翻訳ミステリー長屋かわら版・第19号【読書探偵応援団】

今回は「秋の読書探偵」作文コンクールについて、それぞれが思いを語りました。


エージェント6(シックス)〈上〉 (新潮文庫) 田口俊

 敬愛する翻訳家の宮脇孝雄さんがこんなことを言ってます、すぐれた翻訳者になれるかどうかは12歳までの読書体験で決まると。
 大胆な予想です。単勝万馬券の馬にぐりぐり◎をつけるような。
 でも、三つ子の魂というか、雀百までというか、なんかそういうことってあるような気もします。ことさら自我を意識するまえに自然とやっていたことがのちのちまで影響するというのは。
 私の場合、小学生の頃はもう断然、講談社の少年少女世界名作全集です。確か親が定期購読かなんかしてくれて、毎月本屋さんが届けてくれるのを心待ちにしていたのを今でも覚えています。
 「宝島」「ロビンソン漂流記」「ガリバー旅行記といった冒険ものが好きで、一番のお気に入りが十五少年漂流記でした。あと「アンクル・トムの小屋」「ああ、無情」なんかを読んで、可哀そうで泣いた記憶もあります。
 中学生になると、私、こう見えて剣道少年で、本なんか読んでる男子は軟弱だと思ってました。で、「キャンディ」とか「ファニーヒルとか山田風太郎の「くの一」シリーズとか、読んでたのは思春期一番の興味を満たしてくれるものばっかですね。
 あと007シリーズと87分署シリーズを初めて読んだのもこの頃ですが、必ず何個所かエッチな場面が出てくるからです。こういう本を全部貸してくれたのが、中学、高校、大学と一緒だった翻訳家、故三川基好でした。私より彼のほうが早熟だったんですね。
 ただ、この手の本を面白く読みながら、こうした面白さは低俗な面白さであるなんてね、子供心に思ってました。なにしろ動機が動機ですから。
 それがちょっと変わったのが高校生に行って、ちょっと不良になってからですね。まあ、不良といっても、お坊ちゃんお嬢ちゃん受験校の不良なんで、全然しょぼい不良でしたけど。あ、一度だけ警察の厄介になって、八王子の家庭裁判所に行ったことぐらいはありましたが。
 その頃、耽読したのはありがちですが、太宰治です。あとは大江健三郎安部公房三島由紀夫といった当時の人気作家。太宰の流れで坂口安吾織田作之助といった無頼派もかっこよかったな。書斎派ではない、いわば体を張った彼らの生き方に憧れました。
 でも、そういった日本の純文学に目覚めるきっかけになったのは、なぜかカミュ「異邦人」ヘミングウェイ老人と海なんですよね。
 ということで、振り返ると、翻訳ものがけっこう大きかった。さきに書いた宮脇さんのことばが私の場合、よくあてはまります、って自分ですぐれた翻訳者だって言っちゃいましたけど。
 でも、今、この歳になり、こういうことを書いて当時を思い出すと、幼かった自分がとてもとても懐かしい。この懐かしさ、悪くありません。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)


夜は終わらない (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 横山啓明

幼稚園のときに近所のA子ちゃんが
『ひとまねこざる』『ロケットこざる』を読んでいたので
僕も読みました。
小学校三年のとき同級生のB子ちゃんが
『小公女』を読んでいたので、
僕も読みました。
小学校五年のとき同級生のC子ちゃんが
『長靴下のピッピ』を貸してくれたので
読みました……

というのは、一部フィクションです。
記憶にのこっている最初の翻訳物は
『人まねこざる』ちびくろさんぼか。
虎がバターになっちゃうところが
大好きでしたね。

小学生の頃、リンドグレーンの作品は
全て読んだはずです。
もちろん、男の子なので
『失われた世界』『海底二万マイル』『地底探検』などの冒険ものも大好きでした。
大人になってアーサー・C・クラーク
『宇宙のランデヴー』を読んだとき
『地底探検』の興奮がよみがえってきましたね。
小学生のとき愛読していた漫画雑誌『ボーイズライフ』に
さいとうたかをの『007シリーズ』が連載されていて
興味を持ち、後に映画も観るようになりましたが、当時の
僕にはお色気シーンがかなり刺激的でした。

中学生になると映画を見てから本を買うようになり、
当時、早川書房から出ていたソフトカバーで、
『ナヴァロンの要塞』『荒鷲の要塞
シシリアン』『空軍大戦略
『夜の軍隊』
などを読んだ記憶があります。
あとはスタインベック新潮文庫から出ていた
スタインベックの作品はすべて買って読みましたが、
どういうわけか怒りの葡萄だけは世界文学全集の
ハードカバーでした。なぜだろう?

