第五十三回はローラ・リップマンの巻(執筆者・三角和代)

 梅雨に入ってからだと品薄になってしまうらしいので、早めにレインブーツを新調しました! リバティ柄で数色が使われているからどんな服でも合せられる、貧乏性なんでそう考えたんですが(あはっ)、わたしはこの色でいくとこだわって選ぶ人もいますよね♪


 だめだ。カラ元気を出そうとしたがだめだった。ない、既訳が1冊も残っていない、単発よおまえもか、と気づいたときの寂しさ……雨模様のハートで取りあげるのは、エドガー・アラン・ポーの眠る街ボルティモアを舞台にしたリップマンの私立探偵テス・モナハン・シリーズ。8作目『ロスト・ファミリー』に続いて"No Good Deeds"(2006)、"Another Thing To Fall"(2008)ときて、緑は危険とむかし誰かが言ったとか、今回ご紹介するのは現時点での最新作"The Girl in the Green Raincoat"(2011)です。


The Girl in the Green Raincoat: A Tess Monaghan Novel

The Girl in the Green Raincoat: A Tess Monaghan Novel

The Girl in the Green Raincoat: A Tess Monaghan Novel (English Edition)

The Girl in the Green Raincoat: A Tess Monaghan Novel (English Edition)


 テロリストの人質にされた、2か月ここから動けない――親友のホイットニーに電話で囁くテスを、恋人のクロウは自分たちの未来の娘に対して素敵な言い草だねとたしなめる。長時間の張り込みを続けていた無理がたたったのか、テスは倒れてERにかつぎこまれ、早産のリスクが高いと予定日までは自宅で絶対安静を命じられてしまうのです。時間がほしい、好きなだけ読書をして映画を観ることができたらどんなにいいかと言いつづけてきたけれど、そもそも学生時代にボート競技をおこなっていた体育会系でもあるし、じっとしているのが退屈でしかたがない。
 そこで窓の外をながめます。自分も2匹犬を飼っているテスの目に留まったのは鮮やかな緑のレインコートの女と、誂えたらしい高そうな同じ色の服を着ているまだ小さなグレイハウンド。双眼鏡を手に入れ、毎夕、緑のコンビをウォッチするのが日課になっていたのですが、ある日ふと目を離した隙に、リードを引きずって犬だけが森へ走る姿が。どこを見ても女の姿はない。次の日も、その次の日も姿を見せず、彼女はふっつりと消えてしまった。絶対おかしいと考えたテスは周囲に『裏窓』ごっこかと言われても、『時の娘』の主人公のように自分もベッドにいながら、まったく身元のわからない女の行方を突きとめようと決意する。


 さあ、テスはどこから調査に取りかかったでしょ? ほかの人の手とインターネットも駆使ではありますが、安楽椅子探偵のスタイルで邁進です。ひさしぶりにリップマンを読んだんですけど、この作品については犬も大活躍でダークな部分のあるコージーといった趣で謎解きにも意外性があるし、なにより会話が軽妙。勤めていた新聞社が倒産してから探偵事務所を構えるまで、仕事の上でも私生活でも揺れていたテスがずいぶんと頼もしくなり円熟しました。でも、妊娠はテスにとって思いがけないことだったので母性とやらは感じないなと焦りを覚えていたり、以前はうるさいくらい結婚しようと言ってきた恋人がさっぱりそれを口にしなくなったことをひそかに気にしていたり、子育てと大好きな探偵の仕事の両立ができるかと想像するとブルーになったりと悩みが尽きることはない。社会をひっくり返すようなおおごととは無縁、けっしてスーパーウーマンではなく完全無欠のヒロインでもなく地道に調査を重ねていくテスの魅力は、自分の立った場所で自分なりの方法でそのときどきの問題に対処していくしかないのだ、ということをユーモラスに柔らかく語っているところ。今回はテスの周囲の人々のエピソードもすばらしく、固ゆで卵ではなく一人称でもありませんが、彼女は優れたprivate EYEなのです。


 気になったかた、短めですし読みやすい文章なので原書で挑戦しやすいと思います。193ページ(Kindle版)と通常の半分くらいのボリュームです。本の形になったのは2011年ですが、初出は2008年のニューヨーク・タイムズ・マガジンの連載なんですね。著者あとがきでリップマンはT・S・エリオットの〝未熟な詩人は〜〟の名言を引用して着想について語っています。もちろんヒッチコックやジョセフィン・テイの影響があるのですが、20年以上前、海水浴中カニに指を切断されそうになってひと夏松葉杖をついた体験が関係しているとか。ほかにも連載にあたって工夫したことなど創作秘話が充実していてこの著者あとがきは読み応えありなので、そういう意味でもお薦め。リップマンはもちろん現在もコンスタントに作品を発表していますが、最近は単発作品がメインになっているので、次のテス・シリーズは気長に待ちたいものです。



三角和代(みすみ かずよ)

レインブーツはじつは夏フェス用さ。訳書にジョンスン『霧に橋を架ける』(近刊)、プール『毒殺師フランチェスカ、カーリイ『イン・ザ・ブラッド』、サントーラ『フィフティーン・ディジッツ』、テオリン『赤く微笑む春』、カー『曲がった蝶番』他。ツイッターアカウントは @kzyfizzy


ロスト・ファミリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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No Good Deeds (Tess Monaghan Novel)

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Another Thing to Fall: A Tess Monaghan Novel

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緑は危険 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-1)

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裏窓 [DVD]

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時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

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霧に橋を架ける (創元海外SF叢書)

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毒殺師フランチェスカ (集英社文庫)

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イン・ザ・ブラッド (文春文庫)

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フィフティーン・ディジッツ (角川文庫)

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赤く微笑む春 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

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曲がった蝶番【新訳版】 (創元推理文庫)

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