シャーロックレイジー(執筆者・北原尚彦)
第1回 ホームズvs.ゾンビ
ご指名に預かりました北原尚彦と申します。4週間、よろしくお願い致します。自分はたぶん、これまでにこのコーナーに登場した翻訳者の中でも、最も異色な部類だろう、と思います。翻訳だけでなく、創作をしたり、古本エッセイを書いたりと、マニアックながらも手広く執筆活動を行っていますので。
ここでは何を書いてもよい、という有難い言葉を頂いてはいるものの、そうすると全くとりとめがなくなってしまいます。ですから翻訳ミステリーのサイトということを勘案し、シャーロック・ホームズの話、ということにいたしましょう。
シャーロッキアンとしてここに至るまでを順に追うのが筋かもしれませんが、たまたま訳書が──それもかなり異色の訳書が──出たばかりなので、その話をする方が時宜を得ているでしょうか。
というわけで、『ヴィクトリアン・アンデッド シャーロック・ホームズvs.ゾンビ』(小学館集英社プロダクション)です。……そんな翻訳小説知らないぞ、という方もおられるでしょうが、それも道理。これはマンガ──いわゆるアメコミなのです。イアン・エジントン作、ダビデ・ファッブリ画。
自分はシャーロック・ホームズのパロディやパスティーシュが大好きなのですが、わけても「対決物」に目がないのです。小説で言えば、エスルマンの『シャーロック・ホームズ対ドラキュラ』とか、ウェルマン親子の『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』とか、エラリー・クイーンの(対切り裂きジャック物の)『恐怖の研究』とか。
なので、アメコミでも対決物は極力追いかけてきました。透明人間と戦うものやら、火星人のウォー・マシンと戦うものやら。
そして2年前の2010年、ネット書店の近刊予告で見つけたのが、『VICTORIAN UNDEAD: SHERLOCK HOLMES vs. ZOMBIES』なるコミックです。表紙は、ゾンビと化したホームズ。見るからにゲテ物……。これはもう、わたしとしては買うしかありません。予約してひたすら待ちました。(正確には、一冊にまとまっていない雑誌タイプのものは既に出ていたのですが、わたしは単行本タイプで欲しかったのです。)
遂に発売となり、本が送られてきました。ぱらぱらっと中身を見て、わたしは思わず唸りました。絵のレベルが、非常に高かったのです。アメコミではなく「マンガ」を読みなれている日本人にも、これならすんなりと受け入れてもらえるのではないか、と思われました。
実際に頭から読んでみると、ストーリーもよく出来ていました。シャーロック・ホームズの原作の要素もうまく織り込まれており、シャーロッキアンでも納得するでしょう。
これはもしかしたら、日本に翻訳紹介できる可能性があるのではないか。そう考えたわたしは、アクションを起こすことにしました。
しかし、色々な仕事をしてきたわたしではありましたが、アメコミ関係だけはなく、出版社にツテがありませんでした。そこで、アメコミに造詣の深い堺三保氏に相談しました。そして紹介してもらったのが、小学館集英社プロダクションの編集者Y氏だったのです。
ちょうどロバート・ダウニーJr.の映画でシャーロック・ホームズが盛り上がっている一方、今も続くゾンビ・ブームが盛り上がってきたところでした。なので編集氏に「これは絶対ウケます!」と力説した次第です。
最初の打ち合わせからは少し時間が経ってしまったものの、奇跡的にもこの企画が同社で通ったのです。『ウォーキング・デッド』等のおかげでゾンビ・ブームが、『SHERLOCK(シャーロック)』等のおかげでホームズ・ブームが続いていたのも幸いでした。
いよいよ実際の翻訳作業に入ります。ちょっとタイトなスケジュールだったので、総ページ数を日数割りして、一日のノルマを決めました。しかしそこはコミック。アクション主体のページは、効果音ばかりでセリフが少なく「ラッキー!」ということもありました。なので、最終的には予定よりも早く訳了できたのです。
しかしひとつ困ったことがありました。文字が細かくて、普通に読む分にはいいのですが、訳していて時々カンマとピリオドの区別がつかないのです。これはもちろん、こちらの老眼のせいでもあるのですが。
眼鏡は以前から遠近両用にしていたものの、今回、これのために拡大鏡を導入しました。といってもシャーロック・ホームズが所持しているイメージの「虫めがね」然としたタイプのものではありません。同心円状の溝によって拡大レンズになる、シート型のものです。映画『未来世紀ブラジル』に出てきたみたいなやつ、と言えば分かって頂けるでしょうか。とにかく、これのおかげで翻訳作業がはかどるようになりました。
コミックなので、セリフは「ふきだし」の中に納めねばなりません。なるべく文字数が少なくなるよう訳しました。分かる場合は主語も削ります。
……そんな苦労もあった作品ですが、ゾンビにふさわしく10月31日のハロウィンに発売となりました(奥付は11月7日ですが)。自分で作品を見つけ出し、自分で企画を持ち込み、自分で翻訳した作品だけに、感慨もひとしおです。
翻訳ミステリーのファンだけど『フロム・ヘル』や『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』のようなアメコミは読む、という方、ご一読頂けると幸いです。
◇北原尚彦(きたはら なおひこ)。東京生まれ、東京在住。青山学院大学卒。主な訳書は『ドイル傑作集 全5巻』(共編訳)『シャーロック・ホームズの栄冠』他。主な小説は『首吊少女亭』『死美人辻馬車』他。主な古書エッセイは『古本買いまくり漫遊記』『SF奇書天外』他。主な編書は『怪盗対名探偵 初期翻案集』他。 |
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