第4回『五匹の赤い鰊』(執筆:畠山志津佳・加藤篁)

第4回:『五匹の赤い鰊』――貴族探偵が解き明かす複雑怪奇なロジックパズル



全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁
後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、時代を追ってミステリーの名作を読む「必読!ミステリー塾」、第4回目の今日はドロシー・L・セイヤーズ『五匹の赤い鰊』です。
セイヤーズが創り上げた超有名な貴族探偵デンヴァー公爵家の次男ピーター・ウィムジィ卿が活躍するシリーズの6作目。私はシリーズ第1作の『誰の死体?』を読んで以来、2度目のセイヤーズです。


五匹の赤い鰊 (創元推理文庫)

五匹の赤い鰊 (創元推理文庫)


舞台はスコットランドの片田舎。嫌われ者の画家キャンベルが川辺で死体となって発見された。当初は事故と思われたが、ピーター卿は他殺であることを看破する。キャンベルと諍いを起こしていた6人の画家の不可解な言動。犯人はこの中にいる――。
消えた自転車、列車で目撃された謎の男、信用しきれぬアリバイ、深夜に烈しく言い争っていたのは誰? そしてピーター卿が死体発見現場で探したものは一体何?・・・というガチなパズル系ミステリ


あちこちで自転車が消えては目撃され、ついでに鼠色の服の男も目撃されては消え(しかも別人なのか同一人物なのかわからない)、列車の時刻表が入り乱れ、西に向かう列車がグラスゴー行きだと思っていたら東に向かう列車もグラスゴー行きとわかって混乱をきたし、思わせぶりで怪しげな証言の時系列はゴチャゴチャになっていく・・・という脳内超パニック状態。
「バンター!巻頭の地図を飛び出す絵本にしてちょうだい!」と喚きそうになりました。
あ、バンターというのは主人公ピーター卿の従僕です。諸事万端遺漏なく、広い情報網と豊かな知識でナイスなフォローをしてくれる頼れる存在。バンターのいないピーター卿シリーズはあり得ないと断言してもいいくらい。


大雑把な性格の私にとって、この「かかってこいや!」と言わんばかりのロジック・パズルを読み進めるのは修行に近く、実際、折り返し地点あたりで一瞬ギブアップしかけました。さながら箱根駅伝でブレーキになってしまったランナー状態。いやしかし、なんとか襷を加藤さんに渡さねば、そしてお約束のわかりづらい昭和のネタでゴールテープを切ってもらわねば!
「バンター! ダシール・ハメット大場久美子の繋がりってなにっ!?」(※連載第3回『ガラスの鍵』をご参照下さい)


しかし、翻訳小説初心者の皆様ご安心召され。
こういう頭脳勝負を挑んでくるようなミステリー小説は、頭のいい読者の欲求を満たしつつ、面倒なことが苦手でおっちょこちょいで忘れっぽい読者(世の大半がそうであろうと信じたいのだが)もちゃんと楽しめるようになっているのです。
途中経過が多少あやふやでも最後は人好きのする田舎警察官たちの涙ぐましい奮闘に笑い、お気楽なピーター卿の爽快な謎解きに“へぇ”を連打いたしました。
それにしてもいくらピーター卿が有閑貴族&広く知られた名探偵だからって、あったりまえみたいに警察官を自分の劇団員みたいにこき使っちゃうとはねぇ。しかも意外に警察の皆さんがノリノリなので笑える。クラシックミステリはこういうのどかな時代を楽しめるところが好きです。


ピーター卿のお喋りも健在です。教養をイヤミで包んで洪水の如く溢れさせては嫌な顔をされることがしばしばある彼。それはそれでピーター卿だからこそできることとしてちょっとした快感を覚えるのですが、田舎が舞台の本作では地元の人が生温かく接しているというか、文学や歴史や雑学の引用なぞイマイチわからないから適当にスル―してると思われ、どことなく全体がのんびり穏やか。なのに謎の展開はめまぐるしくて複雑・・・というグッドアンバランスです。


話は変わりますが『五匹の赤い鰊』とは変わったタイトルです。セイヤーズを知らなかった時は海洋小説かと思っていた・・・のは私だけですね、ハイ、すみません。
これは「赤い鰊=Red Herring=偽の手懸り」というミステリー用語だそうで、ウィキペディアには「燻製ニシンの虚偽」というタイトルでまるで叙述トリックのような解説が載っておりました。本作では6人の容疑者の中に犯人が1人。だから残りの5人が“赤い鰊”なわけです。
ふっふっ・・・“知ったかぶりネタ”が一つ増えたゼ。これからは事あるごとに「これってレッド・ヘリングものでしょ?」と上から目線で言ってみたいものです。使い方を間違って赤っ恥をかく可能性もありますが。


