全ての小説は言葉だ(執筆者:高殿 円)

 

 ハヤカワの担当さんから、翻訳ミステリについてのコラムをいただけませんか、と頼まれた。
 翻訳!? ただのミステリだけでも私のような者には敷居が高いのに、そこに海外が加わるの!? …と、初めからかなりの及び腰の私。だがしかし権力には逆らえず、とりあえず筆をとってみんとす。
 ただの雑食モノカキの戯言なので、軽ーく読み流していただけるとありがたいです。


「翻訳ミステリを、なんとか盛り上げたくて」
 と担当Kさんはおっしゃる。
 なるほど、その心意気はよくわかる。私も執事ブームが来る前に執事執事と唱え続け、なぜか執事関係のムックにゲストで呼ばれることが多くなり、そのたびにうざいほど「日の名残り」と「シーヴスシリーズ」を推し続けた。これでカズオイシグロウッドハウスのファンが増えるかとうきうきしたが、あんまりそういう話は聞かない。せつない。


 まあ、それはともかく、なぜそんなに翻訳ミステリが若い人から敬遠されているのだろう、と考えてみた。
 実際、私は進んで翻訳ものを読まない。別に嫌いなわけではないが、敢えて理由をあげてみれば、

  1. 高い
  2. タイトルが地味
  3. 内容が小難しそう。

 の三点につきる。
 たしかに昔は、学校の図書館で一通り名作物を読んだが、それもなんだかよくわからない義務感ゆえだった。本好きたるもの、名作と呼ばれるものくらい読まなくては!と思いこんでいたのだ。
 かくして自分の趣味もよくわからないまま、有名どころを読み続けた私は、中学三年生のときに偶然であった銀河英雄伝説によってエンタメの世界へ頭からつっこんでいくことになる…


 昔と今となにが違うのかと言えば、とにかく本が多すぎるんだなあと思う。マンガの数も増え、ライトノベルやアニメの本数も充実した。図書館で難しい(そうな)翻訳物を読むより、ネットの海を漁れば読みやすい本の情報はあふれている。わざわざ高くて難しそうな本を読む必要はない。
 だけど、だからといって翻訳ミステリがおもしろくないかといえば、決してそうではない…はずなのだ。
 ただ、いちおう作家と名乗らせていただいている私ですら、難しそう、というイメージを持ってしまうのだから、一般の若い人はなおさらだろう。
 どうにかして、この先入観を払拭できないかなあ、と考えた。宣伝費と人件費がかからなくて、注目されやすくてわかりやすくパッケージングされて…なんて、無理だろうか。

 
 いや、やれる。


 一方的に出版社が得をするんじゃなくて、他業種企業とウィンウィンの関係を保てればいいんじゃない? 
 たとえば、ミュージカル化するなんてどうよ。
 舞台を現代にして、連続テレビドラマもありだ。ようするにクリスティーポアロが、神経質なベルギーチョコばっか囓ってるジャニーズ風のイケメン眼鏡で、ヘイスティングスが気苦労症でチョコに異様に詳しい甘党の警察官僚だったらどうだろう?
 別に、ポアロに限らなくてもいい。ただ、日本人はブランド品が大好きだから、ここでミラーとかチャンドラーとか出すよりかは、クリスティのほうががぜん注目度は高くなる。
 だいたい、クリスティは戯曲をたくさん書いていて、コスプレものも結構あるのだ。


 だったら、いっそ宝塚で、とかどうだろうか。
それも、私の愛する『アクナーテン』を。


アクナーテン (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクナーテン (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)


 主役のアクナーテンは、頭脳明晰で理想家のエジプトの若き王。
 対する二番手は、野心溢れるやや堅物の将軍、ホルエムヘブ。


 アクナーテンは、日本でも有名なあのツタンカーメン王の父親(とされる人物)だ。かなりぶっとんだ思想の持ち主で、いまのいままでアメン神を信じていたエジプトの民に、『俺、ちょっといいこと思いついたから、明日からアテン神を信仰してね☆』とか言っちゃう王様である。
 まだ王ではなかったころ、アクナーテンは一軍人にすぎなかったホルエムヘブと出会い、友人になってほしいと頼む。
 ホルエムヘブもまた、命をかけてお仕えすると誓う。
権力を牛耳ろうと、あの手この手で陰謀を巡らしているアメン神殿の神官たちを嫌悪していたアクナーテンにとって、素朴な軍人のホルエムヘブは、裏表のない心から信頼できる家臣だった。


