第30回 この素晴らしきジャズ世界(執筆者・佐竹裕)
こういう連載原稿を書かせていただいてると、妙な符牒というのがある。
ごく稀にCDを整理したりして懐かしい音楽を引っぱり出してきたりするけれど、ここ最近は、古いディキシーランド・ジャズやクレオールのジャズなんかをかけながら本を読んだりするのがお気にいりだったりする。キッド・オリーのコルネットだったり、ジョージ・ルイスのクラリネットだったりを、延々とかけ続けるのだ。
- 作者: レイ・セレスティン,北野寿美枝
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/05/10
- メディア: 新書
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ジャズは好きでもさすがに草創期のあたりのものはめったに聴いたりしないというのに、たまたま聴いてたそんなときに時代考証ぴったりの小説に出会うという偶然。それに驚かされたわけであります。
件の『アックスマンのジャズ』ですが、なかなかに複雑な内容で、しかも大部。ということで、まずは内容をざっと説明させていただこうかな。
時は1919年の4月。ニューオリンズのリトル・イタリー地区で、シチリアからの移民で食料雑貨店を営む店主とその妻が斧によって惨殺される。犯罪現場に押し入った形跡はなく、切り裂かれた被害者の損傷部分にタロットカードが残されていた。その同様の手口から、数カ月前より人々を震え上がらせていた連続殺人鬼“アックスマン(斧男)”の4つ目の犯行とされた。ひとつだけ異なるのが、店舗の側壁に残された「私が入っていくときミセス・マッジオと同じくミセス・テネブルは起きていることだろう」というメッセージ。タロットカードから、ブードゥー教を崇める黒人の犯行ではないかとも考えられたが、捜査を担当するマイクル・タルボット警部補は、残されたタロットが指し示すのはマフィアの処刑の流儀だとして、その線を疑う。
数日後、新聞社〈タイムズ・ピカユーン〉の記者ライリー宛に犯人からの声明文が送られてくる。「次の火曜日(1919年5月13日)の0時15分にニューオリンズを通過するが、ジャズを聴いていない者は斧で殺す」と。当日、恐怖からか熱狂からか街中は建物ごとにオールナイトのジャズ演奏で異様な賑わいを見せることになる。はたしてアックスマンはジャズを聴いていない者を実際に見つけて殺害するのだろうか。アックスマンとはそもそも何者なのだろうか――。
人種差別の激しい土地、そして時代。こうした捜査方針ひとつとっても各人種間の反感を煽ることにつながる極度の緊張状態。そんななかで、マイクルは黒人の妻を娶り彼女との間に子供ももうけていたため、周囲の人種差別主義者からいつ現状の生活を奪われるかという不安につねに付きまとわれている。加えて、同僚のルカを売った裏切り者でもあることから、捜査の失策は許されない。この事件の捜査を志願してきたケリーという青年警官の助けを借りて、非協力的な刑事仲間たちを尻目に地道な捜査を続ける。
いっぽう元刑事のルカは、マイクルの告発がきっかけとなり、マフィアと癒着した汚職警官として“アンゴラ”と呼ばれるルイジアナ州立刑務所に投獄されていたが、模範囚として服役を終えて出獄したばかり。だが、服役中に全財産を預けていたマフィアの息のかかった銀行のトップが逮捕されてしまったため、無一文となったこと知る。結局、失職と引き換えに縁を切るはずだったマフィアの首領・マトランガを頼らざるを得なくなる。マトランガが提示した仕事は、連続殺人鬼アックスマンをひっ捕らえて連れてこいというものだった。
さらにもう1人。ピンカートン探偵社ニューオリンズ支局で雑用係を務めるアイダは19歳ながら人目を引くほどの美貌。ただし、肌色は白いのに黒人の血を引いているため、志望していた警察官にはなれない。幼い頃からシャーロック・ホームズの探偵譚を読み漁り、探偵業に憧れてきた彼女は、なんとかアックスマン事件を解決して、ピンカートン探偵社で正式の探偵業務を任されたいと考えている。幼なじみのコルネット奏者ルイスに助けてもらいながら、独自に事件の調査を進めていく。
このマイクル、ルカ、アイダの3人が、それぞれの思惑で事件の真相を追う探偵役となる。さらには、人種の問題、マフィアや政治家の思惑、先の見えない未来などが、彼ら一人ひとりに大きな陰を投げかけていく。
このアックスマン(斧男)がらみの連続殺人事件は、1918年から1919年にかけて実際にあった未解決事件を題材としている。凶行の犠牲になった順番は異なれど被害者の名前も同じだし、アックスマンからの犯行声明文の内容もいじっていないという。壁のメッセージも、ほぼ同様の内容らしい。作中でも書かれている、ジョゼフ・ジョン・ダヴィラ作曲「謎のアックスマンのジャズ(怖がらせないで、パパ)」もまた、恐ろしい挿画つきの譜面が売られた実際に売られた。
ミステリーの題材としては、『ニューオリンズの葬送(New Orleans Mourning)』(1990年)でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇を受賞しているジュリー・スミスが、その次作『殺し屋が町にやってくる(The Axeman’s Jazz)』(1991年)で、すでにこの未解決事件をテーマに取り上げている。とはいえこの事件そのものではなく、そこでは実際の事件から70年以上も経ってまたもやアックスマンを名乗る殺人鬼が活動を再開した、といった内容だった。
いまなお謎に包まれているこの未解決事件に着目し、重厚かつ複雑な人間ドラマに昇華させた作者セレンティンはロンドン在住。映画やドラマの脚本の仕事はしていたが、小説家としてはまったく新人。はじめて書いたこのミステリー長篇で、なんと英国推理作家協会(CWA)賞の最優秀新人賞(ジョン・クリーシー賞)を受賞したわけである。事実には忠実に、創造性については奔放に、という方針でその二つをみごとに融合させた手腕を認められたということだろう。