加藤:気がつけば、もうすぐ6月。早いですねえ。そうそう、前回(第3回:ハメット『ガラスの鍵』)は、ついはしゃいでしまって申し訳ありませんでした。これから翻訳ミステリーに親しもうという若い読者に読んで欲しいのに、昭和ネタを連発してしまったことは痛恨の極み。今回からは通常運転に戻りますので、お許しください。
というわけで、『五匹の赤い鰊』です。もちろん初読で、ドロシー・L・セイヤーズそのものが初めてでした。ね、通常運転でしょ。
この手の本をほとんど読んでこなかった僕には、いろいろ新鮮な驚きがありました。


まずはコレ、翻訳者の浅羽さんが苦労されたであろう登場人物の変テコな話し言葉です。スコットランド人(ジモピー)とイングランド人(都会人)を区別するために、スコットランド人の話し言葉には語尾に「が」を混ぜて田舎者っぽくしているのですね。「〜するがです」「〜ですがね」「〜だがね」って、最後のほうはなんだか名古屋弁っぽい。
どうでもいいことですが、僕は名古屋読書会のメンバーではあるけど、住んでいるのは三河。それも愛知県の一番東側というかニューヨーク寄りというか。なので、いわゆる名古屋弁はそれほど身近ではないのだけれど、このスコットランド人たちの話し言葉は微妙に居心地悪くて困りました。でも、こういうのって、いかにも翻訳ミステリーって感じがして僕は大好き。スコットランド人しか登場しない場面なんかは、会話そのものがムサ苦しいのなんのって。


あ、今さらですが、ちょっとお断りを。僕はほぼ予備知識ゼロで、いきなりシリーズ6作目を読み、ここに至る経緯や事情を全く知らずに、これを書いているわけです。セイヤーズファンの皆さまには、言いたい事もあろうかと思いますが、ひとえに寛恕を願うばかりなのであります。


さて、話を戻して、次に驚いたのが、主人公ウィムジイ卿のキャラクターですね。殺人事件が起きてからの異様なテンションの上がり具合は凄かった〜。仕事として関わるのではなく、正義感に突き動かされているという風でもなく、なんだかもう楽しくて仕方無いという感じで事件に首を突っ込み、ほとんど警察をアゴで使っちゃう。被害者は嫌われ者とはいえ顔見知り、さらに容疑者も知り合いばかりで、なかには友人も含まれているのに、このノリノリな感じはどうなのよ? いつもこんな感じなのですか? イギリス貴族に我々シモジモの常識が通じないのは仕方ないにしても、この人ほんとに名探偵なの? って聞きたくもなります。


そこで僕はピンと来たわけですよ。あーこれは、あれだ、あのパターンだって。そしたら案の定、従僕バンターの登場ですよ。はい、出ました―。キレモノ従僕出ました―。あのねえ、オマエがただの従僕のわけがないだろう。この物語のキーマンにして真の名探偵だってことは、俺にはすっかり尾美としのりなんだよ。登場人物一覧の2番目に載ってる時点でバレバレだっつーの。残り30ページくらいのところでウィムジイ卿が関係者を集めて「この中に犯人がいます! あなたです!」「え? だって僕は犯行の時刻に、あなたと黒ひげ危機一発で遊んでたじゃないですか」「あれ? そうだっけ?」みたいな茶番があった後に「さしでがましいようですが、ちょっとよろしいでしょうか」とか言って登場して、水も漏らさぬ名推理を披露するのが貴様だろう。はっはっはっ、敗れたり、セイヤーズ
とまあ、勝手にこんな予断を持って読み進めたものですから、結末はある意味サプライズだったわけです。もしかしたら、他の話では僕の推理通りバンターが活躍したりするのかな?


畠山:黒ひげ危機一発って元々は樽に入れられた海賊仲間を助け出すというコンセプトで、海賊が飛び出たら勝ちだったらしいですね。そして商品名は「一髪」じゃなくて「一発」。
以上、どうでもいい情報でした。


ピーター卿にはバンターがいなくては話になりませんが、実は私にはもう一人お気に入りキャラがいます。それは、先代公妃! そう、ピーター卿のお母様! どこでも好きなように振舞っているピーター卿が唯一頭が上がらない存在です。チャーミングで機知に富み、おっとりした物腰でとんでもなく「毒」なことを仰る素敵女性。でも本作では残念ながらお出ましにならず、彼女の不在がこんなに寂しいものとは思いませんでした。


さて、読了後に落ち着いてよく考えてみると、本当に他の容疑者達の疑いがきれいに晴れたのかが怪しく思えてきました。ひょっとしてこれって連載第1回『毒入りチョコレート事件』に近いものがあるんじゃないだろうか? それに途中に挿入されているエラリィ・クイーンばりの読者への挑戦なんかを見ると、セイヤーズ女史って面白そうな手法ならどんどん取り入れる意欲的(もしくは真っ向勝負にでるチャレンジャー)な性格の方だったんでしょうか?
と同時に、けっこう文中にカッコ書きで(◯◯の間違いか)という注釈が入っていて、案外そそっかしかったりもするのかも・・・と思うと妙な親近感も湧いたりします。


