第11回名古屋読書会レポート・中編[その3](執筆者・大矢博子)

第11回名古屋読書会『長いお別れ』『ロング・グッドバイ』レポート中編(3)「議論を終えるには少し早すぎるね」


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 書き始めたときは、まさかこんなに長くなるとは思いもしなかった。他にも名古屋読書会お得意の瑣末へのツッコミもあったし(「首を殴るってあたりが、こいつ強いなと思った。急所ですよ」「アメリカの留置場って煙草吸えるんだね」「ギムレットには早すぎるって、マーロウが言ったんじゃないんだ」)、中国語訳で読んできた人の報告もあった(女性翻訳者だったせいか、キャラがもっと生き生きしてた感じだそうな)けど、泣く泣くそこらはカットさせていただいて。中編(3)は、ある参加者のこんな発言から始めましょう。


「本を読んだとき、マーロウってよく喋るなあと思ったの。男のおしゃべりってどうなの?って。でもドラマを見たら、浅野マーロウがすごくステキなわけですよ。何が違うんだろうと思ったら……ドラマはナレーションを別の人がやってるんです」


「そうか、地の文が一人称一視点じゃないんだ」「それだけでマーロウがかっこよく見えるのか」「なんで一人称にしたんだろう」「ハメットは三人称一視点だよね?」「一人称の方が簡単なの? どうですか司城先生」「いや、僕は三人称の方が楽だけど」「あれ?」「一人称ってことは地の文もマーロウ視点なのに、考えたことを書いてくれない」「まあ、内面描写を排するのがハードボイルドだから」「でも、おかげで推理の過程も書いてくれないから、真相がすごく唐突なのよ」「推理してないんじゃないか」「なんで一人称なんだろう」


 読書会翌日、文体について司城先生からメールを頂戴しました。許可を得て転載します。

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 圧倒されて、つい言いそびれたことが多々ありますが、ひとつ書きます。
 小説は文体で書くもの。文章をいくら書き連ねても小説にはならない。とよく言われますが、では文体とは何か、文章とどうちがうのか、という肝心なことを語ってくれるひとはなかなかいない。
 チャンドラーは、小説の文体とは何か、をその作品で明確に教えてくれた作家でした。即ち、


  文体=文章+作者の人生観
(一人称で書いたのも、そのため)


 チャンドラーの作品は、だから小説を書こうと志したとき、そのひとの前にひときわ燦然と輝く。読書会で不評だったのは、おそらく参加者が〝書き手〟でなく、純粋な〝読者〟だったから、ではないか、という気がしてます。

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 司城先生、ありがとうございました。そしてやっぱり「不評」だって気にしてらしたんですね……。すみませんすみません。


 そしてその「文章」「文体」の話は、清水訳・村上訳の違いにも関わってくるわけで。訳についての質問には、早川書房・小塚さんと米文学がご専門の長澤先生に主に答えていただきました。


「清水訳ですら長過ぎると思ったのに、村上訳は更に長い!」「清水訳は原文をかなり削ってるって言うけど」「場面まるごと削るんじゃなく、ちょっとした一文をちょこちょこ削ってる感じですね」「清水訳はテンポを大事にしてる。これは原文のハードボイルド文体を大事にしてるから」「逆に村上訳は、懇切丁寧にぜんぶ説明してる感じ」「村上訳、かなり現代っぽいよね」「清水訳でよくわからなかったところを、村上訳で確認するっていう読み方をしましたよ」「これから読む人には村上訳の方がいいのかな」「でもあたしは清水訳が好き」「俺も」


「てか村上訳、訳というよりハルキそのものな感じが」「村上春樹の小説が苦手な人は、これダメじゃないかなあ」「村上春樹1973年のピンボールの中に、開店したばかりのバーが好きっていうくだりがあるんですよ。ロング・グッドバイにも似た場面があって、ああ、昔から好きだったんだなあと」「終盤、セニョールがやたら出てくるのがなんつーか、もう……」「カタカナが多いんだよ村上訳!」「あ、村上さんは確かにカタカナ多いです。翻訳家さんはどうしても日本語に置き換えようとするんですが、村上さんはカタカナで通じるところはカタカナで行きます」「だからページ数も増えるんだ」


「質問! 村上訳と清水訳で意味が違うところがあるんです。たとえばマーロウとリンダの場面。清水訳では今宵限りって感じなんだけど、村上訳では先をほのめかしてる」「ハンバーガーの味も、清水訳はうまいとなってるのに、村上訳は、犬も食わないと言うほどではない、って」「うーん、清水さんは原文をカットしてるっていうのがあるし、村上さんは説明が丁寧で、むしろ説明するために少し盛ったりもするから」「カットしてないという点では、村上訳の方が、より正確なのかなあ」


「質問! マーロウのところにメネンデスが来て、俺にはこんな財産がある、お前は何を持ってるんだという場面、清水訳は家を持ってるって言いますよね。でも他の場面では賃貸ってことになってる。これはマーロウが嘘をついたの? 見栄?」「原文では、I have a house なんです。have は所有を示す動詞?」「はっきり持ち家だと断言するなら、own を使うと思う。ここは敢えて曖昧な have を使うことで、嘘は言ってないけど所有してると受け取られるようにしてる、って感じでは」「じゃあ家を持ってると訳すのは…」「正確ではないかもしれないけど、マーロウの虚勢を表す名訳かと」


 まだまだぜんぜん語り足りない。でももう時間がない。ここまで「まだ話せてないよ!」という気持ちになるのは初めてかも。ということで宴もたけなわではありますが(?)読書会レポはここまで。後編は恒例の、「次の一冊ブックガイド」と推薦文コンテストです。あと一回、おつきあいを。


                       (後編に続く)



大矢博子(おおや ひろこ)。書評家。著書にドラゴンズ&リハビリエッセイ『脳天気にもホドがある。』東洋経済新報社)、共著で『よりぬき読書相談室シリーズ(本の雑誌社)などがある。大分県出身、名古屋市在住。現在CBCラジオで本の紹介コーナーに出演中。ツイッターアカウントは @ohyeah1101