第10回 アメリカのミステリー賞と日本ミステリー(執筆者・松川良宏)
今回は日本のミステリー小説が今後受賞する……ことがひょっとしたらあるかもしれないアメリカのミステリー賞を紹介する。なおその前提として、第9回では日本のミステリー小説の英訳状況を紹介した。未読の方はそちらもぜひご覧ください。
※非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると 第9回 日本のミステリー小説の英訳状況
◆アメリカ探偵作家クラブ(MWA)エドガー賞 最優秀長編賞
2004年に桐野夏生『OUT』、2012年に東野圭吾『容疑者Xの献身』がノミネートされたことで、翻訳ミステリーをあまり読まない読者にもエドガー賞という名称は広く知られるようになった。エドガー賞はアメリカ探偵作家クラブ(Mystery Writers of America、MWA)が毎年授与している賞で、最優秀長編賞、最優秀新人賞(最優秀処女長編賞)、最優秀ペーパーバック賞、最優秀短編賞、最優秀ジュヴナイル賞などさまざまな部門賞がある。最優秀新人賞のみ対象をアメリカの作家の作品に限っているが、ほかの部門では翻訳作品もノミネートされうる。
『OUT』や『容疑者Xの献身』がノミネートされたのは各部門賞のなかでも最大の注目を集める最優秀長編賞である。最優秀長編賞はハードカバーで刊行された作品のみが対象となる。最近の主な受賞作はデニス・ルヘイン『夜に生きる』(2013年)、スティーヴ・ハミルトン『解錠師』(2011年)、ジョン・ハート『ラスト・チャイルド』(2010年)など。
エドガー賞の過去の受賞作・ノミネート作の一覧はエドガー賞公式サイト( http://www.theedgars.com/ )で見ることができるが、そこでチェックしてみると、最優秀長編賞にノミネートされた翻訳ミステリーは過去に9作品しかない。そのうち受賞したのは『笑う警官』の1作のみである。翻訳作品が米国ミステリー界最大の栄誉となるこの賞を勝ち取るのはそう簡単なことではない。
エドガー賞は世界中のミステリー読者や出版関係者から注目されている賞であり、仮に受賞に至らなくても、ノミネートされるだけでその影響は大きい。筆者が把握している限りで『OUT』は24の言語、『容疑者Xの献身』は16の言語に翻訳されているが、この2作品がこのように世界中で広く読まれるようになったのも、エドガー賞にノミネートされたからこそだろう。(ただし以下の言語の一覧には、エドガー賞ノミネート以前に翻訳されていたものも含む)
『OUT』がノミネートされた年の最優秀長編賞の受賞作はイアン・ランキンの『甦る男』だった。ほかのノミネート作はジャクリーン・ウィンスピア『夜明けのメイジー』、ケン・ブルーウン『酔いどれに悪人なし』。ほかにマイクル・コナリーの『暗く聖なる夜』もノミネートされたが、当時アメリカ探偵作家クラブの会長職にあったことを理由にノミネートを辞退した。
『容疑者Xの献身』がノミネートされた年の受賞作はモー・ヘイダー『喪失』。ほかのノミネート作はエース・アトキンズ『帰郷』、フィリップ・カー『Field Gray』(未訳)、アンネ・ホルト『1222』(未訳)だった。
◆エドガー賞の選考対象になるための条件
2013年にアメリカで英訳出版された日本のミステリー小説には以下のものがある。それではそれらがそのままエドガー賞の選考対象になるのかというと、実はそうではないようだ。
- 2013年にアメリカで英訳出版された日本ミステリー(出版順)
Strange Tale of Panorama Island
- 作者: Edogawa Ranpo,Elaine Kazu Gerbert
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- 作者: Tetsuo Takashima
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- 作者: Tomotake Ishikawa
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1616952121/honyakumyster-22/
- 作者: Kazuhiro Kiuchi
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エドガー賞の選考対象になるには、作者本人かその作品の出版社がアメリカ探偵作家クラブに作品のエントリーをする必要がある。基本的には出版の翌月末まで、遅くともその年の11月末までにエントリーしないとそもそもノミネート作選定の際の対象にならない。
また、エントリーするにはその作品の出版社がアメリカ探偵作家クラブに認可申請をし、認可を受けている必要がある。そして認可を受けるには、「2年以上の出版実績」、「年間で5人以上の作家の本を出版」などいくつかの条件を満たしていなければいけない。この認可を受けていれば、出版社は自社の作品を何作でもエドガー賞にエントリーすることができる。
