第26回 翼のない飛行機(執筆者・佐竹裕)
シャルレリー・クチュールなる人物をご存じだろうか?
フランスはナンシー生まれのミュージシャンとして40年近いキャリアを持ち、数多くの映画のサウンドトラックを手掛けている才人である。その一方で、絵画や写真も発表している。日本では馴染みが薄いかもしれないが、どうやらフランスではマルチタレンテッドなアーティストとして著名な存在のようだ。
なかでも、ニューヨーク録音となるアルバム『ポエム・ロック(Poèmes Rock)』(1981年)は、フランス産ロック&ポップ・アルバムの名盤と評され、そこに収録された彼の代表曲「翼のない飛行機のように(Comme un avion sans aile)」は、シングルとしてフランス本国で大ヒットを記録したという。
この歌をベースに書かれたミステリーがある。ルブラン賞やフロベール賞といったフランスの文学賞受賞のキャリアを持つフランスの作家ミシェル・ビュッシのベストセラー小説『彼女のいない飛行機(Un avion sans elle)』(2012年)である。
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このフランス・ミステリーの快進撃は、1990年代になって、デビュー作『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない(Billy-Ze-Kick)』(1974年)がようやく邦訳紹介されたジャン・ヴォートランの『グルーム(Groom)』(1981年)が高く評価され、『マーチ博士の四人の息子(Les Quatre Fils du docteur March)』(1992年)のブリジット・オベールなどが好評を得て、フランス・ミステリーが(一部かもしれないけど)ブームとなったとき以来ではないかと思う。
件の『彼女のいない飛行機』は、フランス出版社賞を受賞し、24か国以上で翻訳紹介されたらしく、日本でのそんなフランス・ミステリー人気復活の一翼を担う話題作だったはず……なのだけれど、小生の不徳のいたすところでして、まったくもってノーマークだったのでした。どうもフランス・ミステリーへの偏見があったのかもしれない。ところが、逃した魚は大きい。こいつがルメートルを凌駕せんばかりに素晴らしい作品だった。
物語は、イスタンブール発パリ行きの旅客機が墜落するところから幕をあける。乗員乗客169名のうち168名が即死。ただ一人、生後間もない女の赤ん坊が、炎上前に機外に放り出され九死に一生を得る。ところが、このエアバスには同じ年頃の女の乳幼児が2人乗っていたことがのちに判明。どちらも両親がこの事故で死亡しているため、それぞれの祖父母が、自分の孫だと名乗り出てくるのだが、かたや財閥、かたや移動トラックの屋台を営む家。それぞれの孫娘リズ=ローズとエミリーは、血液型も髪色も目の色も同じだったため、互いの家族が一歩もゆずらない事態になり、泥仕合の様相を呈してくるのだった。
この奇跡的に生き延びた子はほんとうの身元が確認できないため、エミリーとリズ=ローズとを合わせたリリーという愛称で呼ばれ、新聞記事に引用された歌の歌詞からトンボとも呼ばれるようになる。
「おお、トンボよ、おまえの翅は傷付きやすい、ぼくは、ぼくの身体は、潰れた機体……」
この歌というのが、前述の「翼のない飛行機のように」なのである。
富豪家族側であるカルヴィル家の依頼によって18年間、この事件を追い続けてきた探偵グラン=デュックの残した調査記録の手記と、ほんとうの血縁があるかどうか不明ではあるが、“奇跡の子”リリーの兄として一緒に育ち失踪した妹の行方を追う主人公の青年マルクと、2人の視点から物語はかたられていく。つまり、事故以降の過去を探偵が、現在進行の物語を青年がかたるという結構である。
長く調査を続けるうち探偵グラン=デュックは、貧しいながらも誠実なヴィトラル家に肩入れする気持ちを抱いてしまい、リリー(“奇跡の子”の通称)本人と兄マルク、そして2人の祖母ニコルにも愛情を注ぐようになっていく。また、カルヴィル家に生まれ、可愛い妹リズ=ローズを奪われたと妄念と恨みを抱きながら育ったマルヴィナは、歪んだ性格と成長のとまった異様な体形を身につけてしまい、ことあるごとにマルクに妨害をしかけてくる。
この脇役2人のキャラクターがまた秀逸なのである。もちろん、それぞれが物語を牽引するのに重要な役割を果たしているのだ。
とはいえ、こう説明すると、比較的ストレートな人間ドラマではないか、と思われるだろうけれど、じつはこれほどミステリー・マインドに富んだ作品はなかなかないというくらいに、さまざまな仕掛けが施されている。興を殺ぐといけないので、とある古典名作を髣髴とさせる引っ掛けが用意されていたり……という程度にとどめておきたいと思う。
