作法のお手本のような小説です)、全篇に漂う虚無や絶望の感覚など、現代犯罪小説の祖形がここにあることは明らかです。ミステリー史を振り返ったとき、1950年代から1960年代半ばにかけての15年間で大西洋の東西において書かれた作品が後世にどのような影響を及ぼしたかは、もっと詳しく検証されるべきだと思っています。その意味でハヤカワ・ミステリから未訳のグーディスが刊行されたことはたいへん有益だったと思いますが、現在もっとも入手しにくくなっている『華麗なる大泥棒』もどこかで復刊が叶えば本当に喜ばしい。


 さて、次回はフレッド・カサック『殺人交叉点』ですね。こちらも楽しみにしております。


殺人交叉点 (創元推理文庫)

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加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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