第5回 北欧その2 デンマーク編(執筆者・松川良宏)

 

デンマーク推理作家アカデミー ハラルド・モーゲンセン賞および最優秀新人賞

 
 ここ数年、スウェーデン・ミステリーに勝るとも劣らない勢いを見せているのがデンマークのミステリーである。2011年にハヤカワ・ミステリ、通称ポケミスで邦訳が始まったユッシ・エーズラ・オールスンの《特捜部Q》シリーズがその先陣を切っているが、ポケミスからはほかにデンマークの兄妹作家ロデ・ハマ&セーアン・ハマの『死せる獣―殺人捜査課シモンスン―』も刊行された。また、デンマーク本国で2007年に放送されたミステリードラマ『キリング』もいまや世界的ヒット作となっており、ハヤカワ・ミステリ文庫ではこのドラマのイギリス人作家デイヴィッド・ヒューソン(デヴィッド・ヒューソン)によるノベライゼーションも刊行されている。
 
特捜部Q ―檻の中の女― 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕 特捜部Q ―キジ殺し― 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕 特捜部Q ―檻の中の女― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1848) 特捜部Q ―キジ殺し―― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1853) 特捜部Q ―Pからのメッセージ― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
特捜部Q ―カルテ番号64― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 死せる獣―殺人捜査課シモンスン (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) キリング〈1〉事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫) キリング〈2〉捜査 (ハヤカワ・ミステリ文庫) キリング〈3〉逆転 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
キリング〈4〉解決 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 
 《特捜部Q》シリーズの第3作『特捜部Q―Pからのメッセージ―』は、デンマーク推理作家アカデミー(Det Danske Kriminalakademi、1986年創設)の最優秀長編賞であるハラルド・モーゲンセン賞(Harald Mogensen-prisen)を2010年に受賞している。
 ハラルド・モーゲンセンという名前に聞き覚えがある人はおそらくあまり多くないだろう。『ミステリマガジン』で1972年11月号から1973年12月号にかけて、図版をふんだんに用いた「殺人読本 絵で見るミステリ史」が翻訳連載されたが、その著者がデンマークのミステリー作家ターゲ・ラ・コーアと編集者のハラルド・モーゲンセンだった。日本ではそれ以来ほとんど取りざたされない名前なわけだが、それがデンマーク推理作家アカデミーの最優秀長編賞の名称になっているのだから驚きである。
 なお、ターゲ・ラ・コーアとハラルド・モーゲンセンはジャンルへの貢献が評価され、それぞれ1990年と1993年に、デンマーク推理作家アカデミーから「特別賞」を授与されている。ターゲ・ラ・コーアには邦訳が1編だけある(ターゲ・ラ・クール「サンタ殺し」『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1959年12月号)。ポアロ物のパロディである。
 
 デンマーク推理作家アカデミーの賞にはほかに最優秀新人賞もある。昨年邦訳されたA・J・カジンスキー『ラスト・グッドマン』は2011年の受賞作。A・J・カジンスキーというのは2人のデンマーク人、アナス・ロノウ・クラーロンとヤコプ・ヴァインライヒペンネームである。また、昨年『見えない傷痕(きずあと)』が邦訳されたサラ・ブレーデルは2005年に未訳のデビュー長編で最優秀新人賞を受賞している。
 
ラスト・グッドマン (上) (ハヤカワ文庫 NV) ラスト・グッドマン (下) (ハヤカワ文庫 NV) 見えない傷痕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 
 日本ではミステリー作家と思われていない人物がこれらの賞を受賞していたりもする。早川書房から児童向けファンタジー小説2冊(『秘密が見える目の少女』『ディナの秘密の首かざり』)が刊行されているリーネ・コーバベルは、Agnete Friisとの共著のミステリー小説『Drengen i kufferten』で2009年にハラルド・モーゲンセン賞(国内最優秀長編賞)を受賞。この作品をリーネ・コーバベル自身が英訳した『The Boy in the Suitcase』はバリー賞とストランド・マガジン批評家賞の両方で最優秀新人賞の候補になった【追記:この作品はちょうど今月、レナ・コバブール&アニタ・フリース『スーツケースの中の少年』として講談社文庫で刊行された】。また、児童文学『マリアからの手紙』が訳されているグレーテリース・ホルムは2000年にデンマーク推理作家アカデミー最優秀新人賞を受賞しており、その後ガラスの鍵賞(北欧最優秀ミステリー賞)にも2度ノミネートされている。
 
秘密が見える目の少女 (ハリネズミの本箱) ディナの秘密の首かざり (ハリネズミの本箱) スーツケースの中の少年 (講談社文庫) マリアからの手紙
 

デンマーク推理作家アカデミー パレ・ローゼンクランツ賞

 
 ところで実は、デンマーク推理作家アカデミーがハラルド・モーゲンセン賞(国内最優秀長編賞)の授与を開始したのはつい最近の2007年のことである。デンマーク推理作家アカデミーは創立当初から年間最優秀作に対してパレ・ローゼンクランツ賞(Palle Rosenkrantz-prisen)を授与していたが、この賞はデンマーク語作品と翻訳作品を区別せず両方を対象としていた。P・D・ジェイムズ『死の味』ジョン・ル・カレ『影の巡礼者』、ルース・レンデル『殺意を呼ぶ館』、コリン・デクスター『森を抜ける道』、レジナルド・ヒル『完璧な絵画』イアン・ランキン『黒と青』ミネット・ウォルターズ『遮断地区』、キャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』など英米の作品が受賞することが多く、1987年から2006年までの20年間でデンマークの作品が受賞したのはわずかに4回。このような状況をなんとかしようと思ったものか、2007年に新たにデンマーク国内の作品のみを対象とするハラルド・モーゲンセン賞が創設されたのである。パレ・ローゼンクランツ賞の方は現在は最優秀の翻訳ミステリーに与えられる賞となっている。今年の受賞作はジェイムズ・エルロイアンダーワールドUSA』
 
