チャールズ・ウィルフォード『拾った女』(執筆者・浜野アキオ)

 

拾った女 (扶桑社文庫)

拾った女 (扶桑社文庫)

 
 今回、チャールズ・ウィルフォード『拾った女』(原題 Pick Up)を訳したんですが、出版にあたって若島正氏より、ありがたくも帯の文句をいただきまして、それが「直球ど真ん中のノワールと見せかけて実は読者の手元で変化する曲球」というものなんですね。若島さんのおっしゃるとおりで、この『拾った女』という小説、不遇の男がふとしたことで宿命の女に会い、二人で堕ちていくという、ノワールの王道というか、ノワールの中のノワールというか、ノワールの生一本というか、ノワールそのものといった世界がこれでもかというくらいに展開されるんです。で、ノワールの定型に則った展開がそのまま最後まで続くのかというと、これまた若島さんのおっしゃるとおりでけっしてそんなことはなく、途中からどんどん、どんどん話がずれていく。
 
ゲッタウェイ (角川文庫)

ゲッタウェイ (角川文庫)

 一言でいうとひじょうに変な物語なんです。でも変な物語といったらマイ・フェア・レディだってものすごく変な物語なわけで、もうちょっとその辺について話すと、なんというか、同じノワールで例を挙げるなら、ジム・トンプスンゲッタウェイという小説があるじゃないですか。意味合いは全然ちがうんですけど、ちょっとあれに似たところがあるというか。『ゲッタウェイ』もノワールの王道的な展開を示しながら、途中から話がずれていく。しかも話がずれていくことで作品が失敗しているかというと、全然そんなことはなくって、むしろそのずれていった部分にこそ作家の本領が発揮されている。『拾った女』もそうなんです(ちなみに、ぼくにとって『ゲッタウェイ』はアンナ・カヴァン『氷』と並ぶ、二大究極のホラー小説の一つです。さらにいうと、あの恐るべき小説を読んでしまったあとでは、ペキンパーの同作の映画がつまらない作品としか思えなくなるという前代未聞の映画潰し原作でもあります)。
氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

  
『拾った女』という作品はノワール中のノワールでありながら、一筋縄ではいかないというか、一方ではノワールの枠に程よく収まりきっていない。そこにこの小説の最大の魅力があると思うんですね。主人公二人はアルコールの依存症者なのですが、その後のサイケデリック時代を先取りするような描写もあって、それこそ一種のドラッグ小説としても読めるし(まあ、酒も立派なドラッグですし)、作品全体としては陰惨なトーンでありつつ、ウィルフォード独特のゆがみきったユーモアも随所で地雷のように破裂している。それとやはり主人公のカップルは明らかに闇を抱えているわけですね。読む方はどうして彼らが闇というかデモーニッシュなものを抱え込んでいるのかさっぱりわからないんだけど、どんどん破滅に向かって突き進んでいく。すると小説全体がその闇というかデモーニッシュな何やらの根源を抉り出すという方向に向かわざるをえない。まさしくノワール(黒/闇)という次第なんですけど、これが全体として一種の精神分析小説として読めなくもない。で、前半は症例篇、後半は分析篇というか(笑)。
 
狙った獣 (創元推理文庫)

狙った獣 (創元推理文庫)

 この作品は1955年に発表されています。マーガレット・ミラー『狙った獣』が発表されたのとちょうど同じ年ですね。『狙った獣』は当時のアメリカを覆っていた神経症的な不安を鋭角的に切り取った傑作ですが、『拾った女』も、当時のいわゆるニューロティック・サスペンスと同じとはいわないまでも、共通する問題意識というか、枠組みの中で書かれているのはまちがいないと思います。ただ、『拾った女』という作品が面白いのはさらにその先なんですね。さっき述べたように、主人公のカップルは明らかに心の奥底に闇を抱えているし、読者はその闇、〈彼らの問題〉にずーっと付き合わされるわけです。ところがラストに至り、ある操作が施されことで、その地と図が一気に反転する。結局、読む者は本当に闇を抱えているのは誰なのかという問いの前に立たざるをえなくなる。すると、ちょうどくるりと手袋を裏返すようにニューロティック・サスペンスの枠組みがひっくり返されるというか……。本書が底の抜けたニューロティック・サスペンス、脱ニューロティック・サスペンスとでもいったような様相を呈しているといったら穿ちすぎでしょうかね。
 
 ネタバレにならない程度にさらにもう一つだけ。本書のテーマが、けっしてサイコパスではない主人公のどこかサイコな内奥の闇にあるということは話してきたとおりです。それで、ずっと読んでいくと途中で主人公の錯乱を示唆しているような描写があって、どうやらその闇は、〈見ている俺〉と〈見られている俺〉の分裂、裂け目と関係しているみたいなんですね。で、その〈見ている俺〉と〈見られている俺〉との分裂というのは、語りのレベルでも反復されていて、これは注意深く読めばわかるのですが、本書はどこの時点にいるのかよくわからない〈俺〉が過去の〈俺〉について語っているという構成をとっている。〈語っている俺〉と〈語られている俺〉というか、主人公である〈俺〉の背後に、もう一人の登場人物である〈俺〉が潜在しているというような感じ。で、本書のラストに強烈な一撃があるわけですが、一見、唐突とも思えるその一撃は、実はこの語りの分裂、裂け目にその根拠を置いているのだ、と。
 
 これ以上はネタバレになりそうなのでこの辺でやめておきますけど、ここでまた最初の話題に戻るとして、本書は一筋縄ではいかないノワールだとお話しましたが、「それで、結局、これってミステリなの?」という声が聞こえてきそうですね。実際、派手な犯罪が起こるわけでもないですし、警察は登場しますが、鮮やかな洞察で事件を解決に導く警官が出てくるわけでもない。でも、テキスト空間に罠を仕掛け、ラストにいたって鮮やか(?)に回収する手口はまさしくミステリそのものだと思うのです。そういう意味ではむしろミステリ・ファンにこそ読んでいただきたい(笑)。もっと言うと、ラストまで読んでさらにもう一度、本書を読み直すと、初読のときとはまったく別の風景が展けているという稀有な読書体験を提供している作品でもあると思います(ひょっとしたら、稀有どころか、すべての読書体験はそういうものなのかもしれませんが)。
 
 訳者としてのウィルフォードの作品との付き合いはこれで3作目になるわけですが、いつもこの作家のことをどれだけわかってもらえているのかなと思うんです。「ウィルフォードの作品には(のちのカルトをうみだすような)サムシングが強烈に存在した」と述べ、「甘いような、苦いような、辛いような、酸っぱいような読後感」と的確この上ない名言を吐いたのは滝本誠氏ですが、この『拾った女』では「甘いような、苦いような、辛いような、酸っぱいような」、そのどれでもなく、そのすべてでもあるような、ウィルフォード独特のエモーションが他の作品にも増して炸裂しています。一人でも多くの人にこのウィルフォード・フィーリングを感じとってもらえたら、訳者としてはそれ以上、望むことは何もありませんね、いやほんとに。
 
 そうそう、ウィルフォードの作品が刊行されるのも久しぶりだということでざっと紹介するということでしたね。かなり長くなってしまったんでごく簡単に。ウィルフォードは1919年生の1988年没で、ジム・トンプスンデイヴィッド・グーディスと並ぶパルプ・ノワール作家の雄です。やはり滝本誠氏によりますと、他のパルプ作家が不遇な生をかこったのに比し、ホウク・モウズリー刑事シリーズの成功により、ウィルフォードだけは例外的に幸福な晩年を送ったのだとか。パルプ・ノワール作家として出発し、エルモア・レナード「ウィルフォードより上手くクライム・ノベルを書ける者は誰もいない」と評された職人技でエンターテインメント作家として商業的な成功をおさめ、かつまたノワールでクールな作家として再評価を受け、加えて雑誌『リサーチ』に、よりストレンジなカルト小説の書き手としても評価されるという、この分裂し、とっちらかったありようこそがウィルフォードなのだと思ってもらえたらまちがいないんじゃないでしょうか。
 
 ご清聴、ありがとうございました。
 
浜野アキオ(はまの あきお)

 1961年生。翻訳者。ウィルフォードの他の翻訳としては『危険なやつら』『炎に消えた名画』(いずれも扶桑社ミステリー文庫)がある。
 

■担当編集者よりひとこと■

 
 舞台はサンフランシスコ。50年代。
 夜の街で、夢に敗れた男とブロンドの美しい女が出逢う。
 かりそめの関係を結んだ二人。
 しかし彼らを待つのは酔いどれの日々と、死への抗いがたい誘いだった……。

 まずは、本書制作にご尽力いただいた諸氏に心からの感謝を捧げたいと思います。
 もちろん最初にあげるべきは、翻訳者の浜野さん。練達の訳文でアメリカ50年代の空気感を活写してくださった結果、風格のあるノワールとして邦訳版が成立しました。上の訳者自薦も、作品の勘所をズバリおさえたものとなっていて、実にありがたいかぎりです。
 若島正先生にはこれ以上ない帯推薦を頂戴いたしました。本当にありがとうございました。もともとは若島さんが『ハヤカワミステリマガジン』のコラム「失われた小説を求めて」で本書の原書を取り上げられたのが、『拾った女』の内容が日本語で紹介された嚆矢だったのでした。ようやく翻訳の形で世に問うことができ、これほど嬉しいことはございません。
 素晴らしい解説をご執筆いただいた杉江松恋さんにも感謝です。(おそらくその構造上)極めて解説者泣かせといってよいであろう本書の魅力と読みどころを、絶妙のさじ加減で読者にわかりやすく提示してくださったその手腕、本当にお願いして良かったと感激しております。読者の皆様はぜひ、ウィルフォードの「技」と合わせて、杉江さんの書評家としての「技」もお楽しみいただければと思います。
 そして、弊社海外文庫の前担当者であるT(このブログで昔連載を持っていた)。実は本書は、彼が企画したまま諸般の事情で刊行が遅れ(本当に幻になりかけてた)、いまようやく陽の目を見た作品なのです。ジム・トンプスン連続刊行で扶桑社ミステリーのノワール路線を切り拓いた先達の置き土産を、皆様のお力添えを得て形にすることができて、本当に後輩冥利、編集者冥利につきる思いでございます。
 
 ローレンス・ブロックエルモア・レナードが絶賛する天才が、そのキャリアの初期にものしたノワールの傑作。
 評論家のウディ・ハウトは「デイヴィッド・グーディスのロマンチシズム、ホレス・マッコイの手になる疎外された除け者たちの肖像、チャールズ・ジャクスンが『失われた週末』で描きだした酒浸りの人生。本書はその鮮やかな融合だ」と評しています。
 典型的な負け犬(ルーザー)たちの物語。ノワール版「同棲時代」。
喝采』『酒とバラの日々』『ハスラーといった同時代作と通底する「酒と人生」をめぐる物語でもあります。
 さらに、上記原稿で浜野さんが1950年代のニューロティック・スリラーとの共通軸について言及されているのは、単なる同時代性、同テーマ性「だけ」の話ではありません(意味深)。
 
 編集者としましては、とにかく予備知識なく、まずは生粋のノワールとしてお楽しみいただきたい、と思います。
 しかるのち、きっと読了後は「いろいろ話したくてたまらなくなる」でしょうが、そこはぐっと我慢して、さりげなく(あんまりあおらずに)別の方に「なかなか面白かったよ」とお薦めください。
 で、相手が読み終わったら、ぜひ熱く本書の感想戦を展開してほしいんです。
 もうですね、編集者も語りたいことが山ほどあるんですが、これ以上何も語れないのがホント悔しい、もどかしい(笑)。
 逆に言いますと、読了後はきっと誰しも何かしら語りたくなる小説だと思うんですよね。なので、読書会などの題材としても最適ではないかと愚考する次第です(いやらしい)。
 
 というわけで、ノワール好きの方も、ノワールとは無縁の方も、ぜひご一読いただけると幸いです。7月2日発売でございます。よろしくお願い申し上げます。
 

(扶桑社・編集Y)   

 
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