会心の訳文・第一回(執筆者・越前敏弥)

『氷の闇を越えて』
ティーヴ・ハミルトン
ハヤカワ・ミステリ文庫


 警察官のアレックス・マクナイトは、相棒とともにパトロールをしていたとき、異常者に銃で乱射される。相棒は命を落とし、アレックスも瀕死の重傷を負って退職する。それから14年たったいまも、アレックスの胸には摘出できなかった銃弾が残っている。心の傷は劣らず深い。それが、あるとき思いがけないことから私立探偵になり、事件を解決する過程で少しずつ自己再生していく。そんな小説だ。
 この作品の書き出しは、こんなふうになっている。


 There is a bullet in my chest.


 どんな訳者でも、冒頭の一文に向かうときはかなり意気ごむものだろう。その作品、そのシリーズ、ときにはその作家の将来を決定づける可能性さえあるからだ。この作品を訳したときも、あれこれ考えた。数十の訳文が脳裏に浮かび、消えていった。そして、空が白んできたころ、ひとつの結論に達した。確信と言ってもよかった。
 その後、翻訳学校の中級クラスでこの作品を教材として使い、冒頭の文をどう訳したかを全員に尋ねてみた。結果は予想どおりだった。「わたしの胸には銃弾が残っている」「――入っている」「――埋めこまれている」「――撃ちこまれたままだ」などなど。これは中級クラスならではの現象かもしれない。原文を深く読み、文と文、段落と段落、章と章の有機的な関係を分析したうえで、わかりやすく表現する。そんな習慣が身につきつつあるからこそ、上記のような訳になるのだろう。
 これらはみな、わたしの脳裏から消えていった訳文だ。
 恐怖や衝撃というものは、それがいかに恐ろしいか、いかに衝撃的かを説いたところで、恐ろしくも衝撃的にもならない。笑いについても、おそらく同じことが言えよう。いちばんよく伝わるのは、いっさいの説明を排し、事実をありのままに提示するときだ。"There is a bullet in my chest." という文は、まさにその原則を体現しているのではないか。事実を語るにあたって、考えつくかぎり最も単純な言い方をしているからこそ、最も衝撃が大きい。だとしたら、翻訳がどうあるべきかは、おのずと明らかだろう。


 というわけで、拙訳は「わたしの胸のなかには銃弾がある」。
 なあんだ、そのままじゃないかと言うなかれ。そのままの訳がなかなかできないからこそ、そんな度胸がないからこそ、翻訳修行者もプロも、何年も何十年も悪戦苦闘をつづけているんです。それに、さっき並べた訳と最後の訳を声に出して読み、闇に響かせてみてください。〝氷の闇〟にほんとうにふさわしいのはどちらだと思いますか。


〈作品についての情報〉
2000/4 初版
 私立探偵小説の伝統を踏まえつつも、随所でそれをくつがえし、新しいタイプのアンチヒーローを生き生きと描いた快作。MWA(アメリカ探偵作家クラブ)とPWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)の最優秀処女長編賞ダブル受賞作。
 アレックス・マクナイト・シリーズは、この『氷の闇を越えて』のあと、『ウルフ・ムーンの夜』『狩りの風よ吹け』と第3作までが日本で翻訳刊行(いずれも早川ミステリ文庫)。原書はその後、"North of Nowhere"、"Blood is the Sky"、"Ice Run"、"A Stolen Season"と第7作まで出版されている。

氷の闇を越えて (ハヤカワ・ミステリ文庫)

氷の闇を越えて (ハヤカワ・ミステリ文庫)