シャーロックレイジー(執筆者・北原尚彦)
第3回 グリンペンの底無し沼のごとき古書収集
前回は洋書の話をしましたので、今回は日本の古書の話を致しましょうか。
最初に古本屋へ行くようになったのは中学生の時分で、「ミステリマガジン」のバックナンバーを買うためだったと記憶しています。エラリー・クイーンの単行本未収録短篇が○○年○月号に載っているとか、ホームズ・パスティーシュが××年×月号に載っているとか、そういうのを探していたのです。
その頃からSFとミステリ入り混じりに読んでいたのですが、オールタイムベスト一覧類を見ているうちに、新刊書店では売ってない本が混ざっていることに気が付きました。で、それを探すには、古本屋しかないと。また乏しい小遣いをやりくりするには、新刊で買えるものでも古本屋で買えば安い、という知恵もつきました。
しかしシャーロック・ホームズ関連については、当初あまり古書コレクターという意識はありませんでした。自分は最初シャーロック・ホームズの原典9冊を読みきってしまって「もう読むものがない……」と愕然としている時にパロディ&パスティーシュの存在に気付き、「ああ、まだこれがあった!」とそちらにのめりこんでいったので、翻訳史などに興味を持ったのは、随分と後なのです。
しかし子ども向けのリトールド作品、脚色されたマンガ、舞台を日本に置き換えた古い翻案などもパロディ並みに(下手をするとそれ以上に)面白いということに段々と気付いて、興味と収集の範囲が広がっていき、現在に至るわけなのです。
さてさて。シャーロック・ホームズ関連の珍しい古本は、『シャーロック・ホームズ秘宝館』と『シャーロック・ホームズ万華鏡』の2冊の中で、だいぶ紹介してしまいました。ここで全く同じものを披露しても仕方がありませんから、なるべく近年入手したものを扱うことにしましょうか。
コナン・ドイル『ホルムスの思ひ出』(金剛社:萬国怪奇・探偵叢書/大正13年)は、ミステリー評論家で古書コレクター仲間の森英俊さんから「某ネット古書店で安く売ってますよ」と教えて頂いたおかげで、入手できたもの。これはタイトルからもすぐに判る通り、『シャーロック・ホームズの回想』の古い翻訳です。《萬国怪奇・探偵叢書》は結構マニアックな叢書で、なかなか安値では出ません。これは現代でも邦訳書が手に入れやすいタイトルだから、ということで、値段が抑えられたのでしょうか。(今確認したら少し書き込みがあったので、これも安値の原因のようです。)
中に「邪悪の人」というタイトルがあり、これは何だろうと思ったら「背中の曲がった男」でした。原題「The Adventure of the Crooked Man」の“crooked”には、物理的に物が曲がっている場合だけでなく「心の曲がった、不正直な」という意味でも用いるので、そちらを採用したのでしょう。しかしあの人物は別に邪悪ではなかったはず。とすると別な人物を示しているのか……。ネタバレになりそうなので、この辺で。古い翻訳は、邦題や固有名詞などを比較するだけ色々と興味深いのです。
芳谷圭児『キツネ・クラブ』(「小学六年生」1959年12月号付録)は、昔の学年誌の付録マンガです。これなど、タイトルを聞いただけでは何だか分からないでしょう。
推理好きの少年・小学六年生の章太の父親は、刑事だった。ある日、同級生のサチ子のおじいちゃんが、章太の父親に相談にやって来る。おじいちゃんは元大工で、背中に見事なキツネの刺青をしていた。先日、階下の店を借りて写真屋をやっている川地という人に勧められて、キツネの刺青をしている人だけを対象に募集している「キツネ・クラブ」の仕事に応募した。ところがある日、事務所へ行くとキツネ・クラブは解散したという貼り紙がしてあった……って、これ「赤髪連盟」(もしくは赤毛クラブ)のストーリーそのままですよ!