もちろんタイトルがタイトルだけに、本作のもう一つの主人公はジャズ。ニューオリンズといえばジャズの聖地だし、冒頭から、ボブ・シールとJ・ロザモンド・ジョンソン作「オー、ディドント・ヒー・ランブル(Oh! Didn’t He Ramble)」、コール・ポーター作「ハイ・ソサエティ(High Society)」、ヤロミール・ヴェイヴォダ作「ビア樽ポルカ(Beer Barrell Polka)」など、葬儀での演奏にはじまって、全篇ジャズの響きに充ちている。
その点では、主要登場人物のひとりとして、かのルイ・アームストロングをモデルにした青年音楽家ルイス(アイダの幼馴染)を登場させたことも、成功要因のひとつとなったのだろう。
アームストロングは、少年時代に銃を発砲して入れられた少年院で、院内のブラスバンドの一員としてコルネットの演奏を習得。キング・オリヴァーに師事したのち、同じくコルネット奏者のキッド・オリーやピアノ奏者のフェイト・マラブルの楽団で経験を積み、ニューヨークのヘンダーソン楽団を経て、自分のバンド「ホット・ファイブ」を結成する。そこでジャズ史上初のスキャット・ヴォーカルを発表。類いまれなトランペットのフレージングと独特なしゃがれ声のヴォーカルとで、ジャズ界では知らぬ者がいない存在へとのぼりつめていった。グレイス・ケリー、フランク・シナトラ、ビング・クロスビー出演の「上流社会」(1956年)、バーブラ・ストライザンド主演の「ハロー・ドーリー!」(1969年)など、映画出演もいくつもこなした。もはや代表作とされている晩年の歌唱「この素晴らしき世界(What A Wonderful World)」(1968年)は全世界で愛される歌となり、数々のシンガーがカヴァーしたが、彼自身のテイクを超えるものはこれから先も現れないだろう。唯一無二の天才エンターテイナーだった。
実際、作中で描かれるルイスの半生は、アックスマン事件にかかわる部分以外は、ほぼそのまま事実を反映させている。のちに養子として引き取ることになる、障害を持った従弟のクラレンスも実在したし、所属していたフェイト・マラブル楽団での同僚、クラリネット奏者のジョー・ドッズ、ドラム奏者のベイビー・ドッズらも、実在の凄腕プレイヤーたちである。
ちなみにコルネットとはホルンのようなもので、トランペットの管と同じくらいの長さの管を2回丸めてあるので、トランペットよりも身体の近くで演奏をこなせるようだ。そのために、子供の頃にはコルネットで練習する場合が多いとのこと。
ジャズの聖地であるニューオリンズといったら、ジェイムズ・リー・バークの『ネオン・レイン(The Neon Rain)』(1986年)で登場したデイヴ・ロビショー刑事のシリーズをまず思い出す方が多いかと思う。その後、第2作『天国の囚人(Heaven's Prisoners)』(1988年)では刑事を辞めてルイジアナ南部に移り住んでいるが、アメリカ南部ということでは一貫した空気感を保っているシリーズで、バークはこのシリーズ第3作『ブラック・チェリー・ブルース(Black Cherry Blues)』(1989年)と、別シリーズの『シマロン・ローズ(Cimaron Rose)』(1999年)でMWA最優秀長篇賞を受賞している。ロビショーのシリーズもまた、南部の音楽が数多く出てくるので、また別の機会に取り上げられたらと考えているのだが。
また、『ささやかな謝肉祭(So Small A Carnival)』(1986年)から始まる夫婦作家ジョン&ジョイス・コリントンの“ニューオリンズ3部作”も、南部独特の空気が充満する作品だった。
ロビショー・シリーズもニューオリンズ三部作もそうだが、『アックスマンのジャズ』でもとりわけ印象的なのは、アメリカ南部特有のバイユー(湖沼地帯)の描写だろう。作中では、ルカがアックスマンを追いつめる後半クライマックスという重要なシーンのバックとして描かれている。その暗鬱さが、当時の南部が抱えたさまざまな問題を体現しているようで、そこに呑みこまれていくクライマックスには大きな意味合いが、少なくとも作者のセレンティンにとってはあったのではないだろうか。
余談だけれど、ルイ・アームストロングに先んじて、コルネットとトランペットの奏者でヴォーカルもこなしたアーティストで、パパ・セレスティン(1884〜1954年)という人がいた。まさかの同じ綴りだったのだけれども、もちろんこちらは黒人。さすがに作者のレイが末裔ということではなかった。でもでも、なにかの因縁を感じなくもないかな?
ちなみに、ビースツ・オヴ・バーボンなるオースラリアの3人組オルタナティヴ・ロック・バンドのデビュー・アルバムがやはり『Axeman’s Jazz』(1984年)というタイトルだそうなので、機会があれば聴いてみたいと思っている。
◆YouTube音源
●“Oh! Didn’t He Ramble” by Kid Ory's Creole Jazz Band
*キッド・クレオール率いる楽団の1945年の演奏。
●“What A Wonderful World” by Louis Armstrong
*現代に生きる人々なら一度は聴いたことのある、1967年の超絶大ヒット曲「この素晴らしき世界」。カヴァーも山ほどありますが、やはりルイ・アームストロングのこの歌声とともに記憶を刷り込まれたリスナーがほとんどだろう。
●“The Mysterious Axeman’s Jazz” by Tom Brier
*ラグタイム・ピアノ奏者トム・ブライアーによる演奏(2013年)。1919年にジョゼフ・ジョン・ダヴィラが作曲した「謎のアックスマンのジャズ」。
◆CDアルバム
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佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |
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