虚構が殺す、誰を殺す?――『ゴーン・ガール』(執筆者・三門優祐)

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

 
『冥闇』の紹介原稿を投稿した時にはタイミングが悪く書き加えることができなかったのですが、本書ゴーン・ガール小学館文庫)は2013年のエドガー賞候補作に選ばれていました(1月)。大きい賞を取って一気に話題の作家になってくれないものかな、と祈っていたのですが残念ながら落選(5月)。まあ、大本命のデニス・ルヘイン夜に生きる(ハヤカワ・ミステリ)と同年の枠に入ったのは不幸でしたね。
 
 さて、そんな話題になったんだかなってないんだかよく分からない翻訳出版前の状況はさておいて作品の紹介に入りましょう。
 

〈あらすじ〉
ニューヨークで雑誌ライターとして働いていたニックは、相次ぐ雑誌の廃刊、コンテンツの電子化など激変する業界の潮流に取り残され、結局職を失ってしまう。なんとか生活していくために、妻のエイミーを伴い故郷のミズーリに引っ越したのが2年前、以来田舎の生活に適応できない妻との関係は悪化する一方だった。
ところが結婚5周年の記念日である今日、エイミーが失踪してしまう。単なる家出か、誘拐か。警察の調査が進む中で、確固たるアリバイを持たない第一発見者のニックにエイミー殺しの嫌疑が掛けられていく。

 物語は「警察の捜査によって追いつめられていくニック」と「失踪前にエイミーが書き遺した日記」の二つの系列の語りが、交互に繰り出される形で進んで行きます。ところがこの記述がどうにも胡散臭いのです。
 たとえばニックは、エイミーの失踪に対してそれほど動揺しているようには見えません。警察官に吐いた嘘の数をカウントして見せるなど、ひどく余裕のある態度をとり続けます。嫌疑を受けているにもかかわらず年若い愛人と会ってみたり、読者に対しても何かを秘密にしてみたり……(「言わずにいるという嘘が、ぼくは大の得意だ」p.260)。彼が犯人であるとは思えないけれど、でも何かがおかしい、と読者は大いに混乱させられます。
 対してエイミーの日記は、ニックとの出会いから彼女の失踪直前までを時系列に辿ったものですが、少女趣味というか、精神的に成熟していないというか、なんとも気持ちの悪いものです。たとえばエイミーはニューヨークで暮らしていた時、女性誌向けの「三択心理クイズ」を作るのを仕事にしていたのですが、それも日記の中に取り込んでいます。仕事を失ったニックを慰めるためにクイズを作って見せるシーンが以下。これが日常的に続くとすれば、ニックがエイミーに辟易していくのも納得……できるのかな。
 

「ほんとにだいじょうぶ?」と何度か尋ねてみた。
(中略)
ニックの答えは毎度同じ。「だいじょうぶ。だからそっとしてといてくれないか」
こういう状況にぴったりのクイズを作ってみた。“クビになったらどうやって乗り切る?”
(a)パジャマ姿でアイスクリームをドカ食い――ふてくされるのって癒される!
(b)元上司の悪口をネットで書きまくる――鬱憤晴らしって最高!
(c)時間に余裕ができたから、次の仕事にプラスになりそうなことにトライしてみる。売りにできる語学を習得するとか、『戦争と平和』を読んでみるとか。

褒めたつもりだったのに――正解はcだから――ニックに見せたら、苦々しい笑みを浮かべただけだった。

 
 このような二人の語りを交互に読んで行くうちに、読者は微妙な齟齬に気づかされることになります。同じことに対して「自分が抱いた想い」と「相手が抱いているように見えた想い」の記述が徐々にずれていくのです。自分の語りの中で敢えて言い落とした(としか考えられない)内容が相手の語りの中では描かれ、互いに互いの罪を指弾していくかのような中盤の展開はスリリングです。

 ところが、上巻が終わるその最後のページで物語は一挙に大転回を始めます。エイミーが毎年結婚記念日のたびにくりかえす「宝探しゲーム」。そのヒントを辿った先で、ニックが目にしたものは……
 

顔をこわばらせ、冷たい手で車を駆って町を突っ切った。
(中略)
居間の窓明かりの横をこっそりと抜け、急な斜面を下った。もう誰からも見られることはない。ひとりきりだ。
裏庭の突き当たりの並木のそばに小屋はあった。
ドアを開けた。
嘘だ嘘だ嘘だ。
(下巻に続く)

 
 ちょうどここが第1章「失踪」の終りの箇所なのですが、いやー実にいやなところで切れてくれます。出先で下巻を持っていないのに、こんな思わせぶりな中断……下巻をもう一冊買おうかと思いましたよ。
 ここからは第2章「対決」、第3章「変奏」と続くのですが、一体誰と誰が対決するのか、何がどのように変奏されるのかはぜひ自分の目で確かめてみてください。いまこの時点で立てている予測の「ほとんど」が裏切られること請け合いです。
 前作から既に見られた巧みな語り、読者をひきつける展開の妙、不気味なほどに戯画化され、それゆえに真に迫る人物像。成長を続ける作家、ギリアン・フリンの現時点での最高傑作なのは間違いありません。次作にも大いに期待したいところです。
 
 最後に蛇足、というか疑問をひとつ投げかけて終わりにしたいと思います。
 
 果たしてGone Girlとは誰のことなのか?
 
 本作中で失踪する/あるいは死ぬ(?)のはエイミーだけなので、素直に考えれば「少女」=エイミーでしょう。ただし彼女は30代後半で、「少女」と呼ばれるような年齢ではありません。ではなぜ、「Gone Girl」という二語がタイトルに選ばれたのか?
 前回の『冥闇』レビューでも書いたように、フリンは「安らぎの国を失い、二度と帰れなくなってしまった人びと」(マーガレット・ミラー)の描出に力を入れている作家です。Girlとは誰なのか、安らぎを失った彼女は一体どうなったのか、そしてこれからどうしていくのか。本書を読んだ方にはぜひその点について考えをめぐらせて欲しいと思います。
 

三門 優祐(みかど ゆうすけ)


 1986年生まれ。フリーの兼業読者。愉悦部の一員目指して、不幸の蜜滴るメシウマ小説を日々愛読。ブログ「深海通信」にて、「エドガー賞攻略作戦」を不定期更新中。( http://d.hatena.ne.jp/deep_place/
 ツイッターアカウントは @m_youyou
 
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