第十七回『殺意の海へ』の巻(執筆者・東京創元社S)
第十七回『殺意の海へ』の巻
みなさんこんにちは。前回の『踊らされた男たち』では、あまりにテンションが高かったからか、なんと10人以上の方がamazonの中古本をポチってくださったようです! いやぁ、驚きました。ありがたいことです。今後とも頑張りますのでよろしくお願いいたします。
さて、今回の課題本はバーナード・コーンウェル『殺意の海へ』です。まずはあらすじを……。
- 作者: バーナードコーンウェル,Bernard Cornwell,泉川紘雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1993/08
- メディア: 文庫
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フォークランド紛争の英雄でヨットマンのニックは、海運王カソーリから恐るべき依頼をもちかけられた。外洋レースに出場するニュースキャスター、バニスターの艇に乗り、彼を誤った海域に導けというのだ。バニスターはカソーリの娘を殺害したと噂されており、洋上で何かが起きることは間違いない。依頼を断ったニックは、陰謀を阻止すべく愛艇で激浪の海域に急行する! 英国冒険小説の新旗手が放つ傑作冒険サスペンス(本のあらすじより)
この作品を読んでまず面白いなと思ったのが、実は物語の展開やキャラクターではなく、訳語なんです。本書を訳された泉川紘雄先生は、ヨットのことを「船」ではなく「ふね」とひらがなを使って表現しているのです。これがすごくいいなと思いました。船乗りはよく自分の愛艇のことを女性にたとえたりしますよね。あと、女性の名前を船名にしたり。この作品では、「ふね」とひらがなを使うことで女性的なやさしさがあらわれ、主人公のニックがどれほどヨットを愛しているかがより深く伝わってきました。とにかく海が好きで、ヨットで海に出ているのが何よりも楽しい。いや、海でなくては生きられない。ニックは根っからの海の男なのですが、そういうキャラクター性がダイレクトに感じられる名訳だと思います。
いやもう、ニックさんの海好きというかヨット好きはものすごいですよ。彼はフォークランド紛争で負傷して、一時は全く歩けなくなると言われたんです。でもそれを、ヨットで海に出たいがために猛烈なリハビリをして克服してしまうんです。ううむ、すごい。そして後遺症は残っていても、普通に生活できるようになるんですが、それからもとにかくふねのことしか考えていない。ふね命。いやぁ、そういう何かひとつのものに拘泥してしまう人間って、きらいじゃないぜ。でもね、ひとつだけ言わせてください……そんなんだからあなた、奥さんに逃げられたのよ……。
でもって、いざ自分の愛しいふね〈シコクラス〉に乗ろうと思ったら……それがなぜか壊れてしまっていたのです! そしてそれが有名ニュースキャスターのバニスターの仕業であるとわかり、ニックさんは陰謀に巻き込まれてしまいます。
この陰謀というか、物語の中心にある謎が物語を牽引し、最後までぐいぐい読ませていくところもいいですね〜。バニスターには海の事故で亡くなった奥さんがいました。彼女、ナデジャのお父さんのカソーリは、〈海運王〉とまで呼ばれるアメリカを代表する実業家です。カソーリはバニスターが事故に見せかけてナデジャを殺したと思っていて、バニスターへの復讐をニックに依頼します。ニックは断るわけですが、「本当にバニスターはナデジャを殺したのか?」という謎が物語の展開を面白くしています。
おまけにこのカソーリが怖くって。彼はニックが依頼を断ると、「じゃあうちの会社イギリスとは取り引きやめちゃうもんね(大意)」と彼を脅しにかかります。カソーリはイギリスの政治や経済までも揺るがすことができるものすっごい権力者なのです。こんな人物に目をつけられてしまう、というのが物語に緊迫感を生み出しています。いやぁ、あらすじからはこんな人物だとは思わなかったよ、カソーリ……。
「本当にバニスターはナデジャを殺したのか?」という謎、そしてカソーリの脅しの結果など、もろもろの決着はもちろん海の上でつけられます!! 荒れ狂う海の描写が圧巻。本の最初に海図があるのですが、アイルランドの沖から大西洋を越えてカナダまで行くような航海なんですよ。いやはや、ヨットマンの根性と体力はすごいなぁ。ナデジャに関する意外な事実も明らかになったりして、すばらしい結末でした。やっぱりクライマックスが盛り上がる作品はいい!
とまぁ、物語の大筋も面白いですし、キャラクターもいいのです! ニックさんはちょっとへたれな英国冒険小説の主人公って感じです。私にも最近なんとなくわかってきたのですが、英国冒険小説の主人公ってなんだか「一癖ある」というか、「不器用で皮肉屋」な感じのひとが多いですね。何か言われると必ず何か言い返す、という。負けず嫌いなところもあるかな……。でもそういうひとって、やっぱり魅力的ですよね。ニックさんは猫好きなところも好感度高し。
そして脇役もいいんですよ! 特にニックのお父さんが!! ほんの15ページだけの登場シーンなのですが、ものすごく印象的でした。お父さんは開放型刑務所にいるんですが、健康的で、なんだかとっても幸せそう。おまけに言うことがかっこいい。ニックに恋愛のアドヴァイスをするとき、こんなことを言っちゃうんだぜ。
「わしならパリ中のランを買い占めることから始める。それに一番高価な香水もたっぷりかけて、彼女の足元に置く。美しい女はみんな同じだ、ニック。彼女たちは奪われるためにいるんだ。だから奪え」
いやぁ、現代ではなかなかいないですよねこういうひと。でもね、お父さん、ひとつだけ言わせてください……そんなことができてたら、息子さんは奥さんに逃げられてないですよ……。
このニックがお父さんにビクトリア勲章を預けに行くシーンは作中屈指の名場面ですので、みなさんぜひ味わってみてくださいね。あと、エピローグも印象的でした。たった3ページの短いエピローグですが、この作品のいいところがぎゅむっと詰まっています。海、いいなぁ。解説で北上次郎先生が「コーンウェルの海洋冒険小説は、人間の善意を信じる心と世界の果てまで行きたいという放浪の調べ、この二つの核にこだわることで成り立っている」と書かれていますが、これ以上にこの作品をうまく言い表すことはできそうにないです。すばらしい作品ですので、どうぞ読んでみてください!
【北上次郎のひとこと】 |
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おやおや。『殺意の海』の文庫解説を私が書いていたとは知らなかった。「コーンウェルの海洋冒険小説は、人間の善意を信じる心と世界の果てまで行きたいという放浪の調べ、この二つの核にこだわることで成り立っている」とは、なるほどね。自分の書いたことに感心するとはばかみたいだが、ホントにその通りだ。もう一つ、付け加えておくと、もともと冒険小説とはそうものであったのである。そういうわけで、コーンウェルの海洋冒険小説には、冒険小説の原風景があるとも言えそうだ。 |
東京創元社S |
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入社4年目の小柄な編集者。日々ミステリを中心に翻訳書の編集にいそしむ。好きな食べ物は駄菓子のラムネ。2匹のフェレット飼いです。編集者イチオシの作品を集めた特設ページ「翻訳ミステリ13の扉」をよろしくお願いします!TwitterID: @little_hs |