そうそう、大事なことを忘れてました。
教本にしている『海外ミステリー マストリード100』の発売が2013/10/23だったのですが、なんと半年経たないうちにこの『五匹の赤い鰊』は品切れになっていました。私は古本屋さんに頼って入手した次第。この連載で取り上げたパーシヴァル・ワイルド、ダシール・ハメットも入手困難な作品が多いのは残念なことです。
というわけで、『五匹の赤い鰊』の復活を願いつつ(ぜひ皆様にもこの本を読んで大いにこんがらがっていただきたい!)セイヤーズの代表作『ナインテイラーズ』を現在読書中。こちらでも浅羽さんの「〜でのす」という、こってこての訛りを駆使した翻訳が冴えています。そして情報によるとバンターは「寄席の物真似がずば抜けて上手」らしい・・・やるな、バンター(笑)


加藤:この本にはいろいろ驚かされたけど、やはり一番は、いわゆる「読者への挑戦」がいきなり出てくるところでしょう。それが、まだ心の準備ができていないホントの序盤なんだもん。コーヒー噴くっちゅーねん。
それは事件が起きたばかりの44ページ。ウィムジイ卿が事件現場で「ある物」を探すように巡査部長に指示するのですが、その「ある物」が何かを読者には教えてくれないのです。そして、そこにはこう書かれておりました。
「頭のいい読者諸君は詳細を聞くまでもないと思われるので、このページから省略させていただく」。
こーゆーのに慣れてない僕は、ここでハタと立ち止まってしまったわけです。だって、何一つ思いつかないんだもん。俺、何か大事なことを見逃しちゃった? しかも、こんな序盤で。このまま読み進めていいわけ? って。
おそらく、これから読む方々も同じ箇所でつまずくと思うので、ネタばらしの誹りを覚悟で言っちゃいます。この時点では分からなくても大丈夫。てか、分からなくてフツーです。それ以前に、これをあえて読者に隠した意味が僕には分からない。
うーん、恐るべし、セイヤーズ。 嘘だと言ってくれ、チャゲ&飛鳥。(それはSAY YES)(ついでに言うと前回の大場久美子はハメットではなくコメットさんです、というオチでした


しかし、こんなところで立ち止まっていたら時間がどれだけあっても足りません。何故なら、畠山さんも書いている通り、この後から思わせぶりでややこしい物証や証言がこれでもかってくらい登場し、大変なことになるからです。告白すると、僕はかなり早い段階で、自分で推理するのを諦め、あとは、この状態からどう風呂敷を畳まれるのかという興味で読みました。


まあ、そんなこんなで初心者の方にはなかなかハードルが高いと思われる本書ですが、僕からアドバイスするとしたら、あまり考えずに、とにかく先へ先へと読み進めなさいってことですね。楽しみ方は人それぞれ。犯人を当てることだけがミステリーを読む目的でも醍醐味でもないんじゃない?

では、最後に僕から読者の皆さんに挑戦です。今回取り上げたドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジィ卿シリーズ6作目のタイトルは何だったでしょうか? 声に出して言ってみてください。「えーと、ごしきのあかいいわし?」江戸っ子か! てか、間違ってるし!



勧進元杉江松恋からひとこと

 ドロシイ・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ・シリーズは、1990年代のミステリー・ブームに全作が訳出されました。それまでも『大学祭の夜』『忙しい蜜月旅行』などの諸作が散発的に翻訳はされていたのですが、それだけではシリーズの全貌を掴むことは難しく、特に代表作『ナイン・テイラーズ』は大部であることも手伝って、なんとなくハイブロウでハイソ(貴族だし)というイメージがあったのです。1990年代に初期作品が読みやすい訳で提供されたことでファンも増え、軽快な探偵小説といった趣きの前期から、人間喜劇の側面が掘り下げられて深みが出た後期への移行過程も明らかになりました。主人公ピーター・ウィムジイ卿は第5作『毒を食らわば』で運命の女性ハリエット・ヴェインと出会い、以降は彼女との関係を描くことがシリーズの主たる関心事の一つになります。そうした形でキャラクターの個性が際立てられ、単なる推理機械ではない探偵の魅力を味わえるのが本シリーズの美点でもあります。
 本作『五匹の赤い鰊』は、そういったシリーズの流れからは独立した、異色の作品でもあります。本文中でも指摘されているとおり、謎解きの趣向は本作の2年前に発表されたバークリー『毒入りチョコレート事件』や、クリスチアナ・ブランドの諸作とも共通点を持っています。ピーター卿の出演作なら『ナイン・テイラーズ』だろう、いや第1作『誰の死体?』から順番に読むべきではないか、といった声が出るのを承知で本作を選んだのは、この謎解きの趣向に選者が魅力を感じているからです。フィクションならではの技巧をぜひお楽しみください。
 さて次は大物、エラリー・クイーンシャム双生児の秘密』ですね。期待しております。


加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。


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