第二だらだら「けつカッチンという名の修羅場」

 
 このエッセイのタイトルを見て、なんてだらしないタイトルだと思ったひとも多いだろう。わたしのせいじゃないよ。『関口苑生の翻訳ヒソヒソ話』に対抗しただけなんだから。もっとも、なんであんな男に対抗するんだという突っこみには返す言葉がないが……。
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 職業として翻訳をしていると、とにかく何日までに翻訳を仕上げなくてはならない、という状況に何度か遭遇することになる。いわゆる「けつカッチン」という、締切り最優先ですね。中でもシビアなのが映画やテレビドラマの原作やノベライズ本の場合。映画やドラマだと、日本での封切りや放映に合わせて出版することが至上命令になるので、すべてに優先してまず出版日が決められる。印刷製本にかかる時間を逆算して校了日が決まる。三校までとるか、再校下版でいくか、翻訳者の与り知らぬところで、わけの分からない話が進んでいって……原書の長さ、難易度、翻訳者の能力などに関わりなく最終締め切り日が決定され、編集者が「何月何日までにお願いします」と言ってくることになる。言葉は「お願いします」だが内容は「絶対間に合わせろよ、死ぬ気でやれよ!」ということだ。
 
 昔、某出版社ではある種の皮肉をこめてお召し列車と呼んでいた。
 
 わたしが編集者をしていた頃は、手書きの原稿を見ながら印刷所で鉛の活字を一本一本拾っていくという作業をしていたので、入稿から初校ゲラが出るまで、急いでも2週間とか3週間とか時間がかかった。だから超忙し状態が1カ月以上も続くことになり、翻訳者、編集者ばかりか校閲者も進行係も営業もてんやわんやだった。
 
 『卒業』を翻訳した佐和誠氏は、風呂も洗面も最小限にして1カ月以上部屋にこもって、腰痛になってしまったと愚痴っていた。深町眞理子さんも腰を痛めたことがあったし、本筋とは離れるけど、みなさん腰には気をつけて。わたしはバランス・チェアと水泳で凌いでいます。
 
 それが今ではデジタル原稿をメールで送り、それを印刷所で直接入力するから以前とは比べものにならないくらい作業が早く、楽になった……が、なぜか翻訳者は少しも楽にならない。作業がスピードアップした分、いっそう編集サイドの無理が通るようになり、締切りがかえってきつくなってしまった。
 
 わたしが竹書房から『エイリアンVSプレデターのノベライズの翻訳を依頼された時は、映画公開まで2カ月を切っていたので、締切りまで3週間ほどしかなかった。映画物というのは、できれば封切りの1、2週間前には書店に並んでいなければならない。その頃なら映画の宣伝も活発になっていて、本のほうも引っ張られて売れるという案配だ。逆にあまり早く出版してしまうとせっかく平積みになっても動きが鈍くて返本されてしまったりして具合が悪い。また、封切りの後に書店に並んでも、興味のある人は映画を見てしまうから、わざわざ本を買おうとはしないことがある。映画の公開が終わってから出版されたらもう悲惨と言うしかない。「終わっちゃった」感が強いから、書店での扱いも悪いし、読者も食いつかない。
 
 その辺りの事情は外国でも同じだから、れっきとした原作ならともかく、ノベライズ本(脚本を元に書き起こされた小説。売れない小説家などが担当する場合が多い)だと向こうでも映画公開の1カ月ほど前に出版される。向こうと日本との映画公開が半年でもずれていれば余裕はあるのだが、最近は全世界同時公開なんてことも珍しくない。そうなると翻訳は地獄ですよ。まだ原稿の段階の物から翻訳することになるが、あとでどんな変更が加えられるか分からない。翻訳者としては試写も見られないまま、はっきりしたイメージもつかめない状態で手探りで翻訳する羽目になる。で、何とか訳し終わってから試写を見てみたら結末が変わっていた、死んだはずの人間が生きていた、なんてのは日常茶飯事。校正の段階で書き直したり、加筆したり、もう翻訳者の仕事じゃないということも何度となく経験した。
 
