60年代ミステリの至宝〜M・ミラー『まるで天使のような』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 昨年、マーガレット・ミラー『悪意の糸』ヘレン・マクロイ『逃げる幻』という未訳作が同時期に出て、当欄で「最高魔女決定戦」などとハヤしたが、豊作だった今年の夏も、図らずも魔女対決が実現した。
 

 マーガレット・ミラー『まるで天使のような』は、柿沼瑛子さんが、「初心者のためのマーガレット・ミラー入門」で、「奇跡のような作品」としている作品。しばらく新刊で手に取れなかった、この名作が新訳で刊行されたのは朗報。訳者(黒原敏行)自身も、当サイトの〈訳者自身による新刊紹介〉コーナーで背景などを解説してくださっている。→ http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20150902/1441149728
 一文無しになった元私立探偵のギャンブラー、ジョー・クインが〈塔〉と呼ばれる新興宗教の施設に助けを求め、修道女からオゴーマンという男の生死を探るという、奇妙な依頼を受けるところから始まる物語。贅言は要しないだろう。
 独自の教義に支配される〈塔〉と呼ばれる異空間と一見平穏なカリフォルニアの町の対比。わずかな会話の中からでも立ち上がってくる現実感をもった人々。
 かすかな「違和感」や「きしみ」は後にすべて回収され、各所で放たれた糸は、意外なところで意味を帯びてくる叙述と、緻密にして骨太のプロット。
 舞台、人物、叙述、プロットが二重三重に緊密に撚り合わされ、結末のカタストロフに向かう壮麗さ、主要登場人物の悲嘆の感覚は長く読者の胸に残るはずだ。
 一方で、本書は、謎解きも重視したロス・マクドナルド的私立探偵小説とミラー自らの心理スリラー路線の交錯するところに結実したハイブリッドという面も持ち合わせており、60年代のアメリカミステリの到達点を示す至宝ともいえる作品だ。
 
あなたは誰? (ちくま文庫)

あなたは誰? (ちくま文庫)

 意外なところから、クラシック・オリジナルが出た。ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』(1942)が、ちくま文庫から。文庫オリジナルは大歓迎で、ぜひ、この路線が続いていってほしい。
 本書は、『死の舞踏』でデビューした精神科医ベイジル・ウィリング博士物の第4弾。昨年紹介された『逃げる幻』(1945) は、年間ベストに顔を出すなど話題を呼び、改めてマクロイの実力を示したが、こちらはどうか。
 婚約者の実家に向かおうとしている歌手フリーダのもとに電話がかかってくる。「誰だと思う?」男と女とも分からぬ声には聞き覚えがない。「ウィロウ・スプリングには行くな」という悪意のこもった警告の後、「しっかり監視してる」と告げ電話は切れる。
 
 冒頭の短い電話で事態の禍々しさを効果的に演出するのは、さながら、不穏の女王マクロイ。このシーンから既に作者のたくらみは発動しているのだ。
 婚約者の実家では到着早々、再び警告の電話があり、何者かがフリーダの部屋を荒らす。その夜、隣家で行われたパーティでは、ついに殺人事件が発生。ここで、ウィリング博士の召喚となり、ウィリング博士は、一連の事件にポルターガイストの行動の特徴がみられると指摘する。
 心理的不安や恐怖を伝説や超常現象と絡め不穏の雰囲気を高めていくのは、『逃げる幻』『暗い鏡の中に』のように作者のお家芸だが、本書ではとりわけその傾向が顕著で、ウィリング博士の精神科医としての能力をふるうにふさわしい事件。
 本書の謎の中核には、訳者解説にあるとおり、後年の自身の作を含め、びっくりするような先駆性が認められ、歴史的にも価値ある作品だ。それだけに、語りにくい作品でもあるのだが、テーマに寄りかからずに、伏線も丁寧に張り巡らせたフェアな謎解きにしている点、それぞれに不安を抱える、限られた容疑者たちの心理をくっきりと描き出しつつ、最後までしっぽをつかませない点は、作者の高い力量を示している。それにしても、終盤、主要登場人物が犯人像について推理をめぐらす場面のまったく特異な展開は、本書のユニークネスを物語って余りある。
 
曲がり角の死体 (創元推理文庫)

曲がり角の死体 (創元推理文庫)

