ほっこりしない北欧案内(執筆者・ヘレンハルメ美穂)
(1)デンマーク編
みなさま、いつもとってもお世話になっております。スウェーデン語の翻訳をしておりますヘレンハルメ美穂と申します。翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイトは、拝読するたびに翻訳ミステリーの奥深さに身の引き締まる思いをし、紹介されている本に興味をひかれては「でもすぐには読めない!」と泣き(スウェーデンに住んでいるのでつねに日本語活字飢餓状態です)、「初心者のための○○」的な記事があれば正座する勢いでメモを取りながら読ませていただいております。そんなサイトに、なんとエッセイを書いてみないかとお声をおかけいただきました。なんたる栄誉と思う一方で、「なにを書けば!?」と大いに焦ったのも事実。ミステリーについて? むしろ私が教えていただきたい。スウェーデンについて? いや、すでに久山葉子さんが詳しい記事を書いてくださっています(すばらしいのでぜひお読みください)。スウェーデンの話ばかりしてもしかたがない。というわけで早くもネタ切れ。
さんざん唸ったあげく、ではスウェーデン以外の北欧の国々について書こう、と思いつきました。日本では(世界でも)「北欧ミステリー」とひとくくりにされがちですよね。まあたしかに似ているとは思うのですが、実は歴史もメンタリティーも微妙に異なっている北欧の国々。それぞれのミステリーはもちろんのこと、文化や社会についてもほんの少し紹介できたら、これから北欧ミステリーを読むうえでも参考になって、読者の方々にも面白いのではないか。そうだ、きっと面白いだろう。面白いはずだ(最終的には思い込み)。結局「私も北欧諸国について勉強になって一石二鳥ではないか」という、たいそう自己中心的な理由が決め手となりました。こんなことでほんとうに申し訳ありません……
……と考えはしたものの、ジレンマも感じます。どんなことでも同じだと思いますが、ひとつの国にかかわればかかわるほど、自分は知らないことだらけ、わからないことだらけ、と思うものです。私だけでしょうか? たぶんそんなことないですよね。それぞれの「国」もまた、ひとくくりにして語られがちですが、実態はひとりひとりの人間の集まりなわけで、たとえば政治の傾向や国民性などは全体として多少語れないこともないかもしれませんが、一概には言えないこと、「人による」「場合による」としか言えないことも多いと思います。しかもそれを語る側の視点も経験もさまざまだから厄介。「スウェーデンでは……」「デンマークでは……」などと軽々しく言うのはよくないのではないか、と思うこともあります。でも、それを考えていると、紹介記事としては身動きがとれなくなってしまう。
ですので、今回はすっかり開き直って、「個人のリアルな経験と視点」をベースにしようと考えました。調べものに協力してくださった方々との会話をそのまま紹介する形にしたのはそのためです。統計的・学術的な分析は専門の方々にお任せして、ここでは北欧に住んでいたり、北欧と日々かかわっていたりする私たちが、あくまでも個人的に経験したこと、リアルに目にしたこと、思ったことを語りたいと思っています。
北欧と日々かかわっている私たちにとっては当たり前のことも、ひょっとすると北欧ミステリーを読んでいる日本の読者の方々にとっては、全然当たり前ではないのかもしれません。それに、ミステリーに描かれる北欧の社会も突き詰めてみれば、登場人物であれ著者本人であれ、その人の目を通して見た社会なんですよね。そういう意味で、私たちのおしゃべりとミステリーに描かれていることを比べてみるのも面白いかもしれません。雑談に耳をそばだてるような感じで、気軽にお読みいただければと思います。
予定としては、とりわけ「北欧ミステリー」の中でも紹介があまり進んでいないノルウェーとフィンランドにできるかぎり焦点を当てたいと考えたので、今回デンマークについて少々語ったのち、次の2回でノルウェー、その次の2回でフィンランドについてのおしゃべりをお送りしたいと思っています。アイスランドについても書きたかったのですが、リソース不足のため断念(ごめんなさいアイスランド、また今度いつかどこかで……)。
まずデンマークに関して情報収集を手伝ってくださったのは、デンマーク在住のウィンザー庸子さんとブッフベル綾香さん、おふたりとも通訳や翻訳などを手がけている私の同業者であり友人です。私はスウェーデンの中でもデンマークに近い場所に住んでいるので、さくっと電車でコペンハーゲンに出向いてお話ししてきました。(なお、実はおふたりとはさまざまな都合で別々にお会いしたのですが、ここでは便宜上、いっしょにお話ししたかのようにまとめてあります。)