 とまあ、そんな具合で映画TV物はスケジュールがタイトで、遅らせたら大変だからプレッシャーもきつい。3週間というのは普通ならまず引き受けないような日程だが、わたしはエイリアンもプレデターも好きだからホイホイと引き受けてしまった。そういえば、竹書房で最初に受けた仕事というのもフレディVSジェイソンのノベライズの翻訳だったなあ。どちらもきわものには違いないが、けっこう面白くて、わたしとしては気に入っているんだがね。
 
 とにかく『エイリアンVSプレデターの時は、時間がないからと、前半、後半と二つに分けて入稿することになった。で、必死こいて半分だけ訳したところで先にメールで送ったら、次の日の午後にはバイク便でゲラを送ってきた。昔なら3週間が1日ですよ、ライト兄弟がジャンボ・ジェットに乗ったようなもんだな。しかも編集者から電話で「明日の午後4時にバイク便が行きますから、その時までに」と言われた。1冊分の半分とはいえ、ゲラを見る時間はどう考えても実質24時間しかない、いつ寝ればいいんだろう、と悩んでしまったよ。
 
 幸か不幸か、その修羅場を何とか乗り越えてしまったので、竹書房の編集には「かなりの無理がきく男」だと思われてしまった節がある。それがあって、今度はアレキサンダーCSI:科学捜査班という二連暴走特急に遭遇して地獄の底を覗きこむ羽目になるんですが、それはまた別の機会に。
 
 わたしは編集者経験があるためか、そういう切羽詰まった状況にわりと慣れている。好んでそういう状況に飛びこみたくはないが、断りもしないし、胃を痛くするほど苦しみもしない。実は今現在ももそういう状況にあるわけなんですがね。
 
 それはともかく……締切りに間に合わせる秘法というのは知らないが、スピードアップさせる方法はないことはない。それを説明しよう。ただ、この先は人によっては禁じ手だと考えるかもしれないので、あくまで自己責任で、ということで。
 
 洋食屋がハンバーグの材料の配分で歩留まりを調整するように(昔『庖丁人味平』でそう言ってたよ、嘘か本当か知らないが)翻訳の際の速度を調整できるのは、日本語の練り上げ(うまい表現ではないが)のみだ。
 
 今さら断わるまでもないが、英語の単語と日本語の単語は正確な一対一の対応をしているわけではない。つまりHEADという英単語と頭という日本語は、全く同じ意味を持つ、というわけではない。
 
 ここで「ええっ、そうなの? 知らなかったあ!」という人は、英語の翻訳には向いていないから、この先を読む必要はない。
 
 たとえば、Graceを辞書で引いて、「美質、優雅、温雅、しとやかさ、上品、礼儀、たしなみ、雅致、洗練」といった言葉が出てきたとする。これは「Graceの意味がこの中のどれか」ということではなく「Graceという言葉の各側面を日本語で表現するにはこれだけの単語が必要だった」ということだ。英単語はおにぎり、辞書の言葉はそれを巻いている海苔だと思ってください。海苔の各部分はきっちりおにぎりの外周を固めているが、決して中心のツナマヨの部分には到達していない。また海苔の一部分ではなく全体の形を見なくては、おにぎりの形は分からない。(うーん、この比喩は失敗だったかもしれないな……汗)
 
 とにかく、辞書に書かれている訳語というのは選択肢ではなく、不完全な第一印象の羅列に過ぎないということは忘れずに。(昔はこの状況を表現するのに「群盲象を評す」というぴったりの言葉があったのに、今ではAtokで変換すらしない)
 
 だから、翻訳の際には辞書に書いてある訳語を一つ選択するのではなく、書いてある訳語の全てとは言わずとも、そのうちのいくつかを含む別の日本語を考える、というのが本来の作業である(はずだ)。「辞書に書いてある訳語を使うな」と言う翻訳者がいるのは、そういうことだ。まあ、それがいちばん頭を使う作業でもあるのだが。
 
 前置きに時間をとられすぎてしまった、申し訳ない。以下次号ということで。
 
鎌田 三平
 
バックナンバー
第1回・第一だらだら「構文解析とは鑑識である」
 

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