 もう一丁、女性作家。E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』(1940) は、創元推理文庫における英国女性作家ロラックのマクドナルド警部物の第三弾。『悪魔と警視庁』『鐘楼の蝙蝠』は、発端の魅力に富んだ謎、謎が深まり錯綜していく中盤に比べ、解決がやや腰砕けの印象を受けたが、本書は結末まで間然とするところのない秀作だ。
 大雨の夜、急カーブの続く難所で起きた衝突事故。運転席からは、チェーン・ストアのオーナーである資産家コンヤーズの死体が発見される。しかし、死因は事故によるものではなく、一酸化中毒によるものと判明する。誰が何のためにこのような犯行を計画したのか。
 事件は、ロンドン警視庁マクドナルド首席警部の手に委ねられる。本書では、まず、ほぼ単身で行われるマクドナルド警部の捜査そのものが魅力だ。警部は、よき人間性の理解者であり、田舎の住人たちの心の機微をとらえ、重要な事実を引き出すことに長けている。加えて、人間味に富んだ助言を加えるなど、フェアな尋問者でもある。男女間の愛憎、チェーン店の進出をめぐる葛藤などが次第に明らかになり、最初は限定的だった容疑者も次第に増え、謎は深まっていく。地味でじっくりとした展開ではあるものの、重要人物の失踪から始まり、証言者の死、町の商店街の火災と事件が連打される後半部は息をつかせず、結末も鮮やかに決めている。
「こういう小さな町では、見かけは平穏でも、裏ではさまざまな感情が渦巻いたりしています」作中の商店主の言葉だが、本書で扱われるのも、一見のどかな田舎の村で愛情、嫉妬、憎しみ、羨望とさまざまな感情。田舎の悪意を扱うのはヴィレッジ・ミステリの常ともいえるが、本書で描かれる悪意は、常套でない奥行きをもっている。
 村の葛藤の背景には、被害者の所有する大手のチェーン・ストアが村に出店を目論んでいるという、伝統と革新、資本とコミュニティといった対立の構造があるが、実は、こうした外部との葛藤と同じように、一見のどかな村の人間たちにも同様の緊張関係が伏在していることを物語は明らかにしてもいる。ミステリの形式でこうした普遍的な緊張関係を描こうとする作者の狙いは明らかだが、作者の筆は、マクドナルド警視の捜査同様、さりげなく、ことさらに解説を加えようともしていない。これぞ、英国アンダーステイトメントの魅力。ヴィレッジ・ミステリという観点からいえば、屈指の作品といえるのではないか。
 
アンブローズ蒐集家 (論創海外ミステリ)

アンブローズ蒐集家 (論創海外ミステリ)

 フレドリック・ブラウンといえば、奇想SFで有名だが、長編ではミステリ作品のほうが圧倒的に多い。その代表シリーズ、エド・ハンター物は、最近ではあまり名を聞くことはなくなったが、一作を除きすべてが紹介された往年の人気シリーズ。なぜか、第四作『アンブローズ蒐集家』だけが、わが国におけるミッシング・リンクになっていた。昨年邦訳されたノン・シリーズの快作『ディープエンド』(1952)と併せ、ブラウンのミステリ長編はこれですべて邦訳となった。
 エド・ハンターシリーズの面白さの第一は、一人の若者の成長物語になっている点だ。第一作『わが街シカゴ』 (別題『シカゴ・ブルース』)ではエドは18才。両親を失い、カーニバルの芸人出身で人間味あふれるアンブローズ(アム) 伯父とタッグを組んで事件を解決していく。エドは、頭の回る若者で、口も達者な一方で、トロンボーンを奏で、SFを好む年齢相応の若者。伯父の教えを受け、探偵としてスキルを身につけていく、ニヒルでも、固ゆで卵でもない、等身大のヒーローなのだ。ハンサムな青年で、エドに惹かれる女性が、皆、キュートなのもシリーズの楽しみの一つでもある。
 事件も凝った設定のものが多く、例えば、第三作『月夜の狼』では、異星からの通信と人狼伝説、第五作『死に至る火星人の扉』では火星人が既に地球に侵略しているとして信じている人間が出てくるなど、ビザールな味付けがされている点は、SF作家らしい。
 本作は、エドとアム叔父がスターロック探偵社で雇われ探偵をしているときの事件。
 依頼人に会うために出かけたアム伯父が突然失踪してしまう、というのが本書の発端。エドとアム伯父が勤めるスターロック探偵社は、アムの発見に総力を挙げるが、手がかりは掴めないまま。関係者から、「アンブローズ」の名をもつ男を蒐集する人間がいるのではという不気味な推測が出てきて…。
 
