翻訳書生気質(執筆者・西崎憲)

 

3 誤訳

 
 人における死のように翻訳者における誤訳は必然である。翻訳をやる者たちのただの一人も誤訳から逃れることはできない。
 たぶんそう言い切ってもいいと思う。もちろん複数で臨むという場合にはだいぶその割合を小さくできるかもしれないが。
 
 第三回のテーマは翻訳者につきまとう影もしくは宿痾といった趣の「誤訳」である。
 永年に渡って少なくない数の翻訳者が誤訳に関する書籍を著してきたが、誤訳への特効薬的な対策がないことは明らかになるばかりである。
 しかし、誤訳はもちろん主に知識の不足から生じる。知識を増やしていくごとに誤訳が減っていくこともまた確かなので、その点で誤訳に関する本は掛け替えのないものであり、翻訳を仕事とする人間は刊行されているものにはすべて目を通すべきではないだろうか。
 私自身が翻訳を勉強中にとくに恩恵を受けたと感じたのは、別宮貞徳さんの「欠陥翻訳」シリーズ、 中原道喜『誤訳の構造』、河野一郎さんや古賀正義さんの著作などだった。いずれもメモをとりながら読んで、重要な知識を得ることができた。たとえば so much や so many が「〜と同数」「それだけの」の意味であること、aloud が古文でないかぎり「大声で」ではなく「口に出して」であること、 the best part of the holidays が「休暇の最良の部分」ではなくて「休暇の大部分」であることなどで、初心者がおかす間違いはそれで防ぐことができた。
 とにかく誤訳には人に指摘して貰わないといかんともしがたい面があるので、河野一郎さんや越前敏弥さんの誤訳関連の本が、大きな書店であればたいてい手に入る現在の状況は悪くないように思う。
 そう、誤訳は人に指摘してもらわないといけないのだ。
 難しい語や言いまわしであれば、もちろん辞典を引き、インターネットで調べるだろう。だからそれは一応は問題ないとも言える。
 問題は自分が知っていると考えている語である。一番おそろしいのは知識が不足していることを自分で知らない場合なのである。
 
 たとえば、nice や good には思わぬ使い方があったりする。
  a nice negotiation の nice 「微妙な、むずかしい、手腕を要する」で、He is nice about food は食べ物にやかましい」である。
 This is a nice long one で「長くてちょうどいい」である。いずれもリーダーズ英和辞典からの引用である。
  good もほんとうに注意が必要な語である。たとえば good and hungry 「腹ぺこで」などはいかがだろう。
 book が「馬券帳」でもあることは知られているだろうが、では shut the books 「取引を中止する」というのはどうだろう。in sb's book で「〜の意見では」というのもある。
 
 複数になると意味が変わる語についての知識は十分だろうか。color はむろん色であるが、colors は国旗でもある。
 effectは「効果」であるが、effects になると「動産」の意味もある。part なども少し紛らわしい。parts として「才能」と使うこともある。
 
 単語だけではない。婉曲語法や反語や冗談などはどうだろう。
 He is very clever はつねに字義通りの意味にとっていいのか。beautiful woman はいつも「美しい女」でいいのか。皮肉で言っているのではないか。
 
 階級による語の使い分けに関してはどうだろう。
 トランプのジャックを中流以下の者が使う jack ではなく knave の語で呼んでいることに、登場人物の特性が暗示されたりしてはいないか。
 
 省略記号にも問題はある。ellipsis marks はもちろん forever. . . といったふうに、ピリオド三つで終わるが、省略したままで文が終わる場合は forever. . . . と四つ打つ。三つと四つの訳し分けは出来ているだろうか。
 
 少なくとも私はこれらの一部を自分で気がつくことはできず、そのためにずいぶん痛い思いをすることにもなった。指摘を受けた時は、顔から血の気が引く音が聞こえるくらい衝撃を受けた。しかしまあ失敗しないと分からないということはあるのだ。
 おそらく、こうした自分の知識不足のために生じる誤訳が、翻訳者の最後の敵ということになるだろう。対抗するにはひたすら学び、経験を積むしかない。
 しかし、単語レベルにかぎって言えば、地味な作業になるが、大きな辞典で主要単語をチェックしなおしたりといったことは有益かもしれない。
 
 どうも誤訳に関して書いているとだんだん気が滅入ってくる。せめて楽しい誤訳でも少し紹介しておこう。
 
 これまでで一番心温まる気持ちになった誤訳は、ある怪奇小説に出てきた two storied house という語の訳だった。
 その時の訳者はこの語を「二つの因縁のある家」としてきた。
 storied にはもちろん「物語で名高い」などの意味がある。しかしその時はもっと一般的な意味のほうであった。つまり「二階建ての屋敷」だった。
 けれど、いかにも怪奇小説に現れるにふさわしい誤訳であったことにその時は覚えず頬が緩んだ。
 
 私自身がおかした誤訳でいまでも興を覚えるのはこういうものである。
 
 I. . . I. . . I didn't.
 
 私はこれを「私は、私は、やらなかった」というふうに訳した。
 けれど、後でこれが吃音の表現である可能性に思い当たった。だからこれは「わ、わ、わたしはやらなかった」とするべきではなかっただろうか。ほかの方の意見を伺いたいところでもあるが。
 
 最後に誤訳そのものではなく、誤訳から派生することについて少し書かせていただこう。
 
 誤訳の指摘は残念ながら揉めごとに発展しやすい。
 望んで間違える人はいないわけであるが、結果として現れた誤訳はいかにも不真面目で手抜きで劣等のものに見える。だから勢い指摘するほうの語調も厳しくなる。
 しかし、私たちは誤訳を指摘する時は告発者の語調ではなく、医師のそれを採用すべきだろう。
 誤訳を知識が不足しているために起こる症状と見るのだ。そうすれば指摘する者も、される者も、それを見る者も、不愉快になる事態は避けられるのではないだろうか。
 
 外国語の小説の文章を解釈するというのは言うまでもなく途轍もない難事である。冒頭に記したように個人の力では克服するのは相当に難しい。
 けれど、古典にかぎっては明るい展望もないわけではない。
 繰り返し訳される古典は、見方を変えれば複数の訳者によって訳されたようにも見える。
 古典を訳す時、そして先行訳を見る時、私は自分が独立した存在ではないように思う。翻訳という技能を代々受け継いできた部族の一員であるような気がするのだ。そしてその感覚はむろん悪いものではない。
 


西崎憲(にしざき けん)。青森県生まれ、東京在住。訳書にチェスタトン『四人の申し分なき重罪人』、バークリー『第二の銃声』、『エドガー・アラン・ポー短篇集』『ヘミングウェイ短篇集』など。2002年にファンタジーノヴェル大賞受賞。小説に『蕃東国年代記』、『ゆみに町ガイドブック』など。近刊に『飛行士と東京の雨の森』(仮題)。音楽レーベル dog and me records 主宰。
 
特選 誤訳・迷訳・欠陥翻訳 (ちくま学芸文庫)

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誤訳の構造

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