まずはデンマークのミステリーやドラマの話
ヘレンハルメ(H):デンマークのミステリーについて調べていて思い出したんだけど、私、人生でたぶん初めて読んだ北欧ミステリーが、デンマークの作品でした。ペーター・ホゥ(Peter Hoeg)『スミラの雪の感覚』。もう15年ぐらい前の話です、って、自分で言ってびっくり! 当時、スウェーデン人の友人に「スウェーデンの本でおすすめの作品は?」と聞いたところ、これを勧められまして。でも舞台はデンマークとグリーンランドだし、よく見たらこれデンマーク語からの翻訳って書いてあるよ、と指摘したら、ああ、でもまあ似たようなもんでしょ、これはほんと面白いからお勧め、って(笑)。そんなわけで、ほんとうにスウェーデンとデンマークが似たようなもんなのか、突き止めたいっていうのもあります。ご協力ありがとう。
庸子さん(Y):いえいえ。で、面白かったですか?
H:面白かった。当時の私はかなりはまりました。グリーンランドのイヌイットの血を半分引いている女性が主人公で、数学や生物学などの科学も絡んだ知的な謎解き、驚きの要素もありつつ、アクションもあり、なによりもグリーンランドが見知らぬ世界で、自然の描写などが読んでいてとても興味深かったという記憶があります。いま思い返すと、あの主人公はちょっと『ミレニアム』シリーズのリスベット・サランデルに通じるところがあるかもしれない。
デンマークのミステリーって、実はすごくいい作品が多いと思うんですよ。最近、レナ・コバブール(Lena Kaaberbøl)とアニタ・フリース(Agnete Friis)の『スーツケースの中の少年』を読みましたが、主人公の設定が面白く、話にもかなり引き込まれました。あと、ユッシ・エーズラ・オールスン(Jussi Adler-Olsen)の『特捜部Q』シリーズ、大好きです。日本でも高く評価されてるみたい。
綾香さん(A):エーズラ・オールスンはたしかに、デンマークでもすごく人気ありますね。ミステリー作家といえば筆頭に名前が挙がる、代表格だと思います。
H:ほかに代表的な作家というと。
A:人気があるのは、サラ・ブレーデル(Sara Blædel)、エルセベト・イーイホルム(Elsebeth Egholm)、とかですかね。とあるブックフェアに行ったとき、イーイホルムのサイン会はずらっと列ができてました。あとはアナ・グルーウ(Anna Grue)、ラース・ケーゼゴー(Lars Kjædegaard)、ミケール・カッツ・クレフェルト(Michael Katz Krefeld)とかもよく聞くかな。
H:アナ・グルーウは元広告マンの私立探偵を主人公に据えたシリーズを書いていて、スウェーデン語訳は一冊しか出ていなくて私はちらっとめくっただけなんだけれど、ユーモアもある感じでなかなか面白そうです。
Y:私自身は残念ながら、あまりミステリーに詳しくないので、詳しいデンマーク人の友人に聞いてみたんだけど、やはりエーズラ・オールスン、ブレーデル、イーイホルムは人気作家として名前が挙がってました。あとはA・J・カジンスキー(A. J. Kazinski)の『ラスト・グッドマン』も面白かったと挙げてくれました。これはヤコプ・ヴァインライヒ(Jacob Weinreich)とアナス・ロノウ・クラーロン(Anders Rønnow Klarlund)による共作で、カジンスキーは筆名なんですが。
H:イーイホルムは調べたら、アメリカでもリメイクされたドラマ『ゾウズ・フー・キル(Those Who Kill)』(原題:Den som dræber)のデンマーク版の脚本を手がけた人なんですね。デンマークはミステリー小説もいいけど、テレビドラマ作りもとても上手な印象があります。『THE KILLING/キリング』(原題:Forbrydelsen)とか、スウェーデンとの合作の『THE BRIDGE/ブリッジ』(原題:Bron/Broen)とか、国際的にヒットしましたよね。
A:『Forbrydelsen』はたしかに大人気でしたね。テレビでもいまだに放送していて、再々放送かな(笑)。
H:最近、フィンランドの新聞記事(Helsingin Sanomat紙、2014年4月13日)を見せていただく機会があったんですが、さっき名前の出たミケール・カッツ・クレフェルトが、デンマークのミステリーはスウェーデンより20年遅れている、とコメントしている記事が載っていました。個人的には、ほんとうにそうかな、と疑問なんですが、とにかく彼によれば、デンマーク人は純文学を評価しがちなうえ、中途半端な軽いミステリー作品が多かったので、ミステリーというジャンルの評価はずっと低かった、というのです。ロデ&セーアン・ハマ(Lotte & Søren Hammer)のような社会派ミステリーが出てきたことで変わった、というのが彼の評価でした。
