書評七福神の一月度ベスト発表!

 
書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。


 耐えられないほど寒くなったかと思えば急に春めいた陽気になったり、おかしな天候が続きますね。体調を崩されている方はいらっしゃいませんか? こういうときは室温調節ができる場所でゆっくりおもしろい本でも読むに限ります。今月も書評七福神がやってまいりました。

 
(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹
『深い穴に落ちてしまった』イバン・レピラ/白川貴子訳
東京創元社
深い穴に落ちてしまった
 どことも知れぬ場所の森の中にある深さ訳七メートルの穴の底で、くる日もくる日も、生き延びるために木の根や地虫を食べ、泥水をすする体の大きな兄と小さな弟。なぜ食べ物が詰まった袋には手をつけないのか? そもそもどうして穴の中にいるのか? 外界からシャットアウトされた小宇宙が、徐々に二人の精神を犯していく。
 「とうてい出られそうにないな。でも、絶対に出てやろう」という冒頭の一文に引きつけられて、閉塞感漂う寓意に満ちた一幕劇を一気に読み通してしまった。物語そのものに関わる謎以外にも、どうして章立ての番号が素数なのか? 作中に巧妙に折り込まれた暗号の解は何か? など、いくつもの仕掛けと暗示と風刺が読むものの心を刺激し、読後深く考えさせられる。
 今月は、ヴィクトリア朝末期のフィニッシング・スクールを舞台に、七人の個性的な女の子たちが迷惑な死体を巡って奮戦する、愉しくてちょっぴり苦いジュリー・ペリー本格ミステリ『聖エセルドレダ女学院の殺人』(東京創元社/神林美和訳)と、アラバマの全寮制高校を舞台に、不思議な魅力に満ちた少女に惹かれる行けてない転校生の少年が、事件を機会に成長する様を瑞々しく描いたジョン・グリーンの青春小説『アラスカを追いかけて』(岩波書店金原瑞人訳)もお薦めです。特に後者は長らく入手困難だったのが、《STAMPBOOKS》から金原瑞人氏の新訳で甦ったので、ぜひこの機会にミステリ・ファンにも手にとって欲しい逸品です。


吉野仁
『失踪者』シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳
創元推理文庫
失踪者〈上〉 (創元推理文庫) 失踪者〈下〉 (創元推理文庫)
 作者の企みにまんまと引っかかり、最後まで一気に読まされてしまった。イギリスの田舎町で暮らす若い娘がロンドンで失踪し、五年後、幼なじみの元ジャーナリストの女性が、あらためて彼女の行方を追う。なにより生きづらさをかかえた女性の姿がじつにじつに胸に迫る物語。いや、もちろんそれだけにとどまらず、数々のドラマやミステリとしての展開の妙を楽しませてもらった。そのほか、ロバート・ゴダード『謀略の都』は「1919年三部作」の第一弾となる歴史小説で、時代のせいかクラシカルなスパイ小説という趣だ。読み終えても謎は謎のままなので、二部三部が待ち遠しい。


北上次郎
『失踪者』シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳
創元推理文庫
失踪者〈上〉 (創元推理文庫) 失踪者〈下〉 (創元推理文庫)
 エンタメを読むには体力がいる、とずっと昔に書いた方がいる。そのころは若かったのでその意味がわからなかったが、本当にそうだ。最近はしみじみそう思う。では、そういう年齢になると、どうなるか。読みやすさがいちばんになる。ごつごつと読みにくいものを辛抱して読んでいくうちに、その文章がからだにしみこんでくる、というのも捨てがたいのだが、もうそんな体力がない。タフでなくても読めるものがいいのだ。ところが困ったことに私好みでなおかつ読みやすいものなんて、そうないことだ。そういう私みたいな人が他にもしいたらぜひすすめたいのが、シャルロッテ・リンク『失踪者』。
 これほどくいくいと読みやすいものは久しぶりである。もちろんそれは、登場人物の造形がよく、構成もすぐれているからにほかならない。5年前に失踪した幼なじみを探索する女性ジャーナリストを主人公にしたドイツ・ミステリーだが、いやあ、面白い。本邦初紹介の作家ではなく、すでに翻訳も出ている作家で、これまで知らなかったのが恥ずかしい。先月のカリン・スローターといい、このシャルロッテ・リンクといい、私、気がつくのが遅すぎる、と反省するのである。


千街晶之
『聖エセルドレダ女学院の殺人』ジュリー・ベリー/神林美和訳
創元推理文庫
聖エセルドレダ女学院の殺人 (創元推理文庫)
 今回は同じ創元推理文庫から出たダフネ・デュ・モーリアの『人形』とこの『聖エセルドレダ女学院の殺人』と、どちらを挙げるか迷ったが、本邦初紹介の作家を優先することにした。それぞれの事情で実家に戻りたくない七人の少女は、毒死した校長とその弟の死体を隠すが、そこに彼らとの面会を求める大人が次々とやってくる。七人は訪問者たちの詮索を機転とお芝居でかわしつつ、独自に毒殺犯の正体を探ろうとする……という物語が面白くないわけがない。スリルあり笑いあり友情あり恋あり推理ありの盛り沢山ぶりだが、どう考えても大人相手の芝居をいつまでも続けられるわけはないので、楽しければ楽しいほど「最後は彼女たちのこの充実した時間も終わってしまうんだよなあ、結局実家に帰されてしまうのかな……」という痛ましさを心の片隅で常に感じつつ読んだ。実際にはどんな結末だったのかというと……それは読者それぞれが見届けていただきたい。


