第4回:セールスポイントは恋愛体質(執筆者:上條ひろみ)

 室温で固形だったココナッツオイルがすっかり液状化しているのを見て(24℃で液状化)、けっこう暑くなったな〜と実感する五月。みなさま、いかがおすごしですか?
 さて、ここ数年、北欧ミステリーが大人気で、大量に紹介されるようになったのはみなさまご承知のとおり。つい「北欧」とひとくくりにしちゃうけど、スウェーデンノルウェーフィンランドも、もちろんデンマークアイスランドも、それぞれことばもちがえば文化もちがう。わかっちゃいるけど、好きでいろいろ読んでいるせいか、正直最近、どの国なのか、どのシリーズなのか、どの主人公なのか、混乱することが多くて……だってたくさんあるんだもん。これがうれしい悲鳴、というやつ?



■4月×日

 というわけで、毎月何かしら読んでるスウェーデンもの。アンナ・ヤンソンの『消えた少年』ゴットランド島を舞台にしたシリーズの八作目。スウェーデンでは現在十五作目まで刊行され、テレビ映画化もされているとか。人気シリーズなのね。本作が日本初紹介だけど、シリーズ途中の作品だということはほとんど気にならなかった。


消えた少年 (創元推理文庫)

消えた少年 (創元推理文庫)


 風光明媚な夏のゴットランド島で、九歳の少年アンドレアスが行方不明になる。異常に過保護な母親シャルロッタのせいなのか、別れた父親に連れ去られたのか。心配する陶芸家のマッティンと心理療法士の妻スサンヌ、政治家のラーシュと看護師の妻エルヴィーラ。そしてそれぞれの子供たち。何かを隠している墓守。食いちがう証言。この地で夏の臨時勤務をすることになった女性警官マリア・ヴェーンは、この少年の失踪からとてつもない事実を知ることになる。


 複数の家族同士の、仲いいんだか悪いんだかわからないドロドロ! やっぱこういうのっておもしろいなぁ。なんか「金妻」みたいで。いやちょっとちがうか&古いか。今だと「昼顔」?
 家族内にも人には言えない秘密があって、こっちがバレたらあっちがまずいし……という具合に話が入り組んでるせいで、警察にきかれてもみんなほんとのこと言わないの。めんどくさ。でもって、基本男がみんなダメダメなのが笑える。


 でも辣腕刑事さんはそんなことではへこたれない。離婚経験者で子供と離れてひとり暮らしのマリアは、ある意味家族内のイザコザのエキスパート。元彼(?)との再会に動揺して痛い反応をしちゃったりもするけど、まあそれは乙女な部分もあるということで、目をつぶってあげようよ。わたしはけっこう好きだな、この刑事さん。苦労してるだけのことはある。


 そして、すべてが吹き飛んでしまうような衝撃的な真相。これはかなりつらいです。怖いです。それまでのあれやこれやが一気に腑に落ちるとともに、背筋がぞっとする。けっこうお気楽に読んでいたのに、ごめん「昼顔」とか言ってる場合じゃなかったわ、という気になる。いろいろ読みどころの多い作品でした。



■4月×日

 先月読んだ『ありふれた祈り』もよかったけど、ウィリアム・K・クルーガーと言えばコーク・オコナー・シリーズ。なんて自分で書いておきながら、まだ読んでいなかった『血の咆哮』マイクル・コナリー先生が「クルーガーのベスト作品」と言ってるだけあって、これまた期待しちゃいます。


血の咆哮 (講談社文庫)

血の咆哮 (講談社文庫)


 保安官を辞めて私立探偵になったばかりのコーク・オコナーは、オジブワ族の老まじない師メルーから奇妙な依頼を受ける。七十三年まえにこの世に生を受けたはずの、一度も会ったことはないが幻視では見たことがある息子をさがしてほしいというのだ。手がかりであるマリアという母親の名前と、カナダのオンタリオでググったところ、その息子の所在はけっこうあっさりわかった。カナダの大企業の創業者一族で、今は孤島で謎めいた隠遁生活を送るヘンリー・ウェリントン七十二歳だ。コークはウェリントンに会いに出かけるが追い返されてしまい、その後メルーのもとに殺し屋が送りこまれる。


 今回の主人公とも言うべき、オジブワ族のまじない師、ヘンリー・メルー(九十歳)がとにかくかっこいい。彼が語る七十三年まえの美しくも壮絶な恋と冒険の物語は、それだけで長編小説になりそうなくらい読ませるし、これほどの物語を秘めて生きてきたメルーがとてつもなく愛おしく思える。メルーの存在をまったく知らずに生きてきた息子のヘンリーとその家族の物語もかなり壮絶だし。それに比べると、今回コークを悩まし、つねに頭から離れない自分の家族の問題は、あまりに現実的すぎて、逆に物語を感じない。いや、当事者としては大問題だと思うけど。


 カナダの孤島での攻防や思い出の湖畔での死闘など、いつものように冒険アクションシーンも盛りだくさんだけど、今回はどちらかというとミステリー的要素が強いかも。
 第六回翻訳ミステリー大賞の二次投票で『もう年はとれない』に投票した老人好きと、『容疑者』に投票した犬好きにもすすめたい。もちろんシリーズ未読の人にも。



■4月×日

 おもしろそうだな〜と思いながらも純文学系ということでなんとなく敬遠していたイアン・マキューアン。“甘党(Sweet Tooth)”という原題に惹かれて『甘美なる作戦』を読んでみた。


甘美なる作戦 (新潮クレスト・ブックス)

甘美なる作戦 (新潮クレスト・ブックス)


 イギリス国教会主教の娘として生まれたセリーナ・フルームは、文学好きの美少女だったが、なぜかケンブリッジの数学科に送りこまれ、大衆小説を読み漁ることと恋愛で退屈な日々を埋め合わせていた。
 そんなとき、セリーナはボーイフレンドのジェレミーを介して知り合った大学教授トニー・キャニングと深い仲になり、トニーの口利きでイギリス内務省保安局(MI5)に入局することに。時代は冷戦期の一九七二年。華々しいスパイではなく、地味に下級事務職員として働いていたセリーナだったが、ある日、反共的作家を支援する「スィート・トゥース作戦」のミッションが与えられる。彼女の担当は若くてハンサムな新進作家のトムことT・H・ヘイリー。やがてセリーナは彼の作品ともどもトムを愛するようになり、スパイであるというジレンマに苦しむ。


 セリーナのセールスポイントは美人で、文学好きで、恋愛体質であること。あとは記憶力抜群なことをのぞけば、特別な才能も野心もない普通の女性だ。だからすごく共感できる。まあ、実際はいろいろ事情があって、恋愛体質だからって白羽の矢が立ったわけではないんだけど、だれかを好きになると、その都度心からその人に傾倒し、打算も駆け引きもなしにまっすぐ突き進むセリーナの姿がいじらしいの! スパイとしては公私混同しててカッコ悪いのかもしれないけど、うんうん、それでいいんだよ、と応援したくなっちゃうんだよね。
 しかも、いくら愛していても良識があるからストーカーになったりせず、引き際も心得ている。両親や妹や親友や元彼に対する思いも、とても真摯でひねくれたところがない。だがけっして優等生ではなく、ダメダメなところも自分でちゃんとわかっている。とにかくこんなに好感を覚えたキャラクターはほんとうに久しぶり。「結婚してください」で終わる小説が好きという乙女なところもカワイイわ〜。


 セリーナが恋するトムもいいやつなの! とくに最後の“トリック”にはやられた。セリーナはどこまでも恋する女子だけど、トムはどこまでも作家なんだな。
 ふたりの潔さ、誠実さに胸キュン! スパイ小説というより、かわいくてせつない恋愛小説。わたしの好みにドストライクでした。やっぱり読まず嫌いはだめね。


 文学賞を受賞したトムの壮絶ディストピア小説『サマセット低地から』は、なんとなくコーマック・マッカーシーの『ザ・ロードに似てる。



■4月×日

 女スパイつながりで、スーザン・イーリア・マクニール『国王陛下の新人スパイ』を読む。こちらはマジなスパイもので、時代は第二次世界大戦中、しかも敵国ドイツに潜入してミッションをこなさなくてはならないというもの。


国王陛下の新人スパイ (創元推理文庫)

国王陛下の新人スパイ (創元推理文庫)


 正直びっくりした。まさかヒロインのマギーがこんな危険なミッションに送り出されるとは思ってなかったもので。これまでもたしかにそれなりに危険な任務をこなしてきたけど、チャーチルの秘書になって暗号を解読したり、家庭教師としてエリザベス王女を警護したりと、国内での仕事だったせいか、それほど危機感はなかった。
 それが今回は敵国領内にパラシュート降下、ドイツ人になりすましてベルリンに潜入、ナチス高官の自宅に盗聴器を取りつけるって、いくら戦時中とはいえ、われらがマギーにとってはいきなりハイレベルすぎないか? マギーって、映画「愛と青春の旅立ち」で訓練中最後まで壁みたいなやつをのぼれなくて、リチャード・ギアに励まされる紅一点の子のイメージなのに(わたしにとっては)。


 そんなわけでかなりハラハラしながら読んだけど、マギーってほんとにがんばり屋さん。これまでのいろいろな経験で成長したってことなんだろうね。なんだかんだ言ってけっこうハイスペックで、これまたちょっとびっくりした。しかも、命じられたわけでもないのに、ナチスドイツの恐ろしい計画まで暴いちゃうんだから。すごいよマギー。
 そして、潜入先のドイツで待っていたいくつものドラマチックな出会い。これも衝撃的すぎて、マギーに感情移入しようにも追いつかない感じ。予想外の展開に、後半は一気読みでした。“生命の泉(レーベンスボルン)”についてもちょっと言及されていて、皆川博子さんの『死の泉』を思い出した。


 何があってもへこたれない、明るく前向きな女子、というイメージだったマギーだけど、今回のミッションはさすがに応えたようで、ラストではそれに追い討ちをかけるような出来事も……今回は読んでいてすごくつらかった。ボロボロになったマギーが元気に復帰する日が来るのを祈るばかりです。



上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。最新訳書はフルークシナモンロールは追跡する』。ロマンス翻訳ではなぜかハイランダー担。趣味は読書とお菓子作りと宝塚観劇。

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