いらなそうで、いるもの、な〜んだ?(執筆者・おおつか のりこ)
今回は、絵本の翻訳の話をします。
レイモンド・ブリッグズの『ゆきだるま』は、原作の味をそこなわないアニメーション化のおかげもあり、日本でも人気がすっかり定着しました。はじめてこの絵本を目にしたとき、コマ割りによる躍動感の一方で、色鉛筆のかさなりが優しい雰囲気を生みだすさまに、とろけそうな気持ちになったことをおぼえています。この作品からブリッグズ氏のファンになった方も多いのではないでしょうか。
といったところで、はい、すでにツッコミを入れている方もいますよね。もう3月なのにゆきだるま? じゃなくて、そう、文字です。絵本『ゆきだるま』にも、アニメーション「スノーマン」にも、表紙・とびらのほかには、文字はいっさいありません。絵だけで展開する物語です。それなのに翻訳の話とはなにごとだとお思いでしょう。ということで、失礼しました。書きなおします。
今回は、文字なし絵本の翻訳の話をします。
え、なおさら馬鹿いっちゃいけない? まあまあ、じつはこの話、奥がちょっとだけ深いんですよ。だまされたと思って、しばらくおつきあいください。
よく、翻訳を生業にしている人が「ヨコのものをタテにしている」と冗談半分にいいますが、実際の翻訳作業は、他国の言語を日本語におきかえるだけではありません。読者に原文がいわんとする核心をつたえるために、文化の違いをかんがえながら、表現を変えたり、言葉をおぎなったりするのも、翻訳者のだいじな役割です。とくに人生経験の浅い子どもにむけた本では、おぎなうだけではなく、敢えて原文とはまったく違った意味にすることさえあります。そのあたりは、これまでこのコーナーで他の執筆者が書いているエッセイを参考にしてください。子どもの本の翻訳者の七転八倒が紹介されていますよ。(*注1)
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*注1 参考エッセイ
「ほんやくって、なあに?」
http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20111003/1317598156
「これ、子どもに通じるかな」
http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20121012/1349997893
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さて、この言語をおきかえるときに発生する、いわば日本文化への最適化のおかげで、日本の子どもたちは、異文化の物語でもするんとはいりこんでいけるわけです。一方、文字なし絵本は翻訳されないので(でも、日本語版はでるのですねえ。不思議ですねえ)、子どもたちは異国の物語を「生で」味わうことができます。訳者が日本語にするときには、どうしてもその人なりの色をつけざるをえませんから、ほんとうは、読者が原書をそのまま味わえるのなら、それにこしたことはないはずです。それができる文字なし絵本ってすごいです。ただし、そのままを味わうことと、作品を理解することとは別です。絵が「見え」ていても「読め」ないということがあるのです。
話がややこしくなってきましたから、ここはじっさいに『ゆきだるま』を例にみていきましょう。表紙では、しんしんとふる雪のなか、つぶらな目にだんごっぱな(いや、オレンジっぱな?)のゆきだるまが、やさしくほほえんでいます。さあ、絵本の扉をあけますよ。
ある朝、少年がベッドで目をさますと、窓ガラスいっぱいに、白いものがちらちらとうつっていました。雪だ! 少年はすぐさま着替えてとびだすと、さっそく雪のかたまりをころがして大きな玉をつくりました。それから少年は、玉をもう1つころが……さずに、シャベルで雪をうず高くつみあげます。こうしてできたひょろながいドームの上に、さっきの玉をのせるのです。まるでこけしのようなこの姿が〈ゆきだるま〉なのかと、読者はおどろくでしょう(ここは、戸惑いでなく、おどろきです)。他国の異なる文化をしることができるのは、外国の絵本の醍醐味といえます。ちなみに、わたしは「カロリーヌ」シリーズではじめて、日本人からみたら迫力がありすぎるというか、やや乱暴なつくりの雪の人形をみて、衝撃をうけました。なにせ、だるまじゃないんですから。下の玉をころがさないんですよ。東北出身のわたしとしては、既成概念をくつがえされたようなできごとでした。ちなみに、アメリカ人作家ゴフスタインの『ふたりの雪だるま』にでてくるゆきだるまは、雪玉を3つかさねた高度なもの。いちがいに欧米人が雑なゆきだるまをつくるとは限らないようです。
閑話休題。夜になり動き出したゆきだるまを、少年は家にまねきいれます。ゆきだるまにとって、人間の家の中はめずらしいものばかり。いちいちおどろくゆきだるまを得意そうに案内する少年に、読者は気持ちをそわせ、わくわくしながらコマを目で追っていくことになります。ここからはずっと、生活が西洋化した日本人にとって違和感のない場面がつづきます。冷蔵庫が流し台の下に組みこまれてしまっているのは、ちょっとしたおどろきかもしれません。でもまあ、ここはひらいた扉から明かりがもれ、ゆきだるまが嬉々として冷気にあたっているので、冷蔵庫だとわかるでしょう。それからふたりは2階の部屋をめぐって、もういちど1階にもどると、ガレージにはいります。
さて、ここで、たいていの日本の子どもにとっての難関がまっています。それは、ガレージの壁ぎわに据えおかれた柩のような大きな箱。ふたをあけると、中から光がもれてきますが、金貨がはいっているわけではなさそうです。ゆきだるまが、中にはいって気持ちよさそうにしているところをみると、中はつめたいのでしょうか? と思う間に、少年はこの謎の箱から、灰色の小箱をいくつかとりだし、ガレージをでます。すると、つぎにはいきなり食事がはじまるのです。ページの半分をしめるコマには、ろうそくの灯るテーブルに、色とりどりのご馳走がならぶ、華やかな場面がえがかれます。食べ物がでてくることもあって印象深いシーンです(どうして、食べ物の場面は大人になっても胸に強くのこっているのですかね)。が、それにしてもこのご馳走は、いったいどこからでてきたのでしょう?