飛行機墜落がきっかけとなって展開する物語というと、スティーヴン・グリーンリーフの『運命の墜落(Impact)』(1988年)やアニータ・シュリーヴの『パイロットの妻(The Pilot’s Wife)』(1998年)、旅客機ではなく軍用機だったと思うが、スコット・スミスの大ヒット作『シンプル・プラン(A Simple Plan)』(1993年)などが思い出されるが、どれも素晴らしい人間ドラマだった。『彼女のいない飛行機』はそのどれにも比肩しうる上質の作品だと言っていいだろう。
シャルレリー・クチュールの「翼のない飛行機のように」は、奇跡の子に関する記事と彼女の愛称の解説としてちらりと前半に登場するが、物語が加速する後半にワン・コーラス分ほども引用されている。
「翼のない飛行機のように……ぼくは一晩中歌った。そう、ぼくは歌った。一晩中ぼくを信じなかった女のために……」
何の因果か、主人公がクレイジーな仇敵マルヴィナ・カルヴィルと2人で18年前の事故現場へと車で向かう羽目になるシーン。祖父母が店として使っていたシトロエンの古いトラックのグローブボックスには、昔のカセット・テープがそのまま残されていて、マルヴィナが選んだのが、この「翼のない飛行機のように」が収録されたクチュールのアルバム『ポエム・ロック』だった。LPレコードでいうとB面1曲目にあたるので、CDのように簡単に飛ばせないカセットだから全部聴かなくちゃ、とマルヴィナは言い、マルクは「フランスのロック史上最高のアルバムだ」と評する。おそらく作者のビュッシは心の底からそう思っているのだろう。なにしろ、タイトルまで、その収録曲をもじって付けているくらいなのだから。
ほかにも、この珍道中ではビュッシの音楽の嗜好がうかがい知れる。ダニエル・パラヴォアーヌの「愛を救え(Sauver l’amour)」(1985年)、スーパートランプの「フェイマス・ラスト・ワーズ(...Famous Last Words)」(1982年)、ルノー・セシャンの「おまえを愛して(Morgan de toi)」(1983年)、ジャン=ジャック・ゴールドマンの「ポジティフ(Positif)」(1984年)。文中では「80年代ポップスの定番ばかりだ」と評しているが、なかなかにヴァラエティに富んだセレクトだとも思う。
そのスーパートランプのアルバム『フェイマス・ラスト・ワーズ』からのシングルカット曲「イッツ・レイニング・アゲイン(It's Raining Again)」のPVの冒頭は、花束を持った若者が待ち合わせ場所のカフェに行き、彼女に待ちぼうけを食わされるシーン。主人公の青年マルクがグラン=デュックの手記を手渡したリリーに立ち去られ、カフェのウェイトレスとマルクがやりとりする場面と同様のやりとりがある。まったくの偶然なのかもしれないが、PVを見たビュッシが作中の場面として入れ込んだと思うと、またミステリーを読むこと自体が楽しくなりはしませんか?
◆YouTube音源
“Comme un avion sans aile” by Charlélie Couture
*「翼のない飛行機のように」1981年当時の本人映像。
“Brothers In Arms” by Dire Straights
*1985年発表の5枚目のアルバム『ブラザーズ・イン・アームス(Brothers In Arms)』のタイトル・チューン。
“Sauver l’amour” by Daniel Balvoine
*1985年に発表された最後のスタジオ録音アルバムのタイトル・チューン
“It’s Raining Again” by Supertramp
*全英3位の大ヒット・アルバム『ブレックファスト・イン・アメリカ』(1979年)後、全英6位を記録したアルバム『フェイマス・ラスト・ワーズ(...Famous Last Words)』(1982年)からのシングル曲で、ビルボードのチャートでも11位のヒットを記録した。
“Morgan de toi” by Renaud Sechan
*1983年発表のアルバム『(Morgan de toi)』に収録されたタイトル曲。主人公マルクとマルヴィナが車中で3度も聴くことになる「身ごもって(En cloque)」も収録曲のひとつ。
“Envole-Moi” by Jean-Jacques Goldman
*アルバム『ポジティフ(Positif)』(1984年)収録のファースト・シングル
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佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |
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