第21回『亡命の愛』他 初期恋愛・性愛小説(執筆者・瀬名秀明)
シムノンはむしろ事件記事やインタビュー記事の執筆に忙しい日々を送っていたようだ。故郷のティジーにたくさんの手紙も送っていた。同年3月24日にティジーと結婚し、パリに連れて来る。 この年の後半からシムノンは《フルフルFroufrou》や《ル・マタンLe Matin》に短い小説をたくさん発表し始めるのだが、なかでも《ル・マタン》紙の「Les mille et un matins」[千一朝物語]シリーズ(複数作家の持ち回り連載)を担当できたのは大きな契機となったものと見られる。《ル・マタン》の主筆アンリ・ド・ジュヴネルは『青い麦』の作家コレットの夫で(ただし翌年には離婚してしまう)、シムノンはコレットから小説指南を受け、これがよい作家修業となったと思われるからだ。 夏以降はパライユ=ル=フレジルにあったド・トラシー侯爵のシャトー管理業務の傍ら毎晩2、3編のコントを書く生活を続けていたようだが、1924年3月にパリに戻るといっそう執筆に励んだ。コントの発表数が増えるだけでなく、より一般的な長めの小説作品にも取り組み始める。 そうした最初の一般作品が、Ferenczi[フェランツィ]社から発売されたジャン・デュ・ペリー Jean du Perry 名義の恋愛小説『Le roman d'une dactylo』[あるタイピストの物語](出版年未記載、1924)[1924/6/30原稿提出]である(提出の日付はミシェル・ルモアヌ『シムノン黎明期の輝き』の記載に拠る)。初めて使用されたこのペンネームは、シムノンの故郷リエージュのペリー通り rue de Péry に由来するらしい。 さて、「より一般的な長めの小説作品」とはどのようなものなのか、ここで確認しておく必要がある。 当時フランスで一般的な小説作品は、前回写真で紹介したような200ページほどの厚手のペーパーバックの他に、日本でいえばむかしの雑誌に付録でついてきたような小冊子が、セーヌ川沿いの屋台などで売られていた。30ページ程度から長くても100ページ未満といったもので、長編というよりは中編である。屋台の軒に渡された紐に洗濯ばさみで挟まれて吊されていた。内容も通俗的なものが多かった。 シムノンが最初に書き始めた「長めの一般小説」とは、このような通俗レーベルのフォーミュラに則った中編作品群だったのである。 この時期シムノンが中編の取引をしていた版元は主に三つあり、恋愛小説はフェランツィ社の《Le Petit Livre》[リトルブック]叢書とTallandier[タランディエ]社の《Le Livre de poche》[ポケットブック]叢書から、また性愛小説はPrima[プリマ]社の《Gauloise》[ゴロワーズ]叢書から、各々さまざまなペンネームで出していた。 ジャン・デュ・ペリー、ジョルジュ・マルタン・ジョルジュ Georges-Martin Georges、ジャック・デルソンヌ Jacques Dersonne、ガストン・ヴィアリ Gaston Vialis、ゴム・ギュ Gom Gut、リュック・ドルサン Luc Dorsanなどの筆名が使用されたが、実際のところ表記はかなりいい加減で、ジョルジュ・マルタン・ジョルジュはハイフンの位置がいろいろ変化するし、ジャック・デルソンヌはジャン・ドルサージュ Jean Dorsage になるし、ガストン・ヴィアリの綴りはときにG・ヴィオリ G. Violis となるし、まともにつき合う必要はない。完全に使い捨てのペンネーム群だったと思われる。 私は『あるタイピストの物語』を入手できていない。だが一般小説第2弾の『Amour d'exilée』[亡命の愛](出版年未記載、1924)[1924/8/19原稿提出]は見つかったので、まずはこれを読んでみよう。本文は79ページあるので、この手の小冊子にしては大作の部類に入る。表紙イラストは悪くない感じだ。 私はフランス語が読めないので全ページをスキャンし、FineReader OCR Pro というMac用OCRソフトでテキスト化して、読み間違い部分は手作業で直しつつ、これをグーグル翻訳にぶち込んで英語に訳して読むという荒技である。最近の人工知能はずいぶんと発達を遂げているはずだが、あまりまともな英語は出てこない。これで長文を読むのはかなりつらい。それでもいくつかのウェブ自動翻訳サービスを試していちばんましだと思えたのがグーグルだった。人工知能の研究者にうかがったところによると、古いフランス語だからうまく翻訳できないのではないかとのことだったが(確かにいわれてみれば90年以上前の文章だ)、そのあたりはよくわからない。ともかく今回はとてつもない労力がかかっている。間違いなく本連載最大の難所のひとつである!
■『亡命の愛』1924
主人公ドゥニ・サバシエは父とふたりでインドのカルカッタに暮らす金髪の娘だ。まだ16歳だが、すでに成熟した魅力を湛えている。父は彼女が幼いころに競馬で大金を当て、娘を連れてパリを飛び出し、放浪の果てにこの地に辿り着いたのだ。だからドゥニは母親を憶えていない。
彼女は家のベランダでフランスの小説を読んで、遠いパリの情景と、そこで愛に生きる男女に憧れを抱く毎日を過ごしていた。しかしある日、行政局長の英国男性がやって来て、きみの父親の許しを得てぼくらは結婚することになったのだと突然いい出す。ドゥニは植民地政策で地位を得ているこの高慢な男が大嫌いだったが、金と地位が約束されるのだと説得する父の打算にドゥニは絶望した。
「そうだ、パリへ行こう! パリこそ自分の故郷だし、いつか母に再開できるかもしれない!」ドゥニは思い立って、フランス行きの《トンボ号》に忍び込み、そのまま寝入ってしまう。
翌日、船の出立後、副船長のジョルジュ・ベルニールが彼女の密航に気づいた。しかしその無垢な寝顔にジョルジュは魅せられてしまう。「お願いです、フランスへ連れて行ってください!」ジョルジュはドゥニの懇願にほだされ、やがてふたりは惹かれ合ってゆく。どちらもいままで出会ったことのないタイプの異性だったのだ。フランスのマルセイユ港に着くころには、結婚を願うほどになっていた。
ふたりはパリのホテルに小部屋を借り、すばらしい愛の日々を過ごした。しかしそれは長く続かなかった。ジョルジュの両親、とりわけベルニール夫人は素性のわからない娘との結婚に猛反対で、またジョルジュも再び極東へと旅立つ日が来てしまったのだ。「あなたが戻ってきたとき、きっと結婚しましょう。そのとき時間をかけてご両親を説得なさって……」涙で別れを惜しんだが、彼女はパリでひとりぼっちになってしまった!
