保安局長はタンゴ熱の夢を見るか〜カミ『ルーフォック・オルメスの冒険』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

 (ある一軒家の窓辺に死体が転がっている)
保安局長 無惨です、オルメスさん。被害者のストラングル氏は、絞殺された上に、顔も裂かれ、眼をえぐりとられ、腰骨も折られています。
オルメス 殺害予告があったと聞きましたが。
保安局長 予告の手紙が来たので、助手にはドーナツの穴で家の周囲に落とし穴をつくっておくように頼んでおいたのですが。
助手 申し訳ありません。普通のドーナツの代わりに、餡ドーナツを使ってしまいまして。
 (オルメスらは家の周囲の足跡を確認して) 
オルメス なるほど。だが、私には犯人がわかりました。怪人スぺクトラの仕業だ!
保安局長 さすがオルメスさん。でもどうしてわかるんですか。
オルメス 家の周囲にある足跡、これはアルゼンチン・タンゴのステップです。「死刑台のタンゴ」事件でスペクトラが使用していたワクチンが切れて、タンゴ熱が発症したのに違いない。
 (保安局長は思い出したように♪チャッチャッチャッと少し踊る) 
オルメス しかし、大雨の後なのに、家の周囲3メートル以内には足跡がない。窓が開いていたとはいえ、これは不可能犯罪だ! 何か手がかりは。
保安局長 被害者は、昨夜読んでいた本の感想を残しています。
 (オルメス、文章をのぞき込む)

 

ルーフォック・オルメスの冒険 (創元推理文庫)

ルーフォック・オルメスの冒険 (創元推理文庫)

 『ルーフォック・オルメスの冒険』(1926)
 こどものころに、児童書でオルメス譚に出会って以来、その全容が詳らかになるのをいかに待望していたか。此の度の上梓はまさに近年の欣快事なり。収録の34編、いずれも天馬空を行く、いやギロチンも空を往く奇想に満ちている。「聖ニャンコラン通りの悲劇」などの訳文も超絶。これぞ笑いのシャンゼリゼ、一大マルシェなり。「シカゴの怪事件」「血まみれのトランク事件」「巨大なインク壺の事件」などにはポエジイすら感ずる。そのナンセンスの詩学の考察は別に。
 

オルメス はっはっは。ヒントはすべてこの文章にあります。考察は別。すなわち「絞殺は別」だ。
 (助手、出ていこうとする)
保安局長 どうした。
助手 いま、「高卒は別」と。
オルメス 絞殺と死体の損傷と切り離して考えるのです。文章から被害者が私の活躍を読んで驚愕し、抱腹したのが分かるでしょう。顔が裂けていたのは、アゴが外れたから。眼球がないのは目玉が飛び出したから。腰の骨が折れていたのは腹を抱えたからです。
保安局長 でも、スペクトラはどうやって家に近づかないで被害者の首を絞めることができたでしょう。
オルメス 被害者は本の刊行を首を長くして待っていたからです。窓から出た首を絞められてショックで縮んだのです。
保安局長 カミも笑覧!      

━ 幕 ━  

  
 お目汚し失礼しました。
参考 訳者自身による新刊紹介もご覧ください。
 

闇と静謐 (論創海外ミステリ)

闇と静謐 (論創海外ミステリ)

 オーストラリアの作家マックス・アフォード『闇と静謐』(1937)。『百年祭の殺人』『魔法人形』に続く第三作が扱うのは、ラジオドラマ生放送中の謎の死。昨年紹介されたヴァル・ギールグッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』(1934)とまったく同じシチュエーションだ。ラジオドラマの一人者でもあったアフォードはおそらく『放送中の死』を読み、ミステリ作家としての血が騒いだのではないか。
 BBCの新社屋のお披露目に招かれたラジオ狂のリード首席警部は嫌がるジェフリー・ブラックバーンを引き連れていく。二人がミステリドラマ「暗闇にご用心」の生放送の現場をスタジオの隣の部屋からガラス越しに観覧中、新進女優が突然の死を遂げる。スタジオには鍵がかけられている状況で、いったんは死因は病死と判断されるが、ブラックバーンは他殺を疑う……。
 これまでの作品と同様、クイーンやカーといったマエストロ志向が随所にうかがえる。クイーン警視とエラリーのようなリードとジェフリーの関係、ジェフリーの引用癖、過去の実際の犯罪事件への言及、登場人物の少なからずがミステリに一家言もっている、など黄金期の稚気まんまん、雰囲気むんむん。逆にいうと、装飾が多すぎて、垢抜けないとの評価にもなりうる。
 女優の死に絡むトリックは途中で明かされる(横溝正史の小説に同工のものがある)が、解説の大山誠一郎氏が詳細に分析しているように、これを事件の構図を鮮やかに反転させる仕掛けとして使っているところは、この作品の大きな手柄。クイーンの某作への挑戦の意味合いもある。作者が熟知した生放送のラジオドラマの現場の雰囲気も楽しめる。
 ただ、プロット上の欠点もある。被害者を取り巻く事情がなんだか絵空事にすぎて事件に至るプロセスを十分に納得させてくれない。意外な犯人を用意はしているものの、この手でいくなら解決に至る道筋は性急にすぎる。手がかりを含め、もうひと演出を施してほしかった(直前の解決の方がむしろ魅力的だ)。ともあれ、既成の作品に挑戦し、新味を盛り込むことに努めた意欲作で、クラシック本格好きは、この作品を肴に本格談義を楽しめるだろう。
 
