ゴシックの地雷原を行く〜クリスチアナ・ブランド『領主館の花嫁たち』(執筆者:ストラングル・成田)

領主館の花嫁たち

領主館の花嫁たち

 
 クリスチアナ・ブランドといえば、海外本格ミステリファンにとっては、まさに超一流ブランド。論理性、パズル性重視の女性ミステリ作家といえば、まず筆頭に挙がる存在だ。『緑は危険』『ジェゼベルの死』『はなれわざ』などにおける妙技は今でも色褪せないし、短編集『招かれざる客たちのビュッフェ』は想い出しても惚れ惚れしてしまうようなオールタイムベスト級短編集だ。
 そのブランドの最後の長編と聴いて胸ときめかせた本格ミステリファンは、本書カバーにある「ゴシック小説」なる字句をみて手にとるのをためらうかもしれない。しかし、ゴシック小説であることをもって、本書をスルーしてしまうのは明らかに損をする。
 鋭利なパズラーの書き手だったブランドの長編には、若い女性編集者を主人公に、屋敷での秘密探求と恋愛を絡み合わせた毛色の変わったサスペンス『猫とねずみ』もあり、ゴシック小説志向はもとからあったようだ。
 本書は謎があってそれが解かれるという形のミステリではないものの、ミステリファンにも見逃せないのは、高度なミステリの技巧を体得した作家にしか書きえないゴシック小説だからである。
 
 1840年ヒルボーン家当主の若き妻が亡くなり、悲しみに沈む領主館に、双子の女の子の家庭教師としてテティがやってくる。彼女は心と顔に癒し難い傷を追っていたが、幼い双子の歓迎に次第に生きる希望を取り戻す。しかし、館には怪異が続き、屋敷の人々の運命を翻弄していく…
 
 広壮な屋敷、超自然的怪異、若い家庭教師、美しき双子姉妹、謎を秘めた美青年、呪われた一族…とゴシック小説のアイテムが次々と繰り出される。一族に「取り憑くもの」の存在も冒頭で明らかにされる。道具立てだけとれば古色蒼然、1982年という時点で書かれる意義を問われかねない。
 筆者は、呪われた屋敷にミッションを背負った女性家庭教師がやってくる、というこの導入部で、本書はヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』のブランド流再構築なのかと思ったが、読み進むにつれてそんな生やさしいものではないと思い知らされた。
 ヒルボーン家の家族の登場人物の行く末は、登場人物の口を借りて予告される。したがって、読者の最大の興味は、どのようにその結末に行き着くのか、あるいは回避されるのかに集約される。
 この道行きがまったく一筋縄ではいかないのだ。二部構成の第一部の終盤、女教師が屋敷に帰ってからの展開は、予期せぬ事件の連続、巧みに埋め込まれた地雷が次々と爆発するが如きであり、ゴシック趣味に彩られた背景の中、粛々と「運命」が進行する。 
 といって、本書は単に超自然的な怪異の前で戦慄している人々を描いたものではない。第二部に至って、「一族の呪い」へ抗おうとする人物が現れる。そこで描かれる抵抗は多分に理知的なものだ。
 取り憑くものの行動原理が次第に明らかになり、その原理を踏まえた反撃が試みられるというように、運命への抵抗がルールに基づくゲームの様相を帯びてくる。この血と肉を賭けたゲームそのものも残酷で悲愴美に溢れたものだが、ゲームの終りが新たな悲劇と恩讐を生んでいく螺旋状の展開には舌を巻かざるを得ない。
 
 遠くゴシック小説の水脈に連なる本書は、巧みな伏線と誤導、予期せぬ場所での驚きの投入、ルール内での闘争というゲーム性の導入などミステリ技巧を駆使してゴシックロマンスの再生を目論んだものと思しい作品であり、それが作者の白鳥の歌となったことが胸にしみる。
人物描写の容赦なさ(悲劇は、呪いよりも性格に由来するものだ)、時にシニカルでユーモラスな会話など、ブランド印も、そこ、ここに刻印されている。
 
 などとミステリに引きつけなくても、残酷に、エレガントに、色彩感豊かに展開する本書は十分に読者を魅了する。結末のページを閉じるとき、冒頭の女家庭教師の腰に抱きついた小さな少女の姿を想い起こし、深い余韻に浸りながら、心揺さぶられる長い旅をしたと思うはずだ。 
 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
 
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