仕事を探そうとするが、うまくいかない。あんなに小説で憧れていたパリは、どうしてこんなに冷たいの……? ドゥニは懸命にジョルジュへ手紙を書き、未来への希望のみを抱いて生きてゆく。
ようやく彼女はロワイヤル通りの《マルタ・ドゥモニー》という婦人帽子店で職を得た。プルミエ(仕事長)であるピレ夫人は何かと意地悪で、仕事も忙しかったが、幸せだった! 愛が自分を強くしてくれたのだ! 給料は少額だったので、ドゥニは別のホテルの屋根裏部屋に移る。いい部屋ではないが、仕方がない! 冷えた食事を摂りながら彼女はジョルジュに長文の手紙を書いた。
だがベルニール夫人はドゥニを息子から離そうと、法律家のギュスターヴを差し向ける。ギュスターヴはジョルジュがセイロンで病気に罹り、帰国が遅れる見込みだと嘘の情報を彼女に伝える。そして手切れ金のようなかたちで引っ越し代金まで渡そうとする。ドゥニは小切手の受け取りは固辞したが動転し、急いでセイロンの病院宛に手紙を書く。
もちろんその手紙がジョルジュに届くことはなかった。ジョルジュはそのころ、中国やシンガポールを経由して東京湾に辿り着いていた。《トンボ号》のケルデック船長は、船乗りなら港ごとに女を抱いて捨ててゆくのが男の生き方だという信条の持ち主で、いつまでもパリに残してきた娘を思っているジョルジュの態度に感心しない。もう3週間も彼女から手紙がないと悩むジョルジュに、「いいバンブーハウスを知っている。一夜限りの女もいいものだぞ」と酒を浴びせて連れて行こうとする。ジョルジュは思う、「愛はいちばん強いはずだ!」
一方ドゥニは配達の途中で転んで大切な帽子を台無しにしてしまい、そのとき自分のお腹に彼の子が宿っていると気づく。店に戻ってピレ夫人からきつく叱られ、昼食時に同じような境遇で働いているウジェニーと語り合い、彼女もまた亡くなった父親の子をお腹に宿しているのだと聞く。
しかし店に戻るやいなや、ピレ夫人からまた厳しい言葉を浴びて、ドゥニはついに思う。ずっとこんな生活が続くのだ。死のうか? 死にたい!
店を終えて、ドゥニはいつしかセーヌ川へと向かうシャンゼリゼ通りに来ていた。夕暮れどきで、凱旋門が翳ってゆく。
「なんて美しいの!」
ドゥニの心に、かつて読んでいた小説の描写が甦る。カルカッタの陽の下で、自分はこの光景に憧れていたのに!
カップルがキスをしながら通り過ぎてゆく。ガス灯の光がセーヌ川の水面にきらめいている。だめ、いけない! まだ生きたい、幸せになりたい! ジョルジュはきっと戻ってくる!
彼女はジョルジュがまだ自分を愛していると信じ、現実とは向き合わず夢のなかを生きるようになった。しかしあるとき店のピレ夫人に妊娠がばれてしまう。「まだ17歳だってのに! このろくでなし、出て行け!」
「どうしたの?」そのとき、めったにやってこない店主のドゥモニー夫人が騒動を見て声をかけてきた。
「可哀想な子! だめよ、死のうとするなんて! 私が面倒を見てあげる。あなたの名前と住所は?」彼女の名を聞いた夫人が驚く。「ドゥニ……あなたなのね! あなたは私の子よ! ようやく見つけたわ! ずっと会いたかった!
そしてドゥニは店主の計らいでプルミエになった。
後日、ベルニール夫人はドゥモニー夫人の訪問を受ける。ふたりは以前から顧客と店長という立場で知り合いだった。ベルニール夫人はいまなおドゥニのことを快く思っていない。だがこの日、あの娘が店長の子であると伝えられて仰天する。「あの子はもうすぐ子供を産みます。あなたの息子の赤ちゃんよ。誰にも止めることはできない。結婚させてあげてほしいの」「結婚ですって、とんでもない!」「あの子は新郎に50万フラン用意できる」高額を提示されてベルニール夫人は動揺する。「そうね、状況は変わったわ。もうすぐあの子は帰ってくるから……」「答をお待ちしますわ!」とドゥモニー夫人は告げて後にした。もうあの子の心配事はなくなったのだ、早くよい知らせを聞かせてあげたい!
そしてジョルジュはマルセイユ港に戻ってくる。ずっとドゥニからは手紙がないままだった。彼女の心は離れてしまったのだろうか……。彼はもはや信じられなくなり、神経衰弱に陥りかけていたが、港が近づいてドゥニの姿をそこに見つけて驚いた。ロープを辿り、橋桁へと飛び移ってドゥニと再会する。「あなたのお母様が結婚を許してくださったのよ!」「信じられない、ずっと反対していたのに!」同行していたドゥモニー夫人からも話を聞いて、「ひょっとして多額の持参金を約束したのでは? それは不要です! ぼくはお金がなくてもドゥニと結婚します!」「しーっ、ジョルジュ、これが結婚するためのただひとつの方法なのよ」
そして挙式がなされた。ごく慎ましい式だったが、途中でジョルジュは帽子店のドゥニの若い仕事仲間を招き入れる。ウジェニーが感動的な祝辞を述べる。ジョルジュは新婦に告白した。「ぼくはお金はいらない、きみだけがほしい。それで考えた」「何を?」「男の宝物をきみにあげたい……。旅の時間だ。これからはともにパリで暮らそう、ぼくも街で働くよ!」「すてき……!」
抱き合うふたりの魂はひとつになった。これからはつらいときもいっしょなのだと。
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Amour%20dexilee.htm
長いあらすじにおつきあいいただき、ありがとう。まず翻訳されることはないであろう習作時代の中編なので、オチまで漏らさず書き起こした。
ご覧の通り、まじめだがどこまでもステレオタイプな小説である。私も徐々にシムノンの小説の要約作業に慣れてきたが、本作は短くまとめるのが難しい。その一本調子な退屈さが、まさに本作の特徴である。
とにかくただストーリーが通り過ぎてゆくだけで、およそ描写というものがない。翳りゆく凱旋門を見て自殺を思い留まるのが唯一生彩を放つシーンで、ここへ辿り着くまでは本当に読むのが苦痛なほどだった。有名漫画家の修業時代に描いた少女漫画が復刊されることがある。あの巨匠が若いころはこんな定型物語を描いていたのか、でもさすがに描線や目のつけどころには後年の輝きが窺えるよね、といった感想を抱くこともあるが、みなさまは実物を海外古書店から購入せずとも、このあらすじを読めば充分である。たぶん本編を読むより、私のあらすじの方が面白いはずである!