霜月蒼
『真紅のマエストラ』L・S・ヒルトン/奥村章子訳
ハヤカワ文庫NV
真紅のマエストラ (ハヤカワ文庫NV)
 セクハラとパワハラと悪辣な罠で陥れられた女性が美と奔放さでのしあがる痛快なスリラー。男のアンチヒーローは銃器で武装するが、女のアンチヒーローは服飾で武装する。ロンドンをふりだしに南仏へローマへとつづくインモラルな遍歴は華麗で、『太陽がいっぱい』が引き合いに出されるのも納得。でも主人公の性的冒険が主体的で、「自分が自分であるために」という目的と衝動からブレないあたり、オッサン目線のエロ系サスペンスと一線を画す。
 かねてから「冒険小説」と「ロマンティック・サスペンス」とは、パラメータをちょこっといじれば同じものではないかと思ってきたが、本書は「冒険小説」と「ロマンティック・サスペンス」のあいだをつなぐものかもしれない。ちなみに昨年のノワール『ガール・セヴン』と合わせ詠むと面白いのでは。多くのものを共有するそれぞれの主人公の物語が、「ある分岐点」を境に片やリアリズム、片やロマンティシズムに発展してゆくみたいな感じがあります。
 あちらでは続編も出るようで、セックスをするように人を殺す主人公の物語がまた読めるというのはうれしいかぎり。邦訳もお願いします!


酒井貞道
『失踪者』シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳
創元推理文庫
失踪者〈上〉 (創元推理文庫) 失踪者〈下〉 (創元推理文庫)
 ミステリとして云々以前に、登場人物の精緻な描写それ自体で読者を惹きつける。その吸引力たるや尋常ではなく、上下巻を一気に読み終えてしまった。なぜここまで魅入られるのかは、説明がなかなか難しい。失踪したエレインを知る人、あるいはその失踪にまつわる何かに関係していた人々が、それぞれの日常と地続きの悩みを抱えながら、静かに群像劇を織り成す。ストーリー上は、それらが徐々に集まって来て、《劇的な出来事》が次第に形作られていく。それだけなら――誤解を恐れずに言えば、よくある話でしかなく、絶賛する必要はない。しかし、登場人物の造形がいちいち上手くて、ほんのふとした日常描写にも(ミステリ的なサスペンスがあるという意味ではない)緊迫が込められているのだ。これはもう名手と仰いでいいのではないか。とにかくこれは是非とも読んでいただきたい逸品。
 蛇足ですがもう少しだけ続けます。ドイツの作家が、主要登場人物はイギリス人で、舞台もイギリス領の話を書き、それがドイツでベストセラーになるというのは、面白い現象だと感じました。書いた理由と売れた理由が知りたい。面白ければ何でもいいとの考え方がドイツで一般的なのであるなら、非常に羨ましいことだと思う。


杉江松恋
『人形』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子訳
創元推理文庫
人形 (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)
 デュ・モーリアの初期短篇集で、表題作は最近になって発見されたものであるという。バラエティに富んだ短篇集が大好きなのだが、本書はコメディあり、幻想小説あり、ぞっとするような悪意を描く諷刺小説あり、と多様でありつつ、どの作品にも共通してある心情が描かれているという中心線があって、非常に好感を抱いた。初期作品を集めたものなのだから意図されたものではなく、作者の人間観がそのまま滲み出たものなのだろう。この中から一作を選ぶとすれば「飼い猫」か「笠貝」、連作「いざ父なる神に」「天使ら、大天使らとともに」のどれかだろう。特に「飼い猫」は交際し始めた恋人から「ねえ、何かおもしろい小説を紹介してよ」と言われたときに読ませてみると、一発で振られること間違いなしの邪悪な空気に満ちた短篇である。ああ、こういうの大好き! ああ、いるだけで厭な気分になる人ってこういうのだよね、と言いたくなる「笠貝」、想像すると主人公の笑顔が脳裏に焼き付いてしまい、忌々しい気持ちになる連作も、もちろん好き。こういう短篇だけを読みながら一ヶ月ぐらい部屋に閉じこもって暮らしたいです。
 今月のもう一冊のお気に入りは『聖エセルドレダ女学院の殺人』で、犯人当ての謎解き方向にもう少し舵を切ってくれたら首位と入れ替えていたかもしれません。


 おお、シャルロッテ・リンク強し。それ以外にもバラエティに富んで本の選択に困る一月だったように思います。来月はどのような書名が挙げられるのでしょうか。どうぞお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧

深い穴に落ちてしまった

深い穴に落ちてしまった

失踪者〈上〉 (創元推理文庫)

失踪者〈上〉 (創元推理文庫)

失踪者〈下〉 (創元推理文庫)

失踪者〈下〉 (創元推理文庫)

聖エセルドレダ女学院の殺人 (創元推理文庫)

聖エセルドレダ女学院の殺人 (創元推理文庫)

真紅のマエストラ (ハヤカワ文庫NV)

真紅のマエストラ (ハヤカワ文庫NV)

アラスカを追いかけて (STAMP BOOKS)

アラスカを追いかけて (STAMP BOOKS)

太陽がいっぱい (河出文庫)

太陽がいっぱい (河出文庫)

ガール・セヴン (文春文庫)

ガール・セヴン (文春文庫)