第2回『過去からの弔鐘』の巻(後篇)(田口俊樹+H書房N&Y)

 
■シリーズ第1作『過去からの弔鐘』の巻・後篇です。前篇はこちら

 
田口:話は変わるけど、読み返してみたら、この頃はこんなことも知らなかったんだって思うところがけっこうあってさ。たとえば、ニューヨークにフラットアイアン・ビルっていうのがあって、それは昔からあるけっこう有名なビルなんだな。(参考リンク:英語版 Wikipedia 画像
 
V字になってる道路にある、あの細長い三角形のビルですか?
 
田口:そうそう。形から来てるんだね。フラットアイアン、つまりアイロンだよ。でも、そんなことも知らなくてさ。そのまま読んで、「フラティロン(Flatiron)」ってやっちまってる。お恥ずかしいかぎりです(笑)。
 
他に何かありましたか?
 
田口:今ならこう訳すのに、っていうのはけっこうあるけど、本全体としてはいいんじゃない? 自分で言っちゃうけど。「フラティロン」は別として(笑)。とにかく『過去からの弔鐘』は初めてあんまりわからないところがない本だった。英語も易しかったし。一番自信をもって訳せたんじゃないかな。「フラティロン」は別にして(……)。当時はネットもないし、わからないことがあると本当に大変だったんだよ。弁解ですが。そう言えば、『八百万の死にざま』は難しかったな。
 
最初の三作のほうが英語は簡単だったんですね?
 
田口:そうだね。文章自体短いし、さらさら読めちゃう。四作目からはちょっと凝った文章になっていて、明らかに書き方が変わったと思った。あと、内容に関して聞いてみたいこととかない?
 
スカダーがゲイバーに行ったりするのは、警官時代の名残なんですよね。
 
田口:ゲイのマスターと仲がよかったりするのは、そのせいだろうね。そのあたり、ブロックさんは、スカダーの動きが不自然じゃないように、うまくリアリティを持たせてるよね。実際、『過去からの弔鐘』で殺されるのは一人だけだし、そのあたりも普通っぽいリアリティがあるよね。
 
今のミステリに比べるとけれん味のある演出はほとんどないですけど、逆にスカダーがあまり説明をしないので、それが一種の謎になっているような気がします。
 
田口:けれん味がないのと一緒に、嫌みもないんだよな。書き込みが多すぎてうるさい、ということもない。
 
ハードボイルド小説の典型になったような感じというか、突っ込みどころがないように思います。
 
田口:ないかな(笑)。
 
なんでこの人はこんなことをするの? というような不自然さはないですよ。
 
田口:なるほど。確かに、読者を喜ばせなきゃいけないからやった、みたいなところはないよね。特にブロックがそうなのかもしれないけど、こういう事件はあってもおかしくないよな、というものが多い。無理しないリアリティのなかで話が作れたし、読者もそれで満足してた。今じゃ、それは新鮮味がないことになってしまうんだろうね。
 
最近の小説だったら、最後から三分の一あたりで探偵が何者かに襲われてっていうのがある意味定番になっている気も……(笑)
 
田口:チャンドラーなんかもそうだよね。よく後ろから棍棒で殴られてるじゃない? 『過去からの弔鐘』の暴力シーンはなくてもいいぐらいだよね。
 いずれにしろ、二人とも『過去からの弔鐘』は楽しめましたか。
 
はい!
 
田口:では次回も期待してください。『冬を怖れた女』『1ドル銀貨の遺言』、二作いきます。スカダーがどれだけ酔いどれていくのかを読みどころにしよう(笑)。
冬を怖れた女 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

冬を怖れた女 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

1ドル銀貨の遺言 (二見文庫―ザ・ミステリコレクション)

1ドル銀貨の遺言 (二見文庫―ザ・ミステリコレクション)

 
 

【既読の方へおまけ】(物語の核心に触れています。未読の方はご注意を)
 
田口:原題はネタバレになっているよね。英語圏の人間なら絶対に気づくよな?
 
ネタバレじゃないのかなーって思ってたんです!
 
田口:ファーザーが「神父」と「父親」をかけてあるあたりが、あ!ってなるのかな。
 
でも、複数形だから二人いるというのはわかりますし……。
 
田口:読み返してみて思ったんだけど、ウェンディのお父さんはそんなに悪い奴じゃないかもしれない。意外と自制していたし。
 
告白しだしたときに、絶対に娘に手を出していると思いましたよ。
 
田口:今の感覚だとそうだよな。俺も読み返すまで、手を出してたと思いこんでた(笑)。
 
タイトルは田口さんが考えられたんですか?
 
田口:いや、編集部。どういうのをつけたかなあ……「父の罪」……じゃあ、あまりにもばればれか(笑)。
 
今からするとちょっと文学的と思われるような感じのタイトルですよね。


田口:『八百万〜』みたいに長いハードボイルドは珍しかったんだよ。昔のポケミスを見るとよくわかると思う。Nが言うように内省的な探偵だったから、文学的なタイトルがいいっていう判断だったんだろうね。
 

■訳者から最後にひとこと■
 
 スカダー売り出しの当時のキャッチフレーズは、「リュウ・アーチャーへのニューヨークからの返答」でした。でも、座談でも言ったけど、かなり普通の人ですよね、この作品のスカダーって。特にキャラが立っているわけでもない。それに話もいかにも地味です。発表当時あちらではあまり売れなかったそうだけど、ま、そうかなと思いました。
 ただ、作品全体の雰囲気は悪くないですよね。何かありそう、というか、何か予感させるものがありそうというか。もっとも、それはその後の展開を知ってるせいかもしれないけど。
 あとひとつ面白かったのは、座談でも触れてるけど、スカダーが無意味に、というか不必要に辻強盗をやっつける暴力シーンが作中にただ一個所あって、そこに私なんかは“普通の酒好きおじさん”スカダーの心の暗部のようなものを見たんだけど、の感想が「やっぱスカダーって警官なんですね、悪いやつを見ると、懲らしめたくなっちゃうんですね」だったことです。ワタシ的にはちがう気はするんだけど、一方で、素直というか、無垢というか、そんな読み方もあるのかと妙に感心もしちゃいました。
 作家の意図を読み解くのが十九世紀的批評で、作家の潜在意識を探るのが二十世紀的批評、なんて誰かが言ってましたが、もしかしたら、そういうこととは無縁のところに二十一世紀的批評があったりしてね。その是非は別として。
 次回は二作まとめてやります。(ふたりの本名のイニシャルながら、たまたまニューヨークになってますね)と三人でさらに突っ込んだやり取りができればと思っています。