死の味〈上〉 (ハヤカワ ポケット ミステリ) 影の巡礼者 (ハヤカワ文庫NV) 殺意を呼ぶ館〈上〉 (扶桑社ミステリー) 森を抜ける道 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 完璧な絵画―ダルジール警視シリーズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
黒と青〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 遮断地区 (創元推理文庫) クリスマスに少女は還る (創元推理文庫) アンダーワールドUSA 上
 
 パレ・ローゼンクランツ(1867-1941)はデンマーク最初のミステリー作家とされる人物。20世紀初頭から、コペンハーゲン警察のアイジル・ホルスト警部補が活躍するシリーズを発表。『ハヤカワミステリマガジン』2010年11月号(北欧ミステリー特集号)では、その1編である「理にかなった行動」が翻訳掲載されている。パレ・ローゼンクランツは戦前にも「嫉妬」という短編が翻訳されているが(『新青年』1932年新春増刊号)、これはノンシリーズ作品である。
 
 英米やほかの外国作品に競り勝ってパレ・ローゼンクランツ賞を受賞したデンマーク国内作品のうち、邦訳があるのはペーター・ホゥの『スミラの雪の感覚』のみ。この作品はさらにガラスの鍵賞や英国推理作家協会シルバー・ダガー賞を受賞し、エドガー賞最優秀長編賞にもノミネートされるなど世界的なヒット作となった。ペーター・ホゥの邦訳はほかに『ボーダーライナーズ』がある。
 
スミラの雪の感覚 ボーダーライナーズ
 

デンマーク推理作家アカデミー パレ・ローゼンクランツ名誉賞

 
 パレ・ローゼンクランツ賞は作品に対する賞だが、2003年に一度だけ、ミステリー界に功績のあった作家に対するものとしてパレ・ローゼンクランツ名誉賞が授与されたことがある。受賞者は、日本でも長編4作(『轢き逃げ人生』『罪人(つみびと)は眠れない』『殺人にいたる病』、およびSF小説『蒼い迷宮』)が訳されているアーナス・ボーデルセンである。ボーデルセンは1992年にデンマーク推理作家アカデミーの「特別賞」も受賞している。
 
轢き逃げ人生―ワールド・スーパーノヴェルス (1979年) 罪人は眠れない (1981年) (角川文庫) 殺人にいたる病 (角川文庫 赤 542-2) 蒼い迷宮 (角川文庫)
 

◆【デンマーク】ポー・クラブ ポー賞

 
 1981年に講談社文庫で『沈黙の証言』というデンマーク・ミステリーが刊行されている。裏表紙の紹介文によれば作者のポウル・ウロムは「デンマークのポオ賞受賞者」なのだそうだが、この「ポオ賞」についての説明は巻末解説にも見当たらない。この賞はいったいなんなのだろうか。
 現在も活動中のデンマーク推理作家アカデミーが創設されたのは1986年だが、実はデンマークにはそれ以前にも1964年創設のポー・クラブ(Poe-klubben)という推理作家団体があり、少なくとも1987年ごろまでは活動していたようだ。もちろんその名称は、エドガー・アラン・ポーから取ったものだろう。「ポオ賞」というのはどうもこのポー・クラブが授与していた賞のことであるらしい。ポー・クラブの詳細や、活動を停止した理由などは分からない。
沈黙の証言 (1981年) (講談社文庫)
 

◆【ノルウェーノルウェーの推理作家団体から名誉賞を贈られた架空の私立探偵

 
 次回で扱うノルウェーから、1つだけ情報を先取りで紹介しておく。ノルウェーの推理作家団体リヴァートンクラブ不定期に授与する賞にリヴァートンクラブ名誉賞というのがある。基本的にはミステリー界に貢献した作家らに贈られる賞で、1973年の最初の受賞者はノルウェーのベルンハルト・ボルゲだった。その後、ルース・レンデルやP・D・ジェイムズエド・マクベイン、北欧の作家ではデンマークのターゲ・ラ・コーア、スウェーデンのマイ・シューヴァル、ヘニング・マンケルらが受賞している。
 
 この賞を2012年にはなんと架空の探偵であるヴァルグ・ヴェウムが受賞している。ヴァルグ・ヴェウムは、ノルウェーのミステリー作家グンナル・ストーレセン(Gunnar Staalesen)が1977年から発表し続けている《私立探偵ヴァルグ》シリーズの主人公。短編集も含め現在までに18冊ほど刊行されているようだが、邦訳はない。2007年から2012年にかけて映像化されて世界中にファンを獲得し、日本でも映像化全12作のうち最初の2作が今年3月にWOWOWプライムで放送された(『私立探偵ヴァルグ』「苦い花」「禁断の果実」http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102441/ )。残念ながら現在のところ、DVD化などはされていないようだ。

 そしてちょうど今日(7月25日)と明日の午後4時から『私立探偵ヴァルグ』の2作がWOWOWプライムで再放送され、それに続けて7月27日には『私立探偵ヴァルグ2』として映像版第3作「愛の誓い」、第4作「堕天使」が日本初放送される( http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102442/ )。またさらに8月13日には第1作〜第4作が一挙に再放送される予定である。ミステリードラマファンで視聴できる方はぜひチェックしてみてください。
 


松川 良宏(まつかわ よしひろ)


 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。
 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/
 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas