第9回『死が二人を』

 
 87分署攻略作戦、第九回は『死が二人を』です。キリスト教の結婚式の決まり文句"Until death do us apart"=「死が二人を分かつまで」(バージョンは色々ありますが)をもじったタイトルです。この文句をタイトルに使ったミステリはそれなりに見かけるような気がします。例えば、ジョン・ディクスン・カーの『死が二人を分かつまで』(ハヤカワ・ミステリ文庫)がありますし、英題のみなら、森博嗣そして二人だけになった』(新潮文庫)もそうです。

 キャレラを日曜の朝早く叩き起こしたのは、今日妹と結婚する男、すなわち将来の義理の弟からの電話だった。事情を聴くと、彼の家にクロゴケグモ入りの箱が突然送り付けられてきたという。彼を憎む者の犯行か。あるいはこの事件は、今日の結婚式と何か関係があるのだろうか。


 今回、主に事件の現場となるのは、キャレラの妹の結婚式です。これに伴ってキャレラの家族、ここでは両親と妹が、新しくアイソラの住人として紹介されることになりました。また、キャレラの妻テディは、前作のラストで妊娠していることが明らかになりましたが、この作品のラストでは子どもが生まれることになります。しかし、ここにきて突然発生した登場人物の増加は、これまでのように、87分署の刑事を次々デビューさせてきたマクベインの梃入れ商法とはだいぶ趣が異なるように思えます。というのも、この作品で指向されているのは明らかに「スティーヴ・キャレラという人物の掘り下げ」だからです。
 キャレラの父親はイタリア系移民で頑固一徹のパン職人です。息子が刑事という危険な職業に就いていることにあまり賛同していませんが、彼のことを誇りに思っています。母親は、そんな父親のことを支えつつもただ従うばかりではなく、「一家のいいお母ちゃん」として、強力な存在感を発揮しています。
 「キャラクターが立つ」という時に、それは必ずしもそのキャラクターのことが何もかもわかるということを意味している訳ではありません。しかし、この作品の中で家族の肖像が描かれたことで、キャレラは、単なる一刑事という以上に、「作品世界と明確な結び付きを得た人物」として、読者の前に登場するようになったと思います。


 事件についてはほとんど書くことがない/ほとんど書けないのが残念です。キャレラの義理の弟はクロゴケグモに襲われ、車のブレーキに細工され、狙撃され、と散々な目に遭いますが、このあまりにもとりとめのない殺人方法が、実は犯人を指し示すというのは面白いと思いますが、正直これ以上踏み込んで書いてしまうと、読者の興味を牽引する謎が自動的に解けてしまうので。これは、ミステリとしてのプロットとストーリーが密接に結びつきすぎているためです。欠点という訳ではまったくないのですが、なんともレビュアー泣かせです。


 今回のコットン・ホースは、あんまりいいところがないですが、彼が出てくるだけで場面が陽気になるのは楽しいですね。『レディ・キラー』で知り合った女性がデートに連れていけと煩いのに、キャレラの頼みで用心のために結婚式に出席。そこで知り合った女性に「お、いい女」とふらふらついて行っては殴られて気絶。終盤クリングに助け起こされるまで気絶しているという腑抜けぶりを発揮してしまいます。


 全体から言えば、キャラクターの脇を固めるために、シリーズ序盤の一作を丸ごと使ったという感じですね。単独でどうこう言うような作品ではないと思いますが、きっとこの「キャラ立ち」が生きてくるはずです。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

わしの87分署攻略は108式まであるぞ! いや、ねーよ!バックナンバー

死が二人をわかつまで (ハヤカワミステリ文庫)

死が二人をわかつまで (ハヤカワミステリ文庫)

そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)

そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)

第8回『殺意の楔』

 
 87分署攻略作戦、第八回は『殺意の楔』です。このシリーズ、主な舞台はアイソラの街となっていますが、今回はそれをさらに絞り込み、ほとんどすべてのシーンが87分署の中で起こります。このような際立って動きの少ない作品で、マクベインは何を描こうとしているのかに要注目。以下あらすじ。

 ある冬の日、87分署に黒衣の女がやってきた。キャレラを訪ねてきた彼女はその不在を知るや、無理やり刑事部屋に押し入り、呆然とする刑事たちに、拳銃とニトログリセリンの詰まった瓶を突き付けた。一方その頃キャレラは不可解な密室殺人の捜査にあたっていた。


殺意の楔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-9)

殺意の楔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-9)