じつは、ガレージにあったのは、大型の冷凍庫でした。少年がとりだした小箱は、冷凍食品の数々。それをしっているイギリスの子どもには、ガレージからダイニングへのながれは、まったくスムーズなはずです。ところが、ガレージに大きな冷凍庫がおいてあり、そこに冷凍食品が貯蔵してあることをしらないと、話が急展開するように感じ戸惑ってしまいます。これが、絵が見えていても、読めないということです。
おそらく、この作品は力があるので、こういうつまずきが多少あっても、読者はつぎの展開にひかれてページをくるでしょう。もしかしたら、大きくなってから現地にいって事情をしり、膝をうつのかもしれません。それとも、その後、小さなつまずきを思い出すこともないのかもしれません。だから、問題ないといえば問題ないのですがね。
でも、そうはいっても、描かれた世界を奥の奥まで理解できれば、読書(読画?)の質はより高くなるものです。また例をあげますね。
安野光雅作「旅の絵本」シリーズは、世界各地を馬に乗った旅人とともにめぐるという絵本です。第1巻の北ヨーロッパにはじまり、イタリア、アメリカ、デンマークなど、現地を旅した安野氏が、スケッチをもとにその地の自然、人々の暮らし、文化、そして歴史までを、丹念に描きこんでいます。美しい見開きのそこここに、見覚え、聞き覚えのある場面をみつけるのが楽しい、目も頭も満足させてくれる傑作です。
はい、ここで自分でツッコミをいれさせてもらいます。翻訳本をあつかうこのサイトのエッセイに、日本の〈創作絵本〉が紹介されるのは邪道、ですよね。でも、国際アンデルセン賞も受けている安野氏は、世界的な絵本作家で、その作品も世界各国で出版されています。となれば、氏の作品はもう、日本の〈創作絵本〉の枠をこえたものとして語るべきでしょう。ましてや、この「旅の絵本」シリーズは、安野氏がフランス人から「あなたはフランスに暮らしたことがないのに、フランスのことをよく知っていると感心した」(*注2)といわれるほどの「外国絵本」ぶりなのです。
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*注2 やまねこ翻訳クラブによる「安野光雅さんインタビュー」より
http://www.yamaneko.org/mgzn/eng/jcb_j0104.htm
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さて、わたしがこのシリーズではじめて手にしたのは、第3巻のイギリス編。当時、わたしは中学生でした。本好きにくわえて新し物好きという父親が(とはいえ既に3巻目ですが)、得意げに買ってきたその夜は、家族全員がこぞって、しっている物語や人物、名所をみつけて楽しみました。ただ、なんとなく含みがありそうだけれど、なんの場面かわからないという箇所がいくつかありました。もしかしたら安野氏のことなので、なんともない暮らしの一場面をおもわせぶりに描いたのかもしれません。でも、もし出処があるのなら、しって好奇心をみたしたいという悩ましい気持ちがのこりました。
その後の巻を読むにつけても、その気持ちは募るばかりでしたが、大人になってからでた第6巻のデンマーク編には、ついに解説がついたのです! アンデルセンの物語がちりばめられた巻で、解説の大部分はそのお話にかんすることでしたが、知識をおぎなってもらうことにより、本はさらに面白くなりました。その後、第7巻中国編では、かなり詳細な解説がつき、作者の思いの深さがつたわってきました。(印刷の色の関係で改訂版がでた第2巻イタリア編にも解説が後付けされたようです。)
安野氏の日本人に向けた解説は、いわばご本人による文字なし絵本の翻訳です。これによって、現地の事情がわからない日本の読者にも、作者の意図がつたわりやすくなりました。でもこれは、安野氏が日本人だから成しえたこと。『ゆきだるま』のように、外国人作家の手による文字なし絵本では、作者と読者の間に作者とは別の「絵の翻訳者」が必要なときもあるかもしれません。編集者のみなさま、つぎの文字なし絵本には、翻訳という選択も視野にいれてみてはいかがでしょう?
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◇おおつか のりこ (大塚典子)。福島県出身。北海道大学卒業。訳書に、メドー『ルルと魔法のぼうし』、スチュアート&ランキン『シャンプーなんて、だいきらい』、共著に「キッズ生活探検 おはなしシリーズ」など。やまねこ翻訳クラブ会員。 |
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