シムノンの執筆の勢いは1925年に入っても止まらなかったが、故郷から出てきた友人などと夜遊びは欠かさなかったようで、夏にはノルマンディーのベヌヴィルという小さな町(エトルタやフェカンの近く)にいっしょに遊びに行ったりしている。当時シムノンは料理人としてアンリエット・リベルジュ Henriette Liberge(丸々としていたことから愛称ブール=球 Boule)という19歳の漁師の娘を雇っており、この女性も同行させていた。ブールは晩年までシムノンの家政婦かつ愛人になる。実際、シムノンはベヌヴィルから戻った後も、ヴォージュ広場のアパルトマンでティジーやブールと三人の共同生活を続けてゆくのである(まだティジーとの間に子供は生まれていない)。このころティジーは絵を売って暮らしていた。
同年10月、シャンゼリゼ劇場に『La revue nègreラ・レヴュ・ネーグル』[ニグロ・レビュー]がかかり、これで仏デビューを果たした米セントルイス出身の19歳のダンサー・歌手、ジョセフィン・ベイカー Joséphine Baker(フランス風ならジョゼフィーヌ・バケール)にシムノンはひと目惚れする。アメリカのチャールストンを取り入れたこのレビューは連日超満員で、ジョセフィン・ベイカーはまさに一夜でフランスのトップスターの座に上り詰めた。
彼女の人生はとても興味深いが、ここでは詳細を割愛する。ただ、当時アメリカはまだ黒人差別が激しく、公共の場で黒人と白人がいっしょにいることはできず、黒人はわざわざ顔を黒く塗って滑稽な踊りを劇場で披露していた。そうしたなかでフランスに渡ってきた彼女は、街に黒人がふつうに溶け込んでいることに驚き、自由の国だと感激したらしい。後にフランス国籍を取得している。
彼女は戦後いろいろな経緯からたくさんの孤児を育てるようになる。日本の孤児も受け入れていたので日本とも関係は深いのだが、まずその生涯を知るのにお薦めしたいのはアメリカのテレビ映画『ジョセフィン・ベイカー・ストーリー』(1991)だ。『ポルターガイスト2』(1986)を撮ったブライアン・ギブソン監督の作品で、とてもよくできている(日本ではVHS発売のみだが、海外では現在もブルーレイやDVDで手に入る)。評伝の猪俣良樹『黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー 狂瀾の1920年代、パリ』(青土社、2006)や荒このみ『歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー』(講談社、2007)、フィリス・ローズ『ジャズ・クレオパトラ パリのジョゼフィン・ベイカー』(平凡社、2001、原著1989)には、わずかな言及ではあるがシムノンの名も出てくる。
ジョセフィン・ベイカーが当時ヨーロッパで熱狂的に歓迎されたのは、もちろんその圧倒的な躍動感と表現力にあったのだが、同時にアフリカの野生をイメージさせる自由奔放さや無垢さが時代の要請とマッチして、大衆を刺激したからだった。
フランスはもともと植民地政策のなかで、野蛮と思われる黒人をわざわざ母国へ連れて来てパリ馴化園というところで文明化できるかどうかを科学的調査の名目で見世物にしていたのであり、実際ジョセフィンは米セントルイスの出身なのにアフリカや南国の楽園を想起させるショーやイベント、映画に出演している。彼女の人気が決定的となったのは翌1926年のレビュー『La Folie du jour 最新のフォリー』でバナナの腰巻きをつけて踊ったからだ。この発案者には諸説あり、シムノンもそのひとりらしいが、ジョセフィン本人はジャン・コクトーの言葉がヒントになったと述べていたそうだ(ただし彼女はサービス精神からわりと話を盛るタイプだったようなので、本当のところはわからない)。
私は彼女の映画を『熱帯のシレーヌ Sirène de tropique』(無声映画、1927)、『はだかの女王 Zouzou』(1934)、『タムタム姫 Princesse Tam-Tam』(1935)と三作観たが、そのなかではやはりジャン・ギャバンも登場して美声を聞かせる『はだかの女王』が、当時の偏見も表面化していないストーリーで純粋に楽しめる。『タムタム姫』は後にメグレを演じるアルベール・プレジャンも出てくるが、いまとなっては人種差別的な価値観がきつい。『熱帯のシレーヌ』もステレオタイプな物語であるものの、若くてぴちぴちしたジョセフィンのコメディエンヌぶりと絶頂期のダンスを捉えた部分は素晴らしい。
シムノンはこのジョセフィン・ベイカーとも愛人関係になり、ペンで彼女の宣伝にも協力し、ほとんど秘書のようにつき添って手紙の代筆や母への送金手続きなどもしていたそうだ。肌の相性もよかったのだろう。シムノンは黒人が好きだったと思う。日本では知られていないが、戦後まで何度も黒人小説を書いている。ティジーはふたりの関係に気づいていたのだろうが、見て見ぬふりをしていたようだ。【註1】
ジョセフィン・ベイカーはあちこちから引っ張りだこでピカソや藤田嗣治らのモデルも務めるのだが、シムノンはこの時期パリの画家たちとも交友ができており、藤田などはよく知っていたらしい。とにかく妻帯者でありながらこのころのシムノンは書きまくり、そして遊びまくっていたわけだ。それだけならいいが、はっきりいって女性関係に関しては感覚が壊れていた人間だったと思う。