実はこの本、8年前に日本シャーロック・ホームズ・クラブの友人から譲ってもらいました。しかしちょっと状態が悪く、表紙の下の角が欠けたりしていました。これは是非ともきれいなものを入手したいものだなあ、とずっと探していて、最近になってようやくマンガを専門に取り扱っている神保町の古本屋さんのネット目録で見つけ、速攻注文し、直接買いに行ってきた次第です。半世紀以上前の本にもかかわらず、今度のものは新品同様の美本で、大満足でした。これでようやく、書影を掲げて紹介できるというものです。
マンガを描いた芳谷圭児は、後に『高校生無頼控』や『カニバケツ』などの作者として名を知られるようになるマンガ家です。原案がコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物であるとはどこにも記されていませんが、昔はマンガ家も編集者もその辺は非常に緩かったのです。和田慎二の代表作のひとつ『愛と死の砂時計』がアイリッシュの『幻の女』を下敷きにしているのは有名な話ですが、これなど編集者から「これでやって」と原作本を渡されたのだそうです。
完全に自力で発掘したものでは、はっとりかずお『地獄犬ののろい』(「小学六年生」1973年10月号付録)があります。これはネット上で見つけたのですが、特にドイル原作ともなんとも謳ってありませんでした。しかしタイトルからして『バスカヴィル家の犬』に違いない、と当てずっぽうで注文したのです。……実は、ハズレても悔しくない程度のお値段でしたし。
結果は大当たりでした。これまた、舞台もキャラクターも日本に置き換えた、翻案マンガだったのです。ただしこちらは、バスカヴィルが原作であることを巻頭できちんと断っています。巻末に小学館版の「名探偵ホームズ全集」の広告が「新発売」として載っていますから、逆にこの全集をPRする意味合いもあったのでしょう。
東京の由比探偵事務所に、××県総魔村の総魔小夜という女性から手紙が届く。彼女は最近父を亡くし、総魔家を継ぐために北海道から総魔村へ引っ越してきた。しかし総魔家には昔から地獄犬の伝説があり、父が死んだ現場にも大きな犬の足跡が残されていた。是非とも相談に乗ってほしい──と言われて、由比圭介探偵は総魔村へと向かった……。一族の跡継ぎを女性にするなどの改変はありますが、基本的なストーリーラインは『バスカヴィル家の犬』そのままです。
ちなみに『バスカヴィル家の犬』を日本に置き換えて漫画化したものとしては、横山光輝の『地獄の犬』が有名でしょう。
最後に、古本ならぬ「古紙芝居」も紹介しておきましょう。やはりネットで見つけた『ムーミンは名探偵』(日本交通安全協会/発行年不明)です。あのムーミンが、ホームズ・スタイルで謎を解決するのです。しかしこれはあくまで少年少女に交通安全の知識普及を図るのを目的としている紙芝居のため、何故か途中から交通安全の話になってしまうのです。「ノンノン」が出て来るから、古いヴァージョンのアニメ準拠なのですが、調べてみるとそれほど古くはなく、どうやら2000年前後に作られたものらしいのです。(実際にこの紙芝居で交通安全教育を受けたという小学生女子の証言も得ました。)
ディアストーカー(鹿猟帽)、インヴァネス・ケープ、虫眼鏡、パイプといったアイテムは、最早シャーロック・ホームズそのものに止まらず、“探偵”を意味する記号と化していますから、はっきりシャーロック・ホームズの名前が出てこなくても使われることはしばしばです。ですので、その辺りの見極め(というか自分なりの線引き)が実に難しいのです。
シャーロック・ホームズ関係書や、イラストなどにシャーロック・ホームズの要素が出て来る本は、星の数ほどあります。その全てを収集するのは不可能でしょう。そうと判って、自分の守備範囲のものだけ集めているつもりでも、ずぶずぶと深みにはまってどんどん身動きが取れなくなっていくのです。……最早、抜け出ることは不可能でしょう。
◇北原尚彦(きたはら なおひこ)。東京生まれ、東京在住。青山学院大学卒。主な訳書は『ドイル傑作集 全5巻』(共編訳)『シャーロック・ホームズの栄冠』他。主な小説は『首吊少女亭』『死美人辻馬車』他。主な古書エッセイは『古本買いまくり漫遊記』『SF奇書天外』他。主な編書は『怪盗対名探偵 初期翻案集』他。 |
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