彼は、テレビドラマにも一因がある、と言っていました。ちゃんとしたミステリーを書く才能のある作家が、テレビ界に吸い取られていたせいで、小説がごく最近まで発展しなかった、という意見でした。
A:たとえそうだとしても、少なくともいまは、ミステリーというのはデンマークでとても人気のあるジャンルだと思いますよ。デンマーク人と本の話になると、ミステリーはかなりの頻度で話題になるし、みんな新刊には注目して、けっこう買っていますね。
コペンハーゲンの小さな書店のミステリーコーナー。エーズラ・オールスンとサラ・ブレーデルを中心にずらりと並んでいます。どういうわけかスウェーデンのアルネ・ダールの作品もいっしょに。
「幸福度の高い国」デンマーク、その実態は。
H:デンマークは「世界一幸せな国」と言われてますよね。いわゆる「幸福度ランキング」で1位だそうで。実際、生活してみてどう思いますか?
Y:幸福度というより、満足度と言ったほうが近いんじゃないですかね。あまり野心がないというか、他人より抜きん出たいという競争心みたいなものがあまりない気がするので。
A:ストレスが少なそうだな、というのは感じますね。
H:抜きん出たいという意識が弱いという話でいくと、スウェーデンには「出る杭は打たれる」的な表現があるんですよ。「ヤンテの掟(Jantelagen)」といって、スウェーデン人はよく自国のことを「Jantelagenの国だ」って、自虐的に、というか、自己批判的に言ってます。でも、実はこれ、ある意味デンマーク発祥なんですよね。
Y:そう、デンマーク語ではJanteloven。アクセル・サンデモーセ(Aksel Sandemose)という、生まれも育ちもデンマークだけどノルウェー語で作品を書いた戦前の作家が、ヤンテというデンマークの架空の村を舞台に書いた小説が元ネタです。
H:ってことは、スカンジナビア三国に共通ってことか。
Y:掟の内容は「自分のことを偉いと思うな」「自分が賢いと思うな」「自分に価値があると思うな」などなど……まあ要するに、自分のことを他人よりも優れていると思うな、と戒める内容ですね。このメンタリティーが根強いから、たとえば就職面接でも、アメリカ人などに比べると自分の能力を控えめに言いがちだと聞いたことがあります。平等意識がすごく強くて、格差を嫌うのも、根本にはこのメンタリティーがあるんだろうと思うし。
H:平等好きで格差嫌いなところは、スウェーデンも似てますね。
Y:福祉社会も、平等好きだから維持されるのかな、と。
A:あと、デンマーク人って「心地よさ(hygge)」、「心地いい(hyggelig)」ことをとても重視しますよね。デンマーク人はよく、このヒュゲリっていう言葉は外国語に訳せない、って言いますけど。
Y:たしかにひとことでは言えないものがある。
A:暖炉のそばでゆっくりする、などといった直接的な心地よさを表わすこともあるし、なじみの友だちと過ごすときのような、温度だけではない温かさを表わすことも。
Y:英語の「コージー(cozy)」に近いけど、たぶんそれよりも意味が広いですね。あたたかいもので包み込まれている感じ。「いい感じ」とか、安心感、みたいな。たしかに、それを重んじるから福祉社会が成り立つし、野心がいまひとつ低い、というところはあるかもしれません。
A:それに、みんなけっこう「リラックスしよう」「落ち着いて」(Slap af)が口癖、という印象があります。たとえば子どもが走り回ってうるさくしていると「Slap af!」。だめ、とか、うるさい、とかではなくて、落ち着こう、リラックスしよう、と呼びかけるのが、デンマーク人らしいなとよく思います。そんな言葉を口癖のように繰り返しているから、ストレスが少なくて満足度が高いのかな、とも。
H:なるほど。スウェーデンだと、ほどほど、中庸、というような意味の「lagom」という言葉がスウェーデン独特で、外国語には訳せない、ってみんな言いますね。そういう「ほどほど」の「心地よさ」を求めるメンタリティーは、スウェーデンとデンマーク、似通っているのかもしれません。もちろん、人にもよるし、社会も変化しつつあるとは思うけれど……
デンマークとスウェーデンの大きな違い
H:逆に、デンマークとスウェーデンの違うところと言ったら、どんなところだと思います?