1925-1926年からシムノンは、コントや恋愛小説だけでなく秘境冒険小説、さらに探偵小説の分野にも進出してゆく。1927年初頭、シムノンはパリで新聞を発行しているウジェーヌ・マール[正確な表記不明]Eugène Merleという人物から、新創刊紙の宣伝のためにガラス籠のなかで四六時中観衆の目にさらされながら執筆するという企画を持ちかけられる。この企画はいろいろあって実際にはうまくいかなかったらしいが、大きな話題となって後年まで伝説となった。ただ、この騒動でシムノンは消耗したのではないか、また同年3月27日にはかわいがってくれた祖父クレチアンが故郷リエージュで亡くなったこともあり、自分の作家としてのあり方を考えるようになったのではないか、とミシェル・ルモアヌ氏は『シムノン黎明期の輝き』で考察している。またシムノンはジョセフィン・ベイカーにずっと入れあげていたが、この年に関係は終わっている。【註2】
シムノンがステレオタイプな植民地主義的感覚以上のものを持っていたのか、それを作品中に表現できていたのかどうかは、実際にいろいろと読んでみなければ何ともいえない。黒人についてもどのような描写がなされていたのか知りたいところだ。ペンネーム時代のリストを眺めると歓楽街の黒人たちが出てくる作品もあるようだが、なかなかそれらの本は稀少で見つかりにくい。
かわりに海外古書サイトで表紙にひと目惚れして購入したのが『ベヌヴィルの乙女』(1927)だ。リュック・ドルサン名義で出た初の書籍である。版元のプリマ社はシムノンの艶笑コント集を出していたところで、おそらく風俗紙誌《フルフル》《パリ歓楽》もここの系列だろう。けっこうな値段だったが、ルモアヌ氏の書誌でこの《ゴロワーズ》叢書がどれも素晴らしいカラーイラストの表紙に彩られていると知って以来、一冊でも実物を入手するのは念願だった。しかもベヌヴィルといえばシムノンが愛人家政婦を連れて夏に遊びに行った場所ではないか! これは期待するなという方が無理というものだ!
■『ベヌヴィルの乙女』1927
フランス北部の町ベヌヴィルで、参事会メンバー4人が集っていた。町長のオーベピン、副町長でやぶにらみのトードゥシェ、教師のムートニュー、雑貨商を営むマニアール。「なあ、きみは今年、町の女の何人とやった?」などと卑猥な会話が飛び交う。ベヌヴィルとフェカン近くの港町イポールの間には鉄道が走っていて、昔からの伝統でこの町の娘は年頃になるとみんなイポールの男に処女を奪われてしまうのだ。
「いや、まだひとり処女が残っているぞ! 19歳のマリー・カレレだ」
「おれの生徒だったときは、もうこんな腰つきだったがね」
「近隣の参事会が何をやっているか知る必要がある……。ル・アーヴルでは〝港の人魚〟を選出して大いに祝っているし、エトルタでも、パリでも、ルーアンでもやっている。うちでもそういうのをやらないか。〝ベヌヴィルの乙女〟だ!」
マリーは美しい娘だった。彼女が処女なのは、たまたま機会がなかったか、その気がなかっただけだろう。参事会主催で町の男女合同パーティが執りおこなわれ、みんな陽気に歌い踊った。サイダーを飲み干すマリーの服はぴっちりとして、胸ははち切れんばかりだ。
マリーは一通の電報が届いていたことを知らせる。それはパリ市議会からのもので、「ベヌヴィルの乙女をわが市の祝賀会に招待したい」とあった。「私がマリーを連れて行こう!」「おれも!」「おれも!」と参事会四名は意気投合し、パリまでつき添うことになった。
夜、列車はパリへと向かう。マリーは寝台室で休んでいるが、参事会メンバーは他の誰かが抜け駆けしてマリーを抱いてしまうのではないかと気が気ではない。トードゥシェもこっそり寝台室に忍び込み、暗がりのなかで手を伸ばして女体を抱いたが、それは人違いだった! 慌てて部屋を飛び出すと、マニアールが泡を食って呼んでくる。
「マリーが若い男といっしょだ!」「なんてことだ!」4人は駆けつけるが、寝室のドアは施錠されて開かない。なかからマリーの叫び声が聞こえてくる。そして3時間……。メンバーは呆然と呟く。「もうやっちまったのか?」
マリーを抱いたのはジャンという男だった。「これが愛なのね、ジャン」「そうだよ、ダーリン……。まだ時間はある!」「ああ、ジャン、これも愛なの? いったいいくつの愛が?」「32さ! まだぼくらは7つめだよ……」
そしてジャンは自分のコートと帽子を裸のマリーに着せていった。「もうすぐパリのサン・ラザール駅に着く。別の車両から飛び出して逃げよう」「毎日してくれる?」「もっとしてやるさ! 愛の巣へ連れて行くよ。モンマルトルを紹介しよう……
「エッフェル塔は? ミュゼ・グレヴァン蝋人形館も?」「もちろん! さあ早く……」
参事会メンバーはどんよりとした雰囲気でパリに到着する。明朝9時に市庁舎へ乙女を連れて行かなければならないが、もはや乙女ではないのだ。
「とにかく、東西南北に分かれて乙女を探そう。夜にホテルで落ち合おう」
ここから4人の行動の詳細を記すには3000ページ必要だが、手短にいえばまず町長のオーベピンはこのなかでもっとも良心的な人物であったため、捜索に疲れてカフェに入り、そこで出会った女に誘われるがまま娼館へ行き、女のヒモと出くわす始末。副町長のトードゥシェはマッサージ風呂店に入り、5人の白人女性とひとりの黒人女性を相手に忙しく、ムートニューも神妙な顔で広場にいる人に「小娘はどこだ?」と尋ねて本当に小人のような小さな娘のところへ連れて行かれる。
マニアールは早々に任務を放り投げ、「他のメンバーに任せておけばいい。初のパリだ、観光を楽しもう!」と凱旋門やオベリスクを観て回る。エッフェル塔に上ると男女のカップルもいて、「ああ、マリーもあんな風にかわいかったな……」とぼんやり眺めていたが、なんと本物のマリーではないか!
マニアールはふたりの足取りを追う。ジャンとマリーはミュゼ・グレヴァン蝋人形館やギャラリー・ラファイエット百貨店などデートコースを巡り、レストランへ。いつもぴったりと若い男がついているので、マリーを取り戻すチャンスがない。ふたりはモンマルトルのナイトクラブに行くのでマニアールも入ると、何とマリーはこちらに気づいていた。ジャンも挨拶してくる。マニアールはペティコート姿の店の女性たちに囲まれてめろめろの状態に。いや、しかし、いま重要なのは乙女の処女性のはずだ……。
人目のない小部屋へと案内され、マリーとジャンはさらに別室へと消える。残されたマニアールは、なまめかしいポーズで誘う娘たちにもはや辛抱できない。だがそのとき、突然警官がなだれ込んできた。マニアールは必死で訴える。「私は特別な任務でこのパリに来ているのです。乙女を連れて帰らないと……」「その乙女とやらはどこだ?」「ええと、この子、それにこの子……」
結局、マニアールは18区の警察署でその夜を過ごすことになったのである。一方、ジャンとマリーは別室にいたため無事だった。「まだぼくらは22しか行っていない……。全部知るにはもっと時間が必要だ!」
さて翌朝、パリ市庁舎では“女王のなかの女王”の姿をひと目見ようと、すでに人だかりができている。ところがなんと選んだはずの“女王のなかの女王”はすでに妊娠5ヵ月と発覚。これでは市民に紹介できない。「そういえば18区長、きみが招聘した“ベヌヴィルの乙女”はどこにいる?」「それが……、あらゆる手はずを尽くしたのですが……」
「正直なベヌヴィルの町は処女を連れて参りました!」
とそのとき声を上げて入ってきたのはオーベピン町長だ。確かに女を連れているが、それは町長がカフェで出会った娘ではないか。
「ベヌヴィルの乙女を紹介します! 乙女を見つけて保護しました!」副町長のトードゥシェもマッサージ店の娘を伴って入室する。「きみらはふたりも連れてきたのか?」と困惑するパリ市議会。「あ、見ての通り、たくさんの処女がいますから……」
「3人目の顧問の到着です!」と伝令係。今度は市議会のお偉方から悲鳴が上がった。ムートニューはまさに小娘を抱えて入ってきたのだ。
「ええと、きみたちに、パリから感謝の意を……」と市議会が告げかけたとき、「4人目の顧問!」と伝令係。マニアールが昨夜の娘たちとともになだれ込んできた。「処女をお連れしました!」
状況は混乱する。そこへ秘書が報告を持ってきた。「なんだって、いまどこに?」「待合室です。背の高い男といっしょに……」
「よろしい!」と市議会は宣言した。「諸君、〝女王のなかの女王〟をパリ市民に紹介するときが来た。──花嫁!」
入ってきたのはティアラをつけたマリーだ。娘は周りを見回して甘い声で尋ねる。「この人たちはどなた?」
──これが事の顛末だ。しかしあなたがベヌヴィルに行く機会があったら、これは真実の話じゃないと思うかもしれない。ベヌヴィルの乙女はとても可愛くて、どんなパリジャンも振り向くほどだ。これほどの完璧な美女をパリの女たちの横に置いて、パリの評判を下げるわけにはいかない。そこで政治的謀略があったと考えられる。参事会メンバー4人も「そんな話は冗談さ!」というだろう。町では男女が合同結婚式を挙げている。かくして、あなたもいかに歴史が書かれるかおわかりになっただろう。どうして子供たちが学校に行くのかも!
そしてここに、もうひとつ別の顛末がある。ベヌヴィルの町民はマリーを手放したくなかった。参事会を告訴し、おまえたちはカネをもらったのだろうとさえ糾弾した。そこでトードゥシェは考える余裕もなく、咄嗟に「彼女は……グレヴァンにいるんだ!」と答えた。「パリで歴代の王や女王を維持しているところで……隠居にはとても快適な場所で……」他の3名もその機転に同意した。
かくしていまも毎日グレヴァン蝋人形館には質問の手紙が届く。その宛名は、《花嫁 パリの女王、ミュゼ・グレヴァン》。
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Pucelle%20de%20Benouville.htm
いやー、これ面白いじゃないの! 前回紹介した艶笑コントの延長線上で、こういうのを書くとシムノンはうまいと思う。筆も踊っていて、テンポもいい。驚いたのは伏線が効果的に決まっていることで、たぶんシムノンも自分がうまく書けていると手応えを感じていたのだろう(ラストのオチがやはり多くのコントと同じでいまひとつ理解できていないのだが、もし解釈が間違っていたらごめんなさい)。途中、マニアールが《G7》ブランドのタクシーに乗るのも注目。後にシムノンは中編「イトヴィル村の狂女」(1931)や連作集『ダンケルクの悲劇』(1932、論創社近刊)などで《G7》という探偵冒険家を登場させている。
この《ゴロワーズ》叢書は金の鉱脈と見た。もっと読んでみたいが古書価が高いし見つからないんだよねえ。
続いて読むのは『あなただけを』(1929)。テキトーな筆名に凡庸な表紙イラスト、すべてにおいてやっつけ感が漂ってくるこの体裁はどうだ。比較的安価だったので、ものは試しとあえて購入した一冊だ。さあ、どこまで手を抜いているのか読ませてもらおう。
■『あなただけを』1929
フランス中央高地のクレルモン=フェランから、痩せて小さな18歳の娘ジャーメン・オーヴェルジュがパリへ上京してくる。彼女はスーツケースを抱えてモンパルナスに住む青年マルセル・デュヴィヴィエを訪ね、「やっと会えたわ! 約束したでしょう?」と訴えたが、すげなく追い払われてしまった。彼女はカフェ《ロトンド》で悲嘆に暮れる。
ジャーメンの叔父は地元で宿を開いており、アマチュア画家のパリの青年マルセルが夏にスケッチにやって来たのだ。スポーツマンでコケティッシュ、2週間で彼女は恋に落ちた。それまで人を好きになったこともなかったが、マルセルは「パリに残してきた仕事がある。でもきみのことは忘れないよ。また戻ってくる。いつかきっといっしょになろう……」といい残して去って行った。それを信じていたが冬に叔父の仕事もうまくいかなくなり、ジャーメンは叔父が寝つくのを見計らって家を飛び出し、パリにやって来たのである。
帰郷する所持金もない。しかしそこへ「おひとりですか?」と背の高い男性が声をかけてきた。50歳ほどのようだが、もっと若く見える。ジャーメンはマルセルのことをご存じですかと尋ねたが、知らないようだ。男性は紳士的に酒と食事をおごり、ジャーメンを踊りに誘う。「ほら、あなたにはあんなロシアの女性のような服が似合うはずです」などといいながら。「おかしな人!」彼女は少し元気が出て、彼について行く。
翌朝、彼女は彼の部屋で目覚めた。彼はレオポルド・ボワロという金持ちのアマチュア画家で、ラスパイユ通りにアパルトマンを持っていて、モンパルナスのすべてを知っており、人からは〝センチメンタルな大男〟と呼ばれている。彼はジャーメンのために服を仕立てさせ、シャンゼリゼのレストランや劇場やナイトクラブへと誘う。
彼女は急速に変身を遂げてゆき、それはボワロ自身も驚くほどだった。ふつうの女性とはつき合わないボワロだったが、愛情が芽生えつつあった! 《ロトンド》では「素敵な女性ですね、どなたですか?」と臨席のボワロに声がかかるほどになった。《ロトンド》にいる女性の噂はモンパルナス中に広まっていった。彼女は緑色が好きで、いつもその色を身につけていたので「緑の服の女」と呼ばれるようになった。煙草もグリーン・モロッコだ。「火を頂戴、ダーリン……」と彼女は煙草を差し出す。もうすっかり田舎の訛りも消えている。
だがある夜、ふたりがホテルのカクテルパーティに赴くと悪夢が起こった。隣に座っていたのは、女性3名を連れたマルセルだったのだ。若者はジャーメンに気づいたようで、顔は逸らしながらも聞き耳を立て、「あの女はぼくではなく、金持ちを探しにやって来たんだろう、しかも50絡みの!」などとうそぶいたりする。微妙な3時間が過ぎ、ついに若者が立ち上がって彼女にいった。「踊りませんか?」
沈黙。しかしジャーメンが神経質に笑ったので、マルセルはいたたまれない様子で席に戻る。彼女は「もう退屈だわ、ベッドに行きましょう!」とボワロにすり寄ってくる。以前の彼女ならそんなことはしなかったのに。
アパルトマンに戻ると、彼女は「来ないの?」といってくる。「来て、キスして!」ラメのドレスがカーペットに落ちる。しかし彼女はわんわんと泣き出した。ボワロは彼女が泣くのを見るのは初めてだった。「ハニー、落ち着いて……。何もしないよ。きみは自由だ。きみを愛してもいる……。まずは眠るんだ、きみは神経が参っている……」彼女はずっとこの数週間、仮面をつけて男を魅了してきた。しかしいまその仮面は壊れたのだ。
マルセルのアパルトマンにボワロは出向く。マルセルは「あなたは彼女に父親のような愛情を抱いていたのですね」という。「あの子はパリでひとりぼっちだったので、それで興味を持ったんだ。彼女に望みのものはすべて与えたよ。愛情へと変わることを願いながら」「それで愛は手に入ったんですか? そんなにカネをかけて、振り向かせることもできず、可哀想に!」
ボワロはいう。「いいかい、私と彼女の間には何もなかった。彼女はきみの名を何度も呼んだんだよ。それでわかったんだ、いまも彼女はきみのことを思っている」
若者は帽子を手にしていった。「あなたのアパルトマンに行きます!」
ボワロは若者を連れて自分のアパルトマンへと取って返す。だが途中で「ここから先はきみひとりで行きなさい」と諭す。「あなたは素敵で、正直な人だ。ありがとう!」若者はアパルトマンへと駆けていった。
その夜、ナイトクラブの隅で男が寝ていた。翌朝、ジャーマンはマルセルといっしょだった。「あなたなんて大嫌い! だってあなたを愛しているから……」
あの野暮ったい娘といっしょにいる気持ちはどう? 熱い抱擁の後、もはや嫉妬しない恋人に向けて彼女はいった。「あなたに罰を与えるわ。街路で私を待っていなさい。さあ、私はあの人にキスをしに行かなきゃ!」
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Rien%20que%20pour%20toi.htm
これもオチがいまひとつわからない。若いころのシムノンは肝心な部分を妙に曖昧な表現で包むクセがあり、それを抒情だと勘違いしている節がある。これも解釈が間違っていたらお詫びする。
ともあれ、本作は32ページで、この分量だとほとんど短編といっていい。相変わらずステレオタイプで強引な話ではあるが、文章に何の妙味もなかった『亡命の愛』に比べると描写で読ませる作品になっていることに安堵する。全体的にはそんなに悪くないと思った。
最後に『過去の女』(1930)を読もう。これも表紙が気に入って購入した一冊だ。ルモアヌ氏によると若いころのシムノンは、愛する人のために罪を被るというストーリーを繰り返し書いていたという。本作もそのひとつのようだ。
シムノンはこの作品を出して3ヵ月後にメグレシリーズ第一作『怪盗レトン』の連載を始める。つまりシムノンよ、もうあと少しできみはブレイクするのだぜ、ちったあ本気を見せてくれよ!
■『過去の女』1930
1月、南仏のイエールは、太陽の陽射しを求めて訪れる人で賑わっている。若妻レナ・ファヴローは、パリで金融会社をいくつも営む40代の夫フェルナンドと結婚して6年。夫と休暇でイエールのホテルに泊まっているが、偶然にもかつて抱かれた男ジャン・フミエールと出会ってしまう。夜、ひとりでホテルを出たレナはジャンに強引な誘いをかけられ、一夜の過ちを犯してしまった。
翌朝、ジャンの召使いのアルベールから通報があった。ジャンはヴィラで殺害されていたのである。パロー警視とドルニエ刑事が現場検証をおこなう。財布がなくなっていることからただの情事の犯行ではないと思われたが、「L-F」とイニシャルのついたハンカチも見つかる。警視らは旅行者リストからレナの名を見つけ出す。
ジャンは世界各地を回るドン・ファンのような男で、金持ちのスポーツマン。しかし女との別れは非情であり、つねに問題を起こしてきた。レナとはサイゴンで会い、彼女の父や姉には悟られぬよう郊外のヴィラに誘って愛人にさせた。しかしこのことでレナは人間不信にも陥ったのである。
フェルナンドはその後ニースでレナと出会い、恋に落ちた。レナはかつて過ちがあったこと、かつて愛のない愛に肉欲で溺れてしまったことを告白したが、それでもフェルナンドは彼女と結婚した。それから6年間、彼女は最良の妻でいてくれたのである。
フェルナンドは事件の翌朝、休暇に来て妻に元気のないことを心配していた。そこへ新聞が事件を取り上げ、レナが犯人だといわんばかりに書き立てる。警視たちも現場にレナのハンカチが落ちていたことを告げる。フェルナンドは妻が男を殺したのだと思い、庇うために「私がジャン・フミエールを殺しました」と警視に告白する。「待ってください、それは本当ですか? なぜ?」「あの男が妻を奪ったから……」しかし警視の質問に彼はうまく答えられない。
収監されたフェルナンドのもとへ、レナからの手紙が届く。「手紙を書き始めてこれが三度目です。私があなたに伝えたいことはとてもシンプルなのに、でも書くのは難しい! 私がまだ若かったころ、ひとりの男が現れました。愛に対してあのころ私は純粋でした。あの男は私を置き去りして、私の肉体のなかに残ったのです。私は記憶を消してしまいたい、でもこの肉体に事実が残っている……。私は肉欲の犠牲になったのです! まさかあなたが殺したなんて……。私を許してくれますか? どうやったらあなたを救えるの? あなたを愛しています! 私が愛したのはあなたひとり、私がいえるのはただそれだけ! 私の肉体は罪を犯しました。それは恥ずべきことです……。レナより
これを読んでフェルナンドは驚く。レナは犯人ではなかったのだ! 手紙を読む彼の反応を見ていたパロー警視も、犯行者は別にいると悟った。フェルナンドは自分が犯人ではないと訴える。「妻に会いたい! 真実を知らせたいのです!」
レナたちと同じホテルに泊まっている18歳の金髪の青年ジャックが自首してくる。青年は病気の母や姉を連れて療養に来ており、以前からレナの様子をうかがう素振りを見せていた。青年はレナのいる前で告白する。
「ぼくが殺しました……。あなたが好きなんです! ひと目見たときから……。どこにでもあなたに着いて行きました……。あなたがあの夜、部屋を出たので後をつけました。すべてを見て、すべてを聞きました。ぼくの偶像を汚した男を、ぼくは許さない。あなたを守りたかったのです……。あなたの夫が逮捕されたと聞いたのでこうして自首しました。いまでもあなたのことを愛しています……!」
法廷が開かれたが、青年の家庭事情には情状酌量の余地があった。1ヵ月前には姉が肺炎で亡くなっており、殺されたジャンの召使いであったアルベールは青年の同級生で、彼が決してふだんから粗暴な人間ではないことを訴えた。「可哀想な子……」とレナの目から涙が溢れる。法廷で青年は母親である老婦人のそばに立ち、「ごめんなさい、母さん、ごめんなさい……」と叫び始める。
夜の帳が降り、ファヴロー夫妻は手に手を取ってビーチを歩いている。ジャックが現れ、レナの心が動いた。「新しい生活を始めましょう。私が新しいお姉さんになるのはどう?」驚いた青年は走り去ってゆく。
しかし、ふたりがホテルに戻ると青年が微笑んで待っていた。「はい、受け入れます……。母に話したんです、ばくは新しい姉さんを見つけたよって……」
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Celle%20qui%20passe.htm
これはひどい出来映え。あらすじの通り、展開の溜めも何もない。台詞は「……」が増えて、「彼」や「彼女」といった代名詞が多用されるので、いったいその場で誰が何をいわんとしているのかすぐに読み取れないような、ひたすら曖昧な場面が続く。メグレシリーズ初期でときおり前面に出ていた悪癖がすでに見られる。メグレシリーズは雰囲気小説と好意的に解釈されることも多いが、少なくとも初期のあの曖昧さはページ稼ぎの書き飛ばしの悪癖から来ていたのではないかと思わされる。なおルモアヌ氏は解説書『シムノンの別世界』で、本作にはジョルジュ・シム名義『Le Roi du Pacific』[太平洋の王](1929/7/20)から一部ほとんどコピペのような文章の転用があることを指摘している。
ここでは「パロー警視」「ドルニエ刑事」と訳したが、それぞれの役職は「commissaire」「inspecteur」である。メグレとリュカに当たるわけだが、この時期の「commissaire」はやっぱり「警視」というより「警部」っぽいので難しいところだ。それでいてペンギンの新英訳は「Inspector Maigret」シリーズとして売っているので、どうしても不統一感は拭えない。
いくら実生活が壊れていても小説で見事な恋愛模様を描いてくれればよいのだが、読んだ限りシムノンはまともな恋愛を書く力も根気もなかったように思える。そもそも一途な純愛など信じていなかっただろうから、作品自体が空々しい。肉欲に溺れてしまうというのは(ルモアヌ氏も解説書で注目しているように)シムノンの本音だろう。どたばたの性愛小説は筆が乗っているので楽しいが、純愛ものの中編は、よほどのことがない限りこれ以上あえて読む必要はないかもしれない。
ただ、実際にこうしていくつか読んでみて、ミシェル・ルモアヌ氏の『シムノンの別世界』に記載されている学術的な梗概以上の印象があったことは、自分にとって興味深い発見だった。文体の急速な変容ぶりと、また意外にフォーミュラから抜けきれないその姿勢をいくらかでも感じ取ることができたのはよかったと思う。媒体に合わせていたというより、そもそもこの方向性はシムノン自身のなかで書くべきものが見つからなかったのではないかと思った。早急な結論は禁物だが、だから徐々に犯罪小説や心理小説の側面を取り入れていったのかもしれない。一方で刹那的な性愛小説はうまい。シムノンはテーマよりも先に文章が出来上がっていったタイプの作家だったのではないか。