 前作『レディ・キラー』もショッキングなオープニングでしたが、その衝撃度では本作も決して負けてはいません。黒衣の女はある殺人犯の妻で、その殺人事件を捜査し彼女の夫を逮捕したのがキャレラでした。殺人犯は獄中で病死、彼女はその死をキャレラによるものと曲解し、復讐を計画していたのです。


 87分署立てこもり事件のタイムリミットはキャレラが分署に戻るまで。それまでに黒衣の女を武装解除し取り押さえない限り、キャレラは殺され87分署は爆発に巻き込まれることになるでしょう。その場に居合わせた刑事はクリング、マイヤー・マイヤー、コットン・ホースと部長の四人。女に見張られ相談することもできない中で、彼らは各々知恵を絞りこの最悪の状況を打破しようと試みます。
 その方法が彼らのキャラクター性に根付いたものであるところは、これまでの作品の中でマクベインが彼らをいかにじっくりと描き、読者の中に刑事たちのキャラクターを根付かせてきたかということを如実に示しています。具体的にどのような方法をとっていくのかという点については、ぜひ作品を読んでいただきたいのですが、犯人との息詰まる心理の駆け引きは、ここまでの作品で最高のサスペンスを生み出しているといっても過言ではないでしょう。


 87分署の息詰る展開と比較して、キャレラが担当する事件は実にのどかな雰囲気で進行していきます。金持ちの邸宅で起こった自殺事件の陰に隠された真犯人の意図を、キャレラはまるで「名探偵」のように捜査していきます。キャレラが、ことが密室殺人と知った時、「密室殺人の巨匠、ジョン・ディクスン・カーを呼んだほうがいいのでは?」と漏らすシーンなどはちょっと笑ってしまいました。トリックは弱いのですが、登場人物の性格を含めた謎解きという意味でも、まずまずの中編と言えるのではないでしょうか。


 さきに「中編」と書きましたが、この二つのストーリーはほぼ独立しています。キャレラを87分署から適切な時間分だけ引き離しておくために、この構成になっている訳ですが、ここはもうひとひねりしてほしかったように思います。というのは、この作品には致命的な欠陥があるからです。
 それは「犯人役」である黒衣の女(ヴァージニア・ドッジ)のキャラクターがあまりにも弱すぎるという点です。彼女は夫の復讐のためにキャレラをつけ狙っていますが、しかし、夫の殺人犯としての逮捕は全く正当なもの、また夫の死因も病死ということで彼女への同情の余地はほとんどありません。彼女の行動は、単なる感情的な暴走でしかないとさえ言えます。作品の根幹におかれるべき「動機」が著しく説得力に欠けるものであるがゆえに、プロット全体が弱いものになってしまっているのは、残念と言わざるをえません。


 私はこの作品を読んで、ピーター・ラヴゼイ『バースへの帰還』(ハヤカワミステリ文庫)を思い出しました。この作品は、立て籠もり犯が、副本部長の娘を誘拐し、自分が犯人として逮捕された四年前の殺人事件の再捜査を要求する(そして再捜査の過程で真実が明るみに出る)というストーリーで、立て籠もり現場と捜査チーム、この二つの線が強力に結び付いています。発表の年代がまるで違いますから、この時期のマクベインにこれを望むのはあまりに酷かもしれません。しかし、やるならここまでやってほしいですねー。


 刑事部屋での立て籠もりという前代未聞の発想で、圧倒的なサスペンスを作り出していますが、全体の構成に難があるため少し落ちる、というのが正直な感想です。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第7回『レディ・キラー』

 

今夜八時、レディを殺す。どうにかできるかい?


 87分署の当直警部補、デイヴ・マーチスンが金髪の少年から上のような予告状を受け取ったことから、物語は幕を開く。一見単なる悪戯にしか見えない予告状、しかし、バーンズ警部はコットン・ホースにレディの捜索を命じた。レディとは誰か? そして果たして犯人の狙いは?