今年のエドガー賞エントリー作品一覧
http://mysterywriters.org/edgars/currentsubmissions/
エントリー要項
http://mysterywriters.org/edgars/edgar-award-category-information/
認可を受けている出版社の一覧
http://mysterywriters.org/how-to-become-a-member-of-mwa/approved-publisher-list/
出版社がそもそも認可の要件を満たしていないのか、それとも単にエントリーしなかっただけなのかは分からないが、先ほど挙げた日本のミステリー小説7冊はエントリーされていないので、残念ながらエドガー賞の選考対象にはならない。
主な部門を見ると、今年のエントリーは最優秀長編賞が504作品、最優秀ペーパーバック&Eブック賞(従来の「最優秀ペーパーバック賞」、電子書籍も対象になった)が329作品、最優秀短編賞が419作品。この中からノミネート作が選定され、来月発表される。受賞作の発表は2014年5月2日(現地時間)が予定されている。
◆エドガー賞 最優秀短編賞
エドガー賞最優秀短編賞の過去の受賞作は早川書房から出ている4冊のアンソロジーでほとんどを読むことができる。翻訳作品が受賞したことはないが、ノミネートされたことは数回ある。
今年のエドガー賞のエントリー作品一覧を見てみると、最優秀短編賞(エントリー504作品)のところに永瀬隼介の「Chief」と島田荘司の「The Locked House of Pythagoras」が見つかった。原題はそれぞれ「師匠」、「Pの密室」。米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の2013年2月号、8月号に英訳掲載されたものである。「Pの密室」の方はもとは中編だがそれが英訳版では相当短縮されている。また、これは探偵役の御手洗潔の小学生時代の活躍を描いた作品だが、英訳版では高校生に変更になっているという。
アメリカのミステリー雑誌に日本の作品が英訳掲載されているということ自体、意外に思った方もいるかもしれない。そこでちょっと脱線して、米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(以下『EQMM』)への日本ミステリー掲載状況を概観してみよう。
エラリー・クイーン(のうちの1人、フレデリック・ダネイ)は1970年代末から1980年代初めにかけて、日本の短編ミステリーのアンソロジーを4冊編んでいる。日本ではそれぞれ、『日本傑作推理12選』(1977)、『日本傑作推理12選 第2集』(1977)、『日本文芸推理12選&ONE』(1978)、『日本傑作推理12選 第3集』(1982)として刊行された。もちろんクイーンは日本語は読めないので、これらのアンソロジーは日本側の委員会が優秀作品を複数選定し、それを英訳したものをクイーンに送付し選んでもらうという方法で成立したものである。日本側の依頼で始まった企画だがクイーンはその成果に満足し、第3集の編纂はクイーンの方から申し出てきたという。
おそらくはその縁でだろう。『EQMM』1979年6月号に松本清張「地方紙を買う女」の英訳「The Woman Who Took the Local Paper」が掲載されている。これが『EQMM』に掲載された最初の日本作品である。そして現在までに、『EQMM』に英訳掲載された日本作品は26編を数える。
日本の作家で『EQMM』への掲載回数が一番多いのは夏樹静子で、1980年から1994年にかけて短編が11編載っている。次点の松本清張は4編。ほかに1980年代末には阿刀田高の「来訪者」「ナポレオン狂」、1990年代には赤川次郎「沿線同盟」、五十嵐均「セコい誘拐」が掲載されている。
現在『EQMM』には「Passport to Crime」という非英語圏短編の翻訳紹介コーナーがある。2003年6月号から始まったもので、日本の作品では昨年までに法月綸太郎「都市伝説パズル」、光原百合「十八の夏」、伊坂幸太郎「死神の精度」、横山秀夫「動機」、長岡弘樹「傍聞き(かたえぎき)」が英訳掲載された。5作とも日本推理作家協会賞の短編部門の受賞作である。永瀬隼介「師匠」と島田荘司「Pの密室」もこのコーナーに掲載されたもの。
今年のエドガー賞最優秀短編賞では「Passport to Crime」コーナーから初のノミネート作が出た。ひょっとしたら今後、このコーナーから日本の作品がノミネートされることもあるかもしれない。
Passports to Crime: Finest Mystery Stories from International Crime Writers
