第十五回:『空白の時』


 87分署攻略作戦第十五回は、シリーズ初の短編集『空白の時』です。87分署シリーズは長編五十三に対して短編が十強と極端に長編寄りのシリーズですが、マクベインの短編作家としての実力はどうなのか。お手並み拝見といきたいと思います。

 安アパートの一室で、女の死体が発見された。家具もろくにない粗末な部屋に住みながら、彼女は二つの銀行に驚くばかりの金額を預金していた。果たして彼女の正体は? そして殺人犯は誰なのか?(「空白の時」)四月一日、エイプリルフール。ユダヤ教のラビが殺され、教会の壁にはペンキで、“J”の一文字が残されていた。(「“J”」)休暇を取って恋人とスキー旅行に出かけたコットン・ホース。しかし、事件は起こった。スキーリフト上の殺人を目撃したホースは地元警察と対立することに。(「雪山の殺人」)


 以上の三編を収録。いずれも文庫で100ページほどの作品なので、短編というよりむしろ中編と呼ぶべきかもしれません。
 「空白の時」および「“J”」は87分署管区で起こった事件を描いた作品です。この二作品のうち、前者は独立した短編というよりも、むしろ長編の一部を切り出した作品と考えた方がしっくりくるような気がします。この作品では冒頭から、アイソラの街を女に例えたり、例のごとくの美文調で滔々と語ってしまうマクベイン節が炸裂。迷宮入りギリギリまで行きながらも、証言に見られる微かな違和感から犯人が仕掛けたトリックを暴き出すというプロットは非常によく出来ています。ただ書きこみ不足なのか、被害者とその親友という女性を含め、事件関係者の人物造形にに生彩が欠けているのが残念です。
 ところでこの作品にはクリングが登場しますが、彼が「恋人にアクセサリーを買うべく何を買うかキャレラに相談する」というシーンがあります。これは多分クレアのことでしょう。このことからも「空白の時」が『クレアが死んでいる』以前に書かれた作品であることが分かります。このようなエピソードを増やすこと。人物造形をブラッシュアップすること。そして「空白の時」という言葉の意味をもっときちんと説明し、作品との結びつきを示すこと。だいたいこんな感じで一本長編が書けてしまうのではないかなあ。マクベインには長編の原型となる中編も多いらしいので、この作品も長編化して欲しかったですね。


 「“J”」は、マイヤー・マイヤーが主役を張る作品です。彼の特徴の一つであるユダヤ教徒というファクターをフルに活用した作品で、ユダヤ教の教会における風習を説明しつつ、ラビ殺しの謎に迫っていきます。アイソラの街に生きるマイノリティの立場、そして宗教的に互いに分かりあうことの難しさを切実に感じさせる、なかなかいい作品です。ただ一点、決定的な問題点を上げるとすれば、それは裏表紙のあらすじです。うーん、またかよと言わざるをえませんな。この本のあらすじはほとんどが表題作に触れたものなので、「“J”」についてはわずか一行、十四文字分しか書かれていません。しかしながら、この一行が命取り。この作品の真相に抵触する十一文字のキーワードをばっちり収録しているので、先にあらすじを読んだ人は泣きます。具体的には私です。嘘あらすじも罪深いですが、絶対に書いてはいけないことを敢えて書いたあらすじにはかないません。私自身も、書いていいことといけないことをよくよく考えてあらすじを考えなければならないな、とつくづく思い知らされます。


 「雪山の殺人」はあらすじでも書きましたように、87分署管区からは遠く離れたスキー場で起こった殺人事件を扱ったものです。しかし、これがまたつまらない。重くなりがちなキャレラに対して、コットン・ホースは一筋だけ白髪の赤毛巨漢で女にモテモテという軽妙を絵にかいたようなキャラクター。二人のコンビは非常にうまい具合に噛みあって面白い。ただしホースは一人になるとどこまでも薄っぺらな軽薄警官になってしまうんです。まったく無意味に地元警察の偉い人と対立してみたり、私立探偵バリに頭を殴られて気絶してみたり。長い付き合いのはずの彼女にもこれだと振られそうな勢いです。あらすじには「犯人の意外性を秘めた」と書いてありましたが、この程度の意外性なら今日日ありふれてしまっていて、驚くということはありませんでした。


 ということで、いい作品ちょっと残念な作品相当残念な作品と、出来がバラバラなので、マクベインが短編作家としてどうかということは今回は判定不能でした。もしこれから読もうかという人がいましたら、裏表紙あらすじは見ずに可能ならカバーをはずしてお読みくださいまし。


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。