第十八回『樹海戦線』の巻(執筆者・東京創元社S)
みなさんこんにちは。前回の原稿を書き上げたあとに、事務局から嬉しいご連絡をいただきました。過去の記事のバックナンバーのいくつかに、〈通りすがり〉さんというかたがコメントを残してくださったそうです。おお、どんなのかな〜と読んでみたところ、あたたかいコメントばかりで感激しました! 今度から原稿の執筆で困ったら、このコメントを見て元気をもらおう、と思いました。〈通りすがり〉さん、ありがとうございます!
で、今回さっそく困ったわけです。……いや、作品が面白くなかったとか、そういうわけじゃないのです。むしろ、過去の課題作のなかでも「好き度」でいえば、かなり上位にくるのです!! ちょうすばらしい作品だったのです!! しかしまぁ、なぜか感想が書きにくい、という本はあるものでして……。今回はいつもとちょっとちがう「ラムネ」になるかもしれませんが、とにかくあらすじを……。
- 作者: J.C.ポロック,沢川進
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1986/02/01
- メディア: 文庫
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CIA内部に潜むソ連の大物スパイ――その正体を暴く情報を持つために、元グリーンベレー隊員のスレイターは暗殺者に命を狙われ始めた。激闘の末、からくも生き延びたスレイターと戦友のパーキンスは、武器を集めてカナダの森林地帯に入り、敵を迎え撃つ作戦に出る。だが、そこに送り込まれてきたのは、ソ連が誇る特殊部隊の精鋭だった! 大自然を舞台に展開するプロ対プロの激烈な闘い。迫力溢れる冒険アクションの傑作(本のあらすじより)
このあらすじを読んで最初に、「ほほう、今回は冒険アクションか。しかも森林地帯! 最近海洋モノが続いてたから新鮮だなぁ。ド派手な銃撃戦とかあるかも。このスレイターさんというのは男前なお兄さんなんだろうな。映画みたいな感じかしら、わくわく」とニンマリしたわけです。普通、そう思いますよね!? でもでも、実はこの予想はいい意味で完全に裏切られたのです……!! 早川書房のあらすじ職人の掌で踊らされてしまったぜ……!
いや、ハラハラドキドキの戦闘シーンがないわけじゃないのです。むしろ、戦闘に関する描写と、緊迫感を演出する筆力のすごさはお見事、のひと言です。物語の冒頭が、主人公のスレイターが謎の暗殺者に銃撃される、というシーンで、ぐわっと心をつかまれました。手に汗握るリアルな描写で、物語世界に読者を引き込んでいくのです。そしてまた、緩急の付け方がものすごく上手い! ピンチ→なんとかきりぬける&ちょっとひとやすみ→またピンチの連続で、読み手を飽きさせない! 謎や敵の情報を小出しにしていく技術力も高く、とにかく面白く読めました。
ふっふっふ、そしてメインの戦闘がかっこいい! あらすじにも書いてあるとおり、スレイターさんと仲間がたったふたりで、ソ連軍の精鋭を迎え撃つのです! ふたり対十二人の戦いです。少数VS大勢のバトルというのは、やはり燃えますなぁ。この作品も、スレイターさんたちが知識やさまざまな武器を利用して、敵を追い詰めていくシーンがよかったです。まさにプロ対プロの戦いという感じで、すばらしい冒険アクションだと思いました。
しかーし! この作品はただの冒険アクションではないのです。なんというか、ひと言でいうなら、暗い……? 物語の全体的な雰囲気がとにかく重くて暗い。そしてこれは読んでいて嫌になるたぐいの暗さではなく、むしろ我々読者を惹きつける魅力になっています。
まず、冒頭からして暗い。だってもう、たった9ページめで、スレイターさんの愛犬との永遠の別れについて書いてあるんですよ……! 6年間一緒にいた愛犬の死に関する記述を通して、スレイターさんが優しく愛情深いひとであることがわかります。それだけでもこの愛犬喪失エピソードには意味があると思うのですが、作品を読み続けるうちに、もっと重要なものを象徴しているのだとわかりました。それは、この物語が「死」に包まれているということです。
主人公のスレイターというひとは、かつてグリーンベレーに所属し、ヴェトナム戦争で戦いました。叙勲された優秀な兵士でしたが、彼は戦争で多くのものを喪いました。共に戦った親友、仲間、そして美しい妻と、お腹にいた子ども……。特に、奥さんのイレアナさんが亡くなった理由はすさまじくて、読んでいて辛くなりました。こんな思いをして生き残ったスレイターさんは、どんな人物なのか。上で述べたように、戦闘力があるプロフェッショナルで、親友や愛犬や同僚を大事にするいいひとなのですが、それ以上に彼を表現しているこんな文章があります。
