第29回『ウィチャリー家の女』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)

 
――ハードボイルドが嫌いでもロスマクは嫌いにならないで下さい!


全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。


「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁
後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳


今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!




畠山:いや〜〜忙しい夏ですねぇ。東京都知事が変わり、九重親方が亡くなり、シン・ゴジラは抜群に面白く、そして連日のリオ五輪。勝って喜び負けて励ましている間にもイチローは3000本達成するわ、天皇陛下はお気持ちを話されるわ(←字面だけではなんのことやらわからない実に日本的な表現)、お盆に冗談を言うのがトレンドなのかと思ったスマップ解散と、いろいろありすぎて覚えていられません。ドラえもんがドアだけでなく土管も出せるというのには驚いた。この激動の8月、すでにポケモン探しに飽きた人は正直に手を上げなさい。先生、怒らないから。


 テレビに釘付けでさっぱり読書が進まなかったのは私だけではないと思います。9月7日から始まるパラリンピックを控えて今はちょうどお祭り気分も中休みといったところでしょうか。少し気持ちを落ち着けて、海外ミステリー小説を楽しみたいと思います。
 「必読!ミステリー塾」、第29回目の今日はロス・マクドナルドです。ミステリクラスタでは“ロスマク”の通称でお馴染みですね。
 キキキ、キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!! というくらいファンの方もいらっしゃるでしょう。お題『ウィチャリー家の女』はこんなお話。


探偵リュウ・アーチャーは富豪ホーマ・ウィチャリーから行方がわからなくなって3か月になる娘のフィービを探し出して欲しいという依頼を受けた。幼いころから両親の不和を目にしてきた娘と誰しもが品性下劣と評するその母。ウィチャリー家の女たちになにがあったのか。彼女たちの足取りを追いながら真相に迫っていくアーチャー。


 ロス・マクドナルド(本名ケネス・ミラー)は1915年生まれのアメリカ人。しかし父親の失踪によりカナダに移住して親戚の家を転々とします。大学卒業後に高校時代の同級生と結婚。この奥様が大傑作『まるで天使のような』を書いたあのマーガレット・ミラーです。
 母校トロント大学で講師をする傍ら、短編小説を中心に執筆活動を続け、1944年に『暗いトンネル』で長編デビュー。1949年の『動く標的』から始まった探偵リュウ・アーチャーシリーズは約20作に及び、ハードボイルド作家としてハメット、チャンドラーの後継者と位置付けられました。晩年はアルツハイマーを患い、67才で死去。


『ウィチャリー家の女』はリュウ・アーチャーシリーズの10作目。『さむけ』と並んで高い人気を誇る一冊です。
 有名な話ですが、本書が発表される前年、彼のひとり娘で大学生のリンダが失踪事件を起こしています。娘が忽然と消えた時のショックや捜索中の焦燥感、愛し方の不器用な親の姿などは実体験に基づいたものなのかなーとつい想像してしまいますね。
 ちなみに『さむけ』は翻訳ミステリー読書会でも、横浜、熊本、札幌で課題書として取り上げています。ロスマク(ようやく私のPCも“ろ巣幕”という謎の変換をやめてくれた)はまさしくマストリードの作家と言えましょう。


 私もロスマク作品は何冊か既読のものがあります。
 アメリカの家庭の暗部を描くのが共通の大きな柱でもあるせいか、なんていうかその……全体的に重いですね。札幌読書会でも「腹に堪えた」という感想が聞かれましたがまさにその通り。夜中のテレビショッピングでDIYキットや掃除道具を紹介しているアメリカ人のあの滑稽なまでの明るさは何かの反動なのか!?


 主人公の探偵リュウ・アーチャーは、丹念に聞き込みをする現実的な仕事ぶりで、なかなか本当のことを言わない関係者たちから少しずつ真相を引き出していく姿はいかにも職業探偵といった風情です。依頼主のホーマ・ウィチャリーは典型的な独り善がりの父親タイプでお世辞にも感じがいいとは言えないのだけれど、アーチャーはホーマという人物を見透かしながらもちょっとした言葉の端々に優しさがにじむところがあって、私のような常識的な読者としてはホッとするところであります。
 でも基本的には私情を交えずに淡々と関係者の話を繋ぎ合わせていく探偵なので、特にアーチャーに感情移入するようなことはなく、気づけばその存在もさほど意識しなくなるという不思議。主人公だよね? とつい確認したくなります。もしやここがミソなの? そしてこの作品ってハードボイルドなの? ハードボイルドって何? (←何度説明されてもピンときていない人)
 ここはやはり加藤さんの大演説を拝聴すべきか……。




加藤:さてさて、いよいよロス・マクドナルドの登場です!
 ハメット、チャンドラーと並んで「ハードボイルド御三家」と呼ばれる大物ですが、日本では、先輩二人が定期的に新訳を出たりして話題になっていたのに比べ、ロスマクはこれまでやや影が薄かったような気がします。
 しかーし、今年の4月に小鷹信光さんの遺訳である象牙色の嘲笑(新訳版)』が出され、再評価が期待されるところ。
 7月の岐阜読書会では『象牙色の嘲笑』が課題本となり、今回のミステリー塾が『ウィチャリー家の女』。さらに続けて『さむけ』も読んで、期せずして僕にとって今年の夏はプチ・ロスマク祭となりました。


 日本では、ロスマクといえば『ウィチャリー家の女』や『さむけ』といった中期の作品が代表作として読まれていますが、あらためて読んでみると、このあたりのリュウ・アーチャーはすでに全然タフガイって感じじゃないのですね。
 小笠原豊樹さんの滑らかな訳文のせいでもあるのかも知れないけど、物腰が柔らかすぎて、もはやハードボイルドと呼んでいいのか悩むレベル。


 しかし、この頃の作品が支持され続ける理由は、その(かなり薄めの)ハードボイルド要素と(複雑なプロットや謎解きに力を入れた)本格要素の見事な融合にあるに違いありません。
 また、シリーズ8作目『ギャルトン事件』から一貫している「家庭の悲劇」(主に父親の不在が原因)というテーマが事件に深く関わっているのも特徴です。そのためか、陽光が降り注ぐカリフォルニアを舞台としながら、どこか陰鬱な通奏低音が付きまとう。
 探偵リュウ・アーチャーは次第に個性を消し去ってゆき、ひたすら関係者から話を聞き、ただただ新しいドアを開けてゆくという役割に徹してゆきます。そこには、「探偵は家庭の問題に立ち入れない第三者である」という苦渋に満ちた諦念があるのかも知れません。
 こうしてロスマクは独自の路線を確立してゆき、「チャンドラーの模倣」という呪縛から解放されてゆくのですね。


 それにしても、僕が意外に思うのは、多くの読者は僕が「やや物足りない」と感じるところを美点と感じるらしいってこと。
 先日の岐阜読書会でも「アーチャーが自己を主張しないところがいい」「いろんなものを押し付けて来るマーロウより好感がもてる」「だいたい、マーロウって自分に酔ってるっていうか」「なんたって、ロスマクはミステリー的にちゃんとしてるし」「ハードボイルドと聞いて身構えたけど、全然大丈夫でした!」って、みんな僕のほうをチラチラ見ながら発言するのはやめなさい。怒って襲いかかったりしないから。え? 急に泣き出したりしないか心配だったって?




畠山:なるほど。ロスマクは薄めハードボイルドなのね。いや待て、「薄めでハード」ってどういうこっちゃ? う〜〜ん、アーチャーも自身の個性を消す(=オフ)にしちゃうということも考えたら「カロリーオフ」ってとこだろうか。よし決めた、今日から私はロスマクをハードボイルドカロリーオフ商品として愛用しよう。


 そういえば札幌の『さむけ』読書会でもハードボイルドは苦手だけどロスマクは読めたという人がけっこういました。やっぱり「ミステリー的にちゃんとしてる」(!)のが要因かもしれませんね。『さむけ』はラストで思わず「ほぇぇ〜」と声がでましたよ。真相を知ってから読み返すと胸がひりひりしちゃってねぇ。確かにあの最後のセリフは威力ある。
 それにハードボイルドにつきもの(と一般に思われがち)な荒事シーンや男同士が黙って酒を飲めばわかりあえるのさ的な要素がないんですよね。
 ハードボイルドというと、フィリップ・マーロウと同じテンションで酔えないとどん引き以外に道はないようにイメージされている(それだけチャンドラーが大きな存在だということでしょう)かもしれませんが、そういう方にはぜひハードボイルドの門戸を広げてくれるロスマクをお勧めしたいです。
(しかし! 由々しきことながら現在書店で入手できるロスマク作品は『運命』『さむけ』『象牙色の嘲笑』の3冊だけなのです。なんたることか! ロスマク復刊を切に願います)


『ウィチャリー家の女』はいろいろな目撃情報が飛び交って実にめまぐるしいです。
 あっち行ったりこっち行ったり、証言者はどいつもこいつもクセがあるわ、肝心なことは言わないわ(そりゃそうだ)でもう大変。
 だんだん話を時系列で押さえていくのが難しくなってくるかもしれませんが、未読の方はご心配なく。無問題です(キッパリ)。ちゃんとラストを楽しめます。
 読書会の時に詳しい方に教わったところによると、ロスマク作品はストーリーのプロットに起伏がなくて、淡々とした聞き込みの繰り返しで犯人を見つけるところまでいくので「読んで5分経つとストーリーを忘れる」と言う評論家もいるんですって。評論家が「読んで5分」なんだから素人は読んでる途中から少々忘れても許されますね。テヘッ


 冒頭でご紹介したように本作は作者の娘リンダの失踪事件に強い影響を受けた作品と思われます。また繰り返し描かれる父親不在、親子の断絶は幼少の頃に家族を捨てた父親の影響があるのかもしれません。そう考えるとロスマクは自分を作品に投影していくタイプの作家さんなんでしょうね。しかもつれあいが“あの”マーガレット・ミラーですよ。『まるで天使のような』を未読の方はなんとしても一度お読みくださいませ。最後に「はぁ!?」と思わず声がでることウケアイ♪ しかもどこをどうしたって明るい作品じゃありません。この二人が! このやたらと暗くて強いエネルギーに満ち満ちた作風の二人が同じ屋根の下で暮らしてるなんて怖くて想像できない。しかも高校の同級生ですってよ! 担任の先生、可哀想!!




