扶桑社発のひとりごと 20110617(執筆者・扶桑社T)

第14回


 前回は、ブックフェアで行なわれる著作権ビジネスについてご説明しました。
 翻訳出版をしている出版社には、さまざまな形で新作が届くわけですが、では、編集部ではそのマテリアルをどのように検討しているのでしょうか。


 読者のみなさんのなかには、編集者が原稿をすべて読んで決めると思われているかたもいらっしゃるかもしれません。
 まあ、プロポーザル(第12回参照)ぐらいなら問題ありませんが、フルレングスの原稿やプルーフになると悩ましいところです。
 英語が堪能な編集者なら、自分ですらすら読んでしまうでしょうが、わたしなどは、ほとんどプロの翻訳者さんに読んでもらっていました(ほかの出版社さんでも、一般的にはそうだと思います)。
「なんだ、手抜きだな」と思われるかもしれませんが、ま、これは、編集者が自分の能力よりも翻訳者さんを信頼しているということでもありますね。原書を読むことにかけては、プロの翻訳者さんのほうが、編集者よりも上です(あたりまえですよね)。ですから、内容や文章の善し悪しを的確に見きわめてもらえるのです。
 それに、たとえばミステリーであれば、ミステリー翻訳経験の長い訳者さんに頼めば、そのジャンルのなかでの価値も判断してもらえます。
 すでに既訳がある著者のものであれば、以前にその作家の作品を手がけた翻訳者さんに頼むことも多いですね。その作家の作品について、翻訳者以上に熟知している人はいないでしょう。
 さらに、最終的にその作品の権利を取得した場合、読んでもらったかたにそのまま翻訳を頼むことができます。仕事を受けるほうも、すでに読んで内容がわかっているので、取りかかりやすいという利点もあるわけです。


 読んでもらった翻訳者さんには、内容と感想・評価をまとめて文章にしてもらいます。分量は、A4でプリントアウトして4〜5枚程度から、十数枚になることもあります。
 これを「リーディング・レポート」、略して「リーディング」と呼びます。「この原書、リーディングしてください」なんていう遣いかたをします。あるいは、「この原書、レジュメ切ってください」とか。そういえば、なぜかレジュメは「切る」と言いますね。印刷用語からの転化でしょうか?


 さて、この「リーディング」は、ひじょうに重要です。なにしろ編集者は、これを頼りに作品の権利を取得するかどうかを判断するわけですから。
 まず、ストーリーについて、詳細に説明してもらわなければなりません。オチはもちろん、そこにいたる伏線の張りかたや個々のキャラクターについても把握できるように書いてもらいます。
 そして、じっさいに読んでみての感想もまとめてもらいます。これも大事。全体の雰囲気はどうか、ダレるところはないか、展開に無理はないか、クライマックスの盛りあがりは、読後感はどうか、といった読み味について教えてもらうのです。
 もちろん、こういった感想には個人差がありますよね。ある人が読むと、キャラクターをうまく書きこんであるな、と思われることが、べつな人にとってはダラダラした記述に思えたり、とか。それでも、ここはリーディングするかたを信頼します。
 とはいえ、編集者は翻訳者さんとはちがった角度から作品を捉えたりしますので、レポートをもらったあとも、さらに補足的な質問をしたり、細かい部分についてもうすこしくわしく教えてもらうこともよくありますね。
 ほかに、著者や作品についての周辺情報もほしいところ。まあ、このへんはインターネットを使って編集者でもそれなりに調べられますが。
 つまり、リーディング・レポートをとおして、編集者としては作品をできるだけ完璧に把握しようとするわけです。
(このへんのことは、ちょうどアメリア・ネットワークさんの「Amelia」6月号で、「レジュメの役割――出版企画書の書き方」という特集をされています。翻訳家志望のかたはご参照ください)


 ところで、このリーディングの評価が甘くなる訳者さんがいるという話を聞きます。
 これは、正直、わからないでもないのです。わたし自身も、原書を読もうとすると、1文1文に引きずられて、日本語の文章の場合よりもていねいに読んでしまうため、よりじっくり読みこんでしまって、結果的に評価が高くなってしまいがちなのです。もっとも、プロの訳者さんは、読み飛ばせる力があるので、むしろ話が逆かもしれませんが。
 それよりも、仕事としてレジュメ作成を受ける場合には、べつな問題があるのです。先ほど触れたように、リーディングした本の権利が取得されれば、翻訳の仕事に直結するのですね。そのため、ついつい作品の長所が強調され、いっぽうで欠点が抑えられたりするんです。
 しかし、作品を選ぶというのは、翻訳出版の基礎となる部分です。会社の予算を使って権利を取得し、本を作るのですから、いわば生命線です(本を作るリスクについては、第3回でお話ししました)。
 ですから、リーディングをまかされた人間の責任は重大です。できるだけきびしい評価が必要になるのです。


 この事情は、翻訳家さんにとっても、けっきょくはおなじだと思います。
 翻訳を依頼されれば、数ヵ月という時間をかけて作品とつきあうことになります。ですから、気に入らないものよりは、自分でもいいと思える作品を手がけるに越したことはないでしょう。
 それだけでなく、その訳者さんがリーディングして高い評価をしたために、出版社は権利を取得したわけですから、作品を翻訳出版する作業にたずさわってもらうのは当然ともいえます。


 というわけで、これまでは新作の選びかたについてお話ししてきましたが、翻訳出版では、過去の作品を手がけるケースもあリますよね。
 次回は、そのへんの事情についてご説明してみます。




扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro


●扶桑社ミステリー通信

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