 87分署シリーズ第七作『レディ・キラー』です。今回はインパクト重視ということであらすじを先に送ってみました。この短くも強烈な犯行予告状は、読者を驚かせるに足るものでしょう。しかし、この予告は本物? あるいは偽物? 87分署の刑事たちはそれを突き止める手段すら持たぬまま、まだ起こってもいない事件の捜査を始めざるをえません。


 八百万人からいるアイソラ市民の中からただ一人のレディを探し出すという難行にキャレラとホースを送り出す一方で、87分署の方でも少しずつ捜査が進んでいきます。
 手紙を運んだ少年を突き止め(その過程で、87分署の中が百人からの子どもと、その母親で溢れかえるというユーモラスなシーンをはさみつつ)、また87分署の様子を公園から双眼鏡で探っていたらしき犯人を追う中で手に入れた遺留品から、犯人を絞り込みます。


 残念ながら、この作品には謎解きミステリーの面白さとしてのはほとんどありません。また、タイムリミット・サスペンスとしては展開が遅い上に、犯人側にミスが多く「正体不明の殺人者」という仮面がかなり早い段階で崩れてしまうなど、緊張感に欠けるきらいがあります。むしろここでメインに置かれているのは、「レディ・キラー」の心の動きと言ってもいいでしょう。
 刑事たちは、人目を避けるはずの犯人がわざわざ脅迫状を送りつけてきた意図を推測するなかで、愉快犯かあるいは「本当は殺人をしたくないか」のどちらかではないか、と指摘します。しかし、ここで部長は「それも、ひとつの推理だな。ともかくどっちみち、これを書いた本人を捕まえなくちゃいかん」と、刑事たちを戒めています。書いた本人のみが知る、犯行予告の真の意図。本作を読んだ時に考えさせられることとして、「動機について考えるということ」を挙げることが出来ます。先にも書いたように、この事件はまだ起こってすらおらず、単に(悪戯かもしれない)手紙が存在するだけの事件未遂の何かに過ぎません。
 その時刑事たち、そして読者には、犯人未満のこの男を理解すること、理解しようとすることが求められます。その意味で、本作はここ二作品で打ち出されてきた問題意識の集大成とさえ言えるだろう作品に仕上がっているのです。


 本作で大きな活躍を見せるのが科学捜査班、そして部署のボスであるサム・グロスマンです。科学捜査と言っても執筆が1959年ですので、ジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライムシリーズ」のようにはいきませんが、犯人が送り付けてきた挑戦状の活字や紙の種類から犯人を絞り込んだり、犯人が現場に落としていった双眼鏡から犯人の足取りをたどったりと、捜査を強くサポートしているのが印象的です。


 冒頭登場した"レディ"の正体は、伏線は一応あるもののかなりこじつけめいていて、読者が考えて解けるような謎ではありません。その点で強くお勧めできる作品ではないのですが、マクベインの作家としてのここまでの、そして今後のキャリアを考える上で間違いなく重要になる、忘れがたい作品ではないでしょうか。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第6回『殺しの報酬』

 87分署シリーズ第六作『殺しの報酬』です。前作『被害者の顔』でもかなり好意的な評価をつけましたが、この作品を読んでマクベインも一皮むけたなと確信しました。ことここに至ってもはや前置きは不要でしょう。さっそくあらすじをご紹介したいと思います。


殺しの報酬 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-7 87分暑シリーズ)

殺しの報酬 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-7 87分暑シリーズ)

 ネオンに輝くアイソラの夜。その街角で殺人は起こった。ライフルでの射殺事件だ。車の窓から男を殺した犯人は、そのまま逃走したという。調査の結果、被害者は職業的な脅迫者であることが判明した。87分署の刑事たちは各々情報屋を使い、脅迫の被害者を探し始めるが……。


 あらすじにも書きましたが、今回のメインテーマは「脅迫」です。殺人事件の被害者は多くの人間を、様々な理由から金銭的に強請っていた凶悪な犯罪者です。殺害の動機は脅迫されていた人間のすべてにあると言っていいでしょう。その中で、アリバイがなく、凶器のライフルを手に入れられる人間が犯人……ですが、問題はそう単純でもありません。なぜなら脅迫の被害者たちが、そう簡単に「脅迫されていたという事実」を認めないからです。そりゃあ、自分の弱みを警察に聞かれたからと言ってほいほい口にする人間もいないでしょう。自然、マクベインは容疑者たちを深く掘り下げることになり、物語に深みを与えることに成功しました。


 ここで、恒例の新キャラ紹介ですが、この作品でははそれほど印象的なキャラクターはいないですね。87分署の受付にいつも座っている日直警部補、デイヴ・マーチスンと、ぽっちゃり系の死神刑事ボブ・オブライエンは、いずれも今回は端役に過ぎません。拳銃も殺しもそれほど好きでないのに、犯罪者を射殺した回数は異様に多いというオブライエンは主役回を持たせてもいいと思うのですが、それは今後のお楽しみということで。
 

