第2回 フレンチミステリーの魅力ってなあに?(執筆者・高野優)
皆さまこんにちは、フランス語翻訳家の高野優です。
さて、先月は高野が主宰するフランス語翻訳教室で行なっている「フランス語短編翻訳コンテスト」のご紹介をさせていただきましたが、実はこのコンテストの第1回の表彰式が実施された2015年の4月の第六回翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンション(大田区産業プラザPiO)では、ミステリ研究家の小山正さん、ミステリ書評家で本コンテストの顧問でもある吉野仁さんという、フレンチミステリーをこよなく愛し、また造詣の深いおふたかたと、『その女アレックス』の訳者の橘明美さんをゲストにお招きして、高野が進行役を務めて、座談会が行なわれました。その時の模様が録音してありましたので、本日はそちらを記事におこしたものをご紹介します。
皆さん、フレンチミステリーの魅力をたっぷり語ってくださっています。また、〈気まぐれな猫〉のようなフレンチミステリーとのつきあい方や、フレンチミステリーを読むならこれというお勧め本も紹介してくださっています。フレンチミステリーに少しでも興味のある方には必読の記事。これまでそれほど興味のなかった方には、新しい出会いが待っているかも……。
どうぞお楽しみください。
なお、4月22日に開催される第八回翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションのなかでも、第3回「フランス語短篇翻訳コンテスト」の表彰式が行なわれます。皆さまよろしくお願いいたします。
■ミステリの発祥はフランス!?■
高野:本日はフランスミステリの魅力について、皆さまのお話を伺いたいと思います。
小山:近代ミステリの発祥は、通常はポーの『モルグ街の殺人』(1841年)といわれますが、僕は、もっと遡ってフランス発祥ではないかと考えているんです。フランソワ・ヴィドックによる近代捜査が始まり、その『ヴィドック回想録』(1827年)を元に小説を書いたのが、ポー。そういう意味では、源泉はフランスだと言えるんじゃないでしょうか。実は、ハードボイルドの源泉もフランスだと、僕は考えているのですよ。
高野:ハードボイルドはフランスの読者も好きですね。ボリス・ヴィアンがセリ・ノワールでレイモンド・チャンドラーを訳している。ほかのジャンルでみるとどうでしょうか。ミステリというと本格を指すことが多いですが。
吉野:まず言えるのは、日本人の考えるミステリとフランスでは異なるということですね。もともと日本では、英米の探偵小説が中心で、謎解きの探偵ものが〈本格〉と呼ばれたわけですから。ミステリ=推理小説=誰も考えなかった斬新なトリック、探偵による真犯人探し、読者に対するフェアな姿勢=本格という意識ですね。その見方からするとフランスは風変わりで、いくつもの作品が〈変格〉というような扱いをされてきました。今は、そういう意識が変わってきているし,犯人捜しではないサスペンスものも評価されるので、受け入れやすくなっているのではないでしょうか。
高野:変格には、トリックはあまり関係がない?
吉野:人にもよるでしょうけど、一般にフランス人はトリックにこだわって読んではないじゃないかと思うことがあります。トリックが苦しいものやフェアでないものが多くある。ただ、だから駄目だと言いきれない、また違う面白みがあるんですね。
小山:元々、ヘンな小説を評価する土壌がありますよね。例えば、パトリシア・ハイスミスはフランスでは巨匠扱い。チェスター・ハイムズもそう。〈墓掘りジョーンズと棺桶エド〉の黒人刑事ものの作品も、作家の情熱が伝わって面白いけれど、小説としては破綻している。でもフランスでは評価が高いんです。
橘:本のあり方が、もう違いますよね。原書読んでいても、なんだこれはって作品もあるんですが、そういう本のほうが印象に残っていたりするんです。
小山:かっちりしとした謎解きする本格作品もないわけじゃないだろうけど、別にそうじゃなくてもOKだという。一発芸に寛容な世界かな。
橘:多分、フランス人は枠が嫌いなんです。お弁当箱の中に物をおさめるのが嫌い。まず枠を壊す。ミステリでも同じですね。
高野:枠をこわすのが一番の目的みたいな。
小山:犬飼道子さんが『ヨーロッパの心』(岩波新書)の中で、フランス人は100人が100人、違うチーズを作るということを書いているんです。
橘:こういうものがチーズだという概念がないんですね。ミステリもそう。意識してミステリの型を壊すというより、元々の概念がないですね。
高野:ミステリを書こうという気がない?
橘:私たちが思っている、ミステリの概念はないですね。
吉野:精神分析医の加賀乙彦さんも、日本人は「自分はまわりの人と違ってる」という心配で精神科に来るけれどで、フランス人は「みんなと同じじゃないか」と不安で病院にくると書いていましたよ。
高野:やっぱり、フランス人はミステリを書くつもりがない? えーと……今日はフランスミステリの魅力について、皆さんに語っていただいております(爆笑)。
吉野:いえ、今言っているミステリというのは、なんというか英米の見方のミステリで、フランス人も多分、一生懸命に自分なりの面白いミステリを書いているんですよ(笑)
高野:本格の作品というと、ガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』がありますよね。
吉野:この作品について、僕は語りたいことがあります。日本では密室ものとして評価されてきています。でも、作者は主人公ルールタビーユのを中心とした、別のテーマを書きたかった小説だと思うんです。もちろん密室の要素はありますが、トリックもトリックなので(苦笑)、作者が書きたかったのは、それだけじゃない。まだ、面白さが語られていない部分があると思います。
小山:おっしゃる通りで、ルールタビーユを主人公にした作品の多くは、冒険小説ですよね。本格ミステリとは違う興味があるのは明らかです。でも『黄色い部屋の秘密』に関しては、映像版が傑作ですよ。一瞬でいなくなるというトリックが、笑いなしでは見られない(爆笑)。瞬間芸、一発芸みたいな。日本で公開されていないので、どこかで上演されたらぜひ。フランスで本格が好きな人は、異端なのでは。
高野:ポール・アルテはどうでしょう?
小山:あれは、本格ミステリマニア向けだと思います。フランスの読者にもいるんですよ、本格マニアが。例えば、ジョン・ディクスン・カーのラジオドラマ全集が、マニアによってフランスだけで出版されているんです。全4巻計2000ページを越える立派な本です。異端の人たちも頑張っているんですね。でも本格は本流にはならない。
高野:他の人と同じことをしたくないから、本格をやっている?
小山:アルテは評価が高いですね。人と違うことをやっているから(笑)
■未開の領域 ネオポラール&ノワール■
高野:サスペンスは最近、どうでしょうか?
橘:得意だけれど、ちょっと毛色が違うところもありますね。
高野:昔は、カトリーヌ・アルレーや、ルイ・C・トーマなんかがあったんですが。
小山:最近だとセバスチャン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』の平岡敦さんによる新訳が創元推理文庫から出ましたね。あれはいいですよ。しっかりサスペンスですし。サスペンスとフランスは肌があうんでしょう。
高野:ついで、警察小説はどうでしょう。ピエール・ルメートル『その女アレックス』もそうですよね。
橘:ただ、そんなにかっちりと描かれているわけではないんです。警察内部に関しては、パリ警視庁賞作品がまともですね。作品がちょっと地味にまとまっているのが残念ですが。
高野:ただ、警察関係者が審査員になってというのが面白いよね。
小山:そこがおしゃれ。
高野:日本も、桜田門賞とかあったらね(笑)
小山:そういえば、パリにあるミステリ図書館が素敵ですよ。BiLiPoという図書館で (Bibliothèque des lettératures policières )、ミステリを大切にしているんですね。警察官がミステリを丁寧に審査するだけあって。だって、シテのパリ警視庁にいくと、メグレの碑があるんですよ。ここで働いていたって。
高野:働いていた!?
小山:そう。架空のキャラクターなのに、日常に溶けこんでいる。愛されているんですね。
高野:次に、ノワールはどうでしょう。
吉野:戦後、ネオポラールという、若い作家たちがでてきたんですよね。そもそも第一次大戦で従軍していた人たちが、戦後、英米のいわゆるハードボイルド派を紹介しようとセリノワールを立ち上げ出来たジャンルですが、戦後になってからジャン=パトリック・マンシェットをはじめ、影響力のある自国の作家がでています。ただ、日本ではまだ全貌がわかっていない。〈ノワール〉という言葉だけが多用されるけれど、実際、未訳の作家、作品が多いですからね。今回、短篇企画のなかにも何作かあって、非常に面白かったです。文体からちがったり、調べると作者の経歴が面白かったり、エリートなのに労働階級だったりとか。背景も含めて面白い。
高野:80年代のネオポラールの作家は、本当にまだ日本で紹介されていないんです。ティエリー・ジョンケも『私が、生きる肌』(『蜘蛛の微笑』改題)1冊だけですからね。あの辺りが、全然紹介されていないんです。ただ、わけわからないものもあるので、いい作品を厳選していかないと……。
橘:本当にノワールになっちゃう?(笑)
小山:僕は、A.D.G. に興味あります。右翼系社会派ノワールといった感じの作家です。『病める巨犬たちの夜』は、一人称複数小説、我々が主人公というかわった作品です。早川から出てますが、これも厳選したんでしょう。他の作品は、辞書ひいてもわからない言葉が多くて。言葉遊びの極致だから、翻訳不可能なんですよ。あ、いや、高野先生なら可能かも(笑)
高野:今回短篇企画をやって、フレデリック・ファジャルディの作品はすごいなって思いましたが。
小山:いやぁ、まったくノーマークだったんです、僕、ファジャルディは。『ミステリ百科事典』みたら、しっかりでていましたが。
吉野:向こうではメジャーなんですか?
高野:80年代半ばには名前でてきますね。あの頃、ヌーベル・エディッション・オズワルドという出版社があって、そこにはフレデリック・ダールやピエール・シニアックと一緒に、かなり入っています。
小山:ああ、その二人はもっと読みたいね。
高野:シニアックはもっといきたいですね。
吉野:短篇企画にあった「血の海に映る移ろいゆく影」も、すごい作品だと思いました。戦争で壊れていく若者の心理を描いた、戦争批判小説のような内容ですが。なんでもっと訳されないんでしょうね。
■フランスものの強みは人間観察力!■
高野:読者には、フランスものの読み方というのを、英米からずらしていってもらうとして。さしあたって、どこを読んでもらいましょう?
吉野:多様な面白さを読んで欲しい。それが一番。
高野:トリックはもう諦めて欲しい?
吉野:今の読者は、そういうところを気にしないのではないかと。あとは、短篇企画でもあった、リンダ・レみたいな作家。ベトナム人女性作家なんですけど、短篇がどれも奇妙。マネキンの視点で書いた作品とか、父親との手紙のやりとりで親子の確執を描いた作品とか。女性の様々な人生模様に、意外な真相が結びついているというのが、読みどころでしたね。
橘:フランスの一番の強みは人間観察力ですよね。それがおかしみや悲しみを生んでいる。その要素は、必ずミステリにも入っているんです。
吉野:うまくオチがきれいにきまったのは、英米小説にもあるので。風変わりなもののほうが残るし、今、うけるのではないかな。
橘:読後感はどうでしょう? わりと不条理をえぐるものが多いように思いますが。
吉野:それが面白さでもあるんです。エスプリとかユーモアとか奇想天外な発想が、そのあたりを助けてくれる要素かと。
橘:確かに、奇想天外ではありますね。例えば、ラブレー『パンタグリュエル物語』みたいな感覚は、未だにフランス人に生きているのでは。発想がトリックではなく、違うところにいく。
ただ、多くは失敗して、崖から飛び降りちゃうんですが。
小山:エスプリは、フランスの小説を読む醍醐味だと思うんです。『その女アレックス』を読んでも僕は、刑事のキャラクターで笑ってしまうぐらい。あの突き抜けたキャラはもっと論じて欲しい。この作品は暗いだけじゃない、というものにしているんです、あの三人は。
橘:私も、あのキャラがないとちょっと訳せなかったです。
小山:余談なんですが、カミュの『ペスト』を読み返してみたら、昔と感じ方が違ったんです。現代の日本に通じる作品だと思いました。暗いだけでなく、人生のプラス面と二つの側面が描かれている。一方で、カミはくだらないけど、人生観を感じるんです。ペーソスがあるんですね。笑いだけではない、深みがあると特に思います。
高野:カミは落語ですね。ちょっと宣伝になるんですが、『名探偵オルメス』が新訳で出ます。東京創元社さんから。僕の宣伝です(笑)。あれは、落語です。馬鹿な設定なのに、みんな切実なんです。(編集部注:コンベンション後の2016年5月に『ルーフォック・オルメスの冒険』として創元推理文庫より刊行)
吉野:頭の使いどころが違うのかもしれませんね。ときおり感性の鋭さが突出した作家はいますよね。いつもそうだとは限らないだけど。
橘:論理的な頭のよさじゃないんですね。だから筋だけを読むと、あれってなっちゃう。
小山:筋がないときもありますよね。
橘:きっと、筋がないといけないと誰がきめたのって、フランス人作家はいうでしょうね。
小山:昔、世界中の映画監督に各国の映画を語らせるという本があったんです。他の人は真面目に歴史を語っているのに、ジャン・リュック・ゴダールだけは、なぜか喫茶店の会話。ところがちゃんと会話の中で、映画史になっている。対話のなかで本質的なものをつきつめていく。頭の使っているところが違うんです。
橘:違いますね。感覚が簡単に分析できない。それが魅力なんですけれど。
高野:作品としては、何を読めばいいでしょう?
吉野:その人が何を好きによるでしょうが。名作がわかりやすいんじゃないかな。ピエール・シニアックの『ウサギ料理は殺しの味』とか、セバスチャン・ジャプリゾ、僕の好きなジャン・ヴォートランとかがおすすめ。読む体力があればジョルジュ・シムノンもいいけれど。
高野:シャルル・エクスブライヤも面白いですよ。そういえば共同体が舞台なのが共通してますね。
吉野:人をくった感じがある作風ですよね。
橘:その、人を食った感じが頭に来ることあります(笑)
吉野:ただ、今、手に入りにくいんです。
小山:リアルタイムで手に入る、フランスミステリは少ないですね。小説はあるんですが。シムノンといえば、ある日、池波正太郎『鬼平犯科帳』じゃないかと思ったら、すっと読めるようになったんです。時代小説好きな人は、意外とメグレにフィットすると思いますよ。
高野:ちょっと読み方をずらしてやると、これ面白いと思うのはいい切り口ですね。
橘:カミの落語もそうですけれど、江戸のエスプリが通じるかも。
小山:江戸の意気みたいなのは、似ているかもしれませんね。最近刊行されたものでいうとエルヴェ・コメールの『悪意の波紋』は評判いいですよ。
吉野:あれも変な話です。
小山:僕は、ジャック・ルーボーの『麗しのオルタンス』が好き。いい歳のおじさんが書いているんですけれど、作品はとても若々しい。翻訳は、まだ一冊目だけなんです。売れてないのかな。声を大にして、読んで欲しい!(編集部注:その後2017年3月に『誘拐されたオルタンス』が創元推理文庫より刊行された) あとフレッド・ヴァルガス。『青チョークの男』などアダムスベルグ警視ものは、伏線も絶妙で本当に面白い。今、一番素敵な作家じゃないかな。
吉野:英語にも多く翻訳されていますね。CWA賞とっているし。イギリスでは、ヴァルガスとルメートルが双璧でしょう。
高野:じゃあ、ぜひそのあたりからフランス物に入ってもらってと。
小山:あともう一冊、ユーベル・モンティエ『完全犯罪売ります』。これ、究極のフランスエスプリです。振り切れているぐらい。
高野:モンティエも作品が多いわりに、あんまり訳されていないんです。
小山:結構、歯ごたえあるんで、途中読み直さないとわからなかったりするですが。でもおすすめです。一回読んでも諦めず、時間をおいて、何度かチャレンジして欲しい。
吉野:僕はあと、最近『眠りなき狙撃者』が文庫になったのでジャン=パトリック・マンシェットも、読んで欲しいですね。
小山:不思議な作家ですよね。どこがいいって言えないけど、どこかパッションがあるんです。フランス独特の。それがいい。
吉野:子供の頃に読んでも、多分わからなかったでしょうね。どんどん省略されて行く感じが、すごいなと。筋も単純、でもそぎ落として書いているという。ただ、好きということでは、やっぱりジャン・ヴォートランが好きですね。もっと読みたいなあ(高野をチラリ)。『グルーム』みたいなの。
高野:はい、再来年ぐらいには、出せるように。頑張ります(高野注:あと、もう二、三年待ってください。『ゴミの王』を翻訳します――2017年2月記)。
橘:私は、じゃあ、名前が出なかったところで。ミステリには絞れないでしょうが、マルセル・エイメをあげておきます。おかしくて、悲しい。大好きです。
高野:そうですね、短篇企画の作品からも、「三つの事件」というエイメの作品が『ミステリマガジン』の2015年5月号に島津智子さんの翻訳で掲載されました。
吉野:同じく短篇企画にあった「ひと組の男女」も面白かった。男女がひとつになってしまうという。しかも二人は、それで幸福なんですよね。ものすごく寓話的で。
高野:あれも、そのうち皆さんに読んでいただきたいですね。(時計を見て)あらら、楽しい話をうかがっているうちに、あっというまにお時間が来てしまいました。本日はありがとうございました。
高野優(たかの ゆう) |
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フランス語翻訳家。高野優フランス語翻訳教室主宰。白百合女子大学大学院非常勤講師。訳書にヴォートラン『パパはビリー・ズ・キックをつかまえられない』『グルーム』、カミ『機械探偵クリク・ロボット』『ルーフォック・オルメスの冒険』ほか多数。 |
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