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco


生、なお恐るべし (新潮文庫) 鈴木恵

 子供のころは「少年」「少女」「冒険」「団」「島」なんて文字が入った題名の本に弱かった。小学校1年の冬の夜、その「島」の字が入った『宝島』(スチーブンソン作/大佛次郎訳)を炬燵で読んでいたときのこと。
 読みながらずっと小便を我慢していたんだけど、とうとう我慢しきれなくなった。そこで何を思ったか、読みさしのページに指をはさんで、そのままトイレに本を持っていってしまった。夢中になっていたんで、置いていくという発想がなかったんですね。
 でも、むかしの夜のトイレというのは、子供にはけっこう怖い場所。田舎だからもちろん水洗じゃないし、電気も暗いし、小さな窓のむこうは真っ暗だし。そのときふと、読みさしのページに白骨化した海賊の死体の挿絵があったのを思い出してしまったわたし。はさんでいた指をあわてて抜きました――骸骨に食いつかれるんじゃないかと。
 そこまで本の世界に入りこめるなんて、幸せな読書だったなと思う。最近になってなぜかふと思い出したささやかな記憶。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:『生、なお恐るべし』『ピザマンの事件簿2/犯人捜しはつらいよ』『ロンドン・ブールヴァード』。最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM


アンダー・ザ・ドーム 上 白石朗

 先日の【冒険小説にはラムネがよく似合う・第11回】でとりあげられたアンソニー・ホープゼンダ城の虜。古本文庫で読んだという記憶しかなくて申しわけないが、この本、ぼくの現実と脳内の本棚では『紅はこべ』『スカラムーシュ』『王妃の首飾り』とおなじ棚にならんでいて、これはそのころ創元文庫の「帆船マークつながり」読書をしていたから。のちにこれが古本屋での〈世界大ロマン全集〉探しにつながる。
 
 その帆船マーク中の私的ベスト1はジェイムズ・ヒルトン鎧なき騎士。ただしこの本を読んだのは中学生のときに「オリヴィア・ハッセーつながり」で見た映画『失われた地平線』(*1)の原作が、安達昭雄訳の角川文庫の新刊としてたまたま店頭にならんでいたからだ(増野正衛訳の新潮文庫版はもう店頭になかった)。
 
 そして読書の定番の「作者つながり」でチップス先生さようなら』→『私たちは孤独ではない』→『学校の殺人』→『心の旅路』と各社文庫経由で、高校時代に前記鎧なき騎士にたどりついた。革命動乱のロシアから美貌の貴婦人を救出するために奮闘する英国人青年の手に汗握る冒険また冒険。通俗のきわみ、しかし滅法面白かったこの作品、いま読んでも当時のように熱中できるかどうかはわからない。創元版の龍口直太郎訳とは異なる小津次郎訳が、筑摩書房の〈世界ロマン文庫〉新旧両版に収録されているので、いつかそちらを読んで確かめてみたい。
 
 その後「ヒルトンつながり」は、大学時代に古本屋で新潮社の現代世界文学全集(*2)『めぐり来る時は再び』を見つけ、社会人になってから〈世界大ロマン全集〉の上下本『朝の旅路』にめぐりあい、いくつかのつながりが円環として閉じられて一段落した……
 
 ……はずだったが、先日河出文庫から『失われた地平線』が池央耿氏の新訳で出版された。作者つながり読書の軸のひとりだったので、ヒルトンについての解説がほとんど見当たらない本だったのは個人的にはちょっと残念だが(失礼!)、それでも新たな訳文で新たな読者を獲得していくのは大歓迎だ。
 
 こんなふうに「つながり」を設定して芋づる式に本を読んでいくのは、時間のある学生時代の特権かもしれない。作者、版元、全集や選集等のシリーズという定番のほか、装丁者つながりで読むのも楽しいかも。海外作品なら翻訳者つながりもおすすめだ。そうしてある程度本を読んでいくと、「つながり読書」では離れていたはずの本が、まったく別の文脈で「つながる」瞬間があるはず。そう、小説の名探偵が思わぬ事実の連鎖や関連から、難事件の意外な真相を見いだす「ユーレカ瞬間」のように。そんな読書宇宙の「自分だけの法則発見」の探偵になれる瞬間も、当時のぼくにとって、そしていまのぼくにとっても変わらぬ読書の愉しみのひとつだ。
 
