キャロル・オコンネルの話——この文章がすごい!(執筆者・務台夏子)


 オコンネルの最新作『愛おしい骨』には、二匹の犬が登場する。一方は、主人公一家が過去に飼っていた犬で、もうだいぶ前に世を去り、なんと剥製にされている。もう一方は、生きている犬。野良犬だけれども、主人公一家の家政婦ハンナに少しずつ誘い寄せられ、おっかなびっくり近づいてきて、最後は彼ら家族の一員となる。オコンネルは、この二匹の犬をなかなか巧みに象徴的に使っているわけだが、『愛おしい骨』の翻訳出版に携わった関係者のあいだでは、この犬たちが「とっても可愛い!」と評判だった。私も犬をこんなにも犬らしく、また、愛らしく表現するオコンネルさんは、きっと犬好きにちがいない、私の仲間である、と勝手に決めつけ、非常にうれしく思っている。
 なにしろ、二十年ぶりに帰郷し、帰宅した主人公オーレンが、剥製になった犬、ホレイショーを見て、この愛犬を思い出すシーンがこれなのだから——

ホレイショーは、あまり利口な犬とは言えず、芸も命令の言葉も覚えなかった。彼にできることと言えば、家族のみんなをキスでべとべとにし、涎で濡らしまくることだけだった。愛し愛される喜びに、その尻尾は眠っているときも揺れていた。

 たった三つの文。しかも褒める言葉はひとつもない。でもこれだけでホレイショーがどんな犬だったかが十二分に伝わってくるし、読む人は彼を愛さずにはいられなくなる。
 このあともホレイショーは回想シーンにしばしば登場するのだが、ほんとにとっても頭が悪い。家族のみんなも、この犬の思い出を語るとき、あの子は馬鹿だったねえ、という話しかしない。ところが、その頭の悪さが語られれば語られるほど、この犬がどんなに可愛かったか、どんなに家族に愛されていたかが、行間からあふれ出てくる。


 オコンネルはそんな表現が得意だ。語らずに語り、逆説的に語り、書かれていないことを読む楽しさを満喫させてくれる。これぞ読書の喜びだろう。


 では、『愛おしい骨』より、私のお気に入りの文章をもう少しご紹介しておこう。
 まずは、主人公オーレンの子供時代の思い出。内気で意地っ張りな少女が、いつまで待っても声をかけてくれない彼に、はるか東部の寄宿学校から、憎しみをこめてバレンタイン・カードを送ってきた、というエピソードだ。

それは東部の消印の押された封筒に入っていた。差出人の住所や署名はなかった。当時十二歳だった彼がそのハート形のカードを開けると、なかには大きな太い文字で、『大っ嫌い!』と書かれていた。彼はそのカードを何年もとっていた。

 この少女は毎年、夏休みに寄宿学校から帰省する。少年オーレンと街ですれちがうことも多い。彼女に対するオーレンの思いを表す文章は、以下のとおり。(これじゃ少女が業を煮やすのも無理ないが。)

少年時代のオーレンは、彼女をちらちら盗み見しては、その鼻梁のそばかすの数を数えていた。十二のころ、それは彼のライフワークだった。そして十三、四になると、さらに前進し、彼女の赤いペディキュアに魅せられるようになった。


 最後は、私のいちばん好きな文章。オーレンは三つのときに母親をなくしている。そんな彼と弟のジョシュを育てたのが、家政婦のハンナなのだが、この二文はハンナと少年たちとの関係、彼らになんの不足も不便も淋しさも感じさせなかった彼女の存在の大きさを余すところなく伝えている。

幼年時代も思春期のころも、彼は母がいないことを一度も疑問に思わなかった。他の少年たちには母親がいたが、彼とジョシュにはハンナがいた。


 このように、オコンネルはほんの数行で、人間関係や人物像(または犬像)を鮮やかに描いてみせる達人なのだ。オコンネル作品は、冒頭に記される献辞までもが美しく感動的だ。それらは、作品を捧げられた人物の人柄やオコンネルとの結びつき、その背景にあるにちがいないさまざまな物語をイメージさせてくれる。私はそういったオコンネルの文章にいつも感銘を受けている。それを翻訳しているというのは、結構恐いことだけれども。



務台夏子(ムタイ ナツコ)
英米文学翻訳家。訳書にオコンネル『クリスマスに少女は還る』『愛おしい骨』、デュ・モーリア『鳥』『レイチェル』、マクロイ『殺す者と殺される者』、キングズバリー『ペニーフット・ホテル受難の日』などがある。
 
 

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愛おしい骨 (創元推理文庫)

愛おしい骨 (創元推理文庫)

東京創元社 12月の新刊

『悪魔に食われろ青尾蠅』/Devil Takes the Blue-Tail Fly
ジョン・フランクリン・バーディン(John Franklin Bardin)/浅羽莢子・訳
創元推理文庫/定価735円(税込)/12月11日/ISBN:978-4-488-13503-4

悪魔に食われろ青尾蠅 (創元推理文庫)

悪魔に食われろ青尾蠅 (創元推理文庫)