嵐の館 (論創海外ミステリ)

嵐の館 (論創海外ミステリ)

『嵐の館』(1949)は、論創ミステリでは『死を呼ぶスカーフ』に続くミニオン・G.エバハートの作品。
 サトウキビを煮る甘酸っぱい匂いでむせかえるカリブ海の島、大農場を経営するビードンとの結婚式を数日後に控えたノーニは、心の中で島の青年ジムを愛していることを知る。そんな渦中にあるヒロインの周辺で、殺人事件が発生して……。
 ノーニは、まだ若く、ビードンとは年はかなり離れている。とはいえ、ビードンは資産家でハンサムで聡明。一方、若いジムは生活能力もなさそうだ。いっときの激情に身をまかせないでよく考えた方がいい、と頼まれてもいないのにヒロインに説教をしそうになったが、「真実の愛」を知ってしまった以上、もはや流れはとめられない。
 殺人事件の顛末より、ヒロインがどうやって婚約者ビードンに切り出すのかに興味津々で読み進むと、殺人容疑はジムに降りかかり、やがて島に嵐が襲う。
 エバハートは、よくラインハートの流れを汲む「もし知ってさえいたら派(H・I・B・K)」といわれるが、本書には、ラインハート流の表現も、もったいぶった展開もない。
 また「家が聞き耳を立てている」というヒロインの不安から始まる典型的ロマンティック・サスペンスの体裁だが、そこは、『スーザン・デアの事件簿』で謎解きにも秀でたセンスを示しているエバハートのこと。真相の伏線は随所に巧みに仕込んでいる。
 典型的ヒロインを擁して、相次ぐ殺人事件、島を襲う嵐の猛威を描き、結末に向けてサスペンスは高まっていく。島の警察署長は無気力な酔いどれ、捜査陣は船でやってくる、といった具合で小さな島という舞台設定が生きている。スモールサークルの男女のエゴも剥き出しにされていくのも、ヒロインを追いつめる。そして、意外な犯人が指摘され、ヒロインは新たな運命の入り口にゴールインする。手がかりがオープンすぎるきらいがあるが、過不足のない仕上がりで、リーダビリティも高い。
 
虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

 若島正横山茂雄という第一人者の責任編集により、ジャンルや年代を問わずに、知られざる傑作、埋もれた異色作を紹介していく〈ドーキー・アーカイヴ〉全10巻の刊行が始まった。
 切り込み隊長は、L.P.デイヴィス『虚構の男』(1965)。 
 訳者の矢口誠氏が「訳者自身による新刊紹介」で本書の妙味を余すことなく伝えるバクハツした文章に、誘われてフラフラになってしまった人も多いはず。筆者も文中の『宇宙刑事ギャバン』が気になって、その名が俳優ジャン・ギャバンから来ているというムダ知識まで得てしまった。「ストーリー紹介厳禁」ともあるし、蛇足を少しだけ。
 
 主人公の平穏で満ちたりた田舎町の生活に亀裂が入っていくくだりが、まずいい。日常生活のなかの、ちょっとした違和感がじわじわと拡大していく描写が丁寧だ。主人公の運命が変転するきっかけになるヒロインとの出逢いも、期待をふくらませる。
 本のカバー袖には、「どんでん返しに次ぐどんでん返し」とあるが、物語上の大きな転回点はそう多くはない。物語の骨組だけとれば、60年代のある種のTVドラマやP.K.ディックの小説を思い出させ、今となってはさほど目新しいものではないはないともいえる。
 むしろ、主人公不在というか、主人公が物語のキーマンとして機能しなくなり、まるで撮影カメラが誰を映していいのかわからなくなってしまった映画のようになってから、物語の文法がぶち壊されていく進行にオリジナリティが発揮されているように思う。品川から乗ったらマチュピチュについたような着地には、呆然としてしまう。
 デイヴィスはイギリスの作家。ミステリ・SF・ホラー等のジャンル横断の元祖のような存在らしい。『忌まわしき絆』(1964)は、教師が子どもの秘密を探る話がホラー寄りに越境していく小説だが、じわじわと世界を押し広げつつ一貫して探索小説のスタイルを貫いているのが印象的だった。
『虚構の男』の背景には、60年代のスパイ小説ブームや洗脳恐怖があるはずで、テイストは懐かしくも、後半のいびつな展開で記憶に残る作品になった。
 