 前回颯爽登場しながら、へまばかりでキャレラを危ない目にあわせたりもしたコットン・ホースはついに本領発揮。聞き込みに行った先々で女に色目を使われるモテモテ男に変貌を果たしました。キャレラが愛妻家であるだけに、この対比はより印象的に映ります。カップルと言えば、若手刑事クリング君も、婚約者のクレアと連絡を取り合っているらしい描写が時折。この二人、いつ結婚するのでしょうか。


 過去の作品で登場したキャラクターが何人か再登場しているのもポイントでしょう。前作『被害者の顔』で、被害者の夫役として登場した雰囲気のいいカメラマンのテッド・ブーンや、第三作『麻薬密売人』で、キャレラの優秀な情報屋として登場したダニー・ギムプ(瀕死の重傷を負ったキャレラのことを見舞ったあの男)などです。テッド・ブーンはともかく、ダニーは今後もレギュラーキャラになりそうな気配を見せていて、読者としては嬉しい限りです。


 前回「謎がなかなか解けない」と書きましたが、そう感じる理由の一つは捜査過程そのものの魅力の薄さというのもあるでしょう。古典的な推理小説でも、前半がひたすら聞き込みで退屈してしまう場合がありましたが、それに近いものがあると言えるかもしれません。


 今回マクベインは刑事たちをバラバラに動き回らせていますが、その際に一人ずつ方針が微妙に異なっているのはちょっと面白い。堅実なキャレラ、意外と軽いノリのホース、知り合いから攻めるクリングと交互に描いて飽きさせません。これも、各刑事が人物として独り立ちしてきたが故でしょうか。


 今回もまた、可能性をすべて潰した後で、捜査の見落としが発見され、そこから一挙に解決に向かうという見なれたプロットではありますが、そこからまさかのもう一段……序盤から綿密に張られた伏線が回収されたその瞬間、あっと驚くことは請け合いです。


 ということで、警察捜査小説としてはかなり高いクオリティまで上がってきたこのシリーズですが、マクベインはそれで満足しません。どうも次の作品ではまたぞろ新しいことに挑戦するようですよ。どうぞお楽しみに。。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第5回『被害者の顔』

 87分署シリーズ第五作『被害者の顔』です。英題は"Killer's Choice"、つまり「殺人者の選択」ですが、色々な意味で邦題の方が作品の本質を指しているように思えます。タイトルについての具体的な説明はさておき、先にあらすじを紹介してしまいましょう。

 飛び散ったガラス。ぷんと鼻につくアルコール臭。殺人現場の酒店は申し分なく「惨状」だった。どうやら犯人は、女を殺した後で店中の酒瓶をひっくり返したらしい。87分署の面々は聞き込み調査を行うが、その中で明らかになったのは、人によって彼女の印象がまるきり違うことだった。


 ここ二作ほどのシリーズ作品を読んできて感じたことは、マクベインの筆が「警察官」を書くことに集中し過ぎているのではないかということでした。87分署の面々は確かに魅力的です。しかし、その引き換えに被害者、そして殺人者の側にそれほど視線が向けられていないのではないか? という問題です。被害者/犯人のバックグラウンドがあまりにも希薄で、魅力を欠くがゆえに物語全体のバランスが悪くなっている……そんな風に感じていました。

 こういう私のわがままな感想を読み取ったかのように、マクベインは『被害者の顔』という作品を送り込んできました。この作品では、被害者アニイ・ブーンが物語の中心におかれています。彼女を評してある人は貞淑な妻で良き母親だった、と言います。しかしまたある人は、彼女はアル中の淫売だと言うのです。さらに別の人は、彼女はインテリで思うさま生きる自由な女性だったと言いました。彼女のあまりに多面的なプロファイルを読み解くために、87分署の刑事たちは奔走します。
 「被害者の顔」問題は、同時に犯人にも跳ね返ってきます。犯人は多面的な彼女の、果たしてどの側面の死を願ったのか。妻?愛人?相続人? 容疑者は増えるばかりです。そのいずれにもアリバイがあるという難事件の中で、重要になってくるのは「動機」です。読みながら思わず「そうそう、俺こういうの読みたかったんだよなあ」と頷いてしまいました。