実はシムノンの初期ペンネーム作品は、戦後にまとめて長編が何作か復刊されている。近いうちに改めて紹介するが、たとえばファイヤール社からは1954-1955年に《Les romans d'amour de Georges Sim》[ジョルジュ・シム恋愛長編小説集]と銘打たれてペンネーム時代の比較的後期に当たる8冊が出ており、こうした作品群はそれなりの完成度だったのではないかと思われる。このうちの1冊はメグレの名が初めて登場した記念すべき作品、クリスチャン・ブリュル Christian Brulls 名義の『Train de nuit』[夜の列車](1930)だ。メグレは恋愛小説のなかから生まれたサブキャラクターだったのである。『マルセイユ特急』として抄訳されているので、それを取り上げる際に改めて長編の恋愛ものについては考えたい。
さて、ここで長編へと話が移った。シムノンは中編から少しずつさらに長い小説へ、つまり小冊子ではない一冊の本としてまとまる分量の長編小説へと、仕事を拡げていったのだ。とりわけこの長編形式でペンネーム時代のシムノンが筆を振るったジャンルがある。
1927年がシムノンにとって転換の年であったらしいことは先に記した。そこでいろいろあったためか、翌1928年からシムノンは妻ティジーや家政婦ブール、犬のオラフ Olaf を連れて、船でフランスの河川や運河を巡る長旅に出かけてゆく。次回は初期冒険小説編である。
【註1】
シムノンとジョセフィン・ベイカーに関する研究書として、Jean-Marc Loubier『Georges Simenon Joséphine Baker, l'amour sauvage』[ジョルジュ・シムノン‐ジョセフィン・ベイカー、野生の愛](Éditions France Loisirs、2000/9)と、わずかな変更や付録資料削除が施されたペーパーバック版『Joséphine, un amour de Simenon』[ジョセフィン、シムノンの愛人](Durante、2003/1)がある。瀬名は未読。
【註2】
ムダ知識をひとつ。シムノンの生誕住所であるリエージュのレオポルド通り24番地のアパルトマンの一階には、現在「Simenon」という理髪店と「Joséphine」というブティックが並んで入っている(グーグルマップで検索すればわかる)。妻たちを差し置いてジョセフィンとは、地元の人はいったい何を考えているのか……。
【前回の追記】
前回の原稿を書き終えてから、さらに戦前の雑誌《猟奇》で2作、シムノンの初期コントが訳出されていたことに気づいた。原典の調べもついたので紹介しておく。いずれも《パリ歓楽》初出の艶笑譚で、邦訳の見つかったシムノンの初期コントは、これで前回分を含めて計4編となった。
- Luc Dorsan, La tour des soupirs, «Paris-Plaisirs» 1931/5(n°107)p.86[原題:吐息の塔]《パリ歓楽》*
- リユック・ドルサン「怪しの古塔」丸尾長顯訳、《猟奇》1931/9(4巻6号)pp.60-61(目次欄は丸尾長顯「怪しの古塔」表記で、著者名はない)*
ぼくはバスでアルプスを旅していた。太陽は輝き、景色は美しい。カーブに差し掛かったとき、隣の40歳過ぎと思われる豊満な英国婦人が、どすんとぼくの方にのしかかってきた。彼女は色気の滴る優しい微笑で挨拶してくる。さらなるカーブで、今度は腕に入ってくる。これは契約成立ということなのか? 彼女はあちこち席を変えては、カーブのたびに近くの紳士にもたれかかる。やれやれと運転手は古塔の前にバスを停めて観光案内を始めた。「これが有名な呻きの塔でございます。むかし男女が熱愛中に嫉妬深い男に殺されて以来、夜となく昼となく相愛のふたりの呻き声が聞こえるのだとか……」英国婦人は何を思ったか、さっさとバスを降りて塔の方へと上っていった。乗客が「ぼくもちょっと見てくるかな……」といって塔に向かう。他の男性客もひとり、またひとりと塔へ。ついに残ったのは運転手とぼく、そして女子供になったが、運転手も「どれ、それがしも行かずばなるまい」と尻を上げたので……白状すると、ぼくもたまらなくなってその後を追ったのだった!
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9671499/f8.item
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Tour%20des%20soupirs.htm
- Gom Gut, Le mari au tonneau, «Paris-Plaisirs» 1931/6(n° 108)p.106[原題:樽のなかの亭主]《パリ歓楽》*
- ゴム・ギユー「樽詰にされた男」丸尾長顯訳、《猟奇》1931/12(4巻7号)pp.43-45(目次欄はギュウ 「樽男」p.44表記で訳者名はなく、ページを誤記)*
これは世の物笑いとなったおめでたいご亭主の話をしようというのではありません、「徳性」の話をしようというのです。さて問題のご亭主はオスカーで、その妻君はブランシェ、その燕はゴンザーグ。彼らは水夫を連れて小さな快遊船で沿岸周遊の旅に出たのです。妻君と燕はふたりきりになりたいが、ご亭主は船乗り気取りであちこち跳び回るから機会がない。そこでゴンザーグ、「いっぺんあのマストのてっぺんに登ってみなければ一人前の船乗りとはいえませんよ。樽に入って水夫に綱で引き上げてもらったら?」。オスカーは樽に入り、ひとりご満悦でマストの上から双眼鏡で眺め渡す。「とうとうやったな!」ふたりは喜んだのですが、一時間ほどして船が急に傾き、ご亭主が樽ごと海に放り出されました。真っ青な顔で甲板に現れたのは全裸の妻と燕。しかしご亭主は救出後、こんなふうに語ったのです。「死の言葉も浮かんだが、それを補ってあまりあるのは、ぼくの家内とゴンザーグがすでに着物を脱いでいまや水に飛び込もうとしていたことさ。それだけの勇気と親切を持っているのは嬉しいじゃないかね!」どうです皆さん、これをおめでたいご亭主だなぞと笑ってしまうことができるでしょうか!
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9671507/f8.item
http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Mari%20au%20tonneau.htm
「樽詰にされた男」はやや意訳・省略されている。前回紹介した2編に比べるといささかパンチが弱い。《パリ歓楽》のページ構成の楽しさをうまく伝えるのは難しいものだ。ぜひ原典のイラストもご覧いただきたい。
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