ミステリーとホラーの狭間で・三津田信三さんの巻 第2回(構成・杉江松恋)

 三津田信三さんをお招きしての「週末招待席」、前回は最初に読んだ児童向けミステリーのお話をうかがいましたが、今回は引き続き大人向け本の読書体験についてお聞きします。意外な書名が出てきて、ちょっとびっくり。


(承前)


三津田 ミステリが持つ謎に魅力を感じたのは、ガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』からです。おそらく小学校の高学年です。本作かA・A・ミルン『赤い館の秘密』か、どちらかが最初に読んだ大人用のミステリだと思います。というのも、この二冊は角川文庫なんですよ。ディクスン・カーをはじめ、アガサ・クリスティエラリー・クイーンヴァン・ダイン、F・W・クロフツと海外ミステリを読みはじめたとき、創元推理文庫と早川文庫を買っていました。だから『黄色い部屋』と『赤い館』は、その前だったと分かるわけです。


――創元推理文庫の本格マーク(通称おじさんマーク)ではなくて、角川文庫というのはちょっと珍しい例かもしれませんね。ちなみに、『黄色い部屋』は木村庄三郎訳、『赤い館』は古賀照一訳です。


三津田 なぜこの二冊を選んだのか、理由は覚えていません。たまたま本屋で目について、タイトルに惹かれたのかな? カーの場合は『どくろ城』の解説に(やっぱり中島河太郎さん?)、ずらずらと魅力的なタイトルが上がっていたので、それがきっかけだったとはっきりしているのですが。


――完全に偶然の出会いだったと。


三津田 はい。とにかく『黄色い部屋の秘密』は衝撃でした。最初の黄色い部屋での密室殺人未遂事件はそうでもなかったのですが、次のT字型廊下での人間消失には、もう興奮しまくりで。密室の謎は基本的には「静」ですが、この場合の人間消失は「動」ですからね。しかも状況は極めて単純。だからこそ不可能興味が増すわけです。そして、あの結末でしょう。金槌で頭を殴られたくらいの、とてつもない衝撃を受けました。


――知ってしまうと感覚が麻痺してしまうのですが、たしかに初めて読んだときには驚かされたものです。


三津田 江戸川乱歩の長篇によく似たシーンがいくつかありますが、あれ、『黄色い部屋の秘密』の影響が大きいですよね。

――消失トリックの一つの類型になりましたからね。某推理コミックがパクった例が有名ですが、あれは廊下の状況設定をそのまま頂いてしまったから騒がれたんでしょうね。いろいろアレンジを変えた応用版は、他の作家さんも書いておられるはずです。


三津田 拙作でも『厭魅の如き憑くもの』の三つ叉の道や『百蛇堂』の路地、『十三の呪』の廊下と階段や『四隅の魔』の女子寮など、登場人物たちの「動」の中で人間消失を取り上げている箇所があるのですが、僕なりの『黄色い部屋の秘密』に対するオマージュなんです。


――なるほど。マジシャンの「癖」のようなものですね。注意して三津田作品を読むと、なんとなく見えてくるという。


三津田 はい。これで一気に「魅力的な謎」と「その意外な真相」という面白さを味わったので、冒険物への関心は完全に吹き飛んだのだと思います。


――『黄色い部屋』によって、ミステリーファンが一人誕生したと。そのあとの読書遍歴をお聞きかせ願えますか。


三津田 中学生のときは、カーに熱中しました。クリスティも面白いと思いました
が、カーに比べるとアク(はったり)がないのが物足りなかった。クイーンは解決にいたるまでの物語が、あまり好きになれませんでした。クロフツは地味な印象しかなかったのですが、『ポンスン事件』など、もしかするとクイーンよりも楽しんでいたかもしれません。


――『ポンスン事件』はクロフツの初期作品ですね。どの辺をおもしろいと感じられましたか?


三津田 いやぁ、内容はまったく覚えていません(笑)。他のミステリに比べると地味なんだけど、事件を捜査する過程が堅実に描かれていて、しかも二転三転するお話だった……という印象が残っているだけですね。


――なるほど。クロフツと三津田さん、という組み合わせがちょっと意外だったのでお聞きしてみたくなりました。クロフツとは逆に、カー+三津田という組み合わせは最強というか、ああそうだろうな、という印象を読者の誰もが持つと思うのですが……。


三津田 でしょうね(笑)。カーは『夜歩く』の犯人にのけぞりましたが、あの密室トリックはよく理解できませんでした。密室なら『爬虫類館の殺人』が、文字通り完全密室を扱っていて、とても感心しました。『連続殺人事件』も好きです。


――舞台は雰囲気十分だし、笑いもあるし、で良い作品ですよね。


三津田 怪奇+密室では『赤後家の殺人』の設定が、なんとも魅力的で。開かずの間に籠った者が、呼びかけに答えて返事をしている。それが、ぷつっと途絶える。慌てて部屋に入ると、殺されている。しかも死後、数時間が経っている。では、いったい誰が返事をしていたのか……? いいですよねぇ。


――謎の類型を作ったという意味でも『赤後家の殺人』は重要な作品だと思います。カーの密室といえば必ず書名のあがる、『三つの棺』についてはいかがでしたか?


三津田 『三つの棺』は、当時は文庫で出ていなくて。ハヤカワ・ポケット・ミステリでも絶版だったのかな? そもそも奈良の本屋には、ポケミスがなかったですから。実は本作を読むよりも前に、僕はハワード・ヘイクラフト編『推理小説の美学』で、例の「第十七章 密室講義」だけ目を通していたんです。それでよけいに読みたくなって。


――お、十代のときからそんな渋い研究書に目を通されていましたか。レイモンド・チャンドラー「単純な殺人芸術」やエドマンド・ウィルスン「誰がロジャー・アクロイドを殺そうとかまうものか」といったアンチ・ミステリーの評論も載った、刺激的な一冊です。


三津田 前後して九鬼紫郎『探偵小説百科』を買った記憶もあります。二冊とも、子供には高かったと思いますが(笑)。それで『三つの棺』がのちに文庫で出てときは、嬉しかったですねぇ。当時は本屋に行って、そこではじめて目にするので、驚きもひとしおです。もっとも読後、あの真相には???という感じでしたけど。


――文章を読んだときはそうか、と思うけど、いざ実際に想像してみようとすると、頭に疑問符が浮かびますよね。


三津田 この本格ミステリ嗜好は、そのまま高校、大学へと続いていきます。ただ、年齢が上がるにつれ、本格以外の作品も読むようになるのですが、それはあくまでもミステリの勉強のためというか、結局は本格が一番面白いと再認識するために読んでいたようなもので(笑)。


――本格マニアの誰もがたどる道です(笑)。


三津田 さっきの『推理小説の美学』だけではなくて、ミステリの評論書や研究書にも、中学生のときから手を出してました。大して理解していたとは思えませんが、とにかく目についたミステリ関係の本は買う、読む、または積ん読、という感じでした。


――とにかく最初から理論派のミステリーファンだったんですねえ……。


(つづく)

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

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赤い館の秘密 (創元推理文庫 (116-1))

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厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)

厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)

百蛇堂 (講談社ノベルス)

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十三の呪 死相学探偵1 (角川ホラー文庫)

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ポンスン事件 (創元推理文庫 106-2)

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夜歩く (創元推理文庫 118-14)

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爬虫類館の殺人 (創元推理文庫 119-2)

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連続殺人事件 (創元推理文庫 118-10)

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赤後家の殺人 (創元推理文庫 119-1)

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三つの棺 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-3)

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