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ところで、エラリー・クイーンが編んだ日本ミステリーのアンソロジー4冊のうち、英訳版が出版されているのは残念ながら最初の1冊だけである(タイトルは『Ellery Queen's Japanese Golden Dozen』または『Ellery Queen's Japanese Detective Stories』)。ほかに英語圏で出ている日本ミステリーのアンソロジーというと、1987年にジョン・アポストロウ(ジョン・アポストルー)が編んだ『Murder in Japan』ぐらいしかない。『容疑者Xの献身』がエドガー賞にノミネートされ、また英語圏の読者の非英語圏ミステリーへの関心が高まっている今こそ、ぜひ日本推理作家協会や本格ミステリ作家クラブの主導で新たな日本ミステリーの英訳アンソロジーを作ってもらいたいものである。
Ellery Queen's Japanese Golden Dozen: The Detective Story World in Japan (English Edition)
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Murder in Japan: Japanese Stories of Crime and Detection
- 作者: John L. Apostolou
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◆エドガー賞にノミネートされた日本映画
日本の小説がエドガー賞にノミネートされたのは2004年の桐野夏生『OUT』が最初だが、実はそれ以前に日本の映画がエドガー賞にノミネートされたことがある。黒澤明の1963年の映画『天国と地獄』(英題 High and Low)が1964年の最優秀外国映画賞にノミネートされているのである。このときの受賞作はフランス映画の『地下室のメロディー』、ほかのノミネート作はイギリス映画『ミス・マープル 寄宿舎の殺人』。『天国と地獄』は、大幅に脚色されているが、原作はエド・マクベインの『キングの身代金』である。
◆エドガー賞以外のアメリカ探偵作家クラブの賞
アメリカ探偵作家クラブはかつてブックジャケット賞(Book Jacket Award)を授与していたことがある。日本の文献では美術賞と書かれることもある。1958年、勝呂忠氏が表紙を手掛けていた日本版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(現『ハヤカワミステリマガジン』)がこの賞の特別賞を受賞している。もっともこれについては、エドガー賞公式サイトのデータベースでは記述されていない。日本推理作家協会の当時の会報(1958年6・7月号)や日本版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1958年8月号では美術賞(美術部門)の「特別賞」を「受賞」したという表現になっているが、受賞は逃したものの特別に表彰状を贈られた、といった方が正しいのかもしれない。その表彰状の写真は日本版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1958年8月号で見られる。
エドガー賞を受賞した日本人は今のところいないが、アメリカ探偵作家クラブの賞を受賞した日本人はいる。アメリカ探偵作家クラブはミステリー界に貢献した編集者や出版関係者に対してエラリー・クイーン賞を授与しており、これを1998年に早川書房の代表取締役社長(当時および現在)の早川浩氏が受賞しているのである。
◆バリー賞
ここからはアメリカ探偵作家クラブの賞以外で、日本の作品がノミネートされたり受賞したりしたものを見ていく。
『容疑者Xの献身』はエドガー賞最優秀長編賞だけでなく、バリー賞の最優秀新人賞にもノミネートされた。バリー賞はアメリカのミステリー雑誌『デッドリー・プレジャー』(Deadly Pleasures)が主催する賞で、1997年から授与されている。最優秀新人賞の過去の受賞作にはカルロス・ルイス・サフォン『風の影』やトム・ロブ・スミス『チャイルド44』、アラン・ブラッドリー『パイは小さな秘密を運ぶ』などがある。
『容疑者Xの献身』は東野圭吾のデビュー作でもないしアメリカでの最初の出版作品でもないが、ノミネートされたのは最優秀長編賞(Barry Award for Best Novel)ではなく最優秀新人賞(Barry Award for Best First Novel)だった。『デッドリー・プレジャー』誌の公式サイトによれば、このことについては選考委員のもとに多くの疑問の声が寄せられたそうだ。ただ、選考委員は『容疑者Xの献身』以前にアメリカで英訳出版されていた『秘密』はミステリー(mystery)というよりは超常現象を扱ったファンタジー作品(paranormal fantasy)だと判断し、日本ですでに多数の著作があることは分かった上で、東野圭吾のミステリー小説の最初の英訳作品である『容疑者Xの献身』を最優秀新人賞の候補にしたとのこと。
