この思い、あの人に届け! 第17回「Hippie Happy Groove!! 」『変死体』の巻(執筆者・挟名紅治)

 だは〜、とうとう追いつきましたよ。今のところ最新の邦訳『変死体』までたどり着きましたよ。P・コーンウェル編が始まったのが去年の8月のこと。おお、10か月もケイ・スカーペッタとお付き合いしたことになるのか。が、しかし、あのひとからの、あのひとからの応答はありません。どうしましょう。いや、あと1回、まとめ編があるじゃないか! あきらめないで!(真矢みきの声で)


変死体(上) (講談社文庫)

変死体(上) (講談社文庫)

 
変死体(下) (講談社文庫)

変死体(下) (講談社文庫)

【あらすじ】
 ケンブリッジ法病理センターの局長に就任したケイ・スカーペッタ。ある日、同じくセンターの専任捜査官となったマリーノから、ある青年の死体に不審な点があることを告げられる。犬と散歩中に心臓発作で倒れ、外傷がどこにもなかった遺体が、翌日になって大量の失血をしていることが確認されたのだ。もしそれが本当ならば青年は生きたまま放置されたことになる! しかし、検屍を担当した副局長のジャック・フィールディングは、何故か行方をくらましてしまった。

 いやあ、小説の冒頭を読んで思わずのけぞったね、俺。以下、始まりの文章。

 ――汚れの染みた術衣を脱ぎ、女子更衣室の“バイオハザード”ランドリーバスケットに放り込む。(中略)私は心のどこかでここに未練を感じているらしい。――


 わ、わ、“私”って……!
 おいおいおい、と突っ込まざるをえない。なぜかって、この連載を振り返っていただければわかる通り、『黒蠅』で今までスカーペッタの一人称の語りを、三人称へと大転換したのである。それが今頃になって、またケイの一人称に戻すというのはどういうわけでございましょう???
 語り手や語りの視点が、シリーズ作品中で変わることは、そんな珍しいこっちゃない。S・J・ローザンの「リディア&ビル」シリーズでは、探偵コンビで語りを作品ごとにバトンタッチしているし、日本でも樋口有介『刺青白書』では、それまで一人称で描かれいた柚木草平が三人称で描写されていたりと、例を探せばそれなりに見つかるもんである。(『刺青白書』の場合、シリーズの番外編としての意味合いが強いんだけどね。ダルグリッシュ警視がゲスト出演みたいな形で出てくる『女には向かない職業』みたいなもの。)
 しかし、である。同じシリーズの中で一人称から三人称、三人称から一人称へと、こんなにコロコロ変わるものが今まであっただろうか?
ハッ、ひょっとしてこれはシリーズ全体を通して仕掛けられた叙述トリックとかじゃなかろうか? 『黒蠅』以前のケイと『黒蠅』から『核心』までのケイは実は別人で、『変死体』でまた入れ替わって……なわけないか。とにかくこの語りの視点の変更については、その意義が全くわかりません。とてつもなく無意味な気がする。
 無意味ついでに言っておくと、今回の作品におけるジャック・フィールディングの存在ほど無意味なものはないだろう。何故か本作に限ってひたすら挙動不審な行動をする人間として描かれているフィールディング君。「実はあいつ、あの時こんなことしてやがって……」「そういえばフィールディングって……」「なんてどうしようもない奴だったんだ……」あのう、みなさん、どうして第18作目にもなってフィールディング君のこと愚痴愚痴言い出すんですか? ひとりが言い出したら「俺も俺も」ってダチョウ倶楽部ですか、あなたたちは。
 シリーズがちょっとマンネリ傾向を見せると、主要キャラクターの誰かをヒドい目に遭わせるのがコーンウェルの流儀だが、今度の標的はジャック・フィールディングへと完全にロックオン。悪口の連打でジャックはもうサンドバッグ状態だぜ!
 ……とは書いてみたものの、正直フィールディング可哀想とか、全然そんな気持ちが湧かん。だって、今までの作品で全く目立たないキャラだったじゃん! 俺、気になって自分の読書日記さかのぼってみたけど、フィールディングのことなんてガン無視だったぞ! 「フィールディング?ああ、ケイの同僚にそんな人いたね。」っていう、かつて「ワンシーン俳優」と呼ばれていた頃の笹野高史を見るような気持ちで彼のことは認識していた。きっと他のみなさんも同じはずだ。だから、そんな彼がどんな悲劇に見舞われようと、何の感情も湧かんのですわ。


 さて、肝心の事件だが、「生きたまま死体は放置されていたのか!」なんていう前回に続き怪奇な幕開けから、話はいつのまにかキナ臭い感じのテクノロジーが登場するまでに至る。ここまでくればもう、完全に「ターミネーター」のようなSF映画の領域だ。ここまでくると、ルーシーがスカイネットの開発に携わろうが、マリーノが素っ裸のシュワちゃんと殴り合いを始めようが、「もう何も驚かないもんね」の一言で済ませてしまう度胸は付いている。 コーンウェルの最先端技術(一応、取材はしているらしいが、終始エセ科学の匂いが付きまとうのは何故だ)への傾倒ぶりは、近年顕著になってきているが、これは前にも書いた通り、「CSI」や「ボーンズ」みたいな科学捜査ドラマの隆盛への対抗心のようなものだろう。もっとも、コーンウェルの書く科学って、「CSI」っていうより「フリンジ」に出てくるような超科学みたいだ、ってやっぱり特撮SFになっちゃうじゃん。
 でも、こうした科学捜査の知識とか近未来的なテクノロジーの薀蓄をたくさん盛り込んだからと言って、少なくとも日本の読者はもう「検屍官」シリーズには付いてこないと思うんだ。というのも……って前回予告した国産ミステリの話に行こうと思ったら、いつのまにか紙数を大分費やしていたことに気付く。それでは、この続きはまとめ編にてゆっくりやりましょう!


 挟名紅治(はざな・くれはる)

ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。