精神病院に入院して二年。ようやく退院が許されたハープシコード奏者のエレンは、夫の待つ家に帰り、演奏活動の再開を目指す。だが楽器の鍵の紛失に始まる奇怪な混乱が身辺で相次ぎ、彼女を徐々に不安に陥れていく。エレンを嘲笑うがごとく日々増大する違和感は、ある再会を契機に決定的なものとなる。早すぎた傑作としてシモンズらに激賞され、各種ベストに選出された幻の逸品。解説=松浦正人


人形遣いと絞首台』/The Weed that Strings the Hangman's Bag
アラン・ブラッドリー(Alan Bradley)/古賀弥生・訳
創元推理文庫/定価1155円(税込)/12月11日/ISBN:978-4-488-13603-1

人形遣いと絞首台 (創元推理文庫)

人形遣いと絞首台 (創元推理文庫)

教会の墓地で、11歳の少女フレーヴィアは、テレビで有名だという人形遣いとアシスタントの女性に出会った。乗ってきたヴァンが壊れてしまったのだが、修理代がないという。そこで、お金を稼ぐために『ジャックと豆の木』を上演することになったんだけど……。異例の数の新人賞に輝いた『パイは小さな秘密を運ぶ』につづく、化学大好き少女探偵、フレーヴィア・シリーズ第二弾! 解説=大矢博子


『魔女の館』/The Witch's House
シャーロット・アームストロング(Charlotte Armstrong)/近藤麻里子・訳
創元推理文庫/定価945円(税込)/12月18日/ISBN:978-4-488-26305-8

魔女の館 (創元推理文庫)

魔女の館 (創元推理文庫)

同僚アダムズの不正行為に気づき怒りに駆られた大学講師パットは、帰宅しようとした彼を追跡、詰問したあげく殴られて老婆の棲む一軒家に囚われの身となる。凶暴な飼い犬ともども危険視されているミセス・プライドは重傷を負ったパットを息子と呼び世話をするが、医者を呼ぼうともせず外界との交渉は絶望的。突然消息を絶ったパットを案じる妻アナベルは、学長や警察の出方に業を煮やして探索を始める。その間にもパットの身体と精神の状態は悪化の一途を辿り……。名手が贈る円熟の長編サスペンス。解説=小森収


『愛は血を流して横たわる』/Love Lies Bleeding
エドマンド・クリスピン(Edmund Crispin)/滝口達也・訳
創元推理文庫/定価1008円(税込)/12月18日/ISBN:978-4-488-15602-2

愛は血を流して横たわる (創元推理文庫)

愛は血を流して横たわる (創元推理文庫)

スタンフォード校長は頭をかかえていた。化学実験室からの盗難、終業式の演劇に出演する女生徒の失踪に続き、教師二人が射殺されたのだ。校長は、来賓として訪れていた名探偵フェン教授に助力を求める。犯行現場に赴き、鋭い推理を披露するフェンだが、翌日村はずれの田舎家でまたもや殺人が……。J・D・カーに私淑しミステリをものした才人による、黄金期の香気漂う英国探偵小説。解説=宮脇孝雄


サイモン・アークの事件簿II』/The Second Casebook of Simon Ark
エドワード・D・ホック(Edward D. Hoch)/木村二郎・訳
創元推理文庫/定価1050円(税込)/12月18日/ISBN:978-4-488-20110-4

サイモン・アークの事件簿II (創元推理文庫)

サイモン・アークの事件簿II (創元推理文庫)

2000年の長きにわたる人生の大半を、悪魔と超自然現象の探求についやす謎の男、サイモン・アーク。彼の行く先々で、怪奇な謎が死者を生む。カスパー・ハウザーの伝説に酷似した雪原の死、ロシアとアメリカで相次ぐ宇宙飛行士怪死事件、インド洋の島に跳梁する吸血鬼の影、ファラオの墓から発掘された喇叭が招いた死……いずれ劣らぬ難事件に、オカルト探偵が卓越した推理力で挑む8編を収録した、珠玉の第2短編集。解説=木村仁良


東京創元社 文庫解説総目録』/Tokyo Sogensha Paperbacks: Bibliography and Index
高橋良平東京創元社編集部・編
東京創元社/定価5250円(税込)/12月18日/ISBN:978-4-488-49511-4

東京創元社文庫解説総目録

東京創元社文庫解説総目録

創元推理文庫は、1959年4月、『兇悪の浜』『黄色い部屋の謎』『赤い館の秘密』『ベンスン殺人事件』の4点同時刊行でスタートしました。本書は、2010年3月までに弊社が刊行した文庫全点に内容紹介を付した『文庫解説総目録』です。創元推理文庫(ミステリ、ホラー&ファンタジー[旧・怪奇と冒険]、ゲームブックス)、創元SF文庫、イエローブックス、創元ノヴェルズ、創元ライブラリ、創元コンテンポラリの全文庫作品を掲載しています。巻末には詳細な作品名・著者名索引を付しました。
また、別冊の[資料編]には、創元推理文庫をはじめ現在までに小社が刊行した文庫の基礎となった単行本叢書・単行本全集・および現在も刊行されている関連ジャンルの単行本について、リストと読み物をまとめました(全刊行物のリストではありません)。第1部には新規の座談会や過去のエッセイを収録し、第2部では歴史を追うかたちで、叢書ごとのリストを中心に月報や雑誌等で発表された座談会、エッセイ等を採録。各叢書の冒頭に載せた案内文は、内容見本や広告文から採録したものです。第3部には関連ジャンルの単行本のリストを掲載しています。