Y:すごく大きな違いは移民政策かなあ。移民の問題は、デンマークでは大きな社会問題としてとらえられているって実感します。ドラマなどでもよくテーマになるし、選挙でも大きな争点になる。デンマークは何年か前までの中道右派政権で、移民排斥を前面に押し出したデンマーク国民党(Dansk folkeparti)が閣外協力していたから、移民に対する政策はとても厳しいんです。そこがスウェーデンと大きく違うと思う。スウェーデンはとても寛容ですよね。
H:政策の面ではそうですね。人々の意識というか、本音はまあ、人それぞれだろうと思うし、課題も山積みでやっぱり大きな社会問題ではあるけれど、建前としては、移民は差別せずに受け入れるべきだし、困っている難民には手を差し伸べるべき、という政策だと思います。とっても具体的に、自分の生活に関係のあるところから話すと、私も外国から移住してきた身として移民のカテゴリーに入るわけだけど、スウェーデン人の配偶者として滞在許可をもらって、2年住んだらほぼ自動的に永住権を取れました。そのへんはどうですか?
Y:永住権ね、一生取れないかもしれないって思う。
H:ええっ!?
Y:昔は、7年住めば永住権を申請できたんですよ。でも、私が6年住んだ時点でポイント制に変わりまして、デンマーク語力だけでなく、過去5年間のうち3年間フルタイムで仕事をしたり学生をしたりしていたかとか、ボランティア活動をしていたかとか、デンマーク社会に関する知識のテストであったりとか、そういったことがポイントという形で評価されるようになりました。要するに条件が厳しくなったんですよ。とくにフリーランスで働いていると、過去5年間のうち3年間フルタイムで云々の条件はなかなか厳しくて。
H:なるほど……スウェーデンなんていまのところ、永住権はもちろん、スウェーデン国籍を取る段階になってもスウェーデン語力のテストはないし……議論はされていないこともないんだけど。語学力で区別するのも一種の差別に当たる、という考え方で。
Y:そもそも滞在許可だって、私が引っ越してきた2004年の時点で、正式に結婚していないと下りませんでした。結婚していても下りない場合もあるし。スウェーデンは違いますよね。
H:スウェーデンは、スウェーデン人と結婚していなくても、パートナーとして同居する、というだけで滞在許可が下りるんですよね。デンマークの滞在許可がなかなか取れないから、コペンハーゲンの対岸、電車で30分のスウェーデンのマルメには、デンマークに住めない国際カップルがたくさん住んでます。逆に言うと、スウェーデンはそういう人たちにも滞在許可を出しちゃう、っていうことなんですが。私は引っ越してきた当時、しばらくマルメで移民向けのスウェーデン語学校に通っていたんだけど、デンマーク人と結婚してスウェーデンに住んでいるというクラスメートが何人かいました。デンマーク語だけでなく、スウェーデン語も勉強しなくちゃならなくて大変ですよね……。デンマークって確か、年齢制限みたいなのもありませんでしたっけ。
Y:そう。24歳以上じゃないと配偶者の滞在許可が下りないんです。これは実のところ、ムスリムの移民社会にある子どもの強制結婚を阻止するための政策と言われています。たとえば10代の女の子が、もっと勉強したり働いたりしたいのに、親が決めた結婚相手と無理やり結婚させられる、というようなケース。でもそれを禁止するとは言えないから、一般的なルールとして年齢制限を課してるわけです。相手がEUの人ならまたべつなんですが、あとは日本人だろうとアメリカ人だろうとムスリムの人だろうと同じですね。