かれの一部は、限られた数の親友たちと共にすでに死んでいたのだ――かれは、その何人かが死体運搬用の緑色の袋に入れられ、泥だらけのトラックの荷台に燃料用木材のように積まれるのを見まもったのだった。ほかの何人かは、なんの成果もあげられなかった長距離任務で生命を失い、一万二千マイルもはなれた密林の中の浅い墓に埋められて横たわっているのだ。そして、なんとかして失わずにすんだ気力と感情も、イレアナの死と共にかれから奪い取られ、かれは、ほろ苦い記憶と深い悔恨で谺し、ほんの皮相的にしか物事に関心を持たない、ぬけがらのような存在になってしまったのだ。
そう、スレイターというひとは、「もう死んだ人間」なのです。体は生きていても、心が死んでいる。そういう人物が冒険小説の主人公だというのは、すごく新鮮でした。彼がこのようなひとだからか、物語全体のトーンが暗く重くなっているのでしょう。「死」というのは嫌なものではありますが、一種の危険な魅力をそなえている場合もあります。スレイターさんもそうで、とても印象的な人物になっています。すでに死んでいるからこそ、戦わずにはいられない。そういう姿に胸を打たれました。また、敵味方含め印象的な脇役が多いのですが、彼らもみな戦争で傷つき、大事なものを喪っているひとばかりです。「死」が彼らにまとわりついている。著者が意図していたかどうかはわかりませんが、冒頭の愛犬喪失エピソードはそれを象徴していたのでしょう。
この作品では、「死」が全体を支配することで、ハラハラする緊迫感あるアクションシーンだけでなく重厚感と読み応えをそなえたものになっているというのが、とてもいいなぁと思いました。たしかに、読んでいて辛くなるような一文もたくさんあります。特に、本文の最後のパラグラフが与えてくれた衝撃は、しばらく忘れることができそうにありません。言葉にするのは難しい、なんともいえない気分を味わいました。電車のなかで読んでいたのではなかったら、「ふおおおおおおお……」と意味不明なおたけび(?)をあげていたかもしれないなぁ、ほんと。
でも、重くて暗くても、このような読んだ人間に「何か」を残していってくれる小説というのが、私はとても好きなのです。ただ面白かった! という作品ももちろん大切なのですが、やっぱり、読書の醍醐味って読んでいて感情を揺さぶられるような思いができる、ってところにあるという気がしています。あと、キャラクターのよさにあんまりふれませんでしたが、人物描写もすばらしいですよ! 味方だけでなく、敵方にもいい感じの人物が多くて、誰もがいろいろな事情を抱えているのね……というような気分になりました。描写に厚みがあるのです。
ふう、というわけで、「とっても面白かったけど感想は書きにくかった」お話でした。こう、なぜ面白いのかはわかるんだけど、文章にしにくい! 上手く伝わっているといいのですが……。まぁ、『樹海戦線』は、この連載の課題本としては珍しく「在庫あり」ですので、気になったかたはぜひぜひお買い求めいただいて読んでくださいまし。ほかのひとの感想が気になる作品でもありますので。あっ、特に犬好きのひとはぜひ! いい犬がいますよ〜。
【北上次郎のひとこと】 |
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ベトナム戦争を素材にした小説は、マレル『一人だけの軍隊』を始めとして数多いが、この『樹海戦線』もそうした一冊。とはいっても、ベトナムにとらわれているアメリカ兵を救出しにいく『ミッションMIA』(これもポロックの作品だ)のような無邪気なヒーロー小説とは違って、こちらは個の戦いに焦点をあわした傑作だ。つまり、この『樹海戦線』が面白かったからといって、他の作品に手をのばすと必ずしも面白いわけではないことがあるので要注意。 |
東京創元社S |
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入社4年目の小柄な編集者。日々ミステリを中心に翻訳書の編集にいそしむ。好きな食べ物は駄菓子のラムネ。2匹のフェレット飼いです。東東京読書会の世話人になりました。第一回読書会も無事終了。ありがとうございました。TwitterID:@little_hs |
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