第十九回 スー・グラフトンを総括する!(執筆者・挟名紅治)
この間、ある知人がニッキ・フレンチの新作『生還』についてこんな感想を漏らしていた。「第一部の監禁されて逃げるところまではいいんだけどねえ、その後の主人公の私生活の場面が冗長で、途中でダレちゃったんだよねえ」
おっ、と私は思ってしまった。『生還』は監禁事件に遭った女性が、そのことを証明すべく自身で調査を始めるという物語だ。私も既読だったが、主人公のプライヴェートの描写を冗長とか無駄だとかは全く感じなかった。「スー・グラフトン読んでたら、そんなのしょっちゅうですよ」と言ったら、「『ふみ〜』の成果だね」と冗談交じりで返されたが、考えてみれば当然の話である。ミステリーに登場する主人公たちだって暇もなく事件に追われているわけじゃない。殺人事件を追っている間にも恋人と喧嘩するだろうし、家庭内問題で頭を悩ませたりもするだろうよ。
こうした一人の女性が抱える悩みやトラブルと、私立探偵として請け負った仕事とを並列化し、各々の問題をどう処理するかを物語の主眼とした小説、それがスー・グラフトンの「キンジー・ミルホーン」シリーズなのだ、というのが(邦訳)全作通しての私の結論である。警察小説の形式を述べる時に、並行した事件を扱うものを「モジュラー型」と呼ぶことが多いが、グラフトン小説の場合、日常の些細な心配事・不安事もキンジーにとってみれば「事件」であり、彼女が探偵稼業と同じく、日々挑むべき課題であるのだ。
さて、こうした日常の出来事をも「事件」と並列化する場合、キンジーの日常に起こる問題を乗り越えるべき「課題」として読者に認識させる手続きが必要となる。そのために、「キンジー・ミルホーン」シリーズでは男性関係・親戚とのトラブルという、読者の身近に起こりうるであろう問題を描き、読者の悩み≒キンジーの悩みという図式を生み出すことで読者の支持を得てきたのだ。
ところが、恋人とくっついた離れた、親族と揉めた揉めないの話を10作以上も続ければ、さすがにマンネリズムの極みというか、パターン化は免れず、これではいまシリーズ愛読者を探してもなかなか見つからないよな〜、と思う。(この間「子供に読ませたい本」に「キンジー・ミルホーン」シリーズを挙げていた吉田伸子さん、本当にゴメンなさい。)
家族や恋愛といった、普遍的な悩みがダメならば、キンジーのような30代半ばの女性にとって社会的にタイムリーな話題を盛り込んで読者の共感を、という手もある。しかし、この手段も2000年代に突入しても1980年代に時代設定が留まっていては、文字通り「隔世の感」がありすぎるというものだ。
そして、ライフスタイルの教本としての「キンジー・ミルホーン」シリーズ人気低迷にトドメを指したのは、90年代終りから2000年代、同じ海外文化である「あるもの」のブームであると私は思っている。
それは「アリーmyラブ」に端を発する女性のライフスタイルを描いた現代海外ドラマ。これらは「アリー」を始め、「セックス&ザ・シティ」、「デスパレートな妻たち」と、いずれも恋、仕事、家庭、性……と日常のあらゆる物事を並行して描き、様々な切り口から女性の人生を解体してみせる作品だ。しかもこれらのテレビドラマは、話題になればすぐスカパー!やケーブルテレビで見れるし、レンタルビデオショップで1シーズンまとめてDVDが並んでいるという状態になる。つまり、小説シリーズを追っかけるより手軽に、そして限りなくリアルタイムに近い状況で、海の向こうの文化やライフスタイルを摂取できてしまう環境が出来上がったことが、「キンジー・ミルホーン」シリーズが忘れ去られつつある原因ではないのだろうか。
「3F小説」を支持していた読者は「ミステリー小説」というジャンルに思い入れがあったわけではない。「いま」を生きる自分の指針を学べるものとして「3F」を選んでいたのである。「ミステリー小説」としてこだわりがなければ、より良い指針の学び場として「キンジー・ミルホーン」シリーズよりドラマを選択するのは、むべなるかな。
ちょっと乱暴な言い方だったでしょうか?「そんなことはない。小説は小説、ドラマはドラマ」って声が聞こえてきそう。でも、「キンジー・ミルホーン」に限らず、翻訳ミステリーという文化を支えてきたのは、案外ジャンルにこだわりなんてないひとたちなのかも。
というわけで、スー・グラフトン編はこれにておしまい。
えっ、『グラフトンのG』(グラフトンの小説世界をガイドした本)とか『ロリマドンナ戦争』どうするの、だって? 実はですねえ、すでにグラフトンの次にアタックすべき作家が決まっておりまして、シンジケート上層部から「早く次の○○編に着手せよ」とせっつかれているのです。
○○は誰かって? そりゃみなさんがよくご存じの○○ですよ、○○。
というわけで、次回より「ふみ〜」は新章に突入、また新たに頭が沸騰しそうな日々が幕を開けます。どうぞお楽しみに!
挟名紅治(はざな・くれはる)
ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。
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