 作中で触れられているが、「アンブローズ蒐集」というのは、アメリカの超常現象研究の草分けチャールズ・フォートの著書に出てくる表現。神隠し的な状況にふさわしく、占星術を操る怪しげな男も登場し、殺人事件も勃発する。
 手がかりゼロの事件の唯一の鍵は、失踪当日のアム伯父の行動にあるとエドは判断。その行動をトレースしていくくだりが、まるで失踪した伯父が探偵教育を施しているようで、シリーズの面目躍如。数あて賭博といったなじみのない風俗も交えて、ライトながら謎解きの興味もある。
 『三人のこびと』事件以来のつきあいの娘エステルと仲はどうなる、次作では独立しているエドはどうやって開業資金を手に入れるのか、というシリーズ特有の興味も。エドとアムはじめ登場人物の魅力や、軽やかな筆致に、シリーズの魅力を再発見する人も多いのではないか。
  電子書籍「ヒラヤマ探偵文庫」の第三弾は、サックス・ローマー『悪魔博士フー・マンチュー [Kindle版]』(1916)。フー・マンチューは、20世紀初頭の黄禍論を背景に、サックス・ローマーが創造した、世界征服の野望をもつ中国人。義和団の乱で妻子を殺されて復讐の鬼になったという、この医学博士は、最も有名な悪の東洋人ヒーローではないだろうか。007シリーズの世界征服を企む悪人たちの遙かなる原型といってもいい。
 全訳での紹介となったのは、 2004年の『怪人フー・マンチュー(1913) で、テンポある運び、奇想天外な殺人トリックの数々に意外な面白さを感じたものだが、本書は、その第一作の続編。
「あの黄色い悪魔はふたたびロンドンを跳梁しはじめた!」
 本書の語り手医師のピートリーの前に久しぶりに姿をみせたネイランド・スミスは、重要人物の失踪を前にして叫ぶ。一作目で生死不明となったフー・マンチューが再び蠢動しはじめたのだ。ホームズ/ワトソンを模したようなスミス、ピートリーのコンビは再び、黄色い悪魔との死闘に乗り出す。
 フー・マンチューが暗躍する奇怪なエピソードをつないでいく手法は前作と同じで、爬虫類や昆虫、見知らぬ毒物などのオンパレードだった前作と同様、新奇な殺人方法も随所に出てくる。絶体絶命の危機からのピートリーの驚くべき脱出、ハラキリと「六つの門」という拷問具を組み合わせた処刑方法など、見所も多い。湿地帯の奇怪な塔での事件、幽霊屋敷事件などは、単に大衆の嗜好におもねったとはみえないほど、謎と恐怖の演出に冴えをみせており、同じ作者の『骨董屋探偵の事件簿』を思わせるところもある。
 第一作でピートリーが恋し、再びフー・マンチューの手に落ちた女奴隷、黒い瞳の美少女カラマリへの思慕が全編を通じて、物語に彩りを添えてもいる。
 それにしても、博士の世界征服の野望はどこへ行ったのか、世界征服より新奇な殺人トリックの創造に情熱を燃やしているような博士の今後が気にかかる。
 
灰色の魔法 (論創海外ミステリ)

灰色の魔法 (論創海外ミステリ)

 同じ悪党物でも、米作家ハーマン・ランドン〈怪盗グレイ・ファントム〉シリーズの一作『灰色の魔法』(1925)は、フー・マンチュー譚の破天荒さ、ニヒリズムに比べると、ロマンスの味わい濃厚で、かなり甘め。
 20世紀版ロビンフッドとでもいうべき義賊グレイ・ファントムが宿敵マーカス・ルードの大陰謀を阻止するため、恋人ヘレンと闘うという筋。
 山道で自動車事故に遭遇したアリソン・ウィンダム(グレイ・ファントム)は、メイン州無人島にある屋敷の一室で眼を覚ますが、召使を名乗る男が現れ、あなたは別人の脱獄囚であり、グレイ・ファントムは事故で死んだ旨を告げる……。
 灰色の光の中から聞こえる声という怪奇現象、惨殺体の発見など島での事件を経て、ニューヨークに帰還したファントムは、別人になりすまし、敵役ルードを追いつめていく。
 死んだとばかり思っていたファントムと再会したヘレンとの会話をとってみても、物語のテイストは明らかで、冒険活劇としては、長々とした会話が多く、未知の毒物、連続殺人、殺人予告などが出てくるものの、展開はいささかもったり。健全な道徳観に基づくおっとりとした冒険ロマンス好きの読者向き。
 
怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

 エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事 2』は、人気シリーズの発表順全集の第2弾で15編収録。初訳はない。依頼により価値のないものばかり盗む怪盗ニックだが、本作では、盗みのバラエティが広がっており、何を盗むか不明の案件(「空っぽの部屋から盗め」)、ニック自身を盗む(「怪盗ニックを盗め」〜ニックが盗むものは別にあるが)、何も盗まない(「何も盗むな」) といったアイデアの膨らませ方に惹かれる。「カッコウ時計を盗め」のように、秘められた殺人事件を浮上させ意外な犯人を指摘するといった凝ったものある。
 本格ミステリでは、発端の意外性ということが強調されるが、「価値のない物を盗む」依頼は、毎回、この条件を十分に満たしているわけで、ホックは、このシリーズで、本格ミステリの書き手として腕をふるえる器を発明したともいえるわけだ。
     

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
 

悪意の糸 (創元推理文庫)

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死の舞踏 (論創海外ミステリ)

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骨董屋探偵の事件簿 (創元推理文庫)

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