(*1)DVDソフト化がされていないこの1973年製作の映画のテーマ音楽はバート・バカラック。中坊当時はA&Mつながりでカーペンターズの作曲者なんて認識だったが、ン年後には高橋幸宏さまのカバーからさかのぼって聴きまくり……おお、思い返せばYMOはA&Mを通じて全世界発売されたわけで、これもいくつかのつながりが円環構造になる一例(というのはさすがに牽強付会)。
(*2)この全集収録のアプトン・シンクレア『人われを大工と呼ぶ』に行き当たったのは「筒井康隆の褒めた本つながり」。思い当たる節のある同年代のSF読者も多いかも。

しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最新訳書はキング『アンダー・ザ・ドーム』。ツイッターアカウント@R_SRIS


夜の真義を 越前敏弥

 ませたガキというか、三つ子の魂百までというか、雀百までHを忘れずというか、小学校高学年のころ、吉行淳之介をひそかに愛読していた。石川達三『稚くて愛を知らず』なんてのも、なんとなくタイトルに引かれて買って読んだけど、あまりHじゃなくて残念だったりとか。
 もちろん、ほとんどわけもわからず、なんとなく背伸びをしたくて、なんとなくカッコつけたくて読んでたわけだけど、当時は大人にも子供にも「ムズカシイものはすげえ!」みたいな風潮があった。だから、わけのわからなさに対しても、みんなが寛容だったと思う。わけのわからないまま読んでいく快楽は、中高生になってもたっぷり味わった。
 翻訳書で言えば、ゼラニウムとか、マントルピースとか、タルカムパウダーとか、子供にとってはなんだか得体の知れないものがいっぱい出てきたけれど、それでもがまんして(というより、その得体の知れなさを楽しみつつ)読んでいくと、それまで体験したことのない充実感が訪れた。見知らぬ国の、完全には理解できない出来事が描かれているからこそおもしろかった。だからこそ癖になって読みふけった。
 そういう楽しみを人生の早いうちから知ってもらいたくて、そのきっかけを作りたくてはじめたのが「読書探偵」です。どうぞご協力ください。でも、子供たちに強制はしないで。翻訳書は楽しいし、そのおもしろさを人に伝えるのも楽しい。そういう思いに少しでもなったら、後押ししてあげてください。 

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり。ツイッターアカウント@t_echizen


火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫) 加賀山卓朗

 テレビもあまり映らない田舎育ちなので、屋内の娯楽は本ぐらいしかなかった。小学校低学年で夢中になったのは、ナルニア国ものがたりと、だれも知らない小さな国のシリーズ。これで読書のスイッチが入りましたかね。
 あと振り返って思うのは、やはり何か書くのが好きだったということです。中学校の国語の課題で月に1度、なんでもいいからまとまった文章を書くというのがあって、感想文だの随筆だの創作だの、大学ノートに10ページも20ページも書きためて提出していた。なんとも青くて恥ずかしい。英語の夏休みの宿題に、ポーの『黒猫』全訳というのもあった。これはもう嬉々として取り組み、あげくに挿絵までどこかから拾ってきて入れたりした。あれまだ家のどこかに残っているだろうか。恥ずかしいから処分したい。
 そういうことに心当たりのある小中高生の皆さん、「読書探偵」してみませんか?

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)


ウェディングケーキにご用心 カップケーキ探偵1 (RHブックス・プラス) 上條ひろみ

 少しまえから翻訳ミステリー界では北欧ものが大人気。わたしもかなりはまっていますが、児童文学には昔から北欧ものがたくさんありましたね。
 アストリッド・リンドグレーンのカッレくんや長くつ下のピッピトーベ・ヤンソンムーミン谷シリーズ……なかでもわたしが小学校低学年のころはまって繰り返し読んでいたのは、アルフ=プリョイセンのスプーンおばさんシリーズ。ノルウェーのおはなしです。『小さなスプーンおばさんスプーンおばさんのぼうけん』の二冊は擦り切れるほど読んだなあ。
 スプーンおばさんはごく普通のおばさんなのですが、ときどき意味もなくティースプーンくらいの大きさになっちゃう。でもいつもあわてず騒がす、むしろ楽しんでるくらいの勢いで、そのおおらかさが大好きでした。大人になっても身長がU150のわたしにとって(東京創元社のSさん、お仲間です)、「小さくてもがんばればなんとかなる!」と思わせてくれたスプーンおばさんは今も心の支えです。スプーンおばさんは料理も上手で、コケモモのジャムとかパンケーキとかおいしそうだったなあ。
 小学生のみなさん、スプーンおばさんシリーズ、おすすめです。上記二冊は短編集なので読みやすいし、低学年から高学年まで楽しめると思います。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)