 今回、新キャラとして登場したのは、コットン・ホースという海軍上がりの大柄な赤毛の色男です。真っ赤な髪の毛の一房だけが白髪というのがチャームポイントで、どうもこれは名誉の負傷に由来するらしいのですが、白く生え換わった理屈はよく分かりません(笑)。そしてまた変な名前のキャラクター。マクベインも大概変な名前を考えるのが好きなようです。
 彼はもともと30分署に勤めていた刑事でしたが、配置換えで新しく87分署に配属されました。30分署の管区は白人の住人が多い上品な地区であったようで、87分署管区の猥雑さには慣れていない様子。そのことで同僚にも大分からかわれています。殺人事件を捜査するのもほとんど初めてで、焦りから失敗を連発、ついには相棒のキャレラを負傷させてしまいます。本作品ではかようにいいとこなしのホースですが、次作以降は色々活躍するので、そこはお楽しみに。

 本作を読んでもっとも驚いたのは、サブプロットにあたるもう一つの殺し、すなわちロジャー・ハヴィランドの突然の死でした。不敵な暴力警官で、87分署の鼻つまみ者ながら、嫌いになりきれない不思議なキャラクターだった彼が、あまりにも無意味に死を遂げたということが、個人的には残念でなりません。子どもの頃から色々な物語に触れていますが、主役になりきれなかったキャラクターの死にこれほど衝撃を受けたのは、正直初めてでした。うーむ、マクベイン恐るべし。

 本作の弱点は、いつまでたっても謎が解けないことです。ミステリならそれは当り前だろう、と言われればそうかもしれません。しかし、ことこの作品に関しては、本来一番最初に探すべきものが、単なる捜査の不備で後回しにされていたというのが解決の遅れの原因なので、ちょっと庇いきれません。そこは少し残念です。

 しかし全体としてみれば、ここ二作ほどと比べてぐっと良くなっていると思います。次の作品も楽しみです。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第4回『ハートの刺青』

 87分署シリーズ第四作『ハートの刺青』です。結論を先取りしてしまうと、作品としては決して悪くないのですが、色々と問題のある作品でした。何がどう問題なのかはおいおい書いていくとして、まずはあらすじをまとめてしまいたいと思います。

ハートの刺青 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-4)

ハートの刺青 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-4)

 この作品のメインテーマは「詐欺」です。それは、原題が"The Con Man"、つまり「詐欺師」というところからも容易に推測出来るところでしょう。マクベインは、第一章で、暴力犯罪の問題点を並べ立て、まるで詐欺師をもてはやすかのように、一席ぶっています。曰く「紳士然と構えて、ロマンチックな犯罪の冒険を追い、世間を渡り、多くの善男善女に会い、冷たい飲み物をたんと飲み、しかもたんまり金が儲かる――すべては人をだますだけでいい。つまり詐欺師になることだ」これから警察の地道な捜査が詐欺師の尻尾をつかむという話を書いていこうというのにとんでもない言い草ではありませんか。この大仰な物言いすらもまた、詐欺の手口であるかのようです。
 今回もまた、新キャラクターが投入されています。黒人(ヒスパニック系かも?)刑事のアーサー・ブラウンは、名字と顔の色が同じというので昔から随分とからかわれたという設定。しかし、変わった名前ネタでは先輩格のマイヤー・マイヤーには到底かなわない感じだし、容姿が取り立てて特徴的でもない。いかにもな地味キャラです。発表の1957年には、有色人種の刑事が少なかった可能性はありますから、そこが売りなのかもしれません。しかし人種差別を乗り越えて懸命の捜査とか、そういう要素がないので、今回はテコ入れ失敗の感が強いです。
 捜査は女性の手に施された「ハートの刺青」を中心に進んでいきます。この刺青に込められた意味を読み取ることが出来ず、ゆえに捜査が延々空回りするというのがプロットの主軸となります。猪突猛進というか、どうにもワンパターンなので、読者としてはもはやお約束感のあるストーリーに、「詐欺」というキーワードをに上手く絡めていくところはなかなか面白い。また、かなりいいところまで迫りながら(読者同様)毎回気付けないクリングにはハラハラさせられっぱなしで、ワンパターンながらマクベインの巧さには驚かされます。

 さて、本作の見逃すことのできない問題点、それは裏表紙のあらすじとそれから登場人物紹介にあります。今回レビューを書くにあたって、あらすじを確認した私はびっくりしました。「その日ハーヴ側に打ち上げられた水死体の女は○○○○に……」と、さりげなくとてつもないネタバレが。このことが分かるのは話が相当進んでからで、そもそもこれが分かると作品の根幹的な仕掛け(というほど複雑でもないですが)が台無しになってしまうんですけど……。また、登場人物紹介を読むと、「このどちらかが犯人です」とマクベインが読者を挑発するシーンが台無しになってしまいます。何しろ犯人の名前しか書いていないので……。気付いた時は衝撃でした。なので、もしこれから『ハートの刺青』を読むという人がいましたら、あらすじと人物紹介は見ないように気をつけて下さい。
 私自身、このレビューのあらすじで致命的なネタばらしをしないように気をつけなければいけないな、と身も引き締まる想いです。

 ということで、この作品についてまとめますと、新キャラテコ入れは失敗、ストーリーは連続殺人ものが続いてマンネリ気味、「詐欺」というキーワードの絡め方は面白いが、編集周りでポカが続発している問題作……と言ったところでしょうか。次作『被害者の顔』こそ、そろそろ新機軸の作品を期待したいところですが……。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第3回『麻薬密売人』

 87分署シリーズ第三作『麻薬密売人』です。私のようにハヤカワ・ミステリ文庫で読んでいる場合、通し番号が2から5に飛ぶので要注意。3の『われらがボス』は、長編第26作と大分先、4の『ハートの刺青』は原著刊行年からすると、次回の紹介になります。
 前置きはこのくらいにして、本作『麻薬密売人』のあらすじを早速紹介したいと思います。

 パトロール警官が、その明りに目をとめたのは偶然だった。とある地下室から漏れ出した、僅かな光……。無意識に拳銃を握り締めつつドアを開け放つと、そこには少年の死体があった。首に紐を巻き付けた死体のそばには、無造作に空の注射器が転がる。麻薬がらみの首吊り自殺か? 87分署の面々は早速捜査を開始する。


 文庫あらすじにもある通り、「麻薬と人種問題に大胆かつ鋭いメスを入れた」作品です。特にフィーチャーされているのが麻薬で、麻薬の売買やその摂取、禁断症状に至るまでがかなり細かく描写されています。しかし、その中でも、きっちりとキャラクターを描いていこうとするマクベインの姿勢は、全く揺らいでいません。
 今回の中心人物は、87分署の捜査主任、ピーター・バーンズ警部です。本連載の第一回でも彼の発言を取り上げていますが、この作品の中で描かれているのは、これまでの刑事としてのバーンズではなく、家庭人としてのバーンズです。部下のケツをどやすのが仕事である彼にも、実は奥さんや子供がいたんですね。少し驚きました。普段はしっかり者のはずの奥方が、注文したはずのお肉が届かないの、と分署に電話をかけてくるシーンでは、「まったく、女ってのは始末が悪い。俺には女が分からん」とぼやいたりします。不覚にも少し可愛いと思ってしまいました。
 その彼にかかってきた一本の電話。それが物語を大きく動かして行きます。正体不明の相手は、バーンズの息子ラリーが麻薬中毒者であり、今回の事件にも大きな関わりを持っていることを告げます。バーンズにしてみれば、これは寝耳に水もいいところです。誰にも相談することが出来ず、秘かに事態を確認していくと、その状況は最悪でした。ひょっとして、自分の息子が麻薬の酔いの中で、殺人を犯したのかもしれない。下手をすれば、自分で息子を告発せざるを得ない……とバーンズは苦悩します。


 この作品の肝は、端的に言えば、上記につきます。87分署の刑事たちも捜査を進めててはいるのですが、警部が握っている重要情報が欠けていることもあって、ストーリーの展開がどうしても遅くなる……。読者にとっても、埒が明かないまま長い我慢を強いられることになるでしょう。それはさておくとしても、明らかになる真実が想定の範囲内だったのは残念で、読んでいて脱力してしまいました。バーンズの苦しみがリアルに描かれていてよかっただけに、「そんなオチかよー」という失望は隠せません。

 さて、今回読んでいてようやく気付いたのですが、ここまでマクベインは物語に季節感を積極的に盛り込もうとしているようです。『警官嫌い』では酷暑、『通り魔』では秋の寂しさ、そしてこの『麻薬密売人』ではクリスマスの様子が描かれています。これは、一作につき季節一つとかなんですかね。今後も気にしていきたいところです。
 クリスマスということで、本作のクライマックスでは、87分署に一抹の奇跡と大いなる救済とが訪れます。ベタなんですけど、そこはマクベインの巧さ、きっちり感動させてくれます。ミステリとしては大分残念な感じの結末でしたが、物語としては、その辺が救いなのかなあ、と思いました。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。