加藤:今でこそ、「ステキ売れっ子作家夫妻」みたいに言われるけど、長らくロスマクは「マーガレット・ミラーのぱっとしない旦那」だったんじゃないかな。
 実はロスマクが本国アメリカでちゃんと売れたのは1971年に発表したシリーズ15作『別れの顔』からの最後の4作。30過ぎで登場したリュウ・アーチャーも50代半ば(おそらく)にさしかかり、いつの間にか煙草もやめ、カリフォルニアの自然破壊に心を痛めるオジさんになっていたのです。
 ハードボイルド探偵小説作家ロスマクの作家としての道は平坦ではなかったのですね。


 ロスマクが初めて長編小説を発表したのは第二次大戦も終わりに近い1944年。そして、リュウ・アーチャーシリーズ第一作『動く標的』を発表したのが1949年でした。
 その頃はハメットやチャンドラーらがキャリアを築くうえでの主媒体だった『ブラックマスク』のような大衆雑誌(パルプマガジン)が次々と廃刊となった時期。その上、アメリカのミステリー界には「ミッキー・スピレイン旋風」が吹き荒れていたのです。1947年にマイク・ハマーシリーズ第一作『裁くのは俺だ』でデビューしたスピレインの人気は、今の僕らには想像もつかないものだったようですね。なんと、デビュー作から7作連続で500万部以上を売ったそうですから。


 ニューヨークの私立探偵マイク・ハマーの魅力は、なんといってもその痛快さ。正義の実践者を自認する彼は、悪党をためらいなく撃ち、据え膳を食いまくり、アカ(共産党員)は敵だと公言するタフガイ。
 大戦が終わったと思ったら朝鮮戦争がはじまり、いつ終わるとも知れない共産主義との戦いの予感に欝々としたアメリカの世相に、マイク・ハマーは熱狂的爆発的に迎え入れられたのでした。
通俗的すぎる」という批判はあったものの、マイク・ハマーの強い輝きは「ハードボイルド探偵」の概念を根こそぎひっくり返すのに充分だったに違いありません。


 さらに、マイク・ハマーが45口径GIコルトを片手に共産党員を狩っていたころ、ハリウッドではハードボイルドの生みの親ダシール・ハメットがいわゆる「赤狩り」の標的とされ、ついには収監させられていたのでした。まさに正統派(とあえていう)ハードボイルド探偵小説の危機だったのです。
 そんな時代に、時代遅れのハードボイルド探偵小説を書き続け、次の世代のいわゆる「ネオ・ハードボイルド」作家たちにバトンを繋いだロスマクの功績は大きいと僕は思う。


 畠山さんも書いていたけど、『ウィチャリー家の女』は「ハメットやチャンドラーを読んでみたけどイマイチぴんと来なかった」って人にも是非、読んでいただきたいです。



勧進元杉江松恋からひとこと


マーガレット・ミラーのぱっとしない旦那」って、あーあ。
1970年代から80年代前半にかけて、みんなが言わないようにしていたことを言っちゃいましたね。あーららこらら、いーけないんだいけなんだ。


という戯れ言はさておき。
ロス・マクドナルドの中期作品、具体的に言えば1958年の『運命』から1968年の『一瞬の敵』に至るまでの約10年を短い表現で総括しえた評論にはいまだ出逢ったことがないように思います。
第一義としては、それは私立探偵の主人公が、単なる書き割りの域を脱し、キャラクターと今で言うところの世界観を融合させる、視点人物として成長した時期でした。一作ごとに異なるキャラクターがいるのではなく、シリーズキャラクターとして、きちんとした個人史を持つ人物として、初めてリュウ・アーチャーは設定されたのでした。だからこそ『運命』『ギャルトン事件』のような小説が書かれたのです。
 もう一つは、日本の法月倫太郎氏がずっと執着している、不自由な視点人物の問題があります。一人称探偵小説の常として、主人公は語りを行う作者の側ではなく、それを読み取る読者の側に従属するような行動をしばしば採ります。そういう人物を配して不可解な状況を描くことに、ロス・マクドナルド固執したのでした。1980年代に流行した私立探偵小説の形式は、このロス・マクドナルドの問題提起を乗り越えられませんでした。おそらくそれはキャラクター主導のミステリーの叙述形式として現在も残存し、影響を与え続けています。ロス・マクドナルドが遺した「見えないものをいかに見えるように書くべきか」という問題提起に、きちんとした回答を示した書き手はまだいないのです。そういう意味でもぜひ彼の代表作である本書を読んでもらいたいと思います。

 ちなみに次回は、デスモンド・バグリイ『高い砦』ですね。この小説をどう読むか、またも期待してお待ちしております。


高い砦 (ハヤカワ文庫 NV 216)

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加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)

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