H:なるほど……スウェーデンはさっきも話したとおり、移民政策に関する人々の本音は人それぞれだろうとは思いますが、それでも寛容であろう、差別せず平等に扱おう、という努力は社会全体ですごく感じますね。もちろん問題がないわけじゃなくて、多様性を尊重しつつスウェーデン社会への統合をもっと促すにはどうすればいいか、などの議論は活発なんだけど、流入数を抑えようっていう話にはならない。ヨーロッパ全体が厳しくなってきている中で、難民や亡命者をスウェーデンが受け入れなかったらどこが受け入れる、みたいな気概もあるのかなあ。
Y:そこがすごいですよね。福祉国家として、移民を養ってる感というか、どうして自分たちが移民の生活費を払わなきゃならないわけ、という不満はないのかな。デンマークはその不満をデンマーク国民党がすくい上げてる感じなんですが。
H:不満はもちろんあって、いわゆる移民排斥政党といわれる、移民難民の数を制限するべきだと主張しているスウェーデン民主党(Sverigedemokraterna)が、2010年の選挙で初めて国会の議席を獲得しました。でも多くの人はスウェーデン民主党のことを人種差別政党と批判するし、ほかの政党はみんなかかわりたくないと言っていて、まあはっきり言ってハブられてる状態。
移民といってもいろいろで、福祉の恩恵ばかり受けて暮らしている人ももちろんいるんだろうけど、そういう人はスウェーデン生まれのスウェーデン人でもいるし、成功している移民、スウェーデン社会に溶け込んでいる移民もたくさんいるから、「移民」というカテゴリーも決してひとくくりにはできないですよね。労働力としての移民にスウェーデンが養われている面もないとは言えないし。
Y:うーん、スウェーデンはオトナの対応をしようとしてるってことですね。デンマークにはそれができないんだな(笑)。
H:オトナっていうか、本音と建前? これは私の個人的な印象だけど、この問題にかぎらずスウェーデンでは「政治的な正しさ」がとても重視される気がします。政策だけでなく、言葉や用語に含まれる差別や偏見にすごく敏感で、できるだけ正しくあろう、穏便であろうとする傾向を感じます。とある絵本のキャラクターデザインがアフリカ系に対して差別的だと批判されるという、現代のちびくろサンボ問題みたいなことも去年ありました。デンマークはそのあたり、もっと本音をガツンとぶつける傾向があるのかな、というのが私の印象。たとえばムハンマドの風刺漫画をデンマークの新聞が掲載して問題になったこともありましたよね。まあ、あれはさすがにデンマークでも賛否両論あったと思うけど、政治的な正しさよりも、言論の自由、言いたいことをタブーなく、オープンに言える自由のほうが大切だ、という意識が、もしかしてスウェーデンよりもさらに強いのかな、と思ったりもします。これはほんとうに個人的な印象だから違うかもしれないけどね。いずれにせよ、政策だけを見て、デンマーク人のほうが閉鎖的だとか差別的だとか言うことはできない、と思います。
エーズラ・オールスン・コーナー
明るいデンマークと暗いスウェーデン?
H:そもそもデンマーク人って、まあこれはただのステレオタイプだけど、スウェーデン人よりも明るくて開けっぴろげで、言いたいことをずばっと言っちゃう印象があるし。
A:ええっ?
Y:そうかなあ。
H:少なくともスウェーデンでは、デンマーク人のほうが明るい、と思われてますよ。それは絶対にそう。で、スウェーデン人はそんな明るくておおらかなデンマーク人に対して、ややコンプレックスを抱いているような。
A:逆じゃないんですかね。デンマーク人の自己イメージって、暗くて野暮ったくてシャイで、スウェーデン人のほうが明るくておしゃれだと思われているように見えるけど。
H:ええっ?(笑)
A:となりの芝生ってやつですかね。
H:ミステリーを読んでいても、デンマークのミステリーってどことなくユーモアがあって、スウェーデンのに比べてやっぱり明るいなと思うんだけど。
A:デンマーク人、暗いですよ。シャイだし。
H:綾香さんはラテンアメリカが専門だからじゃないですか。ラテンアメリカに比べたら、そりゃ暗いよ。
A:あともうひとつ、デンマーク人がスウェーデン人に対して抱いているステレオタイプといえば、つねにビールで飲んだくれてる、っていうイメージですね。
H:ああ……それは、デンマークのほうがお酒の値段が安いからですね。コペンハーゲンで飲み過ぎて正体をなくすスウェーデン人は多いと聞くし、デンマークに来るとみんなたいてい酒を買わずには帰りませんね……
A:スカンジナビア三国を比較したジョークで、無人島になにを持っていくか、っていう話を聞いたことがあります。デンマーク人は水着。魚を捕ったりしてなんとか生き延びられるだろう、というおおらかで単純な国民性を表してるってことですかね。スウェーデン人はビール。で、ノルウェー人はスキーのストックを持っていくけど板を忘れてしまう、というオチでした。
H:ジョークといえば、スウェーデンにはノルウェー人を馬鹿にしたジョークがたくさんあるんだけど、デンマークにはそういうのあります? ひょっとしてスウェーデン人がターゲットになるのかな、と思って。
Y:たしかにスウェーデン人をネタにしたのもあるけど、もっと多いのはドイツ人ネタじゃないかな。まじめで融通がきかなくて面白くない、っていうところを笑う感じです。デンマーク人がよく自分との対比で考えるのはドイツ人、というのが私の印象。スウェーデンのことはもっと仲間だと思っていて、比べようとか、自分たちと違っているとか、あまり思っていない気がします。
A:素朴な田舎者だといって馬鹿にする系のジョークでいうと、コペンハーゲンでは、デンマーク第2の都市であるオーフスの人を馬鹿にするネタも多いような気がしますよ。
実はヨーロッパ一広い国・デンマーク
H:そういえば、ひとつ聞いてみたかったことがありました。グリーンランドのことです。さっき、グリーンランド人ハーフの女性が主人公の『スミラの雪の感覚』の話をしたけど、いまのデンマークとグリーンランドの関係ってどんな感じなのかな、と思って。
実は最近、ヨーロッパの国々の面積を調べる機会があったのですが、広さでデンマークが1位になっていて「ええっ?」ってなりまして。よく考えたら、自治領のグリーンランドやフェロー諸島があるから、それも入れたら国土はかなり広いんですよね。本土にいるデンマーク人にとっては、グリーンランドはどんな存在なんでしょう。
A:若い人には、けっこう身近なのではないかと思いますよ。デンマーク本土に来ているグリーンランド人は多いですし、本土からグリーンランドに働きに行っている人もけっこういます。いまの風潮では、デンマーク本土はグリーンランドをリスペクトしているというか、尊重しているという印象があります。でも、歴史的には、グリーンランドの人はイヌイットで外見が異なるので、差別というか、少なくとも異質なものとして扱われてきたのは事実だと思います。グリーンランド人とのハーフの知り合いがいますが、あまりルーツを言いたくないという感じですね。上の世代になるほどマイナスな印象はあるのかもしれません。
H:なるほど。『スミラの雪の感覚』の主人公も、グリーンランド人とのハーフで、自分のルーツに複雑な思いを抱いている描写があり、その点でもなかなか読み応えがありました。
A:実は私、よくグリーンランド人にまちがわれるんですよ。なぜかグリーンランドの人に街で声をかけられたり……
H:グリーンランドの人は、アジア人に近い容姿ですもんね。あっ、それで思い出した。ちょっと、っていうか、かなり話がずれるけど、北欧って異人種の養子を迎えることがけっこうふつうにあるじゃないですか。
A:ありますね。
H:友人にも韓国から養子にもらわれてきて、思いっきり東アジア人の容姿なのにスウェーデンの名前で、スウェーデン人として育った人が何人かいますし、有名人にもいます。近所にも、両親はいわゆる白人のスウェーデン人なんだけど、子どもたちは中国からの養子、というご家族がいます。
