扶桑社発のひとりごと 20110128(執筆者・扶桑社T)

第6回


 前回、海外と日本の出版システムの大きなちがいについてお話ししました。それは、アドバンス(印税前払金)を払うことと、実売で印税を計算することでした。そして、このような異なるシステムの狭間に立つ翻訳出版には、いろいろな困難がともなうのです。


 翻訳出版では、ある原書の権利を取得しようとして、複数の出版社が競合することがあります。おもしろそうな本だと思えば、争奪戦になるのです。
 そうなった場合には、もっともよい条件を出した出版社が落札することになるのですが(まれにそうではないこともありますけど)、決め手になるのは、おもにこのアドバンスの金額です。
 アドバンスというのは、印税に付随して決まるものです。本が売れれば売れるだけ印税は高くなりますから、つまり、この本は売れる! と思えば、それだけアドバンスも高くできる理屈です。いいかえれば、その本に対する出版社の姿勢がアドバンス額に現われるわけです。


 じゃあ、アドバンスってどうやって算出するの、ということになりますが、初版の原著者印税額(定価×部数×原著者印税)にもとづくのが基本でしょうね。
 たとえば、定価1000円で1万部作る本の場合で考えてみましょう。
 かりに原著者印税を7%とすれば、初版印税は70万円になりますが、これは制作部数にもとづいた日本式の計算。翻訳出版は実売印税が基本ですから、制作部数よりも、「何部売れるか」で考えなければなりません。
 制作部数に対する実売率は6割ぐらいで計算したいところで、そうなると6000部×7%で、56万円。1ドル=80円台のレートで計算すると、4500ドル前後ですか。
 もっとも、百ドルの単位まで細かく出すことはすくないので、この例だと、「アドバンスは5000ドルで」なんてことになりますかねえ。


 とはいえ、これはあくまで出版社側での試算。
 先に述べたような他社と競合する場合や、有名作家の作品や注目作だったりすると、アドバンス額をもっとあげなければならなくなります。
 こういうときは、出版にかかる総額のなかに溶けこませて計算したりして、通常よりも多額のアドバンスを捻出する裏技が使われます。ええと、このあたりはほんとうに各出版社のブラックボックスでもありますので、あまり踏みこみません。
 ただ、数字のマジックを使わないと、原権利者が望むような金額は出ないことも多いのです。
 アメリカでは「6-figure」とか「7-figure」という言葉があります。すなわち、アドバンス額が6桁とか7桁(もちろん、ドルですよ)という契約ですね。最近では、ジャネット・イヴァノヴィッチが新作4作をまとめて5000万ドル(計算してみてください)で契約したというニュースもありました。


 こういった金額を初版だけでペイするのは、さすがに難しい場合も出てきます。そこで本国の版元は、さまざまな権利を抑えて、アドバンスの出費をなんとか補填しようとします。日本をはじめ各国へ翻訳出版権を得る、というのも、そのひとつですね。
 こうなると、海外へのセールスの圧力も強まります。少しでも高く売ろうとしますから、買う側としてはやりにくくなります。こちらもまた、多めのアドバンスを払うことになったりするわけです。


 さて、前回お話ししたように、じっさいに本を出版したあとは、毎年の実売部数をもとに印税を算出し、その額がアドバンスを超過すれば、そのぶんを原著者に支払うという作業をします。
 ところが、上のような事情で、実売がアドバンス額に追いつかないことも多いのです。これは、出版社から見れば、その本の本来の実力にくらべて、過剰にアドバンスを払ってしまったことになります。
 重版できれば、追加印税を払えるようにもなるでしょうが、残念ながら、そうなる割合は低いのが実情(これは翻訳出版にかぎらないところですが)。
 本来は、既刊本が売れてくれることが、その出版社の基礎体力になるので、これは重大な問題です。扶桑社でも、ずいぶん前から定番作家の重版が止まってしまいました。これもまた、出版不況の現われと考えられます。


 なお、アドバンスはいっさい返却されません。アドバンスを払って権利を取得したけれども、事情が変わって出版を取りやめたい、という場合でも返してくれないのです(そんなことも現実にあるのです)。


 このアドバンスというシステムは、著者にとっては、契約時の手付金的側面もあるし、執筆から出版までのあいだの生活の足しになるという点でも効果的だと思います。いっぽうで出版社の側には、リスクもあるし、経理上も問題になるし、日本の商慣習にはなじまないのですが。
 しかし、影響はそればかりではありません。本を売るための意識が日本とはちがってくるようなのです。そのあたりは、また次回に。


扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro


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