 しかし、その後アクナーテンはファラオになり、いきなり己の理想を全面に押し出して、多神教のエジプトを一神教にかえることを宣言する。


 当然、エジプトの民は大混乱だ。だって、一晩寝て起きたら次の日からいきなり神さまの名前が変わっているのだから。
 今の日本でこそ、一晩で首相が替わっても「ふーん」で終わるが、次の日国教がブードゥ教になっていたら私でも慌てる。


つまり、こんな感じだ。
エジプトの民:……あのう、アテンってなんすか?
アクナーテン:太陽の熱のことだよん。
エジプトの民:アメン神とどう違うんすか?
アクナーテン:アメン神は太陽。アテン神は光。
エジプトの民:??
アクナーテン:だって、太陽より太陽の熱のほうがより実用的でしょ☆だからアテンのが偉い。
エジプトの民:……よくわかりません


 もちろん、その背景には政治的な思惑もあった。とにかく金と権力を持ちすぎていたアメン神殿の力を削ぐために、彼はアメンの街から地平線の都へ遷都し、一神教による政治をはじめたのだ。
芸術を愛し、極端にまで死を恐れたアクナーテンは、エジプトを超平和主義へと導いていく。
 彼の信じた理想のために。
 しかし、アクナーテンの統治はあくまで性善説に基づいたものだった。貧民から税金をとらず、罪人には反省を促すだけで罰せずにいれば、当然国は混乱する。


 アクナーテンの抜擢によって将軍になっていたホルエムヘブは、平和を愛する王が、それゆえに他国との戦争を避けるのを嘆いていた。
 異民族が国境線に侵入しても軍を出さないエジプトは、外国から甘く見られ、どんどんと国力が弱体化していったからだ。


 とことん理想論のアクナーテンと、戦わずにはエジプトという国を保っていけない現実とのギャップは、物語が進む事にひどくなっていく。
 もちろん、アクナーテンの権力から遠ざけられたアメン神殿も黙っちゃいない。
 裏で、さまざまな陰謀を企てる。


 平和な世界で暮らす我々には、「偶像を拝むことになんの意味もない。大事なのは真理だ」というアクナーテンの主張にはそれなりに一理あることはわかるのだが、そういうことを言ってもいいのは宗教家だけだということもまた知っている。
 自分の理想通りにアテン信仰がすすまないことに苛立ったアクナーテンは、ついにハトホルやオシリスといった庶民に愛される他の神々への信仰も禁止しようとする。
 それに対して、母ティイが放った言葉が強烈だ。
「庶民たちには、手に触ることのできる、感じることのできる石像が、神官の口を通して語られる神の言葉が必要なのよ。太陽の熱に代表される生命の神髄なんてしちめんどくないものが、彼らにとってなんの意味があるの。意味なんてありゃしないわ!」

 
 このまま王の理想論どおりにうごいていてはエジプトは滅びてしまう。
 アクナーテンか、それともエジプトか。
 王に絶対の忠誠を誓った身でありながら、将軍ホルエムヘブは最後の決断を迫られる――
ここまでくると、読者はこの狂王アクナーテンをだれが殺すか、という予感に迫られるわけだが、クリスティは意外な人物を実行犯にしたてあげている。
 こういう結末にもってくるあたり、やはりクリスティはかゆいところに手が行き届いた女性作家だなあと思うのだ。


最後に、私がこの物語が好きな理由を書いてみる。
 アクナーテンは、理想家だった。彼は常に詩を愛し、アメン神を初めとする多くの偶像を憎み、なぜ人々は深く真理や愛を理解せず、目の前の偽物の言葉――『ただの言葉』にとびついてしまうのかと嘆く。
 クライマックスで、そんな彼の元を、ついに忠臣ホルエムヘブが去る。
 彼はアクナーテンにこう言うのだ。
「あなたのおっしゃる真理や愛もまた、ただの言葉だ」

 
 ――言葉を操る仕事をする者にとっては、まことにどきりとせざるを得ない。

トッカン―特別国税徴収官―

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日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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