A:私も、エチオピア人の養子を育てている家族が身近にいますよ。はじめは驚きました。ルーツに悩んだりしないのかな、と思って、聞いてみたんですよ。親しい間柄なので聞けたんですが……やはり複雑な心境は多少あるみたいでした。ほんとうの親に会いたいかどうか、なども含めて。でも、デンマークではこういうケースはほんとうによくあることで、ふつうに受け入れられていますね。スウェーデンもたぶんそうですよね。
H:そうだと思います。翻訳した小説にも、カンボジア人の養子を育てている登場人物が出てきます。移民として来てこちらの国籍を取っている人も多いですし、スウェーデン人とかデンマーク人とか外国人とか、見かけだけでは判断できないし、判断する意味もない、という感じですね。
A:逆に言うと、外見がアジア人だからといって自動的に外国人扱いされることもないし、外国人だからといって特別扱いされることもありません。
H:たしかに。ふつうに街で道を聞かれたり。これは北欧にかぎらずヨーロッパはけっこうどこでもそんな感じかもしれませんが……あと、スウェーデンの場合、初対面の人と会話していて「どこから来たの?」といきなり聞かれることはまずないですね。会話が進んでそういう話題になれば、聞かれたり、こちらから言ったりすることはありますが。それはある意味、個人のルーツにかかわるかなりプライベートな質問だ、という認識があるのかも。
徹底した個人主義・自由の尊重
A:私、高校のときにデンマークに交換留学しまして、現地の高校の一般のクラスに入ったんですが、通学初日、学校のカウンセラーから「あなたはこのクラス。行ってきて。どうしても困ったことがあったら言ってね」とだけ告げられ、一人でクラスのドアを叩きました。その時のクラスの反応が忘れられません。当時「ザ・日本人」の感覚だった私は、ドアを開けると歓迎ムード、質問攻めにあう、というような光景をイメージしていました。それが、ドキドキしながら教室に入ると、全員に「ヘイ!」とだけ挨拶されて。先生には「どこから来たの? 名前は?」と聞かれただけで、「そっか、よろしく。席は好きなとこに座って」とあっさり言われ、席につくよう促されました。イメージしていた雰囲気に比べると、シャイというのか冷たいというのか、もうあっけにとられてしまって、その初めての授業中は泣きそうになりました。えらいところに来てしまったな、と思って。
彼らにとって「外国人」は特別でもなんでもないんですよね。特に私の高校は移民系が多く、半数以上が移民もしくは他国からの養子でした。それに、個人主義というのか、いい意味でも悪い意味でも「他人は他人、自分は自分」。そういう考えと、デンマーク人のシャイさがあいまって、授業初日のような対応だったのかなと思います。
H:すごく目に浮かびます。
Y:個人主義的なところはたしかに強いですよね。さっき話に出た、出る杭は打たれる的なメンタリティーとか、日本に似ているところもあるけれど、いちばんの違いは徹底した個人主義かなと思います。
H:個人の自由がものすごく尊重されますよね。
Y:これはスウェーデンもそうだと思うけど、デンマークでは個人の選択の自由がとても大事にされているし、多様な選択を受け入れようという努力はすごく見られます。職業選択の自由、性的指向の自由、家族形態の自由……そういえば、スウェーデンでは職業選択の自由を理由にした王室廃止論があると聞きましたが。
H:ありますねえ。多数派ではないと思うけど。王室の人は生まれながらにして将来を決められていて、職業選択の自由を奪われている。これは人権侵害だ、したがって王室は廃止すべきだ、っていう話。もちろん、王室廃止論者の論拠はそれだけじゃないとは思いますが。
Y:それ、すごく北欧らしいですよね。デンマーク人はいまの女王さまが大好きなので、廃止論って聞いたことがないですが……でも一般的に、子どもが親に職業を強制されるとか、親のあとを継がなきゃいけないとか、そういう話はまったく聞きません。学校が大学まで無料だから、家がお金持ちかどうかで職業の選択肢が決まることもないし。そもそも、目上の人に従うとか、偉い人、強いものに従うとか、そういう意識は弱くて、とにかく個人の自由が大事なんですよね。逆に言うと、だれかに押しつけられて従わなければならなかった、という言い訳は通用しないから、あらゆる選択が完全な自己責任でもある。
翻訳のときに難しいこと
Y:そういう個人主義的な認識とか、ほかにもいろいろ社会の常識とされていることが、日本に比べるとかなり違っているから、翻訳や通訳をするときには説明を入れないとわけがわからなくなることがあって大変です。小説なんかはとくにそうじゃないですか?
H:確かにね……それは北欧全体に共通でしょうね。いや、どこの言葉の翻訳でも同じかな。
でも、デンマーク語にかぎっていうと、翻訳で大変そうだなと思うのは、なんといってもカタカナ表記! デンマーク語って、発音がとても複雑で、とてもカタカナでは表わせない音が多いでしょう。
A:それはたしかに。自分の名字ですら、無理やりカタカナにしていて納得いかない感じです(笑)。
H:スウェーデン語のカタカナ表記もけっこう迷うところがありますが、デンマーク語はそれより百倍ぐらい大変そうです……
Y:日本で定着している表記が、デンマークでの発音とは違っている場合もありますしね。有名なのは、童話作家のアンデルセンとか。デンマーク語ではアンデルセンとは発音しません。けど、もう定着しちゃってるからしかたない。
A:そのアンデルセンの生地であるオーデンセも、デンマーク語の発音により近く「オーゼンセ」と表記するべきだという人もいますよね。でも実際にデンマーク語で聞くと「オーエンセ」のようにも聞こえますし。要するにカタカナにしにくい音なんです!
H:なんかいろいろ話が飛んでしまって、しかもミステリーの話あんまりしてないけど……デンマークのミステリー、もっと紹介されてほしいです。北欧の「陽気さ」担当として、じめっと暗いと評判な北欧ミステリーに風穴を開けてほしいんですよね。
A:デンマークが陽気さ担当って、すごく違和感があります(笑)。
H:あくまでも北欧の中での話ね……
****
話はミステリーを離れて脱線しまくり、福祉国家とはなんぞやとか、デンマーク人やスウェーデン人の議論好きはどこから来るのかとか……話は尽きなかったのですが、きりがないのでこのあたりで止めておこうと思います。
次回は、ノルウェー編の前半をお送りします。
ノルウェーのジョー・ネスボの新作が大売り出し中でした。
プロフィール
ウィンザー庸子さん
実はヘレンハルメの大学時代の同期で、コペンハーゲンで劇的に(?)再会。デンマークの公認ライセンスを得たガイドで、翻訳や通訳も。ご旅行の際はぜひ。デンマークに加えてイギリスやタンザニア、バングラデシュにも住んだ経験のある、かなりの国際人。ウェブサイト:www.hokuoryoko.com
ブッフベル綾香さん
高校時代、「まったく知らない国に行きたい」という理由でデンマークに交換留学し、その後、縁あってデンマークに移住。実は、大学ではスペイン語を専攻、ラテンアメリカが専門だったので、デンマーク人のシャイさにいまだ戸惑う。現在、北欧研究所などで活動中。
◇ヘレンハルメ美穂。スウェーデン語翻訳者。最近の訳書は、ルースルンド&ヘルストレム『三秒間の死角』、セーデルベリ『アンダルシアの友』など。スウェーデン南部・マルメ近郊在住。ツイッターアカウントは@miho_hh |
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- メディア: 単行本
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- 作者: アンデシュ・ルースルンド,ベリエ・ヘルストレム,ヘレンハルメ美穂
- 出版社/メーカー: 角川マガジンズ
- 発売日: 2013/10/25
- メディア: 文庫
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- 作者: アンデシュ・ルースルンド,ベリエ・ヘルストレム
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川マガジンズ
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