なお、このときの受賞作はテイラー・スティーヴンス『インフォメーショニスト』。『容疑者Xの献身』以外のノミネート作にはSJ・ワトソン『わたしが眠りにつく前に』、 レナ・コバブール&アニタ・フリース(デンマーク)『スーツケースの中の少年』などがあった。
◆アメリカ図書館協会のリーディングリスト
アメリカ図書館協会(American Library Association、ALA)の一部門であるレファレンス・利用者サービス協会(Reference and User Services Association、RUSA)は2008年から、ミステリーやSF、ファンタジー、ホラー、歴史、恋愛などの小説の各ジャンルごとに最優秀作を選定し、リーディングリスト(The Reading List)として公開している。過去のミステリー部門の選定作は以下の通り。
- 2008年 アリアナ・フランクリン『エルサレムから来た悪魔』
- 2009年 デヴィッド・ヒューソン『The Garden of Evil』(未訳)
- 2010年 Malla Nunn『A Beautiful Place to Die』(未訳)
- 2011年 ルイーズ・ペニー『Bury Your Dead』(未訳)
- 2012年 東野圭吾『容疑者Xの献身』
- 2013年 リンジー・フェイ『ゴッサムの神々 ニューヨーク最初の警官』
2009年の選定作はデヴィッド・ヒューソン(デイヴィッド・ヒューソン)のコスタ刑事シリーズ(邦訳は『死者の季節』『生贄たちの狂宴』『聖なる比率』『蜥蜴の牙』)の未訳の第6作。2011年の選定作はルイーズ・ペニーのガマシュ警部シリーズ(邦訳は『スリー・パインズ村の不思議な事件』『スリー・パインズ村と運命の女神』『スリー・パインズ村の無慈悲な春』『スリー・パインズ村と警部の苦い夏』)の未訳の第6作。
『容疑者Xの献身』が選出された際、ほかのノミネート作にはジョー・ネスボ(ノルウェー)の『スノーマン』やルイーズ・ペニーの『A Trick of the Light』(ガマシュ警部シリーズ第7作)などがあった。
- 作者: ジョー・ネスボ,戸田裕之
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◆ロサンゼルス・タイムズ文学賞
今年2月、中村文則の『掏摸(スリ)』がロサンゼルス・タイムズ文学賞の2012年度ミステリー・スリラー部門の最終候補作に選ばれた。この作品は2010年4月に大江健三郎賞を受賞し、2012年3月にアメリカで英訳版が発売されていた。大江健三郎賞は賞金はなく、受賞作の英訳(またはフランス語訳・ドイツ語訳)を賞としている。
2012年度ミステリー・スリラー部門の受賞作はタナ・フレンチの長編第4作『Broken Harbor』(未訳)に決まり、残念ながら『掏摸』は受賞を逃した。ほかのノミネート作にはクリス・パヴォーネ『ルクセンブルクの迷路』などがあった。
ロサンゼルス・タイムズ文学賞(Los Angeles Times Book Prize、1980〜)はその名の通り、『ロサンゼルス・タイムズ』紙が主催する賞。ミステリー・スリラー部門は2000年度から授与されている。過去の受賞作のうち、邦訳のあるものの書影を以下に貼っておく。2011年度の受賞作は、今年の日本のミステリーランキングを席捲したスティーヴン・キングの『11/22/63』である。
- 作者: スティーヴンキング,Stephen King,白石朗
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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中村文則は今年の週刊文春ミステリーベスト10で『去年の冬、きみと別れ』が第8位にランクインしているが、この作品はゲラ段階で早くも英訳の申し出があったそうだ。個人的にも非常に好みの作品だったので、この作品が英語圏でどういった評価を受けるのか、今から楽しみだ。
- 作者: 中村文則
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/09/26
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松川 良宏(まつかわ よしひろ) |
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アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/ twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas |