会心の訳文・第五回(執筆者・芹澤恵)

『クリスマスのフロスト』
R・D・ウィングフィールド
創元推理文庫

He thrust forward a carefully aimed, stubby finger. “How’s that for center?”

フロストは慎重に狙いを定めると、太くて短い指を標的に突き立てた。「浣腸は好きかい?」

 担当編集者から『クリスマスのフロスト』の原書、Frost at Christmas を渡されたとき、予備知識として伝えられたのは、この作品はイギリスの地方都市を舞台にした渋めの警察小説だということだった。「まあ、とりあえず読んでみてください」と言われて読み始め、いくらも読み進まないうちに上記の部分に遭遇した。驚いたなんてもんじゃない。だって、渋めの警察小説の主人公が同僚の刑事のおいどに……まさか、そんなことする? 
 いやいや、それはないでしょう。だって渋めの警察小説だもの。どうにも信じられなくて、当時英語の疑問点を質問していたイギリス人の知人に「これはこういうことだと思うけれど、その理解で本当に間違いないか?」と訊いてみた。「そうだよ」とあっさりと返され、それでも納得できなくて何度もしつこく確認した。あまりに何度も訊きなおしたものだから、「そんなに納得がいかなければ実演してあげようか?」と言われたほどだ。もちろん、慌ててご辞退申し上げた。
 そうして、ようやく、これはわたしの心の奥底にひそむいやらしい心が長年の抑圧に耐えかねて読ませた妄想なんかではなく、フロストは同僚の刑事に本当にそういうことをしたのだと得心がいった。その先を読み進めていくにつれ、フロストという人物はそういう行動を取ってもなんら不思議のない人なのだという理解も生まれた。こんなことぐらいで驚いているようでは、とてもつきあっていけない相手だということも。


 そんなわけで翻訳に取りかかったときには、もうすっかり状況は呑み込めていたけれど、今度はこの台詞をどう訳したものか。うんうん唸ること数日。ふっと思い出したのが、今を去ること数十年前、小学校でスカートめくりに次いで大流行したあの“浣腸”というふざけたいたずら。もちろん、迷った。イギリス発の警察小説の主人公に、あんな台詞を言わせてしまってもいいものか、悩みに悩んだ。でも、一度思いついてしまうと、もうほかの発想が生まれなくて……赤っ恥覚悟で、えいやっと清水の舞台から飛び降りた。
 これで度胸がついた。そういう意味で言うと、これこそわたしにとって「会心の訳文」だったのかもしれない。その後もフロスト警部にはずいぶん鍛えていただき、おかげさまで心臓に極太の毛が生えた。アンドリュー・クラヴァンの『愛しのクレメンタイン』という、めちゃくちゃチャーミングなんだけれども卑語満載の作品を訳すことができたのも、フロスト警部の薫陶の賜物と感謝している。


 ところで、人には持って生まれた定量というものがあるらしい。人間が一生に使うものの量は、その人が生まれ落ちたときにすでに決められているのだとか。その伝で言うなら、卑語に関してはもうだいぶ使ってしまった気がするのだが、わたしに与えられた卑語の定量、もうちょっとだけ残っていてほしいと思う。フロスト警部とあともう少し、ウィングフィールドが遺してくれた残り2冊分ほど、おつきあいできればと願っているので。


 芹澤恵

クリスマスのフロスト (創元推理文庫)

クリスマスのフロスト (創元推理文庫)

2010年度マルタの鷹協会日本支部の会員募集

ミステリー・ファンの皆様方へ:

 自称ミステリー研究家/翻訳家の木村二郎です。
「マルタの鷹協会日本支部」の入会勧誘委員を務めています。
(「マルタの鷹協会日本支部」は1982年に発足したハードボイルド/私立探偵小
説・映画ファンの集まりです)

 只今、「マルタの鷹協会日本支部」では2010年度会員を募集しています。
「マルタの鷹協会」は、どちらかと言うと、ハードボイルド/私立探偵小説・映画フ
ァンが多く参加しています。最近では、「ノワール小説」と呼ぶ人もいます。で、ほとんどの会員がミステリー全般を読んでいます。
 現在の活動は、主に会報 The Maltese Falcon Flyer の発行と、毎年恒例のファルコン賞(最優秀ハードボイルド/私立探偵小説大賞)選出です。関西支部ではほとんど隔月に例会があります。
 ファルコン賞は、今までロバート・B・パーカーやジェイムズ・クラムリージョー・ゴアズ原りょうマイクル・コナリー(2度)、ローレンス・ブロック(2度) などが受賞しています。スー・グラフトンやマイクル・Z・リューインの公式サイトには、ファルコン賞の鷹像の写真が載せてあります。2008年度ファルコン賞受賞作は、S・J・ローザンの『冬そして夜』でした。

 会報は年に10回発行されています。
 会報には、小鷹信光さんの新コラム「私のハードボイルド日記」や直井明さんの「直井御奉行/丸鷹御意見番」、木村二郎の情報コラムが(ペンネームで)連載されています。

 そのほか、会員のために独自のメーリングリストと独自のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)があります。ハードボイルド/私立探偵小説に関する最新の情報が伝えられます。

 入会方法は----
 入会費なし。
 年会費は4000円(一般会費)、もしくは5000円(家族会員2人、会報は1
部、投票権は2人分)を郵便振替で----

*口座番号: 00120ー5ー580422
*口座名義: 鈴木 隆久

 へ送金してください。
 もしくは、銀行振込で----

*銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
*店番:019
*店名(カナ):〇一九店(ゼロイチキュウ店)
*預金種目:当座
*口座番号:0580422
*カナ氏名(受取人名):スズキ タカヒサ

 へ送金して、
 事務局の鈴木隆久(ta-suzuki@tcn-catv.ne.jp)にその旨と住所、氏名を(できれば電話番号も)メールでお知らせください。

 2009年内に会費をお支払いしてくださると助かります。(遅くとも、2010年の1月20日までにお支払いいただければ、会報2010年1月号が送りやすいで
す。)
 皆様の参加をお待ちしております。
 すでに「マルタの鷹協会」の会費をお支払いになった方には、お詫びいたします。

 木村二郎
「マルタの鷹協会日本支部」入会勧誘委員

追伸:ちなみに、2010年は『マルタの鷹』刊行80周年です。