人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)

人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)

 本欄で扱うのが適当かどうかは判らないが、唖然、呆然の作品が多かった今回の中で、もっとも茫然とさせられたのは、同じく〈ドーキー・アーカイヴ〉のサーバン『人形つくり』。1950年代に三冊の作品を発表し沈黙したサーバンは、長らく正体不明の作家で、実はイギリスの外交官だったという事実が判明したのは70年代後半だったという(唯一の邦訳書『角笛の音の響くとき』永井淳氏による訳者あとがきでは、同書の序文を書いたキングズリイ・エイミスペンネームではないかという推測さえされている)。
 端正、精緻、そしてあくまでもジェントルに組み上げた二編の中編は、読む者の内奥に食い込んでくるような戦慄と美がある。
「リングストーンズは、奇妙な体験を伝える手記を中核とした一種の枠物語。体育教師養成学校の女子学生が三ヶ月の約束で人里離れた谷間の地で家庭教師をつとめる。教え子は美しく均整のとれた異国の少年と二人の少女。陽光あふれる小天地で、彼らと遊びに興じ、満ち足りたときを過ごすうちに、少年のふるまいや異教めいた雰囲気に違和感を覚え……。
 本の扉に、「支配」と「被支配」、「マゾヒズム的快感とあるから、主人公が魅入られ、からめとられる運命はおぼろに予期できるのだが、手記の結末近くで出現する異様な光景には心底驚かされた。『角笛の音の響くとき』からの連想もあるが、ナチスが若さと健全な肉体を大いに称揚、賛美したことすら思い出される。我が国の竜宮譚やケルト神話「常若の国」のめいた幻想譚が不意に、極めて20世紀的な悪夢に接続される衝撃に息をのみ、立ち竦む。
「手記」部分だけでも傑作として残っただろうが、手記を読んだ男子学生の行動の物語が続く。事件編に続く解明編といった体裁だか、こちらも曲者。登り切った山を下るように、非合理を合理で割り切り、高まった恐怖を柔らかに慰撫してくれると思いきや、待ち受けている淵の深さは……このさきは実見していただくしかない。
 表題作「人形つくり」は、ぱっとしない女子寄宿舎校の優等生で、オックスフォード大学受験のために残留しているクレアがふとしたきっかけで青年ニールと知り合う。ニールは人形つくりが趣味で……。
 こちらも、この後の展開は予期できるような話だが、その繊細な手触りは類話とはまったく異なる。クレアが思いを寄せて満たされる恋愛の歓喜、そして束縛され、服従していくことに陶酔していく描写には胸をうたれる。「虜になる」というのは恐い言葉だ。クレアの陥った束縛されるほど自由になれるという一種のパラドックス。恐怖の源に庇護を求めるしかない悲しみ。それだけに、最後に残った尊厳のかけらを拾いあつめて、運命に抗おうとする18歳の少女の姿は、いたましくも美しい。
 いずれも、自然描写に魅了される。この精緻な散文が甘美で苦い小世界を幻想の高みに飛翔させている。みずみずしい訳文もまた。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

エッフェル塔の潜水夫 (ちくま文庫)

エッフェル塔の潜水夫 (ちくま文庫)

百年祭の殺人 (論創海外ミステリ)

百年祭の殺人 (論創海外ミステリ)

魔法人形 世界探偵小説全集 4

魔法人形 世界探偵小説全集 4

放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

死を呼ぶスカーフ (論創海外ミステリ)

死を呼ぶスカーフ (論創海外ミステリ)

スーザン・デアの事件簿 (ヒラヤマ探偵文庫)

スーザン・デアの事件簿 (ヒラヤマ探偵文庫)

忌まわしき絆 (論創海外ミステリ)

忌まわしき絆 (論創海外ミステリ)

四次元世界の秘密 (1971年) (少年少女世界SF文学全集〈6〉)

四次元世界の秘密 (1971